第21話 決闘2
「ぐはッ!」
背中から地面へと衝突。一度大きくバウンドし、何回か転がった後にようやく停止した。
多少は目が回りつつも、受け身は万全だったので怪我らしい怪我はない。元よりバイクに撥ねられてもケロッとしていられるほど頑丈なのだ。今さらこの程度で死んでしまう天崎ではなかった。
「痛った……」
それでも痛いものは痛い。
強打した場所に異常がないか確認しながら、天崎は起き上がった。
「ここは……俺たちの学校じゃねえか」
そう。天崎が投げ捨てられた場所は、彼らが通う高校のグランドだった。
決闘の場というのはここなのか? 確かに戦うには十分な広さがあるとはいえ、ほぼ住宅街のど真ん中だぞ? 大丈夫なのか? ……いや、大方安藤が結界でも張ったのだろう。敷地の境界を通過する際、変に生暖かい感触があったし。
「天崎さん!」
注意深く周囲を観察していると、今一番聞きたかった声が耳に入った。
リベリアは屋上にいた。否、屋上付近と言うべきか。両手を杭のような物で打ち抜かれ、校舎の壁に磔にされているのだ。その側には、感情のない眼でこちらを見下ろすミシェルの姿があった。
「リベリア! 無事なのか!?」
「天崎さん、気を付けてください! 上です!!」
「――ッ!?」
言われるがまま上を向く。目と鼻の先に革靴の裏があった。
「ぐっ……」
死に物狂いで真横へと飛び込む。間一髪、アランの足は天崎の髪を掠めていった。
それと同時に爆発音。地面を転がるようにして距離を取った天崎が見たのは、小さなクレーターの中で悠然と佇む漆黒の吸血鬼だった。
「あの悪魔の言っていたことには、二つ間違いがある」
舞い上がった砂埃が収まっていく中、アランがゆっくりと天崎との距離を詰めてくる。
「一つは、あの場で貴様を殺さなかった理由だ。無暗に騒ぎを起こしたくないが故、細心の注意を払っていたことは認めよう。だが、それだけではない。貴様をリベリアの目の前で殺すことで、己の行いを悔いてもらおうと思ってな。また別なる『完全なる雑種』を求めぬよう釘を刺しておきたかったのだ」
「……悪趣味だな」
「もう一つ。奴はここを決闘の場と言っていたが……否。それは違う。なぜなら、吾輩が貴様を一方的に殺戮するのだからな」
アランが身を沈めた。
――来るッ!
だがアランが動くよりも早く、天崎は次の行動に移っていた。
「待てよ」
片腕を伸ばして、アランの方へと手の平を見せる。
ともすれば白旗を揚げる行為に見えなくもない仕草に、アランは眉根を寄せた。
「ここへきて今さら降参でもするつもりか?」
「降参か。いいね。できることならしたいんだけど、それよりも先にあんたと話がしたい」
「話、だと?」
動きを止めたアランが、さらに訝しげな表情を作った。
「俺とあんたは、ついさっき顔を合わせたばかりだろ? なのに一方的に難癖付けられてさ、しかも弁解もできずに殺されるとかたまったもんじゃない。だから話し合いで解決できるのなら、それに越したことはないと思ってね」
「くくく。吸血鬼相手に話し合いで決着をつけようなどとは、なかなかどうして肝が据わっているじゃないか」
面白おかしくご機嫌な笑い声を上げたアランは、一考するまでもなく首肯した。
「よかろう。夜はまだ長い。狩られる者の命乞いに耳を貸してやる」
「ありがとよ」
息を整えた天崎は、砂の匂いが混じる空気を肺一杯に吸い込んだ。
「あんた、リベリアが成人の儀を拒む理由を知ってんのか?」
「無論だとも。なんでも、兄である吾輩が死ぬのは嫌だと戯けたことを抜かしているらしい。まったく、ホームハルト家の吸血鬼として情けない限りだ。次の当主を任せる立場としては、ほとほと困り果ててしまうというものよ」
「なんだ、やっぱり話が食い違ってるじゃねえか」
「……なに?」
「俺が訊いてんのは、リベリアがあんたと死別するのを嫌がってる理由の方だよ。あんたは残される妹の気持ちをちゃんと考えたことがあるのか?」
「…………」
天崎の言葉を噛み砕くように、アランは目を伏せた。
何故リベリアは自分と別れたくないのか。
…………。
長考の末、結局アランはゆっくりと首を横に振った。
「ふん、何を言い出すのかと思えば下らん。そもそも儀式にリベリアの気持ちなど関係ない」
「関係ない、だと?」
「そうだ。そしてこの件に関して、やはり関係のない貴様が口を出す余地はない。これは我々兄妹、ホームハルト家の問題なのだ。故にリベリアが貴様の血を狙い、迷惑を掛けたことに関しては吾輩の口から詫びよう」
今から殺そうとしている相手に詫びるというのも変な話だが、天崎はそんな些細な挑発など気にも留めず、アランの身勝手な言い草に憤りを覚えた。
「ふざけんな! じゃあ教えてやるよ! 弟や妹ってのはな、上の兄弟の背中を見て育っていくもんなんだよ。その兄がいきなりいなくなったら寂しいに決まってんだろ! しかも自分の手で殺させて喰われるなんて、何で妹にそんな辛い思いをさせられるんだ!?」
兄弟のいない天崎には、自分の言葉が軽いことに自覚はあった。が、想像は容易にできる。
実家で暮らす両親は元より、円だって空美だって安藤だって、もし自分が殺さなくちゃいけない状況になったら絶対に拒むし、突然いなくなったら寂しいと思うはず。それが幼い頃から共に過ごしてきた兄妹なら尚更だ。
しかし天崎の必死の訴えも、アランにとってはどこ吹く風といった様子だった。
「だから何だというのだ?」
一切の感情も感じさせない冷徹な声が、天崎の胸に刺さる。
「リベリアがどんなに辛かろうと関係ない。成人の儀はホームハルト家が代々受け継いできた重要な儀式。それをただの小娘の我が儘で曲げるなど、許されるわけがない」
「お前……」
融通の利かない相手を前に、天崎の拳に自然と力が入る。
だが獲物が怒りに震えてもなお、アランは語るのをやめなかった。
「もう何十年も前になるが、吾輩も母を喰らうことで成人の儀を果たした。吾輩に喰われる母は子の成長に感無量の涙を流し、吾輩もまた長く背中を見てきた母に代わって、ホームハルト家の当主となるための自信を得た。これはいわば試練なのだよ。歴史あるホームハルト家を継いでいくために、リベリアには強く逞しく、そして自信を持ってもらわねばならない」
「なっ……」
あまりにも淡々と述べられるアランの語り口に、天崎は絶句してしまった。
思い出されるのは最初の問答。アランの長考だ。
たぶんアランは理解していたのだ。リベリアがどれほど自分を慕い、成人の儀によってどれだけ辛い思いをするのかを。天崎に言われるまでもなく、最初からリベリアの気持ちを知っていた。
なぜなら自分も同じ経験をしていたのだから。
だからこそ天崎は納得がいかず、強く歯噛みをする。
アランはリベリアの気持ちを理解した上で、彼女が一人ぼっちになることを強要している。実の妹が悲しみに沈むことを知っていながら、自らは死を望む。いくら一族の意志とはいえ、その考えには賛同できそうになかった。
「……それがリベリアを悲しませる結果になったとしてもか?」
「試練だと言っただろう? それを乗り越えなければ、ホームハルト家の当主を名乗る資格を与えることはできぬ」
やはり違う。と、天崎は思った。
かわいい子には旅をさせろという諺がある。子供をかわいいと思うなら、親元で甘やかすだけではなく、世間の厳しさを教えてやった方が子供はしっかりと育つという意味であるが、それにはある大前提が必要だった。
それは、いつか帰る場所があるということ。
最終的に行きつく親元があるからこそ、子供は過酷な旅を乗り越えられるのだ。どんな楽園でも敵わない、親の温もりという安息の地を求めて、子供は強くなっていくのである。
だから天崎はアランの一方的な言い分を不快に思っているのだ。
アランがリベリアに過酷な試練を与えているだけだったら、天崎もここまで突っかかったりはしなかっただろう。アランにはリベリアを一人前にする責任があるし、それこそ他人の家の方針に口を出せる権利はない。
しかし今回の場合、その前提は成り立たなかった。
試練を乗り越え強くなったリベリアの元に、愛する兄はいない。
途方もなく大きな孤独を背負って、彼女はそれから先を生きていかなければならない。
それはどうしようもなく無残で、無慈悲で……無責任だった。
理不尽なエゴを振りかざすアランに向け、天崎は感情を押し殺しながら問いただした。
「あんたさ……リベリアのことを愛していないのか?」
「無論、愛しているさ。愛しているからこそ、吾輩はあの娘が強くなることを願っている」
ああ、ダメだ。これ以上の議論は完全に無意味だった
どうやっても分かり合えない相手であることを悟り、天崎は眉尻を下げる。
だが落胆する天崎とは対照的に、アランの瞳が爛々と輝き始めた。彼の身体から発する威圧感が大気を歪ませ、空気がピンッと張り詰める。
「命乞いは終わりか? まだ時間はあるぞ?」
「いや、もういいよ。言葉じゃ通じなさそうだし」
「では、覚悟はいいな? 苦しまぬよう一瞬で散らしてやる」
宣言するのと同時、風もないのにアランの足元の砂が少しだけ舞い上がった。
妹のリベリアですら身震いしてしまうほどの気迫。明確な殺意に晒されている天崎は、さぞかし絶望の表情を浮かべるかと思いきや……意外と堪えていないようだ。
「何を勘違いしてるんだ? 言葉では通じないから力づくで分からせてやるっつってんだよ」
天崎が意識の中でトリガーを引く。
その瞬間、身体に異変が起こり始めた。
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