第13話 闇夜の襲撃者2

 ドオオオオオォォォォン!!!!


 鼓膜を震わす爆発音。粉塵が舞い、暗闇とは別の意味で視界が悪くなる。


 追撃に備えて感覚を研ぎ澄ませるリベリアだったが、ミシェルは動かなかった。ただ無残に変わり果てた部屋を目の当たりにし、リベリアは悔しそうに顔を歪ませる。


 今の今まで天崎が横になっていた場所に、巨大な穴が開いていた。


「少し強めに踏みつけただけなのですが……なんとも脆い建物ですね。このような場所、一夜たりとも寝床にしたくはありません」


 消失した床の端で、給仕服の吸血鬼が事もなげに言い放った。


 その飄々とした態度がリベリアの癇に障る。数日とはいえ、自分がお世話になっていた建物が壊されるのは……やっぱり悲しい。


 とはいえ今は感傷に浸っている場合ではない。ここは二階だ。階下の住人がどうなったか心配である。


 ……いや、その前にまず自分たちの身の安全か。


 リベリアは天崎の腕を思いきり上下に振った。


「起きてくださいってば! 天崎さん!」


「ん……、む~ん……」


「床が抜けるほどの轟音だったというのに、なんて寝つきのいい……」


 あまりの危機感のなさに、リベリアも思わず呆れてしまった。


「リベリア様は、その人間を庇いながらどこまで私と戦えますか?」


「ぐっ……」


 不本意にも、自分が殺すはずだった天崎を明確な弱点と認定されてしまった。


 月齢に関係なく、兄の眷属であるミシェルよりも、純粋な吸血鬼のリベリアの方が力関係は上だ。邪魔さえ入らなければ、リベリアが圧勝するだろう。


 だからこそ、ミシェルは天崎を執拗に狙ってくるはずだ。彼を守りながらとなると……。


 考える猶予は与えてくれそうにない。壁に立て掛けてあったちゃぶ台を手に取ったミシェルは、まるでフリスビーのようにリベリアの方へと投擲した。


 嫌らしいが合理的な攻撃だ。天崎の対処に意識を割かれ、リベリアが隙を見せたところで仕掛けてくる魂胆だろう。


 故に避けるという選択肢はない。口惜しいが、ここはちゃぶ台を破壊する。


 迷いを払い、拳を構えたリベリアだったが……。


 飛来してきたちゃぶ台は、偶然にも二人の横を逸れ、流し台の冷蔵庫へと衝突した。お辞儀をするようにひしゃげた冷蔵庫の中身が、辺りへと散乱する。


「…………?」


 投擲を終えた姿勢のまま、ミシェルは自らの手を不思議そうに眺めた。


 今、どうして外したのかが理解できなかった。この近距離、しかもちゃぶ台サイズで標的に掠りもしないとは、いったいどういう訳か。


 疑問を抱いたのも一瞬、微量な気配を感じてミシェルは振り返った。


 押し入れの中から睨むようにこちらを凝視している円の姿を認め、すべてを理解する。


「なるほど。ここには座敷童がいたのですね」


 リベリアを視線で牽制してから、ミシェルは面倒くさそうに円の方へと一歩踏み出した。


「脆弱な神ですが、視られていては厄介です。こちらから処理しましょう」


「円さん、逃げて!」


 ミシェルの矛先が向き、円はビクッと肩を震わせた。


 しかし彼女は逃げようとしない。否、動きたくても動けないのだ。


 円はミシェルの魔眼に魅せられていた。視覚を介して円の精神へと干渉し、身体の自由を奪っている。


「さあ。良い子ですから、そのままじっとしているのですよ」


 ゆっくりと、ミシェルの手が円の首へと伸びていく。


 吸血鬼でなくとも、能力の使えない円を葬るのは造作のないこと。実際、彼女の身体は普通の小学生とほとんど変わらない。少し強めに首を捻るだけで、簡単に絶命してしまう。


「あっ……、あっ……」


 呼吸すら困難なほど硬直している円を前にしても、リベリアは未だ動けずにいた。


 これは……罠なのか? ミシェルなら、一秒もあれば円の首を刎ねられるはず。それをしないということは、こちらが止めに行くのを誘っている? それとも円の未知なる能力を警戒してるだけか?


 どのみち、円にだって手を出させたりはしない。


 一か八か、全力で踏み込めばギリギリで届くタイミングまで様子見したところで……。


 リベリアは、ようやく自分の半身が軽くなっていることに気づいた。


「あんた、メイドのくせに子供の扱い方が下手だな」


「ッ!?」


 何者かに手首を掴まれ、ミシェルの殺意は霧散した。


 射殺すような目つきで手の主を睨みつける。そこには、ついさっきまで熟睡中だった天崎の姿があった。


「いったい何なんだよ。俺の部屋をめちゃくちゃにしやがって……」


 被った被害の大きさにしては、天崎の態度は冷静そのものだった。迷惑そうに眉を寄せ、小さく愚痴を漏らすのみ。もっとも、まだ現状を正しく認識できていないだけかもしれないが。


 だが糾弾すべき相手を間違えるほど、天崎も愚かではなかった。


 ミシェルの手首を掴む握力が徐々に強くなっていき、やがて骨が軋み始める。


 舌打ちをしたミシェルは、天崎の手を強引に振り解いて距離を取った。


「貴方はこの部屋の主ですね?」


「ん? ああ、そうだよ。ちゃんと家賃も払ってるし」


「ならば最低限の礼節を以って振舞わなければなりません」


 と言って、ミシェルは恭しく一礼した。


「お初にお目にかかります。私はそちらにおわしますリベリア=ホームハルトの兄、アラン=ホームハルトの眷属にして侍女を仕えております、ミシェルと申します」


「リベリアの兄の眷属だぁ?」


 胡散臭そうな声を上げ、リベリアに確認を取る。


 すると彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。どうやら本当のようだ。


「ってことは吸血鬼か。また厄介な……」


「貴方のお名前を頂戴してもよろしいですか?」


「俺は……」


 言葉を詰まらせながらも、天崎は部屋の中央にできた大穴を一瞥した。


 寝込みを襲うという、とても友好的とは思えない吸血鬼に個人情報を渡しても大丈夫だろうか。と躊躇ったのだが、リベリアという前例もあるので今さら感はある。しかも彼女の身内となれば尚更だ。


 円と自分のためにも、ここは無暗に反感を買うべきではない。


 そう判断した天崎は、正直に名を名乗った。


「天崎東四郎だよ。正真正銘の人間……って言いたいところだけど、本当のこと言えば、俺はほぼ人間の『完全なる雑種』だ」


「『完全なる雑種』?」


 今度はミシェルが訝しげな声を上げる番だった。


 もちろん『完全なる雑種』という存在を知らないわけではない。ただ、この場でその単語を耳にしたのが、あまりにも予想外だったのだ。


 その理由はリベリアにある。


 兄の元を離れ、日本に逃げ込み、身を隠すため仮宿としてこのアパートを選んだ。そこまではいい。しかし同じ屋根の下で暮らしていたのが『完全なる雑種』だったなど、そんな偶然はあり得ない。『完全なる雑種』と呼ばれる一族など、全世界的に見ても両手の指で数えられるほどしか存在していないのだから。


 つまりリベリアは、自分の意思で『完全なる雑種』に接触したということ。


 彼女の意図が読み取れず、ミシェルは柄にもなく困惑してしまう。


「リベリア様。どうして貴女は『完全なる雑種』などの元にいらっしゃるのですか?」


「……答える義務はありません」


「そうですか……」


 哀しそうに顔を伏せるミシェル。


 だが次の瞬間、彼女の瞳に絶対的な意志が宿った。決意を固めたと言えば聞こえはいいが、ミシェルの表情から窺えるのは、命令を入力され後は実行に移すだけの機械のそれ。多少は残っていた人情味が、完全に無機質なものへと変貌する。


「なんにせよ、リベリア様を連れ戻すという私の目的に変更はありません。それでもなお拒むというのであれば、手段を厭わないまで」


 ミシェルの魔眼が天崎を射抜いた。


 目的に変更はない。その言葉通り、実力で敵わないのなら人質を盾にする。


 魅せるのは『死』。生物であれば誰もが恐れ忌み嫌う事象を突き付けられ、天崎は身も心も竦み上がってしまう……はずだった。


 天崎の決断は、ミシェルの魔眼の効果が顕れるよりも早かった。


 先手必勝。全身をバネに飛び掛かった天崎の拳が、ミシェルの頬骨を狙う。


 しかし不意を突いた強襲も、吸血鬼の前には意味を為さなかった。拳がミシェルの顔に触れるよりも先に、手の平で難なく止められてしまう。


「何の真似ですか?」


「リベリアの家の事情に首を突っ込むつもりはないけどさ、だからって素直に利用されると思ったら大間違いだ。それにこっちはアパート壊されてんだぞ? ちょっとくらいは反撃させろよ」


 余裕のない、しかしどこか勝機を見出したような笑みを天崎は見せる。


 その時、天崎のポケットから何かが落ちた。わずかな月明かりを反射して輝くそれは、手の平に納まるサイズの小さな十字架のアクセサリだった。


 それは天崎が対リベリア用として事前に購入していた物。もちろん名のある教会に保管されていた物でなければ、どこぞの聖人が所有していたなどという逸話があるわけでもない。そこら辺の小物屋で売っていた、ただ十字架の形をしているだけの金属だ。


 だが吸血鬼のミシェルにとって、その形は決して無視できるものではなかった。


 古き習慣を良しとする吸血鬼ハンターの中には、十字架を使用する者もいるのだ。拘束具だったり、毒を仕込んだ暗器だったりと使用例は様々だが、自分を害する道具に変わりはない。故にミシェルの意思とは関係なく、床に落ちた十字架を目視せずにはいられなかった。


 同時に気づく。これは――罠だ。


「しまっ……」


「覚悟しろよ、吸血鬼」


 天崎の方へと意識を戻した時には、もう遅かった。


 彼はプラスチックの容器を手にしており、今まさに中身をぶち撒けようとする寸前だった。


 回避は間に合わない。せめて顔だけでもと、ミシェルは両腕を交差させてガードする。


 しかし思った以上の衝撃は訪れなかった。ビチャッ! という半固形状の何かが周囲に撒き散らされた音を耳にしただけだ。


 訝しげに眉を寄せながらも、ミシェルはガードを解いた。


「これは……」


 給仕服にこびり付いているのは白い液体。やや粘度のあるそれは、重力の赴くまま下へ下へと伝っていき、やがて辺りに鼻を突く激臭が立ち込める。


「この匂いは……」


 その物体が何なのかを理解していくのと同時に、ミシェルの顔に絶望が浮かんできた。


「ああ。お察しの通り、すりおろしたニンニクだよ」


「うっ……」


 得意げに正体を明かす天崎を前に、ミシェルは口元を押さえながら苦しそうに下を向く。


 だからこそ天崎は気づかなかった。縦に割れたミシェルの瞳孔が、不気味なほど紅く染まっていくのを。


「か、換気を……」


 弱々しい声がミシェルの口から漏れた、その瞬間――、


 突然、給仕服の背中が引き裂かれた。中から現れたのは、リベリアと同じコウモリのような翼。彼女を吸血鬼たらしめる漆黒の翼が、横幅いっぱいまで広げられる。


「なッ!?」


 唐突に突風が発生し、天崎は思わず顔を背けてしまった。


 続いて、床を抜かれた時と同じような破壊音。マズいと思い、咄嗟に防御姿勢を取る天崎だったが……攻撃らしい攻撃が来ることはなかった。どころか、ミシェルの姿が消えている。


「……上?」


 落ちてくる木片を伝い、上を向いたところで絶句した。


 床と同様、天井に大きな穴が開いていたのだ。おそらくミシェルが突き破って飛び立っていったのだろう。ただ、穴から見える範囲の夜空にミシェルの姿が映ることはなかった。


「もしかして……やったのか!?」


「やってるわけないでしょ! 何を考えてるんですか、貴方は!?」


 すかさずリベリアのツッコミが返ってきた。


「ニンニクを投げつけるなんて、完全に火に油を注ぐようなものですよ!」


「ニンニクって吸血鬼の弱点だろ!?」


「弱点は弱点でも、身体に触れただけでダメージとか負いませんからね!?」


「でもあいつ、効いてたような感じだったぞ!」


「それは匂いがダメだったんです! 私だってネギ類の入った料理を前にしたら顔を背けるくらいはしますし……」


 と言って、リベリアもまた口元を押さえた。


「うっ、私も気分が悪くなってきました……」


「正直すまんかった」


 中身のないやり取りを終えたのも束の間、突如として大きな揺れがアパート全体を襲った。


 最初は地震かと思ったが、揺れは余韻も残さず一瞬で収まってしまう。ただ、何故だか急に寒くなった。


「はあ!?」


 天井を見上げ、二度目の絶句。いや、そこに天井はなかった。


 飛び立ったミシェルが開けた穴だけではない。部屋の端から端まで、まるでプラネタリウムのように秋の寒空を眺めることができていたのだ。


 そして、月の側で羽ばたく一体の吸血鬼を発見する。


 ミシェルが両手で掲げている物体は、彼女の体格の何倍もある巨大な長方形のシルエット。それがおののき荘の屋根だと気づいたと時には――もう遅かった。


「毒物を排除しますッ!!」


 野ざらしとなったおののき荘に向けて全力投球される屋根。当然のことながら元の状態に戻るわけもなく、弾丸の如く射出された屋根はおののき荘へと激突する。


 部屋の中に取り残され、逃げることも叶わなかった三人は――、


 崩壊するおののき荘とともに、瓦礫の中へと落ちていった。

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