第9話 吸血鬼とショッピング2

「む、むちゃくちゃ疲れた……」


 デパート三階の婦人服売り場に辿り着いた天崎は、早々にベンチへと腰を沈めた。


 おののき荘からデパートまで徒歩十分程度の距離であり、実際にそれくらいの時間を歩いてきたわけだが、天崎はすでに精も根も尽き果てていた。『完全なる雑種』とか関係なく、普通の人間なら息切れするような運動量ですらないのだが。


「ったく、情けないですね。たった十分歩いただけですよ」


「誰のせいだと思ってんだ、誰の」


 こうなった元凶が呆れながら物申すので、さすがの天崎もムッとせざるを得ない。


 天崎も言っているように、彼が満身創痍である原因はリベリアだった。


 金髪の眩しい外国人の美少女が、日傘を差しサングラスを掛けて往来を歩いている。日本ではそれだけでも注目の的だというのに、さらに背中からコウモリのような翼が生えていたり、身を纏っている黒ずんだドレスは肌が見えてしまうほどズタズタに切り刻まれているのだ。


 完全に異端である。


 デパートへ辿り着くまでの間、ずっと奇異な視線に晒され続けていた天崎の精神は、すでにボロボロだった。道中、大通りの反対車線をパトカーが通った時には、どれだけ肝を冷やしたことか。


「それでは私は服を選びに行ってまいります」


「勝手に行ってこい」


 軽い足取りで店に向かうリベリアの背中を、天崎はベンチに座ったまま見送った。


 彼女の姿が商品棚の向こうへ消えたところで大きくため息を吐く。


「なーにやってんだろうな、俺」


 自問はしても自答はできぬまま。


 自分の命を狙う吸血鬼を家に泊めたり、食べ物や衣服の世話までしたりして……ホント、バカなんじゃないのか?


 しかしこちらが拒絶したからといって、リベリアが「はいそうですか」と引き下がるわけでもないだろう。解決策が見つかっていない現状、反抗するよりも従順にしておいた方が無難だと思う。少なくとも次の新月までは安全が保障されるのだから。


 一応対策として、定番ながらニンニクと十字架は用意してある。けど夕陽なら多少は浴びても大丈夫だとか意外と制限は甘そうだし、そもそもそれらをどうやって使えばいいのかが分からない。十字架は肌へ押し付ければいいのか……ニンニクは毎日の飯に少しずつ混ぜて効果を試してみようか……。


 などと物騒なことを考えながら、試着室へ入っていくリベリアを眺める。


 カーテンを閉め、中でごそごそ動く音。


 そういえば、あの翼でどうやって普通の服を着るのだろうか。ここは人間が着ることを想定した婦人服売り場なのだ。リベリアが持っていった数着のブラウスも、当然の如く背中まで布地があるはず。


 そして案の定、そんな心配をしていると、


「天崎さん! この服、どうやって着ればいいのか分かりません!」


 天崎の名を叫びながら、カーテンがサッと開いた。


 しかも何故かすっぽんぽんだった。


「ぶはぁッ!!??」


 天崎は勢いよく吹き出した。もちろん鼻血ではなく、咳を。


「おまっ、バカッ、早く閉めろ!」


「ほえ?」


 天崎が急かしている理由が分からず、リベリアはきょとんと首を傾げるばかり。


 痺れを切らした天崎は、全裸のまま試着室から出てこようとするリベリアを押し戻してカーテンを閉める。無論、天崎も一緒に中へ。


「お前は裸で公の場に出ちゃならんっていう常識は持ち合わせていないのか!?」


「え? でも人間以外には欲情しないのですよね?」


「それは『完全なる雑種』の俺だけだよ! 普通の人だったら人間以外の裸を見ても欲情するの! いやお前の幼い体躯で興奮するのは、ちょっと危ない性癖の持ち主だけかもしれないけどさ!」


 そうでなければ、例えば空美の商売など成り立たなくなるだろう。


 彼女は見た目がどんなに人間であっても、体内を流れている遺伝子は純粋な悪魔、サキュバスのものなのだ。もし人間が見た目ではなく血統によって生殖欲求を左右されるならば、サキュバスの存在意義がなくなってしまうし、何より天崎のような『完全なる雑種』が現れることもない。


 しかしリベリアは納得できていないのか、訝しげに眉を寄せた。


「それは逆なのでは? いろんな種族の血が混じっている天崎さんだからこそ、人間以外の女性を求めるものなんじゃないですか?」


「だから逆なんだよ。普通の人間は人間以外にも欲情する。でも『完全なる雑種』の俺は欲情しない。オーケー? アンダースタン?」


「うーん……」


 理解を求めるも、リベリアは未だ渋い顔をしていた。


 埒が明かないと感じた天崎は、不毛なやり取りだと言わんばかりに首を横に振る。


「それに相手を欲情させなかったら裸で出歩いてもいいってことはないからな。ってかお前、下着はどうした?」


 試着用に持ってきた衣服の他に、最初から着ていたドレスとドロワーズが床に脱ぎ捨てられている。それだけだ。


「元からノーブラかよ!」


「上の下着は付けられませんからね」


「失念していた!」


 確かに、大きく開いたドレスの背中からブラジャーらしき留め具を見たことはなかった。


「いや、まあでも……」


 思案顔になった天崎が、リベリアの控えめな胸をじっと凝視する。


 そして何を思ったのか、いきなり彼女の胸を揉み始めた。


「この大きさならブラはいらんかもな」


「ヒャウァハッ!!」


 奇声を上げ、飛び跳ねるリベリア。


 己の胸を腕で庇うと、天崎から隠すように背中を向けてしまう。


「あ、悪い。やっぱり吸血鬼でも胸を触られるのは嫌だったか?」


「触られること自体は嫌ではありませんが、いきなり触られたらどんな生物だってビックリします!」


「そりゃごもっともだ」


 嫌ではないというのは本当らしい。天崎を睨むリベリアの顔も、卑劣な行為に嫌悪感を露わにしたものではなく、突然の攻撃に警戒心を抱いているだけのようだった。それはそれで不快感を与えてしまったことに変わりはないが。


 とその時、天崎は違和感を覚えた。


 リベリアの姿が、どこか……違う。


「お前……なんだか小さくなってねえか?」


 口にしてから、ようやく実感できた。


 リベリアの容姿が、体格が、出会った時よりもわずかに幼くなっているように感じるのだ。写真があるわけでもないので見比べることは叶わないが、しかし姿形が変化しているのは間違いない。


 不思議に思いながらリベリアの肢体をじっくり観察していると、彼女はあっけらかんと言い放った。


「それは当然のことですよ。吸血鬼は新月に向けて身体能力が低下していくと、前にも説明しましたよね?」


「ああ、そういえばそうだったな」


 というか、それがリベリアが居候をするに至った理由でもある。


「それと比例するようにして、私のような成人していない吸血鬼は、徐々に容姿も幼くなっていくのです。もちろん新月を境に元の姿へと戻っていくのですが、最年少の私は……そうですね、円さんくらいの見た目になっていると思いますよ」


「へー、そうなのか。……ん?」


 自分には関係ない話かなと思って聞き流そうとしていたが、重大な事実が含まれていたことに気づいた。


 ……新月の日に円くらいになってるんなら、逃げるの簡単じゃね?


 そもそも、どうして目的の日である新月ではなく、二週間も前の満月に襲ってきたのか。その理由がここにあったわけだ。


 すなわち、新月の日に天崎を捕まえることは困難だと踏んだから。


 二週間ほど寝食を共にし、天崎が油断したところで、寝ている間にでもこそっと血を頂く魂胆だったのかもしれない。


「って、ちょっと待ってくださいよ。天崎さん、私の胸を揉んだのって今が初めてですよね? では何故、前よりも小さくなっているとお分かりで……はッ! まさか私が寝ている間、性を貪る獣が如く私の乳を揉んで……」


「ねーよ! 身長だよ身長! お前、満月の日は俺の鼻の辺りまで背があっただろ? けど今は顎までしかねえじゃん!」


 危うく変態と間違えられるところだった。


 アホみたいなやり取りで一気に体力が持っていかれたのか、肩を落とした天崎は投げやり気味に言った。


「これからまだ小さくなるってんなら、もう一つサイズ落としといた方がいいかもな。いや、一番大きい時に合わせた方がいいのか? ……よく分からん。まあ俺も婦人服には詳しくないから、ここは素直に店員さん呼んでくるわ。店員さんも、まさか翼の生えたお客さんを想定しているとは思えないけどな」


 釈明としては、絶対に取り外すことのできないコスプレとでも言っておけばいいだろう。痛々しい眼で見られるのは、もう諦めるしかない。


「というか、吸血鬼ってのは服を選ぶだけでも大変なんだな。みんなお前みたいに翼を持ってるんだろ?」


「ええ。ですが成人した吸血鬼は月齢によって身体の変化がなくなるように、翼もまた自由に背中へと出し入れが可能になるんです」


「ふーん、便利なものだな。だったら大人になってから服を買った方が、余計な出費をせずに済むってわけか」


「……そうですね」


 ふと、リベリアが一瞬だけ視線を落とした。


 バツが悪そうに顎を引く仕草は、まるでイタズラがバレた子犬のよう。


「…………?」


 唐突に黙り込むリベリア。


 天崎には彼女が口を噤む理由に思い当たる節はなく、眉を寄せて首を捻る。


 やがて顔を向き合わせたまま沈黙するには長すぎる時間が経過し、天崎がその雰囲気に居たたまれなくなったところで、


「へくしゅっ!」


 リベリアが可愛げなくしゃみを披露した。


 そういえば、リベリアはさっきからずっと素っ裸だった。吸血鬼が風邪を引くかどうかは知らないが、服を着る生物として、無暗に体温を下げるのは身体によろしくないだろう。


「……すまん、すぐに店員さん呼んでくるから。お前はここにいろよ」


「ええ、お願いします」


 そう言い残すと、天崎はそそくさと試着室から飛び出した。


 数歩出歩いたところで、閉められたカーテンの方を振り返る。


「何だったんだ、アイツ」


 会話を思い返してみても、リベリアの気分を損ねることを言った覚えはないのだが。


 とそこへ……視線。


 いくつもの白い視線が自分を貫いていることに気づき、天崎はたじろいだ。


 視線の主は、主に婦人服売り場内で商品を選んでいる主婦層の方々だった。


 軽蔑されるのは当然も当然。いい歳した高校生が素っ裸の少女を試着室に連れ込み、何やら密談。しかもこんな薄い生地のカーテンじゃ、リベリアが叫んだ声も外へ筒抜けになっていただろう。


 いい顔をされるわけがない。


「ぐっ……」


 反論の余地なしに息を呑んだ天崎は、赤らめた顔を伏せて店員を探しに行くのであった。






「寒くないのか?」


「これくらいは全然平気ですよ」


 秋も深まる季節だというのに、リベリアが選んだのはデニムのパンツと薄手のブラウスだった。しかも翼を保護するため、前に着ていたドレスと同様、背中の一部は素肌を晒してしまっている。もちろん店員の手によって特別に裁断されたものだ。


 陽も沈み、日傘を差す必要もなくなった薄暗い通りを二人は並んで歩く。


 たまに肌を撫でる冷たい夜風が吹き抜けるものの、リベリアは寒そうな素振りを見せたり、鳥肌が立っているようにも見えなかった。全然平気というのも、別に強がりというわけでもないみたいだ。


 まあ『完全なる雑種』の天崎自身、一般人に比べれば多少は寒さに強いのだ。純粋な吸血鬼なら、この程度の寒さは屁でもないのかもしれない。


「って、しまった! 夕食の材料、何も買ってねえ……」


 外に出て少し歩いたところで、天崎は絶望の声を漏らした。


 婦人服売り場での羞恥心が、早く立ち去りたいという気持ちに拍車をかけていたのだ。それはもう、自分の目的をすっかり忘れてしまうほどに。


 確か冷蔵庫の中には何もなかったはず……。


「しゃーない、いつものスーパーに寄るか」


 頭を切り替え、夕飯は何にしようか財布の中身と相談し始める天崎。


 ふと、思い出した。今日は少し温かいんだった。


「余ったお金を空美さんに返すのも何かもったいない気がするし……リベリアは食べたい物とかあるか?」


「た、食べたい物ですか?」


「あんまり高くなけりゃ何でもいいぞ」


 わざわざリベリアに訊ねたのは、ちょっとしたご機嫌取りのつもりだった。


 試着室で最後に見せた、何か思いつめたような暗い顔。直前の無邪気な振る舞いからの落差も合わさり、天崎の中で強く印象付けられていた。


 もちろん恋人でもなければ家族でもなく、ましてや殺害宣告までしてきた相手に、天崎がご機嫌を取らなければならない義務はない。しかしあんな顔を見せられて無視できるほど、天崎の性格は排他的ではないのだ。


 たぶんこれも『完全なる雑種』の特異性か何かだと、天崎は思う。


 天崎の中を流れる吸血鬼の血が、リベリアを同族と認め、手を差し伸べたがっているのかもしれない。


 まあ、これで自分の血を諦めてくれたらなぁという下心もなくはないのだが。


「あ、あの、私、日本に来てからずっと気になっていた料理があります」


「何だ、言ってみろ」


「すき焼きです」


「あー、すき焼きねぇ」


 言葉を復唱するのと同時に、天崎の顔も綻んだ。


 そういや長らく食べていない。


「ちなみにネギ抜きでお願いします」


 やはり吸血鬼だけあって、ネギ全般がダメなのだろうか?


「んじゃ決定だな。けど鍋物を三人で囲むってのもちょっと寂しいな。服代のお礼もあるし、空美さんも呼ぶか。お前もちゃんとお礼言っとけよ」


「もちろんです」


「あとは……仕方ねえ。安藤も呼んでやるか」


「安藤さん?」


「俺の同級生だよ。人間じゃない、正真正銘の悪魔だ」


 そう説明しながら、天崎はポケットからスマホを取り出した。


 コール二回を待たないうちに相手が出る。


「よう、小悪魔。今、暇か?」


『暇ではあるけど、何の用だい『完全なる雑種』』


 毎度毎度の軽口を叩き合うも、天崎はすぐ本題へと入った。


「今日ウチですき焼き作るんだが、お前も来ないか?」


『……どういう風の吹き回しだい?』


「別に何も企んじゃいねえよ。ただ鍋物は大人数で囲った方が楽しいと思っただけだ」


 数秒の沈黙。微かに唸り声が聞こえることから、行こうかどうか迷っているのだろう。


『……豆腐は入ってるんだろうな?』


「当然だ」


『なら行く』


「決め手はそこなのか……」


 悪魔が豆腐好きとは知らなかった。


『今すぐ君の家に向かえばいいのか?』


「いや、今から買い物するから、少し経ってから出てくれ」


『分かった。後で会おう』


 といったところで通話は終了した。


「それじゃあ早速食材を買いに行くか。荷物持てよ」


「あいあいさー」


 おののき荘に向けていた足を反転させ、二人は近所のスーパーへと向かっていった。

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