第11話 とある淫魔と吸血鬼の会話

 天崎と安藤が酒に倒れた円を介抱している傍らで、リベリアはニコニコ笑顔を浮かべて見守っていた。


 心なしか頬が紅潮しているのは、アルコールが入っているからだろう。円みたいに一口でぶっ倒れるようなことはないが、チューハイ缶半分ですでに心地の良い気分になっていた。


「よお、吸血鬼。気分はどうだ? ご機嫌か?」


 不意に呼びかけてきた空美は、もう完全に出来上がっているようだった。


 女性らしからぬ大股を広げた姿勢は最初からだったが、呂律も回っておらず、リベリアを見据える目は半開きで目尻がとろんと垂れている。


 リベリアは内心で呆れてしまったものの、衣服の資金を援助してもらった恩人に対して礼儀を欠いた態度は取れなかった。


「はい。このような缶のお酒はあまり慣れていないので、どうやらもう酔ってしまったようです。……と、そういえば」


 まだ残っているチューハイ缶をちゃぶ台に置き、リベリアは居住まいを正した。


「お金のお礼がまだでしたね。興味のあったすき焼きの味も知ることができましたし、空美さんには感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました」


「んなことはどうでもいいよ。で、数日間一緒に暮らしてみてどうだ? うちの主人公はカッコいいだろ?」


 不遜な態度で鼻を鳴らした空美が、天崎の方を顎でしゃくった。


「主人公?」


「そうさ。奴はおののき荘の主人公……中心人物のようなものだよ。実際、この近辺で起こる怪異な出来事は、あいつを発端とすることが多い」


「…………」


「別に事件とかじゃなくても、何故かあいつの周りには人が……いや、人間以外が集まって来やすいんだよな。やっぱこれも『完全なる雑種』の特異性ってやつなのかねぇ」


 何が面白いのか、空美はカラカラと無邪気に笑いながら手にしている缶ビールを一気に呷った。そして天井を仰ぐ姿勢から、勢いよくリベリアの方へと顔を近づけてくる。あまりの酒臭さに、リベリアは思わず鼻をつまんでしまった。


 だが拒絶感バリバリの相手の反応も気に留めず、空美は構わず話を続ける。


「不思議なんだよなぁ、ホント。あたしゃ職場から少し離れた場所で生活したいなって思っただけなのにさ、何となく選んだ部屋の隣にはあいつがいたんだぜ。もっと他に条件の良い物件があったにも関わらずだ。それに円もたまたまここに棲みつこうと思ったって言ってた。んで蓋を開けてみればどうだ。おののき荘に住んでる奴ら、もとい住んでた奴らはみんな、大家以外は人間じゃねえ。人間として生きてるけど、どこか普通の人間とは違う個性を持った奴らばかりだ。田舎ならまだしも、こんな右も左も前も後ろも人間が住んでるような住宅地でだぞ。偶然にしちゃできすぎてると思わないか?」


「…………」


 空美の言葉は疑問を投げかけているようにも聞こえたが、特に返答を期待しているわけではなさそうだった。言いたいことだけ言い終わると、さっさと次の缶を開ける。酔いに任せて饒舌になっているだけだろう。


 それにリベリアの方も、彼女の問いに答える気はなかった。


 空美から視線を剥がし、自らの思考に没頭する。


 このアパートに空美や円以外にも人外が住んでいることは知っていた。日本に逃げ込んだ際に、とりあえず身を隠す場所を確保するため、このアパートを教えてもらったのだ。住人の多くが人間ではないため、吸血鬼の君も受け入れてもらえるだろう、と言われて。


 実を言うと、天崎の存在を知ったのもその時であり、『完全なる雑種』を利用して言い伝えを試してみようと思いついたのも同じ頃だった。


 この国に逃げてきた理由は、実家からほど遠く離れた場所だったから。


 ただそれだけ。本当に偶然で、気まぐれで、そこにリベリア以外の意思が介入する余地はなかったはず。


 しかし……。


 空美の話を耳にしてしまった今、それが本当に自分の意思だったのかも自信がなくなってしまう。


 もしかしたら、自分も『完全なる雑種』の血に引き付けられた一つの歯車なんじゃないかと錯覚してしまって。自分が天崎を選んだのではなく、天崎の運命がリベリアを呼び寄せたのではないかと感じてしまって。


 それと同時に抱くのが、ちょっとした期待。


 空美は、天崎はよく怪異な出来事に巻き込まれると言っていた。けど側にいる天崎は、取り返しのつかない大きな傷を負っているわけでもなく、誰かから一方的な怨みを買っている様子もない。健康的な肉体のまま、円満な生活を送っている。


 それが意味するところはつまり、天崎は今まで身近に起こった怪異を解決、ないしは事態の収束に成功してきたと言えるだろう。


 だからこそ、ありもしない期待をしてしまう。


 もしかしたら私が抱えている悩みも解決してくれるんじゃないか、と。


「ん~? 気になるかぁ? 気になるかぁ~?」


「ッ!?」


 振り向くと、空美の顔が目と鼻の先にあって本気で驚いた。同時に、いつの間にか天崎の方を眺めていた自分に気づき、頬を赤らめる。


「な、何ですか? 私、あまり他人からおちょくられることに慣れていませんので、できればご遠慮願いたいのですが」


「別におちょくったりしねえよ。んで東四郎から聞いたんだが、お前、次の新月の日にあいつを殺すんだって?」


「…………」


 一気に酔いが醒めたような気がした。


 リベリアは目を細め、先ほどから一向に態度の変わらない女を睨む。


「そのつもりです。私の目的のために天崎さんの血が必要なのですが、間違いなく死に至るほどの量を頂戴することになるでしょう。……天崎さんを助けるために、私を止めますか?」


 リベリアが素に戻った理由はこれだ。


 見れば分かるように、円も安藤も空美も天崎を慕っている。しかし今は仲睦まじくしているとはいえ、天崎とリベリアは被害者と加害者の関係でしかない。仲の良い者が被害を被るのであれば、助けてやりたいと思うのが世の常だ。


 つまりこの場にいる全員が、リベリアにとっては敵なのだ。虎児を得るために虎穴に入った狩人の如く警戒心を高めるのは、当然のこと。


 だがリベリアの警戒とは裏腹に、空美は能天気に吐き捨てた。


「だからそんなことしねえって。そのつもりなら最初に会った時にやってるだろうしな」


 確かにこの有沢空美というサキュバスは有言即実行しそうな性格だ。


「……私は貴女の友人を殺そうとしているのですよ?」


「そういう仲間意識があるのは、人間以下畜生の特権みたいなものだろ。あたしゃ誰が誰を殺そうったって構わないし。確かにあいつは中心人物とは言ったけど、だからって別に太陽ってわけじゃねえ。中心が突然消えても、あたしは一人で普通に生きてくよ。円だって、あの安藤だってそうさ」


「そういう……ものなんでしょうか?」


「そういうものなんだよ。お前も吸血鬼なら分かるだろ?」


「私は……」


 他者との結びつき。それがどれだけ尊く大切な物であるかを、リベリアは知っていた。


 目を閉じ、瞼の裏に浮かぶのはたった一人の兄の顔。兄妹の縁を断ってまで逃げ出してきたリベリアにとって、他者との関係を下らないと一蹴する空美の主張は……少しばかり、癇に障った。


「話を戻すが、お前、東四郎の血を飲みたいんだろ? だったら何で我慢してんだ?」


「…………?」


 どこに話が戻ったのかも、空美の言葉の意味も分からなかった。


 だから理解できないなりに、質問に対する事実だけを返す。


「天崎さんからお聞きしていませんか? 私の目的のためにはまず、新月の夜を待たなければならないのですよ」


「いや、そういう意味じゃねえ。お前が言ってるのは、新月の夜に必ず吸血しなきゃいけないってだけであって、それまでに血を飲んじゃいけない理由にはなってないだろ? そしてお前は、新月の日を今か今かと心待ちにしている。違うか?」


「ああ……」


 感嘆と共に、目から鱗が落ちた気分だった。


 天崎の血を待ち遠しく思っているのは事実だ。許されるのなら、今すぐ首筋に牙を立てて、恥も外聞もなく血液を貪りたい。でも、ダメだ。己の目的のため、天崎には何としてでも新月の日まで生きてもらわなきゃ困る。だから今は我慢だ……と思い込んでいた。


 理由は一つ。主に食糧として人間の血を摂取していた際、ほぼ間違いなく相手を絶命させていたため、少しだけ血を頂くという発想が欠如していたのだ。


 採血程度の量なら死に至ることなんてないだろうし、直接噛みつかなければ眷属になることもないはず。空美の言う通り、我慢する必要なんて……ない。


「あたしは人間の血を必要とする種族じゃねえが、珍しいもんは大抵美味いと相場が決まっている。『完全なる雑種』なんて、普通に生きてたらそうそうお目にかかれるものじゃねえし、お前も味わったことはないんだろ?」


「ない……ですね」


「だったらよ、」


 ニタッと下品な笑みを浮かべた空美が、リベリアの耳元で囁いた。


「ちょっとだけ頂いちゃえよ。あいつが寝てる時、針かなんかでプスッと穴開けてさ」


「――ッ!?」


 空美の言い回しに、リベリアはドキッと胸を弾ませた。


 離れていく空美の顔を、驚き眼で凝視する。


「あたしゃ性のスペシャリストだぜ。吸血鬼の性癖くらい知ってるっつーの」


 軽々しく言い放つ空美をしり目に、リベリアは頬を真っ赤に染める。わずかに体温が上昇しているのは、アルコールが入ってるからだけではないだろう。


 すると突然、空美が立ち上がった。


「そんじゃ、あたしは今から仕事だから、ここらで退散させてもらうわ」


 颯爽と背中を向ける空美。


 玄関の扉を閉める際に放った彼女のウィンクに、リベリアはただただ憮然としたまま睨み返すことしかできなかった。

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