ドラキュティックタイム

秋山 楓

第1話 闇夜に浮かぶ吸血鬼の影

「はぁ、はぁ。くそっ、何だってんだ! マジで冗談じゃねえぞ!」


 息も絶え絶えになりながら、天崎あまざき東四郎とうしろうは夜の住宅街を全力で駆けていた。


 当然のことながら、天崎は夜の墓場で運動会を楽しむ妖怪でもなければ、深夜遅くにジョギングを嗜む健康オタクでもない。走っているのは天崎一人であり、またジョギングにしてはあまりにも必死すぎた。


 その足取りは、まるで誰かを追っているように無我夢中で。

 もしくは何かに追われているように、体力が限界を迎えても緩ませることはない。


 事実、天崎は追われているのだ。


「チクショウ! 毎度毎度、訳の分からん奴らばかり現れやがって!」


 無駄に体力を消費するとは理解しつつも、己の不幸を嘆かずにはいられなかった。


 無駄ついでに、首を反転させて背後を確認してみる。が、誰もいない。どころか、足音すら聞こえてこない。民家に挟まれた、灯りの乏しい街路が一直線に伸びるのみ。


 しかし天崎は足を止めようとはしなかった。むしろ誰もいないことを確認してから、さらにスピードを増したくらいだ。


 追手が背後にいないことくらい、天崎は百も承知だった。


 なぜなら彼を追っているのは吸血鬼なのだから。


 いやはや吸血鬼と鬼ごっこするのは何度目だったかな。などと人生を振り返ってみるも、意外と初めての経験であることに気づき、ああ、自分は今とても貴重な体験をしているんだなぁとプラス思考で考えてみたものの……、


「ってバカか俺は! んな経験、しないに越したことはねえだろ!」


 やはり素直に現状を受け入れるまでには至れなかったようである。


 ――ふとただならぬ気配を感じ、天崎は走りながら夜空を見上げた。


 今宵は満月。雲一つない快晴。普段は見えない星々も天崎を嘲笑うかのように瞬いており、故にそれを見つけることは容易だった。


 夜の世界に君臨する煌びやかな満月を背に、空を舞う吸血鬼が一体。


 月明かりによって逆光になっているが、浮かぶシルエットは一目でそれが人間でないことを表していた。


 背中から生えたコウモリのような翼をはためかせ、大空を優雅に飛び回るその姿。アレが正真正銘の人間だというのなら、ライト兄弟もそこまで苦労はしなかっただろう。人間が生身で空を飛べるようになるのは、まだまだ先の話に違いない。


「つーか、空飛べるとか反則じゃね!?」


 なんて愚痴っても虚しくなるだけだ。とにかく今は逃げ切ることだけを考えなければ。


 しかしどうして自分が吸血鬼に追われるハメになったのかは、未だに理解できていなかったりする。いや、彼女の目的は知っていた。というか最初に本人が言っていた。


 午前零時を回ってすぐ、近所のコンビニに向かっていた天崎の前に降り立ち、彼女はこう宣言したのだ。


『貴方、『完全なる雑種フリードッグ』さんですよね? 私、吸血鬼です。貴方の血が欲しいです』


 要約すれば、そんな感じだった。


 ただ出会い頭の意味不明な供述も天崎は冗談と受け取らず、即座に逃走を決意した結果、今に至る。彼女が吸血鬼らしい翼や牙を携えていたから、というのも理由だが、それ以上に、天崎の長年の経験から得た勘が警鐘を鳴らしていたのだ。


 ――こいつはヤバい。マジで本物だ。と。


 知り合いの信頼できる占い師から『今日は外出すると良くないことが起こる』と宣告されたため、こうやって日付が変わるのを待って食糧調達に出たというのに……これではわざわざ夜更かしした意味が無いではないか!


「ま、『今日』は良くないことが起こるけど、『明日』はもっと酷い災いが降りかかるって意味だったのかもしれないけどな。……って、んなこと今はどうでもいいか。とりあえず誰でもいいから助けてくれ!」


 助けを求めるも、夜も深まる閑静な住宅街には人っ子一人見当たらない。というか、たとえ善良な市民に遭遇したとしても、奇声を上げながら全力疾走する高校生など誰も関わろうとはしないだろう。


 都合よく手の空いている吸血鬼ハンターにでも出くわさないかなぁ。などと現実逃避を始めつつも、サンダルの底を滑らせて交差点を曲がる。だが進行先を目の当たりにし、天崎は思わず舌打ちをしてしまった。


 民家の密集する住宅街を抜け、片側三車線もある幅の広い国道に出てしまったのだ。


 上空の吸血鬼から身を隠す意味でも、できるだけ入り組んだ小道を選んで走っていた。しかし逃げ回るのに夢中で、知らず知らずのうちに土地勘を失うほどの遠方にまで足を延ばしていたらしい。すでに照明が落ちている飲食店やガソリンスタンドなども含め、初めて見る街並みだった。


「どうする、戻るか? いや……」


 振り返り、夜空を見上げる。


 どうやら吸血鬼は天崎を見失ってしまったらしく、少し離れた場所で大きく旋回していた。とはいえ、夜目がきく吸血鬼に近づく選択肢はない。ここは少々危険を冒してでも距離を取るべきだ。


「バレませんように、っと」


 赤と青に光る信号だけが黙々と仕事を続ける大通りの交差点。一台の車も通らない廃都市のような横断歩道を渡った後は、どこか屋根のある場所に隠れよう。


 そう画策し、スプリンターの如く道路を駆けようとしたのだが――、


 中央分離帯を越えた辺りで、容赦のない爆音が天崎を襲う!


「はっ?」


 唖然としたのは一瞬。迫り来るライトが、信号を無視した暴走バイクだと理解した時には、天崎はすでに宙を舞っていた。


「ぐげがっ!!」


 空気の漏れるような呻き声を上げながら、交差点のど真ん中へと放り出される天崎。


 二回、三回と地面を転がり、最後にはうつ伏せのまま動かなくなってしまう。


「や、やべぇ……」


 しんと静まり返る中、ようやく事態を把握した暴走族たちが、バイクをその場に置いて天崎の側へと寄ってきた。


「やべぇよ、やべぇよ! マサやんが人轢いちまった……」


「お、俺じゃねえ! 俺は悪くねぇ! コイツがいきなり飛び出してきたんだ!」


「でもマサやん、信号は赤だったじゃん」


「知らねえよ! 俺はお前についてっただけだからな!」


 被害者を救助しようともせず、罵り合い、責任転嫁を続ける五人の輩。

 埒の明かない言い争いは、やがて一つの結論へと辿り着く。

 マサやんと呼ばれていた男が、周囲を見回しながら恐る恐る提案を始めた。


「な、なあ、お前ら。俺たちの信号、青だったよな?」


「えぇ!?」


「青だったよな!?」


 要は、目撃者がいないのをいいことに事実を捻じ曲げようとしているらしい。


 五人の中でもひと際体格の良いマサやんが圧力を掛けると、他の連中は委縮して目を逸らしてしまう。それを同意と取ったマサやんは満足げに頷いた。


「よし、俺たちは何も悪くねえ。しっかりと交通ルールを守った上での不運な事故だ。後は信号無視して轢かれちまったコイツをどうするかだが……」


「……赤だっただろうが」


 唐突に聞こえてきた声に、暴走族たちはビクッと肩を揺らした。


 まさか目撃者が近くに? と慌てて周りを見渡すも、彼らは失念していた。自分たちよりも間近で事故を目撃していた人物が、この場にいることを。


「お前ら赤信号だっただろうがよおおおおお!!!」


 そう、バイクに撥ねられた天崎本人である。


 まるで土下座でもするかのように地べたで蹲った天崎の慟哭が響き渡った。


「捏造しようとしてんじゃねえよ! 俺の方が青だったからな! 俺は絶対に確認して渡ったんだからな!」


「お、おう……」


 拳を地面に叩きつけ、涙ながらに訴える被害者を前に、一同は困惑していた。もしくは死んだと思っていた相手が割と元気そうなので安堵したのか。どちらにせよ、毒気を抜かれた彼らが次に発した言葉は、ひどく常識的なものだった。


「お、おい兄ちゃん……大丈夫か?」


「大丈夫じゃねえよ! めっちゃ痛てえよ! 身体の節々が鞭打ちになってるよ!」


「悪かった。今から救急車呼ぶから……」


「あ、それは勘弁してください。目立った怪我とかはしていないんで」


「えぇ……」


 じゃあどうしろと?


 さらに戸惑う暴走族だったが、今の天崎には悠長に救急車を待っている時間などないのだ。なぜなら伝説的怪物、吸血鬼に追われている最中なのだから。


「って、そうだった!」


 救急車どころか、こんな開けた場所でのんびりしている場合ではない。


 全身に奔る痛みを我慢し、急いで立ち上がる……が、時すでに遅し。天崎と暴走族の間に、不気味な風が吹き抜ける。


「げっ!」


 天崎の狼狽は、上空から落ちてくる突風によってかき消されてしまった。


 舞い上がる砂埃から顔を守りつつも、慌てて夜空に視線を移す。光り輝く満月を背に、コウモリのような姿を目視できたのも一瞬。突風の発生源である吸血鬼は、目にも止まらぬ速さで天崎の目の前へと降り立った。


「もう、やっと見つけましたよ『完全なる雑種』さん。そろそろ観念してください!」


 天崎よりも頭一個分背の低い吸血鬼は、鋭く尖った八重歯を覗かせながら笑った。


 夜闇を照らす満月のような黄金の髪。その一本一本は水に溶けてしまいそうなほど繊細で、それらが風に揺られる様は、まるで天の川のよう。


 加えて、天へと反り返る長い睫毛の下の瞳もまた黄金色。陶器のような滑らかな肌はやや血色が悪く、東洋人とも西洋人とも区別のつけがたい顔をしている。ただ確実に言えるのは、彼女が漏らす笑みは年端もいかない少女のそれであり、老若男女かかわらず誰もが見惚れてしまうほどの美少女であるということだろう。


 だが今は、少女の美しい容姿以上に目を惹きつけてしまう要素が一つある。


 小柄な彼女の身を包むのは、着る者を飾り、見る者を魅了する純白のドレス。どこぞのお姫様が着ていても不思議ではない上等な召し物が、容赦なくズタズタに引き裂かれてしまっているのだ。


 だからこそ、天崎を含めた六人の男たちは、言葉を失ってしまったのかもしれない。


 翼の生えた少女が空から舞い降りたのも驚きだが――、


 まるで怪物に襲われたばかりと思わせる身なりの少女が、こんなにも明るく無垢に笑っていられているのが異常すぎて。


「あれれ? そんなに固まっちゃって、どうされたんですか?」


 己の登場のせいだと気づかない吸血鬼は、可愛らしく首を傾げた。


 そして何を勘違いしたのか、呆然としている暴走族の方々を見渡した後、一人納得がいったように頷き始める。


「はは~ん、なるほど。貴方たちも『完全なる雑種』さんがお目当てなんですね? ダメですよぉ、『完全なる雑種』さんは私の獲物なんですから」


「いや、この人たちは俺個人に用があるわけじゃなくて……」


 天崎の控えめな反論も聞く耳を持たず、吸血鬼は暴走族の方へと歩み寄っていく。


 ま、まさか殺すんじゃ!? と、戦々恐々とする天崎の内心とは裏腹に、吸血鬼は暴走族の脇を通り抜けて、さらに後方へ。最終的に辿り着いたのは、道路のど真ん中に停車させてある彼らのバイクだった。


「もし私と敵対するのであれば……こうなりますよ」


 これほどまでに効果的な脅し文句はないだろう。彼女はなんと、軽く見積もっても二百キロ以上はあるバイクを軽々と片手で持ち上げたのだ。そしてコンクリートの地面へ思いきり叩きつけることで、カスタマイズにも相当な金をかけているであろうバイクは一瞬にしてスプラップと化した。


「ひぃ!!」


 常識外れな怪力を見せつけられ、大の大人たちが次々と尻もちをつく。


 明らかに戦意を喪失している彼らに向け、吸血鬼はさらに畳みかけた。


「それでも私と戦り合うのであれば、仕方ありません。不承不承ながらも、このリベリア=ホームハルトがお相手いたします」


 と言って、吸血鬼リベリア=ホームハルトは自らの人差し指に牙を立てる。


 そして獲物を前にした狩人のような瞳で暴走族たちを見渡した後、彼女は口元を三日月形に歪めて宣言した。


「さあ『吸血の時間ドラキュティックタイム』です」


 彼女が言葉を紡ぐのと同時。


 成り行きを眺めていた天崎は、「また面倒なことになったな……」と頭を抱えるのであった。

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