第10話
しばらくして立ち上がると、部屋を出て階段を下りていった。
「あら? どうしたの?」ちょうど買い物から帰ってきたところらしい。スーパーの袋を片手に持った佐々木がいた。
「どこにいたんだ?」俺の言葉を聞いた瞬間、彼女がびくっと震えたのが分かった。
「え? ちょっと友達の家に遊びに行ってたんだけど」
明らかに動揺しているのが見て取れた。「そうか」俺はそれ以上追及しなかった。
「ご飯まだだろ? 作ってやるよ」俺はキッチンに向かっていった。
「ねえ、拓海くん……」後ろの方で佐々木が何か言っているのが聞こえたが無視した。
「何が食べたい?」冷蔵庫の中を見ながら訊ねる。「何でもいいよ」「じゃあ適当に作るわ。テレビでも見ながら待っててくれ」そう言うと、俺は料理を始めた。
夕食を食べている間、俺たちの間に会話は一切なかった。佐々木は終始うつむいていて、時折こちらの様子をうかがっているようだった。
食事が終わると、俺は皿洗いをして、佐々木はそのままソファに座ってテレビを見ていた。「風呂入ってくる」そう言ってその場を離れた。
脱衣所で服を脱いでいると、ポケットに入れたままだった手紙のことを思い出し、取り出してみた。
改めて読んでみて思うのは、彼女の気持ちのことだった。俺のことを恨んでいるとか憎んでいたのなら、わざわざこんな手紙を残す必要はなかったはずだからだ。ということは、少なくとも彼女は俺に対して悪い感情を抱いてはいなかったということになるだろう。それがわかるだけでも少し気が楽になったような気がした。
お湯に浸かっていると、佐々木が入ってきた。俺は慌てて立ち上がったのだが、「そのままでいいよ」と言われてしまい、結局二人とも裸のまま並んで浴槽に入っていた。
沈黙が続く中、俺は言った。「話があるんだが、聞いてくれるか?」佐々木が静かにうなずいて答えた。
「佐々木はさ、母さんの妹の子供だったんだな」俺は最初から話し出した。佐々木は何も言わない。
「それで、佐々木は俺が生まれたときに一度会ってるんだって?」佐々木はまた小さくうなずく。
「なんで教えてくれなかったんだ?」
佐々木が口を開く。「それは……拓海くんが小さかったし、それに、会ったといってもほんの一瞬だけだったし……。だから、忘れてるんじゃないかと思って……」
俺は首を横に振った。
「正直言うと、全然覚えてなかった。でも、今日読んだ手紙を見て思い出した。それで、どうしてそのことを黙っていたのか、理由を知りたくなってな。それでここにきたんだ。理由はそれだけなのか?」
佐々木は目を伏せたまま黙り込んでいた。
「言いにくいことかもしれないけど、できれば本当のことを聞かせてほしい」
すると佐々木は顔を上げて、悲しげな表情を浮かべた。
「私ね……あなたのお母さんが好きだったの。大好きだった。だから結婚したかった。でも、結婚することはできなかった……」
「できなかったってどういうことだ?」
「私の両親は許してくれなかったの。拓海くんのお父様は良い人だったけれど、それでも反対されたわ」
そんなことがあったなんて知らなかった。初めて聞くことだった。
「それなのに、私が勝手にあなたを引き取ったりしたから……」
「だから、今までずっと黙っていたっていうのか?」
佐々木は無言でうなずいた。
「ふざけんな!」思わず叫んでしまった。浴室中に声が反響して、佐々木が驚いている。
「お前、自分のやってることわかってんのか!? 自分勝手すぎるだろ! それで、勝手にいなくなったと思ったら今度はこれかよ! いい加減にしろよ!」俺は怒鳴っていた。
「本当にごめんなさい……」佐々木はただ謝るばかりである。
「もういい」俺は立ち上がって風呂場を出ようとした。その時、背後から呼び止められた。「待って!」振り返ると、佐々木が必死にすがるような目でこっちを見つめていた。
「最後に一つだけお願いを聞いてくれないかな?」その言葉に俺は迷ったが、結局、佐々木の方へと戻っていった。
佐々木は微笑みながら俺の顔に手を伸ばすと、そっと頬に触れた。「ありがとう……」そして、次の瞬間には唇が重なっていた。佐々木の柔らかい舌の感触を味わうように、俺も彼女の口の中に侵入していった。
しばらくキスを交わした後、ゆっくりと離れていった。佐々木の目からは涙が流れ落ちていた。「幸せになってね」そう言って彼女は風呂場のドアから出ていった。
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