第5話 学校にて1

 遅刻せずに済んだはいいものの、今日は朝からぐったりだった。


 登校してから即座に力尽き、今の今まで机に突っ伏していた始末。教師の声どころか、授業の合間に鳴るチャイムの音すら意識に残らないほど熟睡してしまっていた。


 だから今が何時限目なのか、ようやく起床した天崎にはまったく分からなかった。


「む……んぐ……」


 奇妙な呻き声を漏らしながら覚醒すると、まずは机の木目が目に入った。続いて教室中に響き渡る生徒の喧騒が聞こえてくる。授業中にこれだけ騒がしくなるとは思えないので、それはつまり……。


「うっわ、もう昼休みなのかよ……」


 独り言ち、顔を上げた。


 天崎の予想通り、クラスメイトたちは各々の自由時間を過ごしているようだった。が、何か違和感がある。いつもの昼休みに比べて、女子も男子も人数が少ないような気がするのだ。


 寝ぼけた頭で不思議そうに首を捻っていると、とある男子生徒に声を掛けられた。


「やあ、『完全なる雑種』。一時限目から居眠りとは、創造主も驚きの重役ぶりだね」


「そういうお前は相変わらず清々しい顔だな、小悪魔。その元気を一ミリでもいいから俺に分けてくれよ」


「僕のことを小悪魔と呼ぶなといつも言ってるだろう、天崎。約束を守れない君は、死後に閻魔様から舌を引き抜かれるよ」


「そりゃ嘘ついた時だろ。つーか、だったらお前も俺のことを『完全なる雑種』って呼ぶなよ安藤」


 シッシと羽虫でもあしらうように手を払い、眠たいアピールのために再び机へ伏せる天崎。友人の怠惰な姿に安藤は呆れ果てながら、空いている前の席に腰を下ろし、勝手に弁当を広げ始めた。


「授業中、先生がずっと君のことを睨んでいたのは気づいてたかな?」


「知ってるよ。いや知らんけど」


 完全に意識がなかったので、どんな感じで授業が進行していたかは知らない。しかし居眠りをしている生徒に対して教師が良い顔をしないのは、容易に想像ができる。授業態度を減点されるのは覚悟の上だ。


「にしても、一度くらい注意してほしかったよなぁ。教育者として」


「注意されたけど起きなかったって発想はないのかな?」


「マジで? 俺、気づかないほど熟睡してたってこと!?」


「僕が見ていた限りでは、一度も注意されてなかったけどね」


 なんだコイツ。と、天崎は正面の友人に懐疑的な視線を向けた。


「君は先生たちの間では、あまり評判が良くないみたいだからね。警告を通り越して、すでに諦められてるのかもしれないよ」


「えっ、そうなの? あんま素行悪くした覚えはないんだけどな」


「評判というものは、何も生活態度だけではないよ。学業の成績ももちろんだけど、何より君は目上の人に対してフランクすぎる。先生にはもうちょっと敬意を払ったらどうだい?」


「余計なお世話だ」


 上から目線の忠告にムッとするも、安藤が言うなら妙な説得力があった。


 安藤の外見は典型的な優等生のそれである。短く整えられた髪は真っ黒で、今時の高校生にしては珍しく、学ランのホックまで止めている。教師陣からしても、どこに出しても恥ずかしくない模範的な生徒だろう。


 さらに、友人に対してはやや慇懃無礼な言い方をすることがあるものの、教師を前にした安藤は、そつがない社交的な振る舞いをすることを天崎は知っていた。端から見ていても、安藤の世渡り上手さは舌を巻くばかりだ。


 ただそれでも納得できない部分はある。


 確かに天崎は教師に対して多少フランクな態度を取ることもあるが、一応は敬語も使っているのだ。成績の優劣で生徒を贔屓するほどレベルの高い高校ではないし、つまるところ自分と安藤の違いを導き出した結果……、


「なるほど。メガネか」


「君は今、懸命に努力している全国の裸眼視力の高校生を敵に回したぞ」


「どうでもいいよ」


 と言って、天崎は登校時に買った菓子パンをカバンの中から取り出した。


「あれ? 君が弁当じゃないなんて珍しいね」


「まあな。これは俺が寝不足な理由にも繋がるんだが……実は昨日の夜、吸血鬼に襲われた。んで、今も命を狙われてる最中なんだ」


「なんだ、いつものことじゃないか」


「そんな頻繁に命を狙われるほど修羅場はくぐってねえよ」


 天崎が否定したように、命を狙われること自体は稀だ。しかし『吸血鬼と遭遇したこと』が『いつものこと』ならば、安藤の指摘もあながち間違いではない。人外を寄せ付けやすい体質の天崎にとって、人間以外の種族と出会うのは日常茶飯事なのだから。


 かくいう安藤も、実は人間ではなかったりする。


「でも不思議だな。吸血鬼に襲われてる最中の君が、どうして普通に登校できてるんだい?」


「ああ、それはだな……」


 今朝アパートを出る直前になって、天崎も同じ疑問を抱いた。命がけの追いかけっこをした割には、普通に登校しようとしているな、と。


 そこでリベリアに『俺を縛り上げて監禁しないのか?』などと問いかけてみた。しかし、うつ伏せのまま布団に顔を埋めてしまった彼女からは、眠たげでいい加減な答えしか返ってこなかった。


『新月までは二週間ほどありますが、それまで貴方を拘束する気はありません。逃げ出したらまた追うだけですからね……ZZZ』


 だそうだ。


 だったら新月の日に襲ってこいよ。二週間も居候する手間が省けるじゃないか。と思ってしまうのは天崎だけではないだろう。身体能力が衰える新月でも、人間を捕まえるだけなら難しくないと本人も言っていたし。


 余計な問答をする時間もなかったため、結局は『円に変なことするなよ』と忠告を残してさっさと学校に向かったのである。


「え、円ちゃんを一人で残してきたの? 大丈夫かい?」


「俺の経験上、ああいうタイプはターゲット以外に手を出したりはしねえんだよ。それに俺の部屋の中限定なら円の方に地の利があるし、今朝ばっちゃんに挨拶したけど何も言わなかったしな」


「自分を殺そうとする相手を信用するなんて、君は本当にお人好しだなぁ」


 などと呆れ、安藤は弁当の中身を七割ほど消費したところで蓋を閉じた。


「ん、ちょっと待て。残すんだったら少し分けてくんね?」


「別に構わないけど、昼明けの授業は体育だから、あんまり食べ過ぎない方がいいと思うよ」


「あー……」


 なるほど、合点がいった。クラスメイトの人数が少ないと感じたのは、どこか別の場所で弁当を食って、そのまま更衣室へ向かおうと考える生徒がいたからだろう。


 っていうか、時間割を完全に忘れていた。こんな体調で体育などやりたくない。


「悪い。調子が悪いから体育は休むって先生に言っといてくれ。保健室で寝てくる」


「今日ばかりはやめときな。サボらない方がいい」


「なんでだ?」


「今日の授業はマラソンだからだ。男子は千五百メートル、女子は千メートルのタイムを計測する」


「はあッ!?」


 寝耳に水だった。そんな情報はまったくもって知らない。


「飯食った後にマラソンって、バカジャネーノ?」


「僕に言われても困るよ」


「つーか俺、昨日何時間もぶっ続けで走って全身が筋肉痛なんだけど?」


「運が悪かったと諦めるしかないね。先延ばしにすると後日一人で走る羽目になるよ」


「それは嫌だな」


 こういうマラソンなどの体力測定は、特別な持病がある生徒以外は強制参加なのだ。当日に欠席などしてしまうと、日を改めて実施される。もちろん休む生徒の方が少数派であるから、最悪一人で走ることになるかもしれない。


 放課後、運動部が青春を謳歌している中、その周りを一人で走るなどという恥ずかしい事態には陥りたくないものだ。


「タイムを計るのは一回だけだし、千五百メートルなんて五分程度だろう。それくらい我慢することだね」


「……いや、待てよ。お前、女子は千メートルって言ったよな?」


「言ったけど?」


「要するに、男子と女子が一緒に走るってことか?」


「正確には交互に走るんだけどね。男子と女子をそれぞれ半分に分けて、計四回の測定を実施するらしい。自分が走ってる時以外は休憩時間みたいなものだよ」


「なるほど、なるほど」


 拒絶感でいっぱいだった天崎の表情が、みるみるうちに生気を帯びていく。マラソンに意気込みを感じているだけならいいのだが、ニヤニヤと緩ませる口元は、どう解釈したところで良からぬことを考えているようにしか見えなかった。


「薄気味悪い顔だなぁ」


「うっせ」


 ドン引きする安藤を一蹴し、天崎は菓子パンを一気に口の中へ詰め込んだ。


「そうと分かれば善は急げだ。おら、お前もさっさと着替えろ。早くグランドに行くぞ」


 水を得た魚が如く、早々に体操着へと着替え始める天崎。


 その変わり身の早さに、安藤は呆気に取られるばかりだ。何が彼を奮い立たせたのか理解できぬまま、安藤は苦笑いを浮かべて、「これだから人間は意味が分からない」と首を振るのであった。

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