第2話 おののき荘1

完全なる雑種フリードッグ』。

 それは数多の種族の遺伝子を持つ者に対する蔑称である。


 人間、妖怪、神、悪魔、天使、鬼、妖精、宇宙人、その他諸々が番となり、歴史を重ねていくうちに、それらの遺伝子を宿した子孫が現れる。彼らのような、様々な他種族と混じり合った家系を『完全なる雑種』と呼ぶのだ。


 異なる種族が番になることは決して不可能ではない。しかし他種族との間に生まれた子供は本来とは違った特徴を持つことも多く、忌み子として処分される危険性を伴ってしまう。故に多くの種族と交配を続けてきた家系が、『完全なる雑種』と蔑まれるのも当然と言えよう。


 そして現代を生きる天崎もまたその一人、あらゆる種族との混血なのである。


 ただ天崎の場合、ハーフやクォーターといった色濃い血統を持っているわけではない。


 天崎家は元々人間の家系だった。しかし長い家世の中、ところどころで他種族との血統を持つ者を配偶者に迎えることにより、いつの間にか『完全なる雑種』と呼ばれるほど多くの種族の遺伝子を混ぜていったのである。


 簡単なたとえ話をするならば、純水の溜まったビーカーに様々な水溶液を一滴ずつ加えていくようなもの。それがどんなに少量であっても、異物が混入してしまった純水は、すでに純水と呼ぶことはできない。ただの水、もしくは混合物だ。


 そして純水を『人間』に、加えられた一滴の水溶液を『他種族』に置き換えることで、天崎の持つ遺伝子を表すことができる。


 ビーカー内の大部分を満たしている物質は純水であっても、完全なH2Oではない。


 つまり天崎は、他種族の血統を少しずつ宿している『ほぼ』人間なのだ。


 姿形や五臓六腑は純粋な人間そのものなのだが、複数の水溶液が混じり合うとまったく異なる性質を得るように、天崎もまた、人間でありながら人間とはかけ離れた特徴を持ち合わせていた。


 例えばそれは、先ほどのように長時間ぶっ続けで全力疾走できるほどの体力だったり、バイクに撥ねられても無傷でいられるくらいの頑丈さなど、人間として逸脱しない程度に身体能力が優れているだけではあるが……、


 ともあれ、見た目だけは一般的な高校生と遜色ない天崎東四郎は、世界的に見ても非常に類い稀な存在なのだった。






「だからまあ、吸血鬼が俺の珍しい血を欲しがってるのは理解できる。が、解せんな」


 六畳一間の自室で胡坐を組んだ天崎は、目の前の相手を訝しげに睨みつけた。


 ちゃぶ台を挟んだ対面で行儀よく正座するのは、まごうことなき吸血鬼。


 淀みのない金髪は蛍光灯の光を乱反射し、まるで輝く粒子を身に纏っているかのよう。また毛色と同じ黄金の瞳は人間のそれではなく、夜行性の動物によく見られる縦に長い瞳孔を有していた。


 そして何より人間離れしている部位は、少女の背中で小さく折り畳まれているコウモリのような翼だろう。一度彼女の目を盗んで付け根の部分を観察してみたが、どうやら本当に肩甲骨辺りから生えているようだった。


 日本のボロアパートの一室には似つかわしくない、西洋のおとぎ話から飛び出てきたような吸血鬼の少女。己の場違い感を気にする様子もなく、彼女は八重歯を覗かせながら「ほえ?」と首を傾げた。


「お前が未だに俺の血を吸おうとしない理由を訊いてんだよ。欲しいんだろ?」

「もちろんですとも。一滴残らずチューチューしちゃいたいです」

「んな可愛らしく殺害宣告されてもな」


 言葉とは真逆の邪気のない返答に、天崎は思わず頭を抱えてしまった。


 腰を抜かす暴走族を前に、このリベリアと名乗る吸血鬼が戦闘開始の合図をしてからどうなったのか。回顧するほど時間が経っているわけでもなければ、特に重大な出来事があったわけではない。しかし現状を考慮すると、天崎は己の取った行動を後悔せずにはいられなかった。


 彼ら暴走族を助ける意味でも、天崎は即座に降参したのである。


 いくら見た目が麗しい少女であり、相手が戦意を喪失しているとはいえ、彼女は人を喰う伝説の怪物。あのまま放置していれば、一瞬にして辺りが血の海と化していても何ら不思議ではなかった。


 自分が引き連れてきた怪物のせいで死人が出るなど、あまりにも後味が悪すぎる。


 だからこそ天崎はリベリアとの追いかけっこを負けと認め、彼女と共に下宿先である『おののき荘』へと帰宅したのだった。


 その間、何故か彼女は天崎の血を吸おうとする素振りすら見せなかった。


「随分とやつれた顔してますからね、貴方。血を飲むにしても、そんな不健康そうな人間、大方の吸血鬼は避けますよ」

「それが理由か? つーか、こんな顔になったのはお前のせいだけどな」


 リベリアが言う通り、天崎の目の下にはどす黒い隈が浮かび上がっていた。


 コンビニに行こうと部屋を出たのが深夜零時過ぎ。その途中で吸血鬼に出会い、二時間以上も全力疾走。しかも街並みに見覚えがなくなるほど遠出をしていたため、その距離は相当なものになっていたはず。そしてバイクに撥ねられ、なんやかんやの果てに徒歩でおののき荘へと帰ってきたわけだ。


 つまり一睡もしていないのである。


 仮に吸血鬼問題が即座に解決したとしても、東の空はすでに白ばみ始め、数時間後には学校へ行かなければならない。どうあっても少しの仮眠も叶わないと計算した天崎の顔から、一気に生気が失われていった。


 そんな絶望に打ちひしがれている天崎とは対照的に、夜間が活動時間の吸血鬼は陽気に言葉を返す。


「違いますよ。私が血を飲まないのは、貴方が低血圧だからではありません」

「じゃあ何だってんだよ」

「今夜が新月ではないからです」


 意味が分からず、今度は天崎が首を傾げる番だった。


 鈍くなった頭をフル回転させるも、どうやら理解できないのは寝不足のせいではないみたいだ。彼女の言葉は、明らかに説明が足りていない。


「『完全なる雑種』という特殊な血液に興味はありますけど、それ以上に私には別の目的があるのです」

「別の目的?」

「はい」


 目を伏せ、今まで浮かべていた無邪気な笑顔を消すリベリア。

 その表情は、今後の人生を左右させるくらい重大な選択肢を迫られた少女のそれ。

 顔を突き合わせている天崎もまた、彼女の剣呑な雰囲気に緊張せざるを得なかった。


「私は……私の目的は、吸血鬼をやめることです」

「吸血鬼をやめる? どういう意味だ?」

「言葉通りですよ。種族として、吸血鬼であることを放棄したいのです」

「それは……」


 やはり理解しがたかった。彼女の言葉が、ではなく、彼女の考え方が。

 天崎はリベリアの悩みを自らに置き換えて考えてみる。


 自分が人間をやめたいと思う理由。今まで為してきた過去を捨て、新たな種族として生まれ変わることに、果たしてどのような価値があるというのか。


 ……残念ながら、今の天崎には想像に足る材料を持ち合わせてはいなかった。

 すると突然リベリアが立ち上がった。


 そして天井に向けて拳を掲げ、ボロボロのドレスを纏った吸血鬼は堂々と宣言をする。


「私は、完全な存在になりたいのです!」

「……………………は?」

「神をも超越した、この世のありとあらゆる生物の頂点に立つ存在のことです!」


 なんだか別の意味で危ないことを言い出した。

 欠片ほども理解できないリベリアの言葉は、天崎の疲れ切った思考を完全に止める。


 吸血鬼をやめたいと告白した時点では、過去に何か辛い体験をして追い詰められていたんだろうなと勝手に解釈していた。が、リベリアの態度を見るに、どうやらそういうわけではないらしい。むしろ彼女の瞳は希望に満ち溢れていた。


 そこで天崎の脳裏に、とある単語が過る。

 ……まさかこの吸血鬼、重度の中二病を患っているんじゃないか?

 リベリアの宣言に唖然とするも、とりあえず言っておかないといけないことがある。


「待て、落ち着け。頼むから座ってくれ。朝日も昇らないうちにそんな大声出されたら、近所迷惑もいいところだ」


 案の定、隣の部屋からドンッドンッと壁を叩かれてしまった。

 築何十年の安アパートなためか、壁がけっこう薄いのだ。


「申し訳ございません。少しばかり興奮してしまいました」


 謝りながら、再び正座するリベリア。

 ため息混じりに肩を落とした天崎は、面倒くさそうに頭を掻きむしった。


 正直、吸血鬼って存在だけでも厄介なのに、さらに意味不明な目的を突き付けられては頭も痛くなるというもの。それが自分の命にかかわることなら尚更だ。


「んで、吸血鬼をやめることと今日が新月じゃないってことが結びつかないんだが?」

「あ、はい。そこは今から説明しますので、急かさないでください」


 まだ慌てるような時間じゃない。とでも言いたげなジェスチャーにイラッと来るも、話を円滑に進めるために、ここは耐えなければならない。


「実は吸血鬼界には、このような言い伝えがあります。『吸血鬼としての能力を喪失する新月の夜、一夜にして千の血を飲むことにより、さらなる上位の存在への進化が叶うであろう』。かの有名なヴラド・ツェペシュ公が遺した言葉だと言われていますが、真偽は定かではありません」

「ツッコミどころ満載だな。吸血鬼と人間の常識に差異があるからだと信じたい」

「ではその溝を埋めるためにも、このリベリア=ホームハルト様がどんな質問にも答えてあげちゃいましょう。ささ、カマンカマン」

「う、うぜぇ……」


 なんでナチュラルに煽ってくるのか。これも人間と吸血鬼の違いなのか。

 とにもかくにも、苛立っていては話が進まない。握りしめた拳をため息とともに解いた天崎は、仕方なくお言葉に甘えることにした。


「『新月の夜に千の血を飲む』ってやつだけど、千の血ってなんだ?」

「この千とは決して数字としての千ではなく、『多くの』という意味だと思われます。つまり新月の夜に多くの血……現世に存在するあらゆる種族を喰らうことによって、吸血鬼よりもさらに上位の存在へと進化できると考えられます」

「ん? んー……」


 だったら何で人間の俺を襲うんだ?

 今ここに至った理由へ未だ辿り着けず、天崎は腕を組んで首を捻った。


「吸血鬼がさらに進化するなんて可能なのか?」

「どうなんでしょうね。実際に成功したという例を耳にしたことはありませんし、そもそも一晩で千の血を摂取するなんて現実的ではありませんからねぇ」

「マジか。成功するかどうかも分からないのに命狙われてんのか、俺」


 こっちにも人権はあるんだぞと、天崎はただただ言葉を失うばかりだ。


「考えてもみてくださいよ。いくら吸血鬼とて、神や悪魔を含めた千の種族を一晩で喰らいつくすなどできるわけがありません。事前に四肢をもぎ取って一ヶ所に監禁でもしない限り、時間的にも絶対に不可能でしょうね」

「さらっと怖いこと言うのはやめてくれ。心臓に悪い」

「さらに新月といえば、吸血鬼にとって最も活動しにくい日。個体数だけしか取り柄のない人間ならまだしも、力のある種族を捕えて喰うのは困難を極めるでしょう」

「今さりげなく人間をディスったな」


 人間を食糧としてしかみていない吸血鬼にとっては当然のことかもしれないが、もう少しオブラートに包んでほしいものだ。


「やっぱり吸血鬼ってのは満月の日が一番強いのか?」

「そうですよ。一部の妖も月の満ち欠けによって左右されますが、吸血鬼は特にその影響が大きいのです。最も能力が高まる満月を境に、新月に向かうにつれて力は徐々に衰退していきます」


 つまり半月ごとに最も能力のある日とない日が交互に繰り返されるのだろう。月の力が吸血鬼の能力を向上させるのは、どこの創作物でもよくある話だ。


「なるほど、大体の成り行きは把握した。でも、やっぱり解せないんだよなぁ。進化できるっつう伝承が本当かどうかはともかくとして、お前の言う千の血を求めるために俺個人を狙う理由が……」


 とまで言いかけ、すべて理解してしまった。

 リベリアが何を目論み、そして自分がどういう人間だったのかを。


「つまりお前は『千の血』ってやつを、すべて『完全なる雑種』の血液で代用しようとしてるわけだな!?」

「はい、その通りです!」


 ものすごい元気な声で肯定されてしまった。


 要は、自力で集めるのが不可能なら、すでに揃っている場所から盗ってこればいいじゃないという発想だった。天崎の『完全なる雑種』の血には、千種類以上もの種族の遺伝子が宿っているのだから。


「んな法律の穴を抜けるような裏技で本当に成功するのかよ」

「まあ、最初からダメで元々って感じですからね。もしかしたら無駄骨になるかもしれませんが……でも自信はありますよ!」

「世の中には自信だけじゃどうにもならないことなんてたくさんあるんだよ、吸血鬼」

「大丈夫です。失敗したところで私に不都合はありませんので」

「血ぃ吸われたら俺の方は死んじゃうんじゃないの!?」

「もちろん生命活動を維持できなくなる量の血液は頂戴するつもりですからね。貴方は死ぬと思います。どのみち成功しようが失敗しようが死ぬことには変わりがないんですから、そう騒いでも仕方がないのでは?」

「理不尽だ! 納得できねぇ!」

「世の中には理不尽な事故で亡くなる方なんて大勢いらっしゃるのですよ、『完全なる雑種』さん」

「くっ……」


 正論で諭され、天崎は口を噤んだ。


 確かに、吸血鬼に命を狙われるなど事故のようなものだ。回避できるのならするに越したことはないが、遭遇してしまったものは仕方がない。運が悪かったと諦めるしかないだろう。


 ただ当然ながら、被害者である天崎にも抵抗する権利はある。何か文句でも言ってやろうと息を吸ったのだが……ドンッ! という隣室からの二度目の注意により、吐き出したい言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。


「というわけで、貴方の余命は新月までの約二週間です。残された時間を思う存分に満喫してください」

「殺人犯本人にそんなこと言われてもな」


 おかしな話だ。


「あ、それと貴方が逃げ出さないよう、居候させていただきますので」

「居候って……マジ?」

「大マジです。私には新月まで過ごす宿がありませんから。よろしくお願いしますね」


 語尾にハートマークでも付きそうな、可愛らしい声音でお願いされてしまった。

 不満が爆発した天崎は、『うがーッ!』と呻きながら両手で髪の毛を搔きむし始める。


 どうして自分の周りにはこうも非人間が集まってくるのか。そしてどうして漏れなく面倒ごとを押し付けていくのか。久々に己の血統を呪う天崎だった。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はリベリア=ホームハルトと申します。以後お見知りおきを」

「知ってるよ」

「な、何故に私の名をご存じで!? はっ、まさかESPのような能力をお持ちだとか?」

「さっき自分で言ってただろうが」


 しかも暴走族に向かって宣言したのも含めれば三回目である。


「ちなみに貴方のお名前は?」

「お前は名前すら知らない人間を殺そうとしているのか」

「捕食者と被食者の関係は大概そんなものだと思いますけど」

「正論すぎて言葉が出ねーよ」


 とは言いつつも、天崎は投げやり気味に自分の名前を名乗った。

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