第7話 とある座敷童と吸血鬼の会話
これは日中の出来事である。
布団の上でうつ伏せになったリベリアは、耳障りないびきを立てながら熟睡していた。
その傍らで見守るのは、着物姿の童女。姓はなし。名は
彼女は今、座布団の上で姿勢よく正座したまま、気持ちよさそうに眠っているリベリアを感情のない瞳でじっと見つめていた。じぃっと、じぃーっと。何か特別なアクションを起こすわけでもなく、五分ごとにリベリアの肩を突くだけだ。
天崎が登校してから約一時間、円はずっとそうしていた。
ただ突く力が軽すぎるためか、いびきのリズムが崩れることはあれど、リベリアが目を覚ますまでには至らなかった。時折見せるリベリアの反応に、円の方が驚かされているくらいだ。
とはいえ、不用意に手出しできないのも無理のないことだろう。
今朝起きたら、見知らぬ女が自分の布団を奪っていった。しかもそいつは金髪で、背中にはコウモリのような翼を生やしており、ボロボロのドレスを身に纏っているという異端な恰好をしてて、しまいにはさも昔からここに住んでますよと言わんばかりのふてぶてしさで眠っているのだ。警戒しないわけがない。
珍獣を扱うが如く恐る恐る触れていたのだが、どうも目を覚ます様子がない。
ふと、ようやく別の方法を思いついたのか、軽く手を合わせた円が立ち上がった。そして一時間の正座による足の痺れに苦しむこともなく、てててと洗面台の方へと駆けていく。
すぐ戻ってきた彼女が持っていたのは手鏡だった。そのまま窓際へと移動し、差し込む日光を反射させる。角度を調整し、光の進む先をリベリアの首筋へと合わせ……、
「あっつ!!」
少し肌を焦がしたところで、リベリアは弾かれるように飛び起きたのだった。
「何やってるんですか! 気化したらどうするつもりですか!」
「……ごめんなさい」
しゅんと項垂れる円を見て、リベリアは態度を一変させた。
「い、いえいえ。別にそこまで怒っているわけではありませんよ。ただ私も日光に弱い吸血鬼ですので、今後は念頭に置いて気をつけていただければと思います」
「きゅうけつき?」
「ああ、そういえば円さんにはまだきちんとご挨拶をしていませんでしたね」
と言って、リベリアは布団の上で丁寧なお辞儀を披露した。
「天崎さんの血を頂くべく遠方から参りました、リベリア=ホームハルトと申します。今日から二週間ほどお邪魔させていただきますので、何卒よろしくお願いします」
「まどか」
円の方もリベリアに倣って頭を下げ、抑揚のない声で名乗りを上げた。
お互いの自己紹介が終わると、リベリアは背伸びついでに大きな欠伸をかます。
「失礼ながら私はこれより就寝いたしますので、できればお静かにお願いします」
「どうして?」
「どうしてって……それはもちろん、静かな方が安眠できるから……」
とまで言いかけ、リベリアは言葉を失った。
幼稚な問いかけに呆れたわけではない。ただ『違う』と直感しただけだ。円の言った「どうして?」は「どうして静かにしなければならないのか」という意味ではないことを、本能的に理解したのだ。
じっとこちらを見つめる、幼き双眸。無表情のまま、無感情な視線を向ける円。
一点を凝視する澄んだ瞳と見つめ合ったリベリアの脳裏に、一筋の糸が浮かび上がった。
まるで視線というものが実物の線として具現化したかのように、円とリベリアの目と目は今まさに繋がっていた。
そしてその線に乗っかって、円の思考が直接リベリアの頭へと伝わってくる。
『どうして東四郎の血を吸わなければいけないの?』
最初は戸惑っていたリベリアも、円の能力を理解するやいなや平静さを取り戻した。
「なるほど、テレパシーの類ですか。相手と視線を合わせなければ意思を伝えられないようなので使い勝手は悪そうですが、言葉の少ない円さんにとっては便利な能力ですね。座敷童にこのような能力が備わっているという話を聞きませんので、これは円さん特有のものなんでしょうか?」
「?」
早口で見解を述べるリベリアに追い付けなかったのか、円はきょとんとして頭上に疑問符を浮かべた。どうやら正確に意思を伝えられるのは円から相手への一方通行であり、目を逸らせば疎通ができないのは正解のようだ。
「本日二度目になりますが、知りたいのなら教えて差し上げましょう。私は天崎さんの血を頂戴し、すべてを超越する完全な存在になりたいのです! そのためには言い伝え通り、新月の夜に……」
「うそ」
「…………」
ハスキーな声で高々と掲げられるリベリアの宣言を、円の鋭い一言が遮った。
出端をくじかれ、リベリアはガクッと肩を落とす。
「いやにはっきりと言ってくれますね」
『だってあなたの目は笑っていないから』
「――ッ!?」
痛いところを突かれたように、リベリアは言葉を詰まらせた。グッと喉の奥を引き攣らせ、無意識のうちに円から視線を外してしまう。
「だめ」
視線の糸が切れて安心したのも束の間、今度は言葉による円の追い打ちがリベリアの心を抉った。たった一言、しかもテレパシーを遮断しているというのに、円の言いたいことは手に取るように読み取ることができた。
すなわち『逃げちゃだめ』。
子供みたいに不貞腐れたリベリアは、恐る恐る再び円と視線を合わせる。
『あなたは前を向いていない。とても後ろ向き。自分勝手で、言い訳ばかり。自分でも間違ってると気づいているのに、虚勢を張ることで精いっぱい』
ガラス玉のような黒い瞳から放たれる一本の意思が、リベリアの胸を刺した。
『そんなに急いで、あなたは何から逃げているの?』
「貴女にッ!!」
ずけずけと踏み込んでくる円の言葉に耐えられず、リベリアは声を荒げた。
しかし我が身を顧みれば、現在の状況に陥っているのは己の身勝手が原因なのだ。まさに円が指摘した通り。それを見知らぬ童女に八つ当たるのは下劣な行為だと気づき、リベリアの声はすぐに萎んでいった。
「貴女に……何が分かるというのですか……」
これ以上、円と眼を合わすことはできなかった。腿の上でギュッと握られた拳へと視線を落とし、さらには瞼も閉じてしまう。
完全な拒絶だった。心を見透かされるのが怖くて、逃げてしまった。
また……逃げてしまった。
心の弱い自分が情けなく、リベリアは血が滲むほど強く唇を嚙みしめる。
すると突然、両の頬が真横に引っ張られた。あまりに唐突かつ予想だにしなかった攻撃に驚き、リベリアは目を見開いた。
すぐ近くに円の顔があった。
身を乗り出すように腰を浮かせている体勢を見るに、どうやら自分は円に両頬を抓られているらしい。ただイタズラをするにしても、いつもと変わらぬ無表情がちょっと怖いのだが。
「ほへぇ。はほははん、はひやっへんへふは?」
「だめ」
円の二度目の『だめ』。
今度は何がだめなのか分からぬも、すぐに円からテレパシーが送られてくる。
『泣いちゃだめ』
「へ?」
言われるまで気づかなかった。抓られている他に、頬が濡れている感覚があることを。
慌てて手の甲で涙を拭う。指に絡んできた少量の水滴が、哀しそうに輝いていた。
そしてもう一度、円と眼を合わせる。
すると――、
「たてたて、よこよこ、まるかいて、ちょん」
「あうっ」
頬を乱暴に弄ばれた後、最後には勢いよく弾かれた。ヒリヒリする頬を撫でながら、リベリアは正面の童女を驚きの眼で凝視する。
相変わらず感情の読みにくい無表情ではあったが、円がいったいどういう意図でこんなことをするのか、日本生まれではないリベリアにもすぐに分かった。
座敷童とは、幸せを呼び込む神だった。
リベリアの流した涙は不幸の象徴。座敷童にとって見逃すことのできない悪いモノ。つまり端的に言えば、円はリベリアを慰めようとしているのだ。
彼女の真意に気づいたリベリアは、怒ったり呆れたりするよりも先に、クスッと笑い出してしまった。円の実年齢は知らないし、もしかしたら自分よりも年上の可能性だってある。それなのに、こんな子供じみた方法で慰めようとするなんて……。
あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、自分の悩みなどどうでもよくなってしまったような気さえしてきた。
「しかし円さん。残念ながら、自分の犯した罪はいつかは自分に戻ってくるものなのです。目には目を、歯には歯を。ご覚悟ください」
リベリアの魔の手が円の頬へと伸びる。
だが、寸でのところで避けられてしまった。
「む」
両腕を前方に差し出したまま固まるリベリア。
正座を崩し、感情のない眼差しを向けて臨戦態勢へと入る円。
テレパシーがなくとも、お互いの中で戦いのゴングが鳴ったのが分かった。
「このリベリア=ホームハルトに戦いを挑むとは、いい度胸ですね。よろしい。その勝負、受けて立ちましょう」
それから数時間、少しの休憩を挟みつつ、狭い室内で二人のバトルが繰り広げられる。
しかし自信満々に宣言したはいいものの、結局リベリアが円に仕返しをできたのは天崎が帰宅する十分前のことだった。
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