第3話 おののき荘2

「さってと。そろそろ太陽が昇りそうな頃合いですので、私は寝るとします」


「……いい度胸してんな、お前」


 こちとら誰かさんのせいで一睡もしていないというのに。


 恨みがましい目つきで、天崎はリベリアを睨みつけた。


「仕方がありませんよ。私はまだ吸血鬼ですからね。吸血鬼は朝日が昇るのと共に眠り、夕暮れより活動を始めるものなのです」


「そうなんだろうけど……やっぱここで寝るのか? うちに棺桶なんてねえぞ」


「日本の家屋に棺桶が常備されていないことくらい存じていますし、吸血鬼は棺桶で眠るというのは偏見ですよ。というか時代遅れですね。私が城に住んでいた頃は、キングサイズの天蓋付きベッドで寝起きしてましたから」


「城住みだと!? まさかお前、どこぞのお姫様だとか?」


「いえいえ。ただ単純に、ホームハルト家は由緒ある吸血鬼の家柄ってだけですので……」


 言葉を濁し、リベリアは不意に顔を背けた。


 まあ天崎としてもリベリアの素性を詮索するつもりはない。答えたくないことをわざわざ問うのも野暮だろうし、この話題は心の奥底へ留めようとしたのだが……どうしても一つ、気になって仕方のないことがあった。


 そういえば、あの翼でどうやって寝るのだろう。


 体格そのものは人間の少女と変わらないのだが、背中から生えるコウモリのような翼は、横になるにあたって邪魔になるはずだ。なら、やっぱりうつ伏せになるのか? でも一晩中寝返りできないのは、辛いんじゃなかろうか。


 眠気に任せてぼんやりそんなことを考えていると、リベリアがゆっくりと立ち上がった。


「安眠度は下がりますが、天崎さんが普段から使っているお布団で我慢しますよ」


 勝手に居候になったくせに偉そうだなぁ、などと呆れ果てた天崎だったが。


 リベリアが押し入れの襖に手を掛けるのを見て、サッと血の気が引くのを感じた。


 あそこは、ちょっと、マズい。


「リベリア、ちょっと待て。お前はいったい何をしようとしているんだ?」


「え? お布団を出そうとしているだけですが?」


「布団を出すために押し入れを開けるんだよな?」


「当たり前じゃないですか。扉を開けずに中の物を取り出すなんて不思議能力、私は持ち合わせておりませんよ。それとも、押し入れの中にお布団は無いのですか?」


「いや、あるにはあるんだが……」


 制止しようと腰を浮かせた天崎が、何かやましいことでもあるかのように目を泳がせた。


 その露骨に不自然な態度を見て、リベリアは何かを察したようだ。頭の上の豆電球が、嬉々として光り輝くのが見えた。


「ご安心を。年頃の殿方が女性の身体に興味を示すのは当然のことです。私にもちゃんと理解はありますので、たとえどのような凌辱物でも軽蔑したりはしませんよ」


「んなもん持ってねえよ! つーか凌辱なんて日本語、よく知ってんな」


「さーて。これから寝食を共にする方は、いったいどんなプレイがお好みなのかしら」


「おーい。俺の声、聞こえてますかー?」


 などと呼びかけるも、すでに襖へ手を掛けているリベリアを止める術はない。


 彼女は下品な笑みを引っ提げながら、勢いよく襖を開け放った。


 押し入れの中では、一人の童女が眠っていた。


 小さな体躯を折り曲げ、畳まれた布団の上で蹲るように。スヤスヤと、心地良さそうな寝息を立てながら。


 年の頃は十やそこらといったところか。リベリアよりも数歳ほど幼く、身体つきも第二次成長期を迎える前の少女のそれである。もちろん海外からやってきた吸血鬼のリベリアと比べるのは、いささか乱暴かもしれないが。


 熟睡する童女の身なりは、今から七五三にでも行くような着物だった。加えて布団の上に無造作に広がっている髪は、押し入れの暗闇に溶けてしまいそうな烏の濡れ羽色。横一直線に整えられた前髪も相まって、座布団の上に正座でもさせれば、精巧な日本人形と区別がつかないこと間違いなしだろう。


「…………」


「…………」


 リベリアが童女を発見し、時が止まること数秒。


 ぎこちない動作で天崎の方を振り返った彼女は「えっと……」と言葉を濁し、まるで何も見なかったように静かに襖を閉じたのだった。


「先に言っておくけど、犯罪っぽいことは何一つないからな?」


「分かりました。ところで、この家に固定電話はありますか?」


「通報しようとしてんじゃねえよ! 分かってねえじゃねえか!」


「天崎さん。申し上げにくいのですが……幼女監禁はどこの国でも犯罪です」


「だから誤解だっつうの! って、どこへ行こうとしてるんだ?」


「確かこの国の公衆電話は、無料で警察に繋がるはずでしたよね?」


「待て待て待て待て」


 このままでは本当に犯罪者に仕立て上げられてしまいそうだと危機感を抱いた天崎は、玄関へと向かうリベリアを必死に引き留めた。


「少しだけでもいいから俺の話を聞いてくれ」


「釈明は私ではなく弁護士にした方がいいのでは?」


「裁判沙汰になるようなことじゃないから! いいか、よく聞け。あの子は人間じゃない。座敷童なんだ!」


 リベリアの足がピタリと止まる。


 驚いたように目を見開いた後、自分の腕に縋りつく天崎を軽蔑の眼差しで見下ろした。


「なるほど。分かりました」


「本当か!?」


「もちろん。パトカーではなく、救急車が必要だということが」


「どういう判断でそうなった!?」


「ああ、失礼。たかが妄想癖患者のために救急車を呼ぶなんて、救急隊員に迷惑ですよね。天崎さん、私と一緒に精神科の病院に行きましょう」


「そういう解釈だったのか!」


 心外だ。と言わんばかりに、天崎は大きく嘆いた。


 吸血鬼に腕力で敵うはずもなく、リベリアを引き留めるにはもう神頼みしかない。両手を合わせて祈っていると、彼女は人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「座敷童なんて神様が本当に存在するとでも?」


「吸血鬼のお前が何言っちゃってんの!?」


 これほど見事に自分を棚に上げた奴は初めて見た。


 当然のことながら、『完全なる雑種』である天崎の体内には吸血鬼や座敷童などの血も流れている。実際に家系図を見たわけではないので、どこで交わったのかは天崎も把握していないが、しかし交わったこと自体は否定しようのない事実なのだ。


 そして『完全なる雑種』の中に遺伝子がある以上、現代では絶滅してしまい『存在しない』種族はあっても、過去に『存在しなかった』ということはあり得ない。


 もちろん『完全なる雑種』の血を狙うリベリアも、十分承知のはずだが……。


「だから今までのは単なる冗談ですよ」


「無駄に長い冗談だったな。警察に通報するってのも冗談だよな?」


「当たり前です。座敷童は勝手に家に棲みつくもの。特に虐待された形跡もありませんでしたので、司法や行政の手を煩わせるまでもないでしょう」


「虐待なんてするか!」


「しぃ! せっかくあれだけ気持ち良さそうに眠ってるのに、そんな大声出したら起きちゃいますよ!」


「ぐ、ぐぬぬ……」


「まったく、座敷童と同居しているなんて先に言っといてくださいよね。知っていれば私ももう少し気を遣ってあげられたのに」


「その気遣いを一瞬でも俺に向けてくれるとありがたいんだけどな」


 いくら吸血鬼といっても遠慮を知らなさすぎだろう。


 さすがに人外慣れしている天崎も、今回ばかりは頭を痛めずにはいられなかった。


「吸血鬼に狙われたのは、もう運が悪かったと諦めるからさ。頼むから俺以外に迷惑を掛けないでくれよ……」


 と、天崎がささやかなお願いを口にした、その瞬間。


 ドンッ! と何かが爆発したような音が轟き、アパート全体が揺れた。


 地震か、それとも近くでガス爆発でも起きたのか。次の衝撃に備えて身構えはしたものの、揺れ自体はすぐに治まってしまった。


 突然のことに言葉を失った二人は、顔を見合わせたまま全神経を集中させる。


 すると聞こえてくる足音。怪獣が建造物を踏み潰すような重い響きが、徐々に大きくなってくる。それはつまり自分の方へと近づいてくることを意味し、天崎の平衡感覚が狂っていなければ、足音はこの部屋の前で……止まった。


 そして――、

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