第10話 人外たちの宴

「こんばんは。僕は天崎君の同級生で安藤と言います。ハジメマシテ」


「ほー? あんたのような大悪魔様が、あたしみたいな下級魔族に敬語かよ」


「今は人間としてこの国で暮らしているわけですからね。自分よりも年上の人に対しては、誰であろうと敬語を使うつもりです」


 何やら不穏な空気を漂わせる空美と安藤を横にしつつ、天崎は鍋の火加減を見ていた。


 というかリベリアの時もそうだったが、空美が初対面の相手に名乗らないのは、何かポリシーでもあるんだろうか?


「ま、遠慮せずに上がれよ、小悪魔」


「お言葉に甘えさせてもらうが、僕を小悪魔って呼ぶなと何度言えば君は覚えてくれるんだ、『完全なる雑種』」


 お馴染みとなったやり取りをしながら、安藤が部屋へと入ってくる。


 ちゃぶ台の周りではすでにリベリアと円が待機しており、安藤の来訪でようやく全員が揃ったわけだ。


「さて。それじゃあ鍋を運ぶから、ちょっとどいてくれよ」


 コンロの火を止めて、四人が囲むちゃぶ台へと鍋を移動させる。蓋を取ると、雲のような湯気とともに芳ばしい香りが漂ってきた。


 すき焼きを要望したのはリベリアだったが、この瞬間に最も興奮した歓声を上げたのは円だった。立ち上がってまで鍋を覗き込み、普段では絶対に見せないくらい顔を綻ばせている。心なしか、まるで瞳に星が宿っているようにも見えた。


「おにく! おにく!」


「みんな、気をつけろ! 一瞬の油断が命取りになるぞ!」


「わ、私はすき焼きの味が楽しめれば十分なので」


「僕も豆腐が食べられればそれで満足だ」


「あたしは酒飲みに来ただけだからな。余った分だけでいいよ」


 と言う空美は、すでに持参した缶ビールを開けていた。


「あの……空美さん? 乾杯とかは?」


「別に誰かの祝い事ってわけでもないんだろ? だったら好きにさせろよ」


 まったく自由な人だ。知ってたけど。


「ということは、主な敵は一人か……」


「…………」


 目を細めた天崎は、隣に座る好敵手を睨みつけた。どうやら相手も同じことを考えていたようで、両者の間に火花が散る。


「ま、せっかくのすき焼きだし、殺伐としてても仕方ねえか。みんな、冷めないうちに食べよう……って、一旦自分の取り皿に移してから食え!」


 鍋から直接肉を食べようとしていた円の頭を、天崎がパシッと叩いた。


 涙目になった円が恨めしそうに天崎を睨み上げるも、それからはちゃんと取り皿へ移すようになった。


 座敷童の円は、実年齢に関係なく、その幼き容姿に見合った子供っぽさがある。自分の好きな物(お肉)だけを大量に掻っ攫っていく様は、特にそうだ。


「空美さん! このままだと間違いなく余りません!」


「だから構わねえって。こんな豪華なもん、久しぶりなんだろ? あんまり円にひもじい思いさせとくと、幸せが逃げちまうぞ。文字通りな」


 カラカラと笑い声を上げた空美は、すでに二缶目の栓を開けていた。酒豪すぎる。

 そうしてみんなが箸を進める中、しばらくしてリベリアが言った。


「それにしても長年夢見ていたすき焼きが、まさかこんな所で食べられるなんて思いもしていませんでした。天崎さんには感謝感激の嵐です」


「お前な……」


 鍋の具材を自分の取り皿へ移しているリベリアを横目に、天崎は呆れてしまった。


「感謝するくらいだったら、俺の血は諦めてくれよな。何なら、お前の食べたい物をもっと作ってやってもいいぜ」


「なかなか魅力的なお誘いですが、それとこれとは話が別です。どれだけ命乞いをしようと、貴方の血を頂くことはすでに決定事項で変更などできません」


「そうかよ」


 すき焼きに夢中になっている吸血鬼から殺害宣言されても、全然危機感が湧かなかった。内緒でニンニクでも入れときゃよかったかなと、天崎は今さらになって後悔する。


「んー、美味しいです。これがすき焼きの味ですか」


「とはいっても、俺も自分で作ったのは二回目だけどな。本を参考にしただけだから、あんまり味に自信はないよ」


 謙虚というにはあまりにも消極的な物言いをするも、隣から安藤のフォローが入る。


「いいや、これは立派なすき焼きだよ。店に出してる物と比べても遜色ないレベルだ。僕が保証する」


「そ、そこまで言われるほどの出来でもないけどな」


 両サイドからの褒め言葉に、天崎は満更でもない様子。


 そこに割って入ったのが空気の読まない空美だ。


「なに照れ臭ってんだよ気持ち悪い。ほれ東四郎、お前も一杯どうだ?」


 そう言って、空美は持参した袋の中からチューハイの缶を取り出した。


「未成年に酒を勧めないでください。飲みません」


「なんだぁ、つれねえなぁ。じゃあお前はどうだ? えっと……安藤だっけ?」


「僕も結構です。今は高校生の身体なので」


「おいおい、ここの男子はお利口さんばっかかよ! つまんねぇ。草食系男子がここまでうぜえものだとは思わなかったぜ。んで、お前はあたしの誘いを断らねえよな、吸血鬼」


 回りに回って空美の矛先が向いたリベリアは、困ったように頬を掻いた。


「ええ、そうですね。珍しいお酒なので、少し頂きます」


「おーおー、やっぱ吸血鬼は話が分かるねぇ」


 ウザ絡みし始めた空美を横目で眺めながらも、少しばかり心配になる。


 吸血鬼に人間の法律が適用できるわけでもないし、あの見た目とはいえリベリアも二十年以上は生きているだろうから、天崎としても咎めるつもりはないのだが……問題はリベリア個人が酒に強いかどうかだ。


 酒に……強い?


 思い出した瞬間には、もう遅かった。


 隣で、円が「きぅ~」と奇妙な唸り声を上げて昏倒してしまう。


「円!」


 天崎は慌てて円を抱き起こした。


 真っ赤に染まった顔は熱を帯び、焦点の定まらない瞳がぐるぐると回っている。意識があるかどうかも微妙だった。


「あらら、これは完全に酔っ払っちゃってるね」


 様子を見た安藤が冷静に分析した。


 円の手元には、ほとんど減っていない栓の開いたチューハイの缶。イチゴが描かれたラベルは、一見して酒には見えない。故に子供なら、ただのジュースと勘違いしても不思議ではないだろう。気軽に他人へ勧めている光景を間近で見れば、尚更だ。


 そしてこうなることを予測し、円の近くに未開封の缶を置いた犯人がいる。


 その人物とは、間違いなくあの人だ!


「空美さん、絶対に確信犯ですよね! 円が酒に弱いって知ってるくせに!」


「だっはっはっは、悪い悪い」


 あまり上品とは言い難い笑い声を上げて謝る空美に、天崎どころか安藤までが呆れ果ててしまった。


 こうして人間の住む住宅街でありながら、誰一人として純粋な人間のいないすき焼きパーティは続き、夜も更けていく……。






「そんじゃ、あたしは今から仕事だから、ここらで退散させてもらうわ」


 鍋の中身がなくなり、各々が自由に一服していると、空美がそう言って立ち上がった。


 それを耳にした天崎は心の底から驚いてしまう。


「そんなに飲んでるのに、今から仕事なんですか!?」


「どうせ向こうでも飲むんだ。関係ねえよ」


 そういうものなのだろうか? だからといって、とても出勤前とは思えない飲みっぷりだった。本当に自由すぎる淫魔だ。


「僕もそろそろ帰らせてもらおう。高校生が夜間一人で出歩くのはあまり健全とは言えないからね」


 空美が立ち去ったのを機に、安藤も帰宅の準備を始める。


「おう、そうだな。んじゃまた明日、学校で会おうぜ」


「それができたら、の話だけどね」


「?」


 安藤の不可解な言葉に、天崎は首を傾げた。


 学校では会えない? 明日、安藤の方が何か別の用事でもあるのだろうか。


「……ごめん、何でもない。すき焼き、美味しかったよ。またなんかやる時は呼んでくれると嬉しい」


 己が口にした意味ありげな言葉には説明を付け加えず、安藤もまた帰っていった。


 さっきまでの騒がしさが嘘のように、三人だけになった部屋に静寂が訪れる。ただその理由は、天崎が他の二人に無言の圧力を掛けているからだ。


「さーて。私、今日は起床時間が早かったので、もう少しだけ休ませていただきます」


「ぐー……ぐー……」


「お前らな……」


 こうも露骨に拒否されるとなると、普段は温厚な天崎でもさすがにキレるというものだ。


「お前ら片付けくらいは手伝えよ! 勝手に居候してる身なんだからさ!」


「ま、円さん。狸寝入りは無駄のようです! ここは形だけでも天崎さんの手伝いをした方がいいかと……」


『私は童女。まだ言葉も自由に扱えぬほど幼き子供。晩餐の片付けなど、到底できぬ』


「貴女、私と同じくらい生きてますよね! 一人だけ逃げようなんて、ズルいです!」


「おいリベリア。まさか今までタダ飯食っておいて、働かないわけがないよな? そんな薄情者じゃないよな?」


 天崎がリベリアの首根っこを鷲摑みにした。


 突然の攻撃に全身を震わせるも、物恐ろしい天崎の圧力に屈したリベリアには抵抗する気も起きなかった。


「円さんも手伝ってくださいよぉ」


「円は幸運を運んでくれるから、一応は働いてることになってるんだ。それに比べてお前はただ食っちゃ寝してるだけだからな」


「うわーん、贔屓ですぅ」


 泣き叫ぶリベリアを尻目に、細く微笑んだ円は押し入れへと潜り込んでいく。


 天崎も指示のもと、結局リベリアは強制的に後片付けを手伝わされることとなった。

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