第3話 真実という罠

ファーガのプロフィールをコピーするとパソコンの電源を切り、食事に行く為椅子から立ち上がった。その瞬間、龍一は入口の方に目を向けた。ただその方を睨みつけている。


「龍一くん?どうかしましたか?」


「悪い、しばらく店の中にいてくれ。呼ぶまで出るなよ」


 輝を残し、店の外へ行く。そして去ろうとした男にベレッタを向け、発砲した。男は気づいていたらしく、銃弾を避け、龍一に銃を向けた。男はかつての仲間で親友だった人間だった。


「久しぶりだな」


「俺は会いたくなかったけどな。何でここにいる?俺達を尾行してたのか?」


「ああ」


「何の為に?俺を殺す為か?それとも早乙女輝を手に入れる為か?」


「半分当たりで半分外れだな。俺達が狙っているのは早乙女輝じゃない。攫おうとしたのは部下が勝手にやった事だ」


 つまり、龍一と輝は殺害の対象で、手に入れようとしているのは別の人物なのだ。しかし、どの道輝を狙っているのに変わりはない。チラッと店の中に目を向ける。輝は二人の会話に気づいていないらしく、店に置いてあるナイフや銃を見物している。今の龍一にとってはそれが救いだった。出て来られて本当の自分を見られてしまうのは怖い。それにこの男に輝を殺させる訳にはいかない。


「殺人鬼が人に成り下がったか。そんなにあの美人が大事か?」


「お前には関係ない。今すぐここから去れ。さもないと撃つぞ」


「裏切り者が減らず口を叩くな」


「裏切ったのは俺じゃない!お前だろうが!」


 そう、龍一は裏切ったつもりなどない。ただ解放されたかっただけなのだ。人を殺し続ける毎日から。


 最初こそかつてのボスに従っていたが、あの男の本当の目的は、誰でもいいから殺して財産、そして名誉と地位を手に入れる事だった。命がどれだけ大切かも分かっていない男だった。それを勘づいていた龍一はその男を既に信用しておらず、脱走する事を決めていた。この男もそれに賛同してくれて一緒に脱走しようと約束していた。親友だと思っていた。それなのに、この男は約束の時間になっても待ち合わせ場所へ来なかった。挙句の果てには部下を幾人か連れて来て龍一を殺そうとした。それこそ裏切り行為のはずなのに。ここまで堕ちてしまった男に寂しささえ感じる。


「ふん、そこまで言うならこっちに戻るか?」


「断る」


 それだけは出来ない。この男に裏切られ、一人日本に戻ったあの日からもう戻らないと心に決めている。すると、男が龍一に向けて発砲した。銃弾を避け、物陰に隠れると龍一はもう一度発砲する。それを繰り返している所へ蓮が瞬平を連れて戻って来た。


「ただいまー。え?龍一?」


「橘!何やってんだ!」


「邪魔が入ったか・・・」


 男は銃を収めた。龍一はまだ銃口を向けている。


「今日のところは退散させてもらう。だが覚えておけ、お前は俺が殺す」


 そう警告すると、男は去って行った。それを見てようやく龍一は銃を収める。大丈夫かと蓮と瞬平が声をかけてくる。被弾はしていないが、心には傷を負っていた。かつての仲間とあの日よりも最悪な再会をしてしまった悲しさと自分を裏切った怒りを押し隠す。正体を知っている二人の前で隠しても無理なのだが、二人はあえて気づいていない振りをしてくれた。店の中にいる輝を呼びに中へ入る。


「早乙女~、出て来ていいよ~」


「何かあったんですか?」


「あー、うん。ちょっと監視されてた。ずっと尾行してたらしい。ま、何とか追い返したけど・・・」


「どうされたんですか?顔色悪いですよ」


 すると、龍一は輝を抱きしめた。あまりにも強く抱きしめられたので、輝はジタバタと暴れるが、しばらくこのままで、と辛そうな声で言われ、暴れるのを止めた。いつもの逞しい体がかすかに震えている。怖い事でもあったのだろうか。


「・・・・んだ・・・」


「え?」


「あんたを失うのが怖い・・・!」


 輝には祖父がいるが、龍一には家族がいない。初めて逢った日、龍一は家族になろうと言ってきた。輝は冗談だと思っていたが、あれは龍一の本心なのかもしれない。何が原因なのかは分からないが、両親を失っている。そして心からの支えがないまま生きて来たのだろう。あんなに素晴らしい、多くの友人がいるというのに。そんな龍一を輝は愛おしく感じ始めていた。恋だとはまだ認めたくはないけれど。とても離れ難い存在になり始めているのは自分でも分かる。もとい離れるつもりはない。ずっと龍一の側にいるつもりだ。彼に黙って死んだりしない。だって輝は龍一のパートナーだから。


 パートナー。その言葉に龍一は戸惑った。輝に本当の事を言っていない。自分の正体も過去も含めて全てを話していない。それでも相棒と認めてくれるのか。言いたい事を察したのだろう、輝は少し暗い顔をしたが、すぐニッコリと笑う。


「貴方が誰だろうと構いません。龍一くんは龍一くんでしょ?それに僕を助けてくれた。貴方が優しい人だって事は僕が一番知ってます」


 その言葉が嬉しかった。さらにギュッと強く抱きしめる。輝は龍一の背中に手を回し、優しく撫でてやった。しばらくしてもう大丈夫だろうと思い、体を離そうとしたが、龍一は動かない。もうそろそろ放してほしいのだが。瞬平と蓮が戻って来たのは先程声が聞こえたので知っている。いつ中に入って来てもおかしくはないのでいつまでもこのままという訳にはいかない。そう考えていると、龍一の手が輝の腰を撫でた。思わず声を上げる。


「どこ触ってるんですか!放して下さい!」


「いいじゃん、二人にも見せつけてやりゃ。減るモンじゃないっしょ」


「で、でも・・・!」


「こら」


 いつの間にか中へ入って来た瞬平が龍一の頭を殴る。輝はこれまたいつの間にか入って来た蓮に抱き寄せられた。龍一は頭を押さえながら瞬平を睨みつける。


「・・・何すんだよ?神園」


「そりゃこっちのセリフだ。人の幼馴染に盛ってんじゃねえよ」


「お前だって滝さんに盛ったんだろ?」


「俺はそんなに手が早くない。ま、この前抱いたけど」


 輝は本当なのかと蓮に目を向ける。蓮は気にするなと輝の頭を優しく撫でている。そうしているうちに瞬平と龍一は口喧嘩を始めてしまった。言い争う二人を止めようか、オロオロしながら悩む輝だったが、蓮は気にしていないようでニコニコ笑っている。


「輝くん、あっち行こうか。昼飯まだだろ?いつまでもこんなとこにいたら馬鹿がうつるぜ」


「あ・・・はい」


 龍一と瞬平を残して、輝と蓮は奥にあるリビングへ向かった。時計を見ると二時を回っていた。バッグを置き、腕捲りをしてキッチンへ向かう。


「もう二時か。遅いから簡単なものでいい?」


「はい。あ、あの手伝いましょうか?」


「大丈夫だよ、座ってて」


 そう言われ、ポスンとソファに座った。ボーッとしている訳にもいかないので、持ってきたテロの資料を見返す事にした。パラパラとめくっているうちにいい匂いがしてくる。やがて蓮が皿を持って来た。


「どうぞ」


「いただきます。あ、あの滝澤さん、ファ―ガ・バレイクって人御存知じゃないですか?テロに加担している可能性があって・・・」


 蓮は顎に手を当て考えながらソファに座る。聞いた所では、過激な発言が尾を引いてハーバード大学を退職、家も引き払って現在はアメリカから姿を消したという話だが、テロに加担しているという噂は聞かない。FBIがそう睨んでいるようなので、何か情報を掴んでいるのではと輝は思ったのだが、さすがの蓮でもそこまでの情報を手に入れる事は出来なかったようだ。


「力になれなくてごめんな。すぐ調べてみるけど、何しろテロの情報は山程あるからな、見落としてるかもしれない。二人がNYに行ってその間に何か分かったら連絡するよ」


「お願いします」



 口喧嘩を終えた龍一と瞬平もファーガの件について話していた。彼の事については瞬平も調べたが、テロに加担しているという情報は入っていなかった。当の本人が行方不明扱いなので聞くのは無理と分かってはいるのだが、FBIが掴んでいる情報は間違いなさそうだ。現場で彼を見た人が何人もいる。


「もうちょい調べてみるわ。何か分かったら連絡する」


「頼む。あー、腹減った。滝さんに何か作ってもらお」


「橘」


 中に入ろうとした龍一を呼び止める。


「お前、本当の事話してないの後悔してるのか?」


 思わず龍一は瞬平を見る。


「どうなんだ?」


「・・・後悔してないと言えば嘘になる。不安なんだ、こんな俺が・・・殺人鬼だった俺が早乙女の側にいていいのかって・・・」


 誰だろうと構わない。先程はそう言われた。しかし、正体を明かしていない、幾度となく人を殺めてきた自分が本当に相棒で良いのだろうか。


「何不安そうな顔してんだよ?橘。あいつはそこまでヤワな奴じゃねえよ」


 それは勇造にも言われた。依頼を受けた時に。だが一度依頼を断った。龍一の手は何度も血で染まっている。これまで何人殺したか分からない。その度に人殺しと罵られた。その為に皆、龍一から離れていった。両親も自分のせいで死んだ。その事を輝が知ってしまったらと思うと、非常に怖い。すると、瞬平が龍一の頭を、今度はコツンと叩いた。


「だからそんなシケた顔すんじゃねえよ。たとえあいつがお前の正体を知って驚いたとしても嫌いになる訳じゃない。俺達だってそうだっただろうが」


 泣き虫ではあるけれど、意思の強い人間。それが輝だ。たとえ龍一が殺人鬼だったと知ったとしても側を離れないだろう。いらぬ心配をしてしまった。


「中入ろうぜ。お前も飯食ってねえだろ?」


「ああ」





 NYから約一時間、車で約二時間行った所にラスベガスはある。ディルは五年前に起きたテロを調査する為、車でラスベガスへ向かった。最大の難関をクリアして、なのだが。


 今回のラスベガス行きは、ジョンはもちろん上層部の許可を得て実現した。鬼と恐れられている本部長がよく許可してくれたなと思ったが。本部長のラルフ・レオナルドは父の長年の友人だ。妻を早くに亡くし、息子二人も一人立ちし、現在はそれぞれイギリスとフランスで働いている。ラルフはディルを本当の息子のように可愛がってくれている。たまに家へ赴くし、彼もディルとレイの家によく遊びに来ている。厳しいように見えて実は寂しがり屋なのだ。五年前のあの日、ラルフも現場にいたが、何も出来なかった。それにカールからディルの事を頼むと言われていた。息子同然に思っていてくれるからこそ許可してくれたのだろう。


「ありがとうございます、本部長」


「いつ出発するんだ?」


「明日の朝早く出ようと思っています」


「そうか、気をつけて行けよ」


「はい」


「で、レイには言ったのか?」


 痛い所を突かれた。話すには話したのだが反対されている。ラルフは何となく予想はしていたようで苦笑している。


「君の怪我とファーガの事で少し不安定になっているからな。彼の気持ちが分からないでもないが・・・」


「帰ってからもう一度話してみます」


 そう、最大の難関はレイだった。テロの調査でラスベガスに行くと伝えると、行くなと真っ先に反対されたのだ。何回か説得したが効果はなく、しまいには自分も行くとまで言い出した。レイと暮らし始めてもう四年になるが、大きな喧嘩はほとんどしていない。小さな喧嘩はたまにするが、すぐ仲直りしてしまうので、ここまで長引いたのは初めてだ。


「ただいま」


「お帰り。夕飯出来てるぞ」


「あ、うん」


 いつものように笑顔でテーブルに皿を並べている。説得するなら今しかない。スーツのまま鞄を置いてレイの側に寄る。ラスベガス行きの話題を振ると、予想していた通り睨みつけられた。


「・・・どうしても行かないといけないのか?」


「首謀者まだ捕まってないんだ。今回の同時多発テロやLAテロとの関連も調べておきたいし」


「だったら私も行く」


 またこれだ。いつまたテロが起きるか分からないのに。レイは仕事柄慣れているというが、ディルもFBI捜査官としてテロと隣り合わせの生活をしているので慣れている。だからといってレイを連れて行く訳にはいかない。


「私が行ったら迷惑なのか?」


 上目遣いで再び睨みつけられる。普通なら折れるところだが、今回だけはそうはいかない。もちろん迷惑ではないけれど。テロさえなければ連れて行きたいが、今はどこへ行っても何が起きるか分からないのが現状だ。それはジャーナリストのレイも分かっているはず。ここで大人しくしておいてほしい。レイの状態がいかに不安定か分かってはいるのだが。ラルフの言うように、ディルがファーガに撃たれてからレイは少し不安定になっていたが、これは今に始まった事ではない。七年前に家族を目の前で失った直後に情緒不安定になってしまったのだ。それからというもの、ディルがまれに大怪我をすると不安な表情を見せたり、涙を流す事がある。ジョン曰くたまに起きていた症状だったらしいのだが、ディルと出逢い、一緒に暮らし始めてから頻繁に起きている。最初こそディルは気づかなかったが、最近ではなるべく不安にさせないよう、怪我をしても治療をしてから帰るなどの対策を行っている。それで少し治まったと思ったが甘かった。何より学生時代の先輩が一緒に暮らしている友人を撃ったという事実がレイの不安をより煽っている。


「大丈夫。必ず帰ってくるから、な?行かせてくれよ」


「・・・分かった。けど条件がある」


「条件?」


 何だろうと首を傾げるとレイがクイクイと手招きをする。側に寄ると右腕を目一杯抓られた。まだ完治していないのに何をするのか。


「怪我したらちゃんと治療してから帰って来る事、いいな?」


「分かった。・・・ていうか、それいつもやってるし・・・」


 後の方を小声で呟くとまたもや睨まれた。


「・・・何か言ったか?」


「いや、別に」


 というわけで、OKをもらって出発したのだ。まぁ、こちらも条件をつけさせてもらったが。二時間程してようやくラスベガスに到着した。車を駐車場に止め、調査を開始する。 




 その頃、リハビリを終えたレイをジョンが迎えに来ていた。これがディルの出した条件だ。戻って来るまでジョンに送り迎えしてもらうという事。


「何言ってるんだよ?一人で大丈夫だぞ」


「ダメ。さっきも言ったけど何かあるか分からないし、あんたを狙ってる人多いんだから、気をつけた方がいい」


「何を気をつけるんだ。三十を過ぎた男を狙っても得しないだろ」


 これがディルの最大の悩みだった。知り合ってから四年、レイは自分がどれだけ美人か気づいていない。一緒に暮らす事を決めた時、ファーガに忠告されていた。


『ディル、レイによく言い聞かせておけよ。言い寄って来る男には気をつけろって』


『え?別に俺が言わなくても大丈夫だと思うけど・・・』


『あいつは自分がどれだけ美人か気づいてないんだよ。俺が言っても全然聞きやしない。君が言ったら聞くと思うんだけどな』


『分かった』


 それから何度か忠告したものの、鈍すぎて全く効果がなかった。とにかくリハビリが終わったらジョンに送ってもらう約束を取り付けさせた。


 レイは渋々了承したがどうしても納得がいかず、溜め息をついた。ジョンが迎えに来て悪いという訳ではないが、ディルがあんなに心配性だとは知らなかった。他人の事ばかりで自分の事は全く心配していないくせに。愚痴を零すとジョンはハンドルを回しながら苦笑している。


「それだけお前の事を考えているんだ。理解してやれ」


「してますよ。てか狙っている人が多いって・・・私を狙っても得しないのに」


「お前な、自分がどれだけ美人か分かってないだろ」


「え?」


 目を丸くしてジョンを見るレイ。どうやら分かってないらしい。レイにぞっこん惚れているディルが可哀想になり溜め息をつく。これでよく三十一年も無事でいられたと思う。言い寄ろうとしてもレイは有名人の為、皆口には出さないようにしていたのだろう。特にディルも。まだ告白していないとは聞いているが早く言わないと誰かに持って行かれてしまうだろう。こっちとしては成り行きがどうなるか面白くて堪らないのだが。





 当のディルは、ラスベガスの繁華街で聞き込みを行っていた。ファーガの件も含めて。しかし、LAテロの犯人は見たと皆言っていたが、ファーガを見たという人は誰一人いなかった。テロに加担している事は確証済みなのに。そうこうしているうちに父が亡くなった現場まで来ていた。途中で買った花を供える。五年たったとはいえ、あのテロは未だ人々に衝撃を残しているようで花を供える人が後を絶たない。それを物語るように、道端にたくさんの花が置かれている。祈りを捧げていると、一人の男性に声をかけられた。


「ディル?ディルじゃないか」


「ハリス捜査官」


 ハリス・アーヴェン。FBI捜査官で、亡き父の友人だ。現在はこのラスベガスにある支局に勤めている。そろそろ戻ったら来たらどうだとラルフが連絡を入れていたはずなのだが。


「まだこちらにおられたんですか」


「私もここでのテロがちょっと引っかかっていてね。本部長にはそろそろ戻って来いと言われたんだが、残って調査していたんだ」


「そうですか」


「・・・どうした?元気ないな」


「いえ、ちょっと・・・」


「少し話そうか、時間あるか?」


 二人は近くのカフェに入り、コーヒーを頼み、窓側の席に座った。ディルはラスベガスのテロ、LAテロ、NYでの同時多発テロとの関連を調査する為にラスベガスに来た事、知人がテロに加わっている事を打ち明けた。


「成る程、本部長が連絡してこられたのはそういう理由だったのか」


「はい。それで、そのテロに加わっている知人・・・ファーガ・バレイクなんですが、ハリスも御存知ですよね?俺と一緒に暮らしているレイ・クロード」


「ああ、お前が惚れてる美人ジャーナリストだな。まだ告白してなかったのか。彼がどうかしたのか?」


「そのレイの学生時代の先輩なんです。俺も親しくしていたのでまさかと思ったのですが・・・」


「厄介だな、そりゃ。それにここでのテロとNY、LAでのテロとの関連がない訳じゃない」


 それもそうだ。どれも手口があまりにも残忍過ぎる。ディルは膝の上で両手を握りしめる。頭の中にここでの惨劇が甦る。無残に広がる無数の死体、その中に混じった父の死体―。


「ディル、ここでのテロでカールが死んだのはお前のせいじゃない。私達もどうする事も出来なかったんだ」


 心の傷が癒えていないのはディルだけではない。ラルフもハリスも、ここでの捜査に加わっていた捜査官達も未だに自らを責めている。皆が現場に駆け付けた時には悲惨な状況になっていた。あれから誰もが自分を責めていた。ディルのせいではない。それは分かっている、分かっているが。自分がもっとしっかりしていれば、カールに早く異変を知らせておけばと今も思う。母もディルのせいではないと言ってくれたが、どうしても自らを責めてしまう。こんな事言うなんて捜査官失格だろう。とはいえ毎日後悔している。レイにはもう大丈夫だと言っているが。ハリスもラルフもいつも後悔しているのかもしれない。特に大親友だったラルフは時々悲しそうな顔をしている。



 その後ハリスと別れ、ディルはもう一度テロが起きた現場へ行った。


 ハリスには言わなかったが、実はもう一つ引っかかっている事があった。ファーガはレイを連れて行こうとした。一体どういう事なのか。レイはファーガが彼が欲しがっていると言っていたと話してくれた。彼とは一体誰なのか、ファーガとはどういう関係なのか、その彼に言われてテロに加わったのか、謎が多すぎる。そういえばLAテロの犯人も彼に命令されたと言っていたような気がする。


「・・・待てよ?ファーガが言ってた『彼』が首謀者って事か・・・?」


 LA、同時多発テロもその彼が計画、実行したのだろう。ラルフに報告する為、車に戻り通信を入れる。


「本部長、ディルです」


『何か分かったか?』


「LAでのテロの犯人を見たという人は大勢いましたが、ファーガを見たという人はいませんでした。ただNYでのテロ同様関連はありそうです」


『そうか、御苦労』


「あと、もう一つ気になる事があるんですが・・・」


『何だ?』


「レイから聞いたんですが、ファーガが『彼が欲しがっている』と言っていたそうなんです。おそらくその『彼』が首謀者かと」


 名前は言っていなかった。LAテロの犯人も名前に関しては黙秘していると、先程ジニーに電話して聞いてみたところ、そう言っていた。その彼に命令されたのだろう。確定は出来ないが。その時、背後に人の気配を感じた。


「すみません、一旦切ります・・・!」


 振り向き様に銃を向いて構える。相手は既に銃口をこちらに向けていた。誰だか理解するまで数秒かかった。黒のポロシャツとジーンズという黒一色を身に纏ったこの男、ファーガだった。何故ここにいるのか。


「気づいてなかったのか?ずっとお前を尾けてきたんだぞ」


 そういえば、こちらへ向かう途中、車のバックミラーにすぐ後ろを走る車が映っていたし、調査の最中もやたらと視線を感じたが、どこぞの物好きだろうと気に留めていなかった。まさかファーガだったとは。いつもならすぐ気づくのに迂闊だった。


「気配に敏感なはずのお前が気づかないとはな。レイの事でも考えてたのか?」


「煩い!」


『おい、ディル。どうした?』


 ラルフの声が聞こえる。通信を切るのを忘れていた。急いで通信を切ろうと通信機に手を伸ばしたが、その手はファーガに掴まれた。振り払おうとするが、レイ同様細い体つきをしているディルでは体格の良いファーガには敵わない。ファーガはディルの手を片手で掴んだまま、銃口を左肩に向け引き金を引いた。つんだくような銃声が辺りに響く。ディルは左肩を抑え、キャディラックに寄りかかりズルズルと座り込んだ。


『ディル!何があった!』


「親玉か。次からは背後の気配に気をつけるよう教育しとけ」


 ディルとは違う声が聞こえ、ラルフは息を飲む。


『その声は・・・まさかファーガ・バレイクか!』


「そのまさかだ。悪いがディルは預からせてもらう」


 それを聞いたディルはファーガを睨みつける。ディルを人質にしてどうするのだろうか。本当の狙いはレイのはず。


「確かに狙っているのはレイだが、今回の標的はお前だ。いや、正確にはFBI本部長か」


「・・・何が言いたい・・・!」


「あの男はお前の父親代わりだろ?お前を盾にすれば要求を飲まざるを得ない。何よりここでのテロに加わっている俺が言えば余計に、な」


 耳を疑いたくなった。ここ、ラスベガスで起きたテロに加わっていたという事は、ディルやジョンと知り合う以前からテロリストと手を組んでいたという事だ。そしてディルの父親を殺害したのはファーガだという事―。その事はラルフの耳にも伝わっていた。親友を殺された怒りとその犯人がファーガだと知った戸惑いとの感情が入り乱れる。それと同時にディルの状態も気懸りだった。通信機越しで会話をしているので確認する事は出来ないが、おそらく重傷だろう。このままでは、息子同然に可愛がっている部下が殺害されてしまう。ラルフはグッと通信機を持つ手に力を入れた。


「・・・要求は何だ?」


「本部長・・・ッ!やめて下さい!」


 それを遮るようにファーガが口を開いた。


「ハワイ沖の刑務所にテロリストが数人投獄されているだろう?」


 ファーガの言う通り、ハワイ沖の刑務所には多くのテロリストが、同時多発テロの計画に加担したという罪で投獄されている。同時多発テロへの関与は否定しているが、その他のテロ事件に加担していた事は認めている。


「全員解放しろ。さもなくばディルの命はない。期限は一週間だ。それまでディルは預かる」


「・・・分かった」


「本部長!」


「静かにしてろ」


 ファーガは、ディルの完治したばかりの左足に向けて発砲した。激痛が全身を駆け巡る。左肩と左足からドクドクと血が溢れ出す。止血したいが体が動かない。意識が薄れていっているのも感じる。途端にレイの顔が頭に浮かんだ。


『怪我したら治療してから帰って来る事、いいな?』


―ごめん、レイ・・・約束・・・守れそうにない・・・―


 そこで意識が途切れ、ディルは地面に倒れてしまった。ファーガは意識を失ったディルを担ぎ上げ、もう一度ディルの車に顔を向ける。


「他の連中に伝えておけ。ディルを救出しに来るのは自由だが、俺達の爆弾の餌食になるってな。じゃあ回答を待ってるぜ、ラルフ・レオナルド」


「待て!ディル!・・・・ディル――!」


 声はもう聞こえない。ラルフはデスクに寄りかかった。顔は完全に青ざめている。それを、報告書を提出しに来た捜査官の重鎮の一人、アラン・ロドリゲスが見つけ、慌てて駆け寄った。


「本部長!どうされました?」


「・・・アラン、今すぐ捜査官を全員呼び出してくれ。あとレイもだ。ディルが・・・ディルが捕まった・・・!」





 大学の図書館で論文の構成を練っていた龍一の携帯に輝から電話がかかってきた。緊急の用だという。何事かと思ったら、出発を早めるのだとか。NYに行くのは二週間後にしようとつい先日決めたばかりなのにどういう事なのだろうか。さらに話を聞いてみると、大変な事になってしまったという。何かあったのだろうか、輝の只ならぬ声に足を止める。


「調査に協力してくれる、FBIのディル・ローウェン捜査官が連れ去られたんです。例のファーガ・バレイクに・・!」


「・・・ッ!それで?」


「FBIの情報によると、二か所撃たれて重傷、一刻を争う状態だそうです。救出にも協力してほしいとお祖父ちゃんに連絡がありました」


「分かった。すぐ行くから資料用意しといて!」


「はい!」




 ディルが拉致された―その事はFBI、そしてレイに大きな衝撃を与えた。レイがそれを知ったのは、リハビリを終え、ジョンの車で帰宅する途中だった。ピピピッとジョンの携帯が鳴る。車を脇に止めて、携帯を耳に当てる。


「もしもし。おう、アランか。どうした?・・・・何・・・・?」


 急にジョンの顔が険しくなる。助手席のレイは何事だろうと首を傾げる。すぐ戻ると伝えて電話を切ると、再びエンジンをかけた。やはり何かあったようだ。


「今から本部に戻る。レイも連れて来いだそうだ」


「私も?どうして?」


 レイがFBI本部に行くのは、ディルが泊まる時に着替えを持って行ったり、差し入れを持って行く時だけだ。一体何があったのか。ジョンはしばらく黙り込み、重たく口を開いた。


「・・・ディルが攫われた・・・!」


「え・・・・?」



 数分して集まった捜査官達はラルフから一部始終を聞かされた。ラスベガスで報告をしている時、ファーガ・バレイクに撃たれた事、抵抗もままならないまま連れ去られてしまった事を。ディルの部下達はオロオロし出し、ジニー達同僚は驚きを隠せず、ディルを可愛がっている重鎮達は顔を青くしている。レイは二度もディルがファーガに撃たれた事を知って泣きそうな顔をしている。ジョンはそんなレイの肩に手を置いている。さらにラルフはディルを死なせたくなかったら、ハワイ沖の刑務所からテロリストを解放するよう要求してきた事を伝えた。一週間後には回答しなければならない事も。二週間後にやって来る龍一と輝の出発を早めるよう、勇造に伝えたのもラルフだ。皆助けたいに行きたいが、無闇に動いてしまってはディルの命が危ない。テロリストは解放するつもりはないが、どうするかは上層部で判断する事にした。その他の捜査官は通常の任務に専念するよう命令した。辛くてそれどころではないと分かっているが、今はそうするしかない。


 解散した後、レイはジョンと共に本部長室へ行った。ラルフはようやく落ち着いたようだが、まだ顔色が悪い。それはレイとジョンも同じだった。


「レイ、よく来てくれたね」


「ディルは・・・ディルは大丈夫なんですか?」


「・・・何とも言えん。二か所も撃たれたようだからな、命に別条はないと思うが・・。抵抗出来なかったようだ。ラスベガスのテロに加担していたと聞かされて・・」


「では、ディルの父・・・カール副本部長を殺害したのは・・・ファーガ・・・という事ですか?」


 ラルフは静かに頷いた。レイは信じられないと目を瞠る。


『大丈夫、必ず帰って来るから』


『何があってもレイの側を離れない。約束する』


 ディルの優しい言葉が甦り、レイの瞳から涙が溢れ出す。


「・・・帰るって・・・必ず帰って来るって・・・側にいるって・・・約束してくれたじゃないか・・・!なのに・・・どうして・・・!」


 ラルフは崩れ落ちてしまったレイを支え、ソファに座らせた。


「レイはしばらく私の家にいてもらう。ディルと住んでいる家はファーガも知っているようだし、何があるか分からないからな。ジョン、周辺の警備を強化しろ。ラスベガス支部にも応援を頼んでくれ」


「はい」





 警視庁でも会議が行われていた。参加者は勇造と手島、輝、龍一、蓮の五人だ。机の上には資料が山のように並べられている。手島によると、FBIの情報官から連絡があり、ディルはラスベガステロについて調査報告中、ファーガ・バレイクに撃たれて意識を失った後連れ去られたと言っていたらしい。抵抗しなかったのだろうか。二か所撃たれたとはいえ、動こうと思えば動けたはず。輝だけでなく、龍一と蓮も疑問に感じていた。


「しなかったんじゃなく出来なかったらしい。自分の父親を殺害したのがファーガだと知ったようでな。ファーガはハワイ沖の刑務所からテロリストを全員解放しろと要求してきたそうだ。一週間後に回答しなければならないらしい。本当の狙いはディル捜査官の同居人なんだそうだが、今回はFBI本部長が彼の父親代わりと知って狙いを変えたようだ。その同居人は、今はFBI本部長の家に身を寄せているそうだ。残念ながらファーガのアジトの場所もディル捜査官の居場所も掴めていない」


 それは蓮も同様であらゆる情報網を駆使し調べたが、満足のいく結果は出なかった。ディルを知っているという情報屋にもテコを入れてみたが、携帯に電話しても繋がらないという。


―予言者が動いたとなると、奴も手を動かし始めたに違いない。どうするか・・・―


 手島の話を聞きながらそんな事を考えていると、輝が心配そうに顔を覗き込んでくる。元気がないと思ったのだろう。何でもないからと頭を撫でてやり、蓮に顔を向ける。


「滝さん、ファーガ・バレイクについて他に何か分かった?」


 蓮の答えは興味深いものだった。今どうしているかに関しては収穫ゼロ。ハーバード大学にもテコ入れをしてみたが、誰も彼がどうしているか全然知らなかったという。ただ過去のデータを見ていて気になる事があった。同時多発テロが起きる数ヶ月前、ファーガに講演会の依頼が来ていた。イスラム教徒の集会からミッションスクールまで色々な所から。ところが全てキャンセルしている。理由は急な仕事が入ってアフガニスタンに行かないといけないから。そこで念の為と片っ端から彼を知っている人にメールを送って聞いたみたところ嘘八百。その時期に仕事を入れているとは聞いていなかったという。テロに加担している事も知らなかったようだ。ラスベガスでのテロに関わっていた事すら知らなかったらしい。という事はおそらく、いや間違いなくクロだろう。


「ともかく時間がない。二人共、すぐNYに飛んで救出、調査に協力してくれ」


「うん」


「了解」


 龍一と輝は準備の為、早目に帰宅する事にした。龍一が運転する車の中で、輝は資料を何度も見返している。


「早乙女」


「はい」


「・・・ごめんな」


 いきなり謝罪され、輝は目を丸くする。


「俺、本当の事話してないし、今回の調査だって親父さん亡くして辛い思いしてるのに巻き込んで・・・」


「何を仰ってるんですか?龍一くんが謝る事じゃないですよ。元はと言えばお祖父ちゃんが依頼したんですから。そりゃあ、父さんがあんな形で死んだのはショックでしたけど、いつまでも沈んでる訳にはいかないでしょう?それに・・・言ったじゃないですか、僕は貴方が優しい人だって知ってるって」


「・・・ありがとう、早乙女」


「いいえ。・・・あの・・・」


「何?」


 赤信号になり車が止まる。龍一は輝の方に顔を向けた。輝はしばらく黙っていたが、意を決して口を開く。


「その呼び方やめていただけませんか?僕だけ名前で呼ぶなんて変でしょう?」


「え?俺は別にこの呼び方嫌いじゃないんだけど・・・」


「僕が嫌なんです」


 目を丸くしてこちらを見ている。好きだとは言わなかった。顔が赤くなっているのでおそらくバレているのだろうが。しばらく沈黙が続いたが、やがて龍一が口を開いた。


「やっぱまだ呼ばない」


「え?」


「だって、惚れたって言ってもちゃんと告白した訳じゃないしさ。それなのにあんたの事を名前で呼ぶ訳にはいかない。もう少し時間くれよ」


 告白ならば初めて逢った日に輝の家でした。家族になろうと言ってきた上に、押し倒して首筋を舐めたのに何を言っているのか。


「あんなの告白のうちに入んないよ。あんたは嫌がってたし、あれ以上無理強いするのもどうかと思って・・・」


「嫌じゃなかったですよ、僕」


「へ?」


「・・・あ・・・・」


 思わず本当の事を言ってしまった。またも二人の間に沈黙が流れ、龍一はマジマジと輝を見つめる。輝はオロオロしながら必死に弁解した。


「い、今の忘れて下さい!そういうんじゃ・・・!」


 やがて車は輝の家に着く。ブレーキをかけると、龍一は運転席から身を乗り出して輝をギュッと抱きしめた。


「嫌じゃないなら期待するよ、輝」


「こ、こんな時だけ名前で呼ばないで下さい!」


 耳元で囁かれ、慌てて龍一の体を押し返す。そろそろ帰るからと中に入ろうとしたが、龍一に呼び止められた。


「早乙女」


「は、はい」


「必ずディル・ローウェンを助け出そう。俺はもう・・・大切な人が傷つく姿を見たくないんだ」


「龍一くん・・・」


 輝が呼び止めるより先に、龍一はセダンを発車させた。バックミラーに輝の姿が小さく映る。ジッとそれを見つめていたが前を向き、自分のマンションへと帰っていった。去って行くセダンを見つめている輝を帰宅した勇造が見つける。


「輝」


「あ、お祖父ちゃん。お帰りなさい、早かったんだね」


「会議が早目に終わっての。ありゃ龍一くんの車か」


「う、うん。送ってもらった後、ちょっと話してたから・・・」



 家に入って輝は背広を脱ぎ、夕飯を作る為キッチンへ向かおうとするが、勇造に止められた。


「輝、ちょっと座りなさい」


 言われるままにソファに座る。勇造も輝の隣りに腰を降ろした。


「何?」


「龍一くんの事なんだが・・・」


「龍一くんが・・・どうかしたの?」


 勇造はそれには答えず、龍一の側を離れてはいけないと忠告した。調査とはいえ、何が起きるか分からない。輝は離れるつもりなどない。そう祖父に告げると、彼は頷きつつ、目を丸くする。輝も我に返り視線を泳がせる。今、とんでもない爆弾発言をしてしまった気がする。これでは龍一の事が好きだと丸分かりだ。告白された事は話していないが。どう弁解しようかとしどろもどろしていると勇造が口を開く。


「何だ、もう付き合っとるのかと思ったが、まだだったのか」


「へ?お祖父ちゃん、気づいてたの?」


「何を言っとる。ほとんどの人間が気づいとるぞ」


 という事は手島や部下達にも気づかれているという事だ。途端に顔が赤くなる。普段鈍い、鈍いと言われているが、自分ではここまでのものとは思わなかった。


「で、でもさ、龍一くんから離れるなって・・・どういう事?」


「離れる気がないならいい。話はそれだけだ」






 マンションに帰った龍一は、窓の外を眺めながら電話をかけていた。


「明日出発します。状況は先程報告した通りです。・・・ええ、分かっています。それでは」


 電話を切ると、携帯をテーブルの上に置き、ソファに座る。そして静かに目を閉じた。


「・・・親父、母さん。もう少し待っていてくれ。必ず敵は取る。そうしたら・・・そっちに行くから」




 それには全てにケリをつけなければならない。今回のテロの調査、自らの醜い過去、父と母の死、あの男、以前の組織との確執、そして輝との関係に。 

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