燻製クイナのリズキューイとピアデラモート(死のピッツァ)

流々(るる)

再会

 道とは呼べないような砂地が続く先を、少年は背伸びをしながら何かを探して目を動かしている。

 砂漠に囲まれた王都モスタディアの南門に彼は朝から立っていた。ときおり吹き抜ける熱波をまとった風に顔を背けることもなく、栗毛色の髪を手で押さえながら遠くを見つめていた。

 何度も背伸びをしていた少年が動きを止めた。

 砂煙の中に小さな黒い影が見える。

 それがやがて二頭の駱駝シャモーだとわかると、彼の目は輝いた。後ろで手綱を握る少女がかぶっている白い布帽子ティスポから黒髪が流れ出ていた。


「カリナ、カリナーっ!」


 待ち焦がれていたカリナ父娘の姿に、少年は何度も飛び上がって手を振りながら大きな声で叫んだ。

 近くの家から、洗濯物を手にした女が何事かと出てきたが、彼を見てつまらなそうに戻っていった。

 もう駱駝シャモーの鼻息さえ聞こえるようになると、互いの表情もはっきりと見える。


「カリナ、ひさしぶり!」

「ヤーフムも元気そうね」


 旅の二人は鞍を外すと、門の外にある小屋へ駱駝シャモーをつないだ。薄い金色の髪をした壮年の男性が先に立つ。


「やぁ、ヤーフム。ずっとここで待っていてくれたのかい?」

「はい、ヴァリダンさま。今日着くって父さんが言っていたから」

「ありがとう。それでは早速お宅にお伺いしよう。案内をお願いできるかな」

「もちろんです」


 そう言いながらもヤーフムはヴァリダンの後ろに立って笑顔を見せているカリナが気になって仕方がない。彼女が手にしていた荷物を持とうと歩み寄った。


「一年ぶりだね、カリナ」

「ヤーフムは九歳になったのよね。少し背が伸びたみたい」

「早く大きくなってカリナを守れるように、しっかりご飯を食べているからさ。力だって強くなったんだから僕が持つよ」

「大丈夫よ、これくらい」


 手を伸ばしたヤーフムを、弟を見るような優しいまなざしでカリナがやんわりと断る。


「平気だよ、僕だって」

「少し持ってもらったらどうだ」

「はい、お父様」


 口を尖らせたヤーフムにヴァリダンが助け舟を出した。

 カリナが小さいほうの荷物を彼に渡すと、にっこりと笑って先頭に立って歩きだす。

 赤みを帯びた土レンガの道を進んでいくと徐々に人通りも多くなっていった。


「相変わらず王都は活気があるな」

市場通りルドゥマはいつもこんな感じだよ」

「去年、お父様が出場する魔道闘技会を見に来たときには驚いたわ。こんなに賑わう場所なんて初めてだったもの」


 通りの店先にはモスタディア名物の魚の干物ペシュレを始め、ヤシの実パルメや干し肉、魔道杖までもが並んでいた。人波を避けながらカリナは右、左とのぞき込んでいる。


「おや、お嬢さん、珍しい髪の色だね。どこから来たんだい」


 カリナの黒髪を見た、薄焼きパガティン屋のおやじが声をかけた。

 ここモスタディアは魔国ガルフバーンのほぼ中央に位置し、そのすぐ西にはムーナクト月からの恵み湖があった。周囲の山々に降った雨が地下の岩盤層を通り、湧き水として噴き出ていると言われている。生活に必要な水の確保だけでなく、豊富な水産物を主とした交易の拠点として王都は繁栄し、旅で訪れる者も多い。

 市場の者たちは土産みやげを売るすべにもたけている。声をかけるきっかけは見逃さない。


「トゥードムよ」

「おお、たしか南の山岳地帯だったよな。ずいぶんと遠いところから来たんだな。せっかくだから、うちの薄焼きパガティンを買って行きな。うまいよ!」

「まずは荷物を置いてから。あとで来るわ」


 父と共に旅をすることの多いカリナは、売り子のあしらいにも慣れていた。足を緩めずに笑顔を見せる。

 やきもきしながら二人のやり取りを聞いていたヤーフムも、また前を向いた。

 しばらく行って市場通りルドゥマを右に曲がると静かな街並みになった。右手に見えてきた石造りの家へヤーフムが小走りで入っていく。


「かあさん、ヴァリダンさまとカリナが来たよ」


 その声を聞き、奥から大柄な女性が手を布で拭きながら出てきた。


「遠いところをようこそいらっしゃいました。お疲れになったでしょう」

「お久しぶりです、ミロウさん。その節はお世話になりました」


 ヴァリダンが深々と頭を下げると、カリナも倣った。

 ミロウは慌てて両手を振る。


「いえいえ、私たちは何もしていませんから。ブリディフ様の治癒魔道とカリナさんの看病がよかったんですよ。それにしてもお元気になられて本当によかった」

「トニーゾ殿は店にいらっしゃいますかな。ご挨拶がてら行ってみようかと」

「そんなお気を遣わずに。どうせ夕方になれば帰って来るんですから」

「実は魔道衣を新調しようかと思いまして」

「まぁ、それは喜びますよ。ありがとうございます」


 ヴァリダンはミロウから魔道衣店の場所を聞くと、一人で出ていった。

 残されたカリナの隣にヤーフムが腰を下ろす。


「ねぇ、お腹空いたでしょ? 一緒にお昼ご飯を食べようよ。僕、カリナに食べて欲しいものがあるんだ」

「あら、私もヤーフムに食べさせたいものがあって用意してきたの」

「え! ほんと? なになに?」


 自ら切り出した話なのに、それも忘れてヤーフムは飛び上がるように立ち上がるとカリナに顔を寄せた。


「ピアデラモートよ」


 彼女の答えを聞くと、けげんそうな表情を浮かべて体を起こした。顔を曇らせて上目遣いに彼女を見る。


「それって……」

「知ってるの?」

「ううん。でも『死のピッツァ』って意味でしょ」

「そうよぉ」


 カリナはいたずら気な笑みを浮かべる。

 ヤーフムはそれに気づかず、視線を落とした。

 彼を脅かし過ぎたことに気づいた彼女は、優しく肩に手を置いた。


「そう呼ばれているだけだから安心して。でも、それには理由があるのだけれど後で教えてあげるわ」

「よかったぁ。驚かさないでよ」

「それよりヤーフムは何を食べさせてくれるの?」

「去年さ、一緒に姫鱒クイナを釣りに行ったのを覚えてるよね」

「もちろんよ」


 山育ちのカリナに喜んでもらおうと、ヤーフムはムーナクト湖に連れていった。そこで初めて見た広大な水面に彼女は感激し、二人で釣った姫鱒クイナの塩焼きを美味しそうに食べていたことを彼は忘れていなかった。


「今日はね、塩焼きじゃなくって燻製にした姫鱒クイナのリズキュー炊き込みご飯イを僕が作るから」

「ヤーフムが作るの⁉」


 ずっと黙って聞いていたミロウが口をはさんだ。


「この子ったら、わざわざ『銀猫亭』のおばさんに作り方を教わりに行ったのよ」

「もぉ、かあさんは余計なこと言わないで!」


 その店の名もカリナは覚えていた。

 ムト山羊シェヴの飼育が盛んなトゥードムでは、魚料理を口にすることはほとんどない。だからなおさら、初めてあの店で食べた姫鱒クイナの香草焼きは彼女にとって美味しい料理として胸に刻まれていた。


「あのおばさん直伝の料理なんて、とっても楽しみ」

「すぐ作ろう」


 ヤーフムはカリナの手を引いて台所へ連れていった。

 台の上には開いた姫鱒クイナがつややかな飴色に染まり、並んでいる。


「これの燻製も僕が作ったんだ。このままでも美味しいから食べてみる?」


 手に取った燻製を小さくちぎってカリナに渡す。


「ちょっと硬いけど味が染みていて美味しい。香りもいいし」

「一夜干しにした姫鱒クイナにタレを塗って、香木でいぶすんだ」

「トゥードムで干し肉をいぶすのと同じね」


 ヤーフムは燻製の頭を包丁で落としてから、身をぶつ切りにしていく。

 鍋に入れた米を研ぎ、水を入れて塩や調味料を加えた。最後にぶつ切りにした燻製を入れて木のふたをして火にかける。


「炊きあがるまで時間があるから、今度はカリナの番だよ」


 カリナは荷物の中から両手ほどの大きさをした麻袋を取り出した。さらにそこから小さな布袋を二つ、手に取った。どちらも赤く染まっている。

 トゥムみたいだとヤーフムは思った。

 彼女は袋の口を開いて見せる。のぞきこんだ彼は目と鼻に突き刺さる刺激にむせた。カリナはそこから赤い粉まみれの細長い葉をつまみ上げた。


「これが『死のピッツァ』と呼ばれる理由になった、夾竹桃ロリエロザ。夏になると鮮やかな桃色の花を咲かせるのよ」

「ふーん。モスタディアで春に咲くアゼリアみたいなのかな」

「この夾竹桃ロリエロザの葉には毒があるの」

「え、そうなの?」

「でも、この唐辛子ティリにまぶして塩漬けにすると毒が薄まるのよ。これを塩抜きして使うんだけど、美味しいからといって食べ過ぎると死んでしまうからピアデラモート――死のピッツァと呼ばれるようになったんだって」


 そう言いながら粉に水と塩を加えて練りはじめた。丸めた生地を薄くのばしていく。そこへもう一つの赤い袋を開いた。


「これは刻んだ赤ピーマポバートンを煮詰めたもの」


 生地の上に塗っていく。そしてもう一つ小さな麻袋から取り出したのは、白い塊だった。見たこともない食材たちを、ヤーフムは食い入るように見つめている。


山羊シェヴの乳で作ったフロマ。触ってみる?」

「ずいぶん硬いね。見た感じでもっと柔らかいのかと思ってた」

「これがね、焼くと溶けてとろとろになるのよ」

「へぇ、不思議」


 カリナは仕上げに入る。フロマを薄く切って生地の上に敷き詰め、さらに塩抜きした夾竹桃ロリエロザを六枚並べた。


「あとは焼くだけね」

「僕、こんなピッツァを初めて見た。モスタディアでは何もつけずに焼いて、魚の塩焼きや野菜を挟んで食べるんだ」

「その土地それぞれで食べるものって違うのね」

「もう炊き上がったんじゃないかい」


 ミロウが声をかけてくれた。

 すぐにヤーフムは鍋を火からおろし、蓋を開ける。

 真っ白な湯気とともに芳ばしい香りが広がった。


「いい匂いだわ」


 カリナの言葉に彼も笑顔になる。炊きあがった米を木具で混ぜ、香草を散らして器に盛った。

 彼女のピッツァも焼きあがったようだ。六枚に切り皿に乗せる。


「うわぁピッツァも美味しそうな匂いがする! フロマだっけ。焼くと少し黄色くなるんだね」

「さぁ食べましょ」


 二人は並んで座り、それぞれ相手が作ってくれた料理に手を伸ばした。

 燻製クイナのリズキューイは、姫鱒クイナの身が鮮やかな紅色で散りばめられ、うっすらと色づいた米と香草の緑がそれを引き立てている。


「口に入れただけで燻製の芳ばしい香りが広がっていくわ。米にしみわたっているのね。硬かった姫鱒クイナの身もふっくらと柔らかくなってる。美味しいわ」


 最後のひとことだけでヤーフムの顔に満面の笑みが浮かんだ。

 そのまま、目の前のピアデラモートを見つめる。所どころ焦げたフロマの上に乗った夾竹桃ロリエロザに、緊張した面持ちへと変わった。

 ゆっくりと手を伸ばして一切れを口に運ぶ。


「うん、美味しい! 生地はパリッとしてるのにフロマがとろりと柔らかくて。何だろう、このフロマの味。こんなの食べたことないや」

「嫌いな味?」

「ううん、好き」


 そう言いながらも、夾竹桃ロリエロザを避けて食べている。

 カリナはくすっと笑い、ピアデラモートに手を伸ばした。


「うん、美味しい。ほら、大丈夫でしょ?」


 自らが食べたのをヤーフムに見せる。それを見て、彼も夾竹桃ロリエロザを口にした。


「うわっ、辛い!」

唐辛子ティリに漬けてあったからね。噛んでいるとフロマが辛みを抑えてくれるわ」

「ほんとうだ。辛く感じなくなってきた」


 食べ終えたヤーフムはコップの水を飲み干した。


「どう、大人の仲間入りをした気分は」

「どういうこと?」

「トゥードムではね、一人前と認められるとピアデラモートでお祝いするの。美味しいものでも一枚しか食べてはいけないという、自制の心が持てるようになった証にね」


 ヤーフムは皿に残ったピアデラモートに目を落とす。


「ヤーフムは魔道の怖さも知っている」


 カリナが静かに言った。

 一年前にこのモスタディアで行われた魔道闘技会での惨劇は、ヤーフムも忘れるはずがない。

 一人の魔導士の私欲により、カリナの父、ヴァリダンが瀕死の重傷を負った場面を彼女と一緒に見ていた。あのときの怒り、悲しみ、なぜ、どうしてという思いが、魔道を志すきっかけになったのだから。


「自制の心を忘れずに修行に励んでね」

「うん。まかせて」


 屈託のないヤーフムの笑顔を前にして、この子なら大丈夫とカリナは微笑んだ。


「ねえねえ、もし僕が魔導士になって闘技会でヴァリダンさまと闘うことになったら、どっちを応援する?」

「そうねぇ、どうしようかなぁ」

「えー、僕を応援してよぉ」


 いたずらな笑みを浮かべて宙をみるカリナの隣で、ヤーフムは両手で机をたたいて拗ねて見せた。



― 了 ―









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