第20話 決闘1

 そういえばリベリアと出会った時も夜の街を駆けずり回っていたなと、天崎は思い出した。何の因果か、あの時とは立場が逆転してしまっているが。


 そんな中、常に考えていたのはリベリアが姿を消した理由だった。


 思い当たるのは二つ。一つは、ミシェルに居場所がバレたから遠くへ逃げた。もう一つは、これ以上おののき荘に迷惑が掛からないよう、自らアランと決着をつけに行ったか。


 もし後者だった場合、リベリアが勝っていれば天崎の所へ報告に来るだろうし、負けていればそのまま国へ連れ戻されているはず。何もなかったということは、つまり……。


 だが天崎は、そのどちらでもないと確信していた。


 外へ出て、改めて実感する。昼間もそうだったが、何となくリベリアが近くにいるような気がするのだ。


 もちろん根拠らしい根拠は何もない。まるで磁石のN極とS極が引き合うように、天崎は己の直感に任せたまま足を動かしているのみ。


 ただ、不意に思い出した。さっきリベリアの記憶らしき夢を見たんだった。


「もしかして……」


 足を止めた天崎は、自らの手の甲に視線を落とした。


 普通の人間よりも怪我の治りが早い『完全なる雑種』であるためか、傷はすでに塞がっている。しかし昨日までは確かにあったはずだ。おののき荘の崩落に巻き込まれた時にできたとは思えない、何か鋭い刃物のような物で切り裂かれたような傷跡が。


 その傷に限らず、仮にどこかでリベリアが天崎の血を摂取していたんだとしたら?


 理屈としてはバカげている。たかが血を吸われただけで、記憶を覗き見たり直感的に相手の居場所を察知できるわけがない。


 だが、この奇妙な感覚以外に手掛かりが無いのも事実。


 ダメで元々と決意を改め、再び走り出そうとした天崎だったが――、


 不意に、一陣の風が天崎の横を通り過ぎた。


「貴様が『完全なる雑種フリードッグ』だな?」


「――ッ!?」


 脊椎反射で、声がした方とは反対側へと跳ね退く。


 刹那、一瞬前まで首があった場所へと刃物が薙ぎ払われた。衝撃に圧された天崎は、避けた反動を利用して這う這うの体で距離を取る。


 そして天崎は、見た。街灯の下で佇む、漆黒の吸血鬼が一体。


 夢で見た人物と同じ顔。アラン=ホームハルトその人を。


「ほう? 人間にしては見事な反射神経だ。頸動脈を裂いたつもりだったのだがな」


 何やら感心しているようだが、天崎は言葉を返すことができなかった。


 自分の首に触れてみる。どうやら薄皮が剝けているよう。アランの言う通り、避けなければもっと深く抉れていただろう。


 一歩判断を違えば確実に死んでいたという事実を認識し、天崎は背筋を凍らせる。


 だが恐怖で身を竦ませている場合ではなかった。


 刃物のように鋭く尖った爪が再び動くのを見て、天崎は無理やり声を絞り出した。


「あ、あんたがアラン=ホームハルトなんだよな?」


「いかにも。我が妹、リベリアが世話になったそうじゃないか」


 かといって特に感謝を示すわけでもなく、アランの冷徹な双眸が天崎を射抜いた。


 アランが今ここにいる意味。恐怖で鈍くなった頭では明確な解答を導き出すことができず、己を奮い立たせる意味も込めて、天崎は声を荒げた。


「リベリアはどうした!?」


「貴様には関係のないこと。だが吾輩の目的だけは伝えておこう。リベリアが再び愚かな考えを持たぬよう、『完全なる雑種』の命を摘みに来たのだ」


「そういうことかよ!」


 今の一言だけで、すべてを理解した。


 吸血鬼であることを放棄すれば成人の儀をしなくても済むと思っているリベリア。その手段は、新月の夜に『完全なる雑種』の血を飲むこと。ならば、何としてでも阻止したいアランが天崎の命を狙うのは道理。あまりにも合理的すぎる判断だ。


 だとしても、ここで少し疑問が残る。


 彼女の目的を知っているということは、間違いなく二人は顔を合わせているはずだ。となれば、リベリアは本当にどうなったのだ?


 天崎の抱く感覚からして、国を隔てるほど遠方にいるとは思えない。かといって、アランがリベリアを殺すなんてこともあり得ない。様々な要素が矛盾を孕み、天崎は困惑してしまう。


 だが、悠長に考えている暇はなかった。


 命を摘むと明言された手前、今は自分を守る方が先決だ。初撃から感じ取られた殺意からしても、アランは確実に仕留めにきている。


 現時点で対抗手段を持たない天崎は、ダメ元で踵を返した。


 もちろん本当に逃げられるとは思っていない。天崎の予想通り、アランは十メートルは隔てていた距離を一気に詰める。喉笛を狙うのは、先ほどと同じく己の爪だ。


 ガードは無意味。おそらく鋼鉄並みの硬度でなければ簡単に引き裂かれてしまうだろう。


 なので躱す。躱す。躱す。


 連続で繰り出されるアランのジャブを躱し続けたところで……違和感を覚えた。


 攻撃があまりにも遅すぎる。新月でもないのに、とても吸血鬼とは思えない鈍さ。


 それでもプロボクサー以上のスピードが出ているのだが、最初から逃げ腰かつ反撃をしない前提の天崎には、軌道を見極め避けることは容易だった。


 結局、一撃も食らわないまま再び距離を取ることに成功する。その顔には、先ほどまでにはなかった余裕の笑みが張り付いていた。


「なんだ。全然大したことないな、あんた」


「…………」


 劣等種に煽られ、誇り高き吸血鬼の顔つきが変わる。


 夜のように静かな怒りを纏ったアランが、突然……消えた。否、人並外れた動体視力を持つ天崎には、かろうじて捉えられていた。


 先ほどとは別人にでもなったかのような動き。目にも止まらぬ速さで天崎の脇を駆け抜けたアランは、己の力を誇示するように、わざわざ天崎の背後へと回る。そして獲物の首筋へと己が爪を向けた。


「終わりだ」


「ぐっ……」


 振り向く? それとも飛び退く? ダメだ、どちらも間に合わない。


 命を奪う攻撃が首へと迫るコンマ数秒、天崎の本能は、如何にしてこの場を切り抜けるべきか頭をフル回転させたのだが……突破口は思わぬところからやってきた。


 ピリリリリ! ピリリリリ! と、夜の静寂を裂く間抜けな電子音。


 電話だ。天崎のポケットの中に入っているスマホが、着信を訴えかけている。


 当然、応えられる状況ではない。電話相手には悪いが、もしかしたら永遠に出られなくなるかもなと諦めかけた、その時……異変が起こった。


「チッ!」


 何故かアランが動きを止めたのだ。鋭い爪が天崎の皮膚を裂く直前で静止し、さらに一足飛びで後方へと離れていく。まるでネズミ撃退用の超音波を耳にしたように、スマホの着信を嫌ったような突発的な反応だった。


「?」


 再び十メートルほどの距離を置いたところで、アランは不気味な置物と化した。ただ、金色の双眸はずっと天崎を凝視している。険しい顔つきは、電話に早く出ろと圧力を掛けているようでもあった。


 訳が分からず困惑する中でも、電話は一向に鳴り止む気配はない。


 どのみち電話が鳴らなければ死んでいたのだ。アランの動きに細心の注意を払いつつ、天崎はゆっくりとスマホを取り出した。


 画面に表示されている名前は『安藤』だった。


『やあ、天崎。少しいいかい?』


「絶賛、取込み中なんだけどな」


『吸血鬼に襲われてる最中なんだろ? 五体はまだ満足かな?』


「……お前、どこまで知ってるんだ?」


 問うと、電話口の安藤がわずかに笑ったような気がした。


『君も僕の目的は知っているだろ? すべてさ。人間の暮らしを調査する以上、僕はこの街のどんな些細な出来事でも詳細に知っておかなくちゃならない』


「んじゃ説明は省くぞ。何の用だ? さっさと用件を言え」


『なら手短に話そう。アラン=ホームハルトが妹さんのために君を排除したがっていることは聞いたかい? 何を隠そう、一回だけ殺しにかかってもいいと許可を出したのは僕なのさ』


「出すなよ」


『未来永劫命を狙われ続けるよりもマシだろう? この一回を耐え凌ぐだけで諦めてくれるんだ。交渉した僕が感謝はされても、咎められる覚えはないよ』


 確かにな。と、天崎は喉を鳴らした。


 たとえ無事に撃退したとしても、リベリアが成人の儀を拒み続ける限り、再びアランに命を狙われる不安は拭えない。それを一回で済ませてくれるのであれば万々歳だ。吸血鬼がちゃんと約束を守ってくれるかは知らないが。


『それとアラン=ホームハルトにも事情があって、街中で騒ぎを起こしたりはできないと言っていた。人を殺したことを知られたくない、ともね。だからこそ君は今も生き永らえられているんだよ』


「ああ、道理で」


 アランの動きが鈍かった理由に合点がいった。


 実力的には殺そうと思えばいつでも殺せたのだ。しかし無暗やたらと人を殺せないという事情から、手を抜いていた。遺体は処理できたとしても、コンクリートなどに飛び散った血液とかは除去できないだろうし。


『僕にとってもアランにとっても、この場で君を殺すことはデメリットでしかない。君が必要以上に煽ったりしなければ、今は手加減してくれるだろう』


「…………」


 どこからか見てるのかな? と、天崎は周囲を見回した。


「で、どうするつもりだ? 手加減してくれるんならありがたいけど、アランは本気で俺を殺したがってるんだろ?」


『それなんだけど、僕が決闘の場を用意した。その中なら、吸血鬼がどんなに暴れようとも外に知れることはない』


「んな都合のいい場所があるのかよ」


『実証済みだ。なんせ昨夜、ホームハルト兄妹が派手な殴り合いをしていたからね』


「なっ……」


 やはり二人は戦っていたのか!


 唐突に知らされる事実に絶句しながらも、天崎はリベリアの状況を問おうとする。しかしそれよりも先に、安藤が再びクスッと笑った。


『僕が伝えるべきことは、こんなところかな。で、どうだい?』


「どうって?」


『時間稼ぎは十分かなと思って』


「ああ……」


 天崎は自分の体内へと意識を向けてみる。


 準備運動は万全のようだった。


「十分だ。ありがとう」


「時間稼ぎとは何の話だ?」


 気づけばアランの顔が間近にあった。


 反射的に仰け反るも……間に合わない。高速で振り払われる手刀が、天崎の持つスマホを真っ二つに切断した。


「俺のスマホが!?」


「これから死に逝く貴様には不要な物だろう?」


 続いて胸倉を掴み上げられた。体重七十キロ以上はある天崎の身体が軽々と浮く。いや、浮いたどころではない。そのまま野球ボールを遠投でもするかのように、天崎は星の瞬く夜空へと発射された。


「うっそだろおおおおお!!!????」


 喚き叫ぶも、翼を持たない天崎にはどうすることもできない。両腕両脚を意味もなくバタつかせながら、夜も深まる住宅街へと奇声を降り注がせるのみ。


 やがて放物線は下りへと差し掛かる。


 その頃には、着地に備えて身体を丸められる程度には落ち着きを取り戻していた。

 そして――、

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