第14話 闇夜の襲撃者3

 瓦礫の山と化したおののき荘の残骸に降り立ったミシェルは、激しく後悔していた。


 またやってしまった。アランの眷属として仕えて以来、ニンニクを前にすると、どうしても冷静さを失ってしまう。おそらく吸血鬼になって初めて死にかけた原因だからだろう。人間の頃は普通に口にしていたニンニクで、まさか呼吸困難になるとは思わなかったのだ。


 そしてこれは、初めから吸血鬼だったアランやリベリアには理解してもらえないトラウマでもある。故にミシェルは、ニンニクに対して純粋な吸血鬼以上に嫌悪感を表すようになっていた。


 まるで汚物にでも触れるかのように、服についたニンニクをハンカチで拭い取る。二度と使えなくなったハンカチを地面へ投げ捨てる頃には、すっかり冷静さを取り戻していた。


 やがて異常事態に気づいた近隣住民の声で騒がしくなってくる。遠くの方ではサイレンも。


 少し暴れすぎた。そろそろ潮時か。


 撤退をする前に、ミシェルは足元の瓦礫を見下ろした。


 リベリアがこの程度で死ぬわけがない。無傷か、もしくは軽傷を負ってどこかで埋まっているはず。探し出して連れて帰りたいのは山々だが、寝床にしていたアパートをぶっ壊してしまった手前、今顔を合わせたら逆に殺されかねない。ここは逃げるが吉だろう。


 天崎と円に関しては残念だ。この崩壊に巻き込まれては生きてはいまい。


 正直、殺すつもりはなかった。リベリアを説得する過程で結果的に死なせてしまったのなら致し方ないが、できることなら穏便に済ませたかった。眠っている天崎を踏みつけようとした時も、リベリアが対処できるよう手を抜いていたわけだし。


「……ひとまずアラン様に報告しましょう」


 人間に姿を見られては厄介だ。後片付けは任せて、崩落事故を起こした張本人は夜空へ飛び立とうと翼を広げた。


 だがしかし、背後で瓦礫の崩れる音がして、再び足が地面に縫い付けられる。


 振り返ると、そこには柱の残骸を押し退けて立ち上がる天崎がいた……のだが、様子がおかしい。息が荒々しいのは崩落に巻き込まれた影響だとしても、彼の身体の一部が名状しがたい姿へと変貌しているのはどういう訳か。


「何ですか……その腕はッ!?」


 生きていたことも驚きだが、理解不能な現象を前にミシェルは狼狽してしまう。


 天崎の右腕、肩から先が異常に肥大化していた。しかも人間の腕ではない。黒い体毛に覆われ、四本に減った指の先にはナイフのような鋭い爪が生えていた。


 その姿はまるで獣。天崎の右腕は、ゴリラともオオカミとも区別のつけがたい野生のものへと変化を遂げていた。


「『獣王の怪モンスターアクション』」


 心なしか紅くなった天崎の瞳が、じっとミシェルを見据えた。


「俺は『完全なる雑種』だって言っただろ? 少し時間はかかるけど、身体の中にある遺伝子なら、その種族特有の個性を引き出せるんだよ。中でも獣人の遺伝子は比較的出しやすくて戦闘に向いてるからな。選ばせてもらった」


「そ、そんなことが……」


「できるんだよ。つっても、俺が知らない種族の遺伝子は引き出せないけどな。獣人とは過去にいざこざがあってさ、これは長く触れ合っていたからこその賜物だ」


「…………」


 信じられないとでも言いたげに、ミシェルは口を開けたまま硬直してしまう。


 いや、『完全なる雑種』に対する自分の知識はかなり浅い。故に天崎がそのような特殊な体質だったとしても、驚きこそすれ否定できる材料は持ち合わせていないのだが……だとしても納得できない面もある。


 体内の遺伝子を自由に引き出せる? 『完全なる雑種』というからには、もちろん吸血鬼の遺伝子も所持しているはずだ。それはつまり、条件さえ整えれば天崎は一時的に吸血鬼にもなれるということ。


 地上に存在するあらゆる生物の頂点に君臨する吸血鬼。


 その吸血鬼の能力を有しながら、なおかつ他の生物の特徴も持っている……だって?


 バカげている。それではまるで……。


 だが思考を巡らせている猶予はなかった。ミシェルが恐れ戦いている間にも、獣の右腕を振り上げた天崎が一歩踏み込んでくる。


「覚悟しろよ」


「くっ……」


 不安定な足場にもかかわらず、天崎の動きは速かった。


 一足飛びで一気に距離を詰められる。空への回避は間に合わない。苦虫を噛み潰したようにう顔を歪めたミシェルは、身体の前で両腕を交差させた。


 そして――、


 バキッ! という豪快な音とともに、天崎の拳がミシェルの腕の骨を砕いた。


 あまりに強烈な衝撃だったためか、ミシェルは後方へと弾き飛ばされる。だが元より撤退するつもりだったミシェルにとって、これは絶好の好機だ。吹っ飛ばされた反動を利用して、夜空に向けて滑空する。


 そのままミシェルは、天崎に一瞥もくれることなく身体を反転させてしまった。


「待て!」


 呼び止めるも、徐々に高度を上げていくミシェルを追う手立てはない。


 と、天崎の隣で瓦礫が動いた。


「ミシェルさん!」


 慟哭にも似たリベリアの悲鳴が大空へと響き渡る。


 彼女の声を聞いて一瞬だけ動きを止めたミシェルだったが……結局は、引き留めるまでには至らなかった。


「……追います!」


「いや……待ってくれ……」


 弱々しく萎んでいく天崎の声。


 見れば、異形の右腕を携えた天崎は辛そうに膝をついていた。


「頼む。円を、掘り起こしてくれ。俺は、ちょっと……動けそうにない……」


「……分かりました」


 優先順位など問うまでもない。今は円の命が何よりも最優先だ。


 救助活動を始める前に、リベリアはもう一度ミシェルの方へと視線を向ける。折れた両腕を荷物のようにぶら下げ、ミシェルは大空の彼方へと消えていった。

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