第2話 ファーガ・バレイク

アメリカ合衆国。FBIでも同時多発テロの調査で慌ただしく動き回っていた。捜査官の一人で、テロ対策部に所属しているディル・ローウェンも例外ではない。部下に指示を出しながら自らも現場へ赴く日々が続いている。今日も朝から現場に行っていて、FBI本部に戻った時には午後の八時を回っていた。


「よう、お疲れ」


 テロ対策部部長で直属の上司であるジョン・ロナウドが声をかけてくる。亡き父の部下だった人で、ディルをテロ対策部に勧誘した張本人だ。


「お疲れ様です」


「どうだった?」


「今の所は何も・・・」


「そうか。ま、まだ時間はある。じっくりと調査するしかないな」


「ええ」


 そこで、ディルの携帯が鳴る。


「すみません、ちょっと・・・。もしもし。レイ?どうした?」


『いや、何でもないんだが・・・。今日も遅いのか?』


 毎日遅くに帰宅しているので不安になったのだろう。声から寂しさが伝わってくる。可愛いなと思いつつ、安心させるように優しく応答する。


「大丈夫、もう上がれるよ。九時頃には着くと思う」


『分かった。夕飯は?』  


「用意しといてくれ。久しぶりにレイの手料理食いたいから」


『ああ、お前の大好物用意しといてやるよ。じゃあ』


「お、愛しの恋人か?」


 電話を切ると、ジョンがからかってくる。


恋人―まだそこまで進展していないが、ディルには同棲中の友人がいる。レイ・クロードという男性だ。五歳年上のフリージャーナリスト。ジョンも親しく、よく家に遊びに来ている。現在、車椅子生活に慣れたものの、歩けるようになるにはまだ時間がかかる。焦っても仕方がないのでしばらく様子を見る事にしている。


「じゃあ俺、そろそろ帰ります」


「おう、レイによろしくな」





 愛車のキャディラックRXを走らせ、LAにある自宅へと帰った。車の音を聞きつけたのか、レイが出てくる。


「お帰り」


「ただいま」


 二人は抱き合ってキスを交わすと中へ入った。ディルはスーツを脱ぎ、ポロシャツとジーンズに着替え、リビングへ行った。レイはテーブルに夕食を並べている。電話で言っていた通り、今日のメニューはディルの大好物のビーフシチューとサラダ、焼き立てのパンだった。


「何か変わった事なかった?」


「ああ。お前の方は?」


「今んとこ収穫ゼロ」


 話を聞いてレイの顔が暗くなる。


「大丈夫、俺はレイの側にいるから」


「ありがとう・・・」


 クスッと笑うと、ディルはレイの髪を撫でそっとキスをする。


「こら、くすぐったいぞ」


「いいじゃないか。レイの髪綺麗なんだし。あー、癒されるー」


「年上の髪で遊ぶな。さ、食べよう」


「そうだな。いただきます」





 二人の出会いは五年前に遡る。レイはジャーナリストとしてテレビや雑誌で活躍しており、ディルはFBI捜査官としてはまだ駆け出しの時期だった。とはいうものの、父親譲りの才能がすぐ開花し、数ヶ月のうちに上層部が一目置く程の捜査官に成長していった。


そんなある日、パレスチナで起きたテロの資料に目を通していたディルの所へジョンがやって来た。


『ディル、この後時間あるか?』


『構いませんけど、何です?』


『会わせたい奴がいる』


 夕方仕事を終え、二人はレストランへ向かった。よく上層部と食事をする高級メキシカン・レストランだ。奥の席へ行くと、一人の男性が本を読んでいた。


『すまん、レイ。遅くなった』


『お久しぶりです、ジョン』


 ディルはその男性を見て目を瞠った。少し長めの、明るい色の茶髪に整った顔立ち。女性かとも思う細い体つきをしている。ディルもそれなりの美形だが、それ以上に美しい男性だった。しばらく見惚れていたが、ジョンに小突かれて我に返り、席に着く。


『紹介するよ。彼は私の知人のレイ・クロード、ジャーナリストだ』


『初めまして』


『レイ・クロード・・・え?もしかして、パレスチナで起きたテロの写真を撮ったあの?』


 瞬時に先程まで見ていたテロの写真が頭に浮かぶ。そういえば端の方にR・Cのイニシャルが刻まれていた。


『ええ、撮ったのは私です』


『ディル、それだけじゃない。アフガニスタンの写真も、前にお前が担当したNYの殺人事件の現場写真も彼が撮ったんだ』


『そっか、どっかで見た事あるなと思ったら撮ったのあんただったんだ。まだ若いのに凄いな』


 ディルの見当違いな発言にジョンは頭を掻きながら苦笑する。


『あー、ディルあのな、レイはお前より五つ年上だぞ』


『え?ご、ごめん!二つか三つ下だと思ってた・・・』


『気にしないでくれ。こんな顔だからよく間違われるんだ』


 やがてボーイが料理を運んでくる。プライベートでもよく訪れるジョンがセレクトしていたらしい。祖父がメキシコ系アメリカンだったディルもよく口にしていた料理だった。レイの口に合わないのではと心配したが、祖父母がメキシコ出身でよくこの店にも来るらしい。


『ところでジョン。俺を連れて来た理由は何です?』


『そうだ、忘れていたよ。お前、三ヶ月前の事件覚えてるか?』


 忘れられる訳がない。あれはLA、いや全米を震撼させた事件だった。自らを爆弾魔と名乗るテロリストが白昼堂々、街を行きかうバスに向けて爆弾を投げつけ、爆破させたのだ。それだけではなく、歩く人々にまで爆弾を投げつけたり、ナイフで刺したりと残虐な行為を行った。死者四十二人、重軽傷者は何万人と上った大事件だった。ディルも捜査していたのでよく覚えている。あの事件がどうしたというのだろう。


『その時にレイと会ってないか?』


『え?』


 もう一度三ヶ月前の事件を思い出す。LAの高層ビルの前。逃げ惑う人々。血だらけで倒れている女性。人々を追い回すテロリスト。その様子にカメラを向ける男性。


『カメラ?・・・あ!』


 事件現場でカメラを向ける男性、それがレイだった。偶然にもカメラを見つけたテロリストはレイも殺そうとしたが、間一髪のところでディルが助けたのだ。あの時は名前も職業も分からなかったが。


『あんただったんだ、あの時のカメラマン・・・』


『ああ。どうしても礼が言いたくて、ジョンに頼んだんだ。あの時はありがとう』


『いや、そんな・・・』


 何だか照れてきて頬を赤く染める。





 やがてお開きの時間となり、三人は店を出た。


『ディル、レイを送ってやれ。私は急用で本部に戻らにゃならん』


『え?いや、俺も報告書が・・・』


『それは明日でいい。レイがお前と話したがってるしな』


 心細そうにレイがディルを見つめている。確かにこんな美人を一人で帰らせるわけにはいかない。昼間ならまだしもこんな暗闇の中はいくら車が走っているとはいえ以ての外だ。車の通りが多い歩道の隅を歩きながら、ディルとレイは帰路に着いた。


『レイはどうしてジャーナリストに?』


『ジャーナリストだった父の影響かな?私が本や写真を好きなのを知っていて勧めてくれたんだ』


 さらに大変だが、充実しているとも話してくれた。あれだけ素晴らしい写真が撮れるのだ。努力の積み重ねの結果だろう。


『ディルは?どうしてFBIに?』


『親父が副本部長でさ、親父に憧れて入ったんだ。一部には親の七光りだって笑われたけど、親父に負けない捜査官になろうと必死に努力した。親父はもういないんだけど』


『どうして?』


『・・・五ヶ月前のテロ、覚えてる?』


『ああ。確かラスベガスの繁華街で起きたテロだよな。一般市民も巻き込んだ自爆テロで死者は数百人を超えたって。私はテレビのニュースで知ったんだけど、それが?』


 レイの言う通り、五ヶ月前、ラスベガスで大規模な自爆テロが起きた。死者は数百人を超え、行方不明者も多数出た。ディルは固く拳を握りしめ、立ち止まった。怒りを抑えるかのように。それに合わせてレイも足を止める。


『ディル?』


『・・・そのテロで親父は死んだ』


『え・・・』



 あの日、マフィアが麻薬を売買しているという情報が入り、ディルの父・カールは部下を連れてラスベガスへ摘発に行っていた。その現場がテロの起きた繁華街だった。ちょうどディルもジョンと共に、別の事件の捜査でラスベガスに赴いていた。テロが起きる直前、カール達と後で合流して夕食を食べようと連絡を取り合った。しかし、それが父との最後の会話となってしまった。犯人を逮捕した直後、繁華街で自爆テロが起きたのだ。実はディルは、やけに武装していてフラフラしているイスラム系の男に気づいていてジョンに進言していた。ジョンも怪しいと思っていたらしく、後で職務質問をしようという事にしていた矢先の出来事だった。二人が駆け付けた時、繁華街は悲惨な状況になっていた。あちこちで火の手が上がり、レスキュー隊が消火活動を行っていて、カール達は血まみれで倒れていた。部下の一人はかろうじて一命を取り留めたが、もう一人の部下とカールの息は既になかった。


 レイは息を飲んだ。尊敬していた実の父をテロで亡くしたディルの悔しさと怒りは測り知れない。


『ごめん・・・。こんな話聞きたくないよな・・・』


『そんな事・・・。でも、自慢のお父さんだったんだろ?だったらきっと・・・たとえテロで亡くなったとしても後悔してないんじゃないのかな?』


 思わずディルはレイを見る。


『これは私の憶測だけど・・・。きっとお父さんは、最期のその時まで巻き込まれた人達を助けようとしていたんじゃないのかな?一人でも多くの人を助けようと。そういう人だったんだろ?ディルのお父さんは』


 ディルの脳裏に父との思い出が甦ってきた。人一倍厳しく、人一倍優しかった父、そして誰よりも命の大切さを知っていた。だからきっとラスベガスのテロでも、自ら重傷を負いながらも事切れるその瞬間まで、彼は誰かの命を、多くの命を守ろうとしたのかもしれない。それを考えると、少し気分が晴れたような気がした。五ヶ月間ずっと自責の念に駆られていたディルにとって救いの言葉だった。思えばレイに恋心を抱き始めたのはこの時からだったのかもしれない。




「ディル?」


 思い出に浸っていたディルは、レイに声をかけられ我に返った。


「どうしたんだ?」


「あ、いや・・・。レイと初めて逢った時の事思い出してたんだ」


「私と?ああ、五年前の事か。懐かしいな」


「ああ。まさかこんな美人が俺よりも五つも年上なんて信じられなかったよ」


「ディルだってかなりの美形じゃないか」


「レイ程じゃないって。ところでリハビリどう?」


「順調だ。歩けるようになるにはまだ時間がかかるけど」


 九月十一日、NYで別の仕事をしていたレイは、同時多発テロの発生を聞きつけ、貿易センタービルの近くへ取材をしに行った。崩れ落ちるビルと煙から逃げていた時、足に重傷を負い、車椅子生活を余儀なくされた。そのショックで勤めていた会社を辞め休業していたが、ディルにまた一緒に歩きたい、と励まされリハビリを開始したのだ。


「良かった。そろそろ車椅子デートに飽きてきた頃だし」


「馬鹿」


「で?他には?」


「え?」


「さっきから全然手進んでないじゃないか」


 確かにレイの食べるペースが遅い。車椅子生活を余儀なくされた時以来だ。あの時も食事をとらない事が多々あった。今回も同じ状態なのかと危惧したが違った。


「実は、ディルに頼みがあって・・・」


「何?」


「・・・ファーガを捜してほしいんだ」


 ファーガとは同時多発テロを予言した男の事だ。レイとは学生時代からの先輩後輩の仲でディルとも親交があったが、突然公の場から姿を消していた。


「ファーガを?でも連絡先知ってるじゃないか。電話すれば済む事だろ?」


「そうじゃなくて、テロに加担してるかもしれないんだ。同時多発テロを取材してる時、彼を見かけた」


「何だって?」


 ディルは眉を顰める。そういえば、今日現場で聞き込みをしている際、貿易センタービル近くでフアーガを見たという人が何人もいた。しかし、テロリストの資料の中に彼の名前はなかった。レイがここまで確信を持って言うのは何故なのか―。


「レイ、考え過ぎなんじゃないのか?俺も一応調べてみたけど、テロリストの資料の中にあいつの名前はなかったぞ」


「うん・・・。だけど知り合いから聞いたんだ。バグダッドで起きたテロで、彼がテロリストと一緒にいる彼を見かけたって」


 それだとテロに加担しているという話はあながち嘘ではないらしい。もう一度調べ直す必要がありそうだ。それに恋人までには至っていないとしても愛するレイの頼みとなれば断れない。


「分かった。もう一度調べてみるよ。俺もちょっと気になってたし」


「ありがとう」


 夕食を終え、レイがシャワーを浴びにバスルームへ入った後、ディルはジョンに電話をかけた。ファーガの件を相談する為だ。


『本当か?』


「レイの話だと間違いはなさそうです」


『九・十一当日に見かけた人は大勢いるが・・・非常にマズイな。何よりあいつと親交のあるレイまでが見かけたとなると、何をしでかすか・・・』


 ジョンはそこで言葉を切った。ディルは彼の言いたい事を察した。レイが狙われるかもしれないという事だ。確信はなかったが否定も出来ない。今回のイラク戦争でも多くのジャーナリストが怪我を負ったり、殺害されたりしている。レイも例外とは言えない。ファーガと顔見知りとなればなおさらだ。口封じの為に殺す事を考えているかもしれない。息を飲むディルを諭すように、ジョンは静かな口調で言葉を繋ぐ。


『ディル、これだけは覚えておけ。レイはお前のアキレスの踵だ。何があっても守り抜け。ただし、無茶はするなよ』


「・・・分かっています」


 電話を切った後も、ディルは拳を握りながら空中を睨みつけていた。ファーガの件を調べ直す、それはかなりのリスクを背負う事。FBI捜査官としてそれなりの覚悟をしていた。だが、レイが狙われるとなれば話は別だ。父の命を奪ったテロリストとの闘いに巻き込むつもりはなかったのに―。


「くそッ・・・!」


「ディル?」


 レイがこちらを心配そうに見つめている。たった今バスルームから出てきたのだろう、髪が少し濡れている。


「どうした?何かあったのか?」


 車椅子の車輪を手で回しながら側に寄ってくる。


「何でもない」


「何でもないって顔じゃないだろ、どうしたんだ?」


 ディルは思わずレイを抱きしめる。


「お、おい、ディル・・・」


「ごめん、しばらくこのままで・・・」


 強くギュッと抱きしめられ、思わず身を捩る。が、辛そうなディルを見て暴れるのを止めた。かすかに体が震えている。その震えを止めるように、背中に手を回しそっと撫でる。


「大丈夫、私はここにいる。お前の側にいるよ」


「レイ」


「ん?」


「守るから・・・。何があっても俺が必ず守るから・・・!」


「・・・うん・・・」





 翌日、ディルはジョンに呼び出された。


「日本の警察に協力を要請された。近々こちらにも調査に来るらしい。来るのはこの二人だ」


 資料を渡される。輝と啓介についての資料だ。


「『警視庁刑事部刑事課主任・早乙女輝』へえ、結構可愛い顔してますね」


「それ、レイの前で言ってみろ。殺されるぞ、お前」


「御心配なく、俺はレイ一筋なんで。もう一人は・・・!」


 龍一の写真、さらには名前を見て目を瞠る。ディルの様子に首を傾げ、ジョンも資料を覗き込む。


「橘龍一か。知り合いか?」


「いえ・・・」


「じゃあ、何でそんなに驚いてる?」


「橘龍一は・・・・二年前にNYで死んだんです」


「何・・・だと・・・!?」





 龍一と輝は話し合いの末、二週間後にNYへ飛ぶ事に決めた。警視庁にある資料ではあまりにも情報が少ない為、早目に現地へ赴き情報収集をする事にしたのだ。


 大学が休みの龍一は蓮の店へ行っていた。 


「二週間後にNYへ行くよ」


「そうか」


「で、頼んでたの用意出来てる?」


 蓮は頷くと奥へ行き、袋を持って戻ってきた。受け取った龍一は中身を取り出す。RW‐四六七通称ベレッタだ。NYへ飛ぶ事が決まった時、勇造経由でこのベレッタの購入を頼んだのだ。手島には他の銃も用意出来ると言われていたのだが、前の組織にいた頃はこれに似た物を使っていて慣れているので申し訳ないがと断った。


「不備はないっと」


「協力者の資料は?」


「もらった。ちょーっと厄介な人間だけど」


 昨日勇造からもらったディルの資料を蓮に見せる。


「ディル・ローウェン。FBI捜査官・・・か。確かに厄介だな。お前の正体に気づいたかな?」


「さあ。気づいたら気づいたで対処するけど。早乙女だけは巻き込みたくないな・・・」


 カウンターに伏せると、蓮に頭を小突かれた。


「何言ってんだ、もう巻き込んでるだろ」


「僕がどうかしましたか?」


 入口を見ると輝が立っていた。二人は目を丸くする。この場所は教えていないはずなのだが。


「輝くん、いらっしゃい」


「・・・何でここに?」


「お祖父ちゃんに住所教えてもらったんです。何か僕の話で盛り上がってらっしゃったみたいですけど・・・」


 不審な目を向ける輝に龍一は慌てる事もなく弁明した。


「あー、大した話じゃないよ、な?滝さん」


「ああ。それより二人共、これから予定ある?」


 バッグを持ってカウンターから出てくる。二人は首を横に振った。龍一は大学が休みの為一日オフ、輝は今日は非番だ。どうやら人と会うという事で店番を頼みたいらしい。事情を知っている龍一は快く承諾した。


「で、今日は?」


「一時間くらいで戻るよ」


「あいよ」


 蓮はそそくさと店を出て行った。輝は首を傾げる。店番といってもあまり客は来ていないようだが。疑問に感じて龍一に聞いてみる。


「いいの、いいの。客っつっても俺か警察くらいしか来ないし。そうでも言わないとこの時間にデート出来ないからさ」


「デートって、滝澤さん恋人いらっしゃるんですか?」


 龍一はまた目を丸くして輝を見つめる。


「え?早乙女、もしかして知らないの?」


「何をです?」


「嘘、マジで?てっきり話聞いてると思ってたのに・・・。そこまで鈍いのか?」


 ついには、頭を抱えてブツブツと独り言まで言い始めた。輝には何が何だか分からない。


「実は・・・さ、滝さんと・・・ほら、あんたの幼馴染で検事やってる奴」


「瞬ちゃんがどうかしたんですか?」


 何か蓮に対してやらかしたのかと思ったが、龍一からとんでもない爆弾発言を聞かされた。


「いや、だからさ、あの二人付き合ってるんだよ」


 今度は輝が目を丸くして龍一を見つめる。やはり知らなかったらしい。


「そうなんですか?」


「どんだけ鈍いんだよ、あんた・・・」


 瞬平はそのような事は一言も言っていなかった。という事はあのカフェは蓮が好きな店なのだろう。知り合いとだけ言ったのは照れ隠しだったのかもしれない。幼馴染としては話してほしかった。


「ところで、用があって来たんだろ?」


 輝は思い出したように、一つの資料を手渡した。


「ファーガ・バレイク?」


「同時多発テロを予言した男です。今は公の場から姿を消しているんですが、貿易センタービルの近くで見たという人が大勢いるんです。NYに行ったら調査してほしいってお祖父ちゃんが言ってました」


「テロに加担してるって事か?」


「分かりませんけど、FBIはそう疑っているみたいです」


―奴の差し金か?それともこの男の意思なのか?―


「龍一くん?」


「いや・・・」





 龍一の言う通り、瞬平と蓮は付き合っている。勇造に龍一を紹介された後、龍一に連れられて店に行き、蓮と知り合ったのだ。それから暇を見つけては店に顔を出すようになった。そんな日が続いて次第に互いに惹かれ合い、龍一の仲介もあって付き合うようになったのだ。今日も瞬平行きつけの、六本木ヒルズ近くのカフェでデートしている。


「店大丈夫なのか?」


「龍一と輝くんに店番頼んだから平気だよ。瞬平くんこそ仕事大丈夫なの?」


「今のところでかいヤマはないから大丈夫さ。久しぶりにお前と逢いたかったし」


 照れを隠すように微笑みながらコーヒーを啜る。


「そっか。ところでさ、龍一の正体・・・まだ輝くんに言ってないのか?」


 二人の一番の気懸りはそれだった。勇造には今は言うべきではない、と言われている。ただ、輝は勘が良いのでいつまでごまかせるか分からない。龍一もまだ言わないつもりでいる。成り行きに任せるしかないのだが、蓮は大丈夫かと不安そうな顔をしている。一方の瞬平は意外にもすっきりした顔をしている。知り合ったばかりとはいえ、あの二人はどんな事があっても動じないと信じているようだ。蓮もそう思い直したようでようやく笑顔を見せた。クスッと笑いながら瞬平は蓮の前髪に触れる。


「よっしゃ。遅いけど昼飯食いに行こうぜ、奢るから」


「え?でも一時間くらいで戻るって二人に言ってるんだけど・・・」


「も少し二人きりにしといてやれ」



 蓮の店にいる二人もとい輝は蓮が戻って来ない事を心配していた。


「滝澤さん、遅いですね。一時間くらいで戻るって仰ってたのに」


「どうせ神園とイチャイチャしてんだろ。俺らは調査続けようぜ。奥にパソコンがあるから」


 奥にあるリビングへ行き、パソコンを起動させ、インターネットを開いて、「ファーガ・バレイク」を検索する。


「お、出た出た」


件数二千九百四十七件。そのうちの一つ、ファーガのプロフィールをクリックする。


『ファーガ・バレイク。一九七一年七月十四日生まれ。ハーバード大学法学部助教授だったが四年で辞任。その後ジャーナリストに転身。米政府のイスラムに対する政策を徹底的に批判し、九・一一テロを予言。その後公の場から姿を消す』


 これだけでは何も分からないが、かなり過激な発言をする男だったらしい。テロリストに同情するような発言も残している。テロに加担しているのかどうかは何とも言えない。洗脳されたのか、それとも自分の意思で加わっているのか―。本人に聞きたいところだが行方不明ではどうしようもない。NYへ言ってから知り合いに聞き込みをするという事で落ち着いた。





 FBI本部。ディルは自分のデスクのパソコンで龍一の事を調べている。二年前に死んだはずの男が何故日本にいるのか。どれだけ検索しても死亡の情報しか出て来ない。どうやって調べるか考えていると、同僚のジニー・パッセルが来た。


「おーい、ディル。面会だ、ロビー」


「俺に?」


 ロビーに行くと、一人の男が立っていた。金髪で浅黒い肌、ディルと同じくらいの背丈でサングラスをかけている。どこかで見た事のある男だ。そう思いつつ、声をかける。


「ディル・ローウェンですが、私に何か御用ですか?」


 すると、男はこちらを向き、サングラスを外した。顔を見てディルは息を飲んだ。姿を消したはずのファーガだったのだ。


「ファーガ・・・!」


「久しぶりだな、ディル」


「お前・・・今までどこ行ってたんだ!心配してたんだぞ!」


「すまん、忙しくて連絡出来なかった」


 ディルはファーガの様子がおかしい事に気付いた。いつもならファーガは、ディルの携帯に連絡を入れてからこの本部に来る。こんな風にいきなり来る事は緊急の時を除いてめったになかった。それにこの男から湧き出ている殺気。ディルやレイの知っているファーガは男らしく、強くて、穏やかな男だった。こんなにも殺気を表に出すような人間ではない。途端にレイの言葉が頭を過ぎる。これ程の殺気を出すという事は、本当にこの男はテロに加担しているのか。


「ディル、レイは元気か?」


「え?あ、ああ。元気だよ」


 いきなりレイの話題を出され、少し動揺する。


「そうか。ずっと車椅子で心配してたんだが、リハビリ上手くいってるんだな」


 また不審な点がある事に気づく。ファーガは何故レイが車椅子生活でしかもリハビリをしている事を知っているのか。彼が同時多発テロで負傷した事は一部の人間しか知らない。現場もしくは病院に行かない限り状況を把握する事は出来ない。実際レイが負傷した時はあまりにも有名なジャーナリストという事で報道規制が敷かれた。その為彼が負傷したという事実はディル達FBIの人間と病院の関係者、レイの友人達しか知らない。第一、ファーガは公の場から姿を消している。いくら何でもレイの状態を知る事は不可能のはず。という事はやはりこの男は―。疑問が確信に変わった。テロに加担してあらゆる情報網を駆使出来なければ知る事など出来ない。ディルはホルダーから銃を取り出し、銃口をファーガに向けた。ファーガも銃を取り出し、ディルへ銃口を向ける。


「よく分かったな」


「レイが言ってたんだよ、お前がテロに加担してるかもしれないって。まさか本当だったとはな。レイがお前を現場で見かけた事に気づいて、尾行したりして彼が今何をしてるのか調べたんだろ?」


「フフッ・・・。さすがはFBI捜査官だ、調べたのか?」


「お前が貿易センタービル付近をうろついていたって事まではな。後は勘だ。何のつもりでテロに加担してる?」


「さあな、お前はどう思ってるんだ?」


「俺が聞いてるんだ!質問に答えろ!」


 すると、ファーガはトリガーを引いた。銃弾が右腕を掠め、ディルは銃を落としてしまう。


「ぐッ・・・!」


「これが俺の答えだ」


「ファーガ・・・お前・・・!」


 銃を拾い、再びファーガに向けて構える。しかし、それより早くファーガの放った銃弾が左足を貫いた。激痛に耐えきれず、床に倒れてしまった。それをジョンが見つけた。ジニーからディルが戻って来ないと聞き、心配になってロビーに来たのだ。駆け寄ろうとするが、ファーガの姿を認めると足を止めた。ディルは痛みを堪えながら体を起こす。ファーガはそんなディルを見てクスッと笑い、その場から去ろうとする。


「待て!どこに行く気だ・・・!」


「決まってるだろ、レイの所だ」


「レイに・・・・何を・・・!」


 レイは今病院でリハビリ中だ。ファーガがテロに加担している事が確実となった今、近づける訳にはいかない。


「別に殺す訳じゃない。俺が可愛がってやるから安心しろ」


 去って行くファーガを追いかけようとするが、右腕と左足の痛みが襲いかかってきて、床に膝をつく。


「ディル!」


 ジョンが駆け寄って来る。


「ジョン・・・!レイが・・・!」 


「分かってる。車回してくるから表で待ってろ」




 病院でリハビリ中のレイは思ったより早く自分の力で歩けるようになっていた。主治医もこれだけ早ければ完治は間違いないと言っている。ディルと並んで歩きたいと願っていたレイにとって朗報だ。さっそくディルに伝えようと病院内の公衆電話からディルの携帯に電話を入れた。しかし何度かけても出て来ない。忙しいのだろう。自分の携帯からかければ出るだろうと考え、病院の外に出た。手で車輪を動かしながらスロープを降りていく。その後携帯でもう一度ディルに電話をかけたが出て来なかった。


 その時、近くで車の音がした。ディルかと思いその方を見ると、車から出て来たのはディルではなくファーガだった。


「久しぶりだな、レイ」


「ファーガ・・・。どうして貴方がここに?」


「お前を攫いに来た。彼がお前を欲しがってるんでな」


「え・・・?」


 思わず後ずさる。自分の知っているファーガはとても強く優しかった。学生時代、何に対しても積極的で、誰にでも優しくしていたこの男の姿を思い出す。しかし、今目の前にいるのはあの時のファーガではない。やはりこの人はテロに加担しているのでは―そんな思いが頭を過ぎる。ファーガは銃を取り出し、レイに向ける。


「一緒に来れば危害は加えない。さあ・・・・」


 レイに近づこうとしたその時、二人の間に車が割り込んできた。ジョンの車だ。ファーガはとっさに後ろに避ける。車が止まると、助手席からディルが出て来てレイに駆け寄る。


「良かった、間に合った・・・!」


「ディル!」


「その怪我で動けるとはしぶとい奴だな」


 ファーガが薄ら笑いを浮かべる。ディルはファーガを睨みつける。


「お前にレイは渡さない・・・!」


「フッ・・・。まぁいい。今日のところは帰るとしよう」


 銃を収めると、車に乗って去って行った。ジョンはファーガの車を追うよう、無線で指示を送った後、車から出てきた。


「すみません、お手を煩わせてしまって・・・・」


「何、テロの調査を命令された時から覚悟はしてたさ。レイ、怪我ないか?」


「え、ええ。ディル・・・その怪我・・・」


 レイはディルの赤く染まった右腕と左足に目を向ける。


「ああ、大した事ないよ。掠っただけだから」


 それを聞いたジョンはディルの頭を殴った。


「痛ッ!」


「何が大した事ない、だ。ちゃんと看てもらえ」


 レイにディルが逃げないように見張るよう忠告すると、自らは報告の為、本部に戻っていった。


 その後、レイの主治医がディルの右腕と左足の治療を施した。右腕は掠っただけで、左足は弾が貫通し、奇跡的に出血が少なかった為、大事に至らずに済んだ。


「それ、ファーガに撃たれたのか?」


「ああ。もの凄い殺気を感じて撃とうとしたんだけど逆に。レイが言ってた通り、あいつはテロに加担してる。目的を聞いても答えなかった。レイの所に行くって言うからジョンの車で追いかけて来たんだよ」


「・・・傷の手当てもせずに・・・?」


 睨みつけてくるレイの姿を見て、思わず口篭もり、遠くを見つめる。そんな暇は全くなかった。レイの事が心配だったから。正直その事しか頭になかった。レイはジョンがやった以上にディルの頭を強く殴った。


「いってー!ちょ、俺一応怪我人なんだけど!」


「知るか!電話しても繋がらないし、怪我はそのままにしてたって言うし・・・!心配した私の身にもなってみろ!」


 レイは膝の上で拳を握り、震えながらも泣くのを必死に堪える。震えながら泣くな、泣くなと必死に自らに言い聞かせる。それなのに両方の瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。


「レイ・・・」


「・・・お前までいなくなったら・・・・私はどうやって生きていけばいいんだ!」




 ディルは再び五年前の思い出に浸り始めた。


 初めて逢った日から、二人は忙しい合間を縫って会うようになっていた。ショッピングをしたりと楽しい時を過ごしていたある日の事。


『ディル、明日仕事は?』


『午前中で終わる予定だけど、何?』


『私の家に来ないか?知り合いの誕生日でパーティーを開く事にしてるんだ。ジョンに聞いてみたら行けるって言ってたんだけど、ディルもどうだ?』


『うん、行くよ』


 その翌日、午前中で仕事を終えたディルとジョンは、時間をかけてプレゼントを選び、ジニーに車でレイの家まで送ってもらった。ベルを鳴らすとレイが出て来る。


『二人共いらっしゃい。さあ、入ってくれ。みんなもう来てるから』


 家の中に入ると既にパーティーは始まっており、盛り上がっていた。テーブルには山のように料理が並べられている。


『スッゲ・・・!これ全部レイが?』


『大変だったろ』


『大丈夫ですよ、料理は好きですし。あ、今日の主役紹介しますね』 


 と、誕生日だという知り合いを呼びに行く。その後ろ姿を見ながらディルはフッと息を吐いた。


『たまにはこういうのもいいですね』


『お前、ベガスの事件で気を揉んでたからな』


『まだ首謀者捕まってませんからね。親父の事も吹っ切れた訳じゃないし・・・。LAでのテロとの関連も調べないと』


 LAテロの犯人は爆弾の入手ルートは吐いている。アフガニスタンに潜伏しているテロリストの一味が送ってきたらしい。造ったのもその一味で、人目がけて投げつけると爆発する仕組みになっていた。ナイフは自分で購入したらしい。誰に命令されたかは黙秘している。ラスベガスのテロの時は現場にいたらしいが、目撃者がいるかどうか捜査中だ。そうなると関連がない訳ではない。明日はジョンが犯人を取り調べ、ディルが二つのテロの関連を調べる事に決まった時、レイが主役を連れて戻ってきた。二人は我に返り、レイを見る。今日の主役は、背が高く、金髪で体格の良い、しかし上品な男性だった。


『二人共、せっかくのパーティーなのに仕事の話をするなよ』


『ああ、ごめん。その人が今日の主役?』


『そう、ファーガ・バレイク。私の学生時代の先輩だ』


『初めまして。ハーバード大学法学部助教授のファーガ・バレイクです』


『FBIテロ対策部部長のジョン・ロナウドだ。こっちは私の直属の部下のディル・ローウェン』


『初めまして。あ、これ、つまらない物ですけどプレゼントです』


 袋をファーガに渡す。


『ありがとう。君の噂はレイから聞いているよ。三ヶ月前のLAでのテロでレイを助けたんだってな』


『え?あ、まぁ・・・・』


『この野郎、すっかりレイの英雄じゃないか』


『違いますよ、ジョン!俺はまだ駆け出しだし、それにあれはたまたまヤバイって思っただけで・・・』


『やかましい。自分の手柄は素直に喜べ』




 ファーガとすっかり意気投合したジョンは、ワインを飲みながら今のアメリカの治安について語り合っている。ディルは棚の上に置いてある写真立てに気づき、近くへ寄った。レイらしき青年と男性、女性が二人一緒に写っている。その写真を見つめているディルにレイが近づいた。


『ディル、ビール飲むか?』


『ああ』


 空になったディルのグラスにビールを注ぐ。ちらっとジョンを見ると、顔を真っ赤にして大声で笑っている。元々酒はあまり飲まないのだが、酒に強いファーガの勧めでかなりの量を飲んだようだ。明日取り調べをすると言っていたのにすっかり出来あがっている。


『車で来たのか?』


『俺の同僚の車で。帰りは歩き。本部までそう遠くはないし、俺の家も目と鼻の先だから。それよりこの写真・・・』


 再び棚の写真に目を向ける。


『ああ、両親と姉と一緒に撮った写真だよ。父は前にも話したけどジャーナリストをやっていて、母と姉はニュースキャスターだった。みんな優しかったよ』


 過去形なのが非常に気になった。今家族はどうしているのだろう。するとレイは、急に黙り込んでしまった。


『レイ?』


『・・・死んだ・・・。二年前に・・・私の目の前で・・・!』


 レイ達クロード家は、旅行で南アフリカへ行った。忙しかった父が久しぶりに休みを取ったのだ。

しかし、楽しい時間はいつしか地獄に変わってしまった。観光していた時、街で銃を乱射し続けていた男を警察が取り押さえていたのだが、隙を見て男は仲間を呼び出し、次々に人々を射殺していった。住民だけでなく観光客までも。父はカメラを向けていたが気づかれて殺害され、母と姉はレイを庇って射殺されてしまったのだ。犯人集団はその場で拘束された。父と姉はほぼ即死状態で、母はかろうじて息があったが、レイに逃げろと呟いてそのまま息を引き取った。

その後、レイは仕事で来ていた父の友人に保護され、三人の遺体と共に帰国した。父はジャーナリストとしても人間的にも尊敬していた人で母はいつも優しかった。そして姉のリナは弟であるレイを誰よりも可愛がってくれた。それにリナは婚約していて、帰国したら式を挙げる予定だった。しかし、リナは両親と共にレイの目の前で帰らぬ人となってしまった。帰国した後、ニュースで事情を知ったリナの婚約者が心配して駆け付けてくれた。三人の遺体を前に泣きじゃくるレイを抱きしめながらその人も一緒に泣いてくれて、決してレイ一人が生き残った事を責めはしなかった。怖かっただろう、辛かっただろう、とレイが泣き止むまで側にいてくれた。葬儀の時も一人では大変だろうからと手伝ってくれた。


 思い出した途端、レイの両目から涙が溢れ出す。聞いてはいけなかったかと思いつつ、ディルの頭にある思いが浮かんだ。そっとレイを抱きしめる。背が低く、細いレイはディルの腕の中にすっぽり収まった。


『ディル・・・?』


―そうか、この人は俺と同じなんだ―


 五ヶ月前のラスベガスのテロで父を失い、母はその直後病死した。お互い大切な家族を失ってしまったのだ。だからこそレイの悲しみがよく分かる。父の死を目の当たりにしていたディルは、その光景を思い出し、ギュッとレイを抱きしめる。


『レイ、これは俺の勘なんだけどさ、御両親とお姉さんはレイを庇った事後悔してないと思うよ。俺もそうだから。レイを守れるならこの命なんて捨ててもいいかなって・・・』


『馬鹿な事言うな!お前までいなくなるなんて・・・!』


『でも、俺は死なない。約束するよ、レイが悲しむような事はしない』


 涙に濡れた青い瞳が見上げて来る。


『・・・私の側にいてくれるのか?』


『うん、側にいるよ』




 今はまさに五年前と同じような状況だ。ディルは震えているレイの体を抱きしめた。


「ごめん、心配かけて・・・。大丈夫、俺は何があってもレイの側を離れない。約束する」


「・・・破ったら絶交だからな」


 口を尖らせながら呟くレイの頭を撫でながら苦笑する。もちろん絶交する気などさらさらないが。そういえば、電話をしたと言っていたが、何かあったのだろうか。


「今日のリハビリで大分自分の力で歩けるようになったんだ。先生もこれなら完治は間違いないって」


「マジで?良かったー」


 再びギュッと抱きしめる。レイは苦しいからと身を捩る。つい嬉しくて手加減出来なかった。素直に謝ると、レイはクスッと笑い、ディルの肩に額を押し付けた。


「何?」


「・・・勝手に私の側からいなくなるなよ。もう一人になるのは・・・嫌なんだ・・・」


「うん」



 しかし、この時二人は、最悪な事件が起きる事など知る由もなかった。
























アメリカ合衆国。FBIでも同時多発テロの調査で慌ただしく動き回っていた。捜査官の一人で、テロ対策部に所属しているディル・ローウェンも例外ではない。部下に指示を出しながら自らも現場へ赴く日々が続いている。今日も朝から現場に行っていて、FBI本部に戻った時には午後の八時を回っていた。




「よう、お疲れ」




 テロ対策部部長で直属の上司であるジョン・ロナウドが声をかけてくる。亡き父の部下だった人で、ディルをテロ対策部に勧誘した張本人だ。




「お疲れ様です」




「どうだった?」




「今の所は何も・・・」




「そうか。ま、まだ時間はある。じっくりと調査するしかないな」




「ええ」




 そこで、ディルの携帯が鳴る。




「すみません、ちょっと・・・。もしもし。レイ?どうした?」




『いや、何でもないんだが・・・。今日も遅いのか?』




 毎日遅くに帰宅しているので不安になったのだろう。声から寂しさが伝わってくる。可愛いなと思いつつ、安心させるように優しく応答する。




「大丈夫、もう上がれるよ。九時頃には着くと思う」




『分かった。夕飯は?』  




「用意しといてくれ。久しぶりにレイの手料理食いたいから」




『ああ、お前の大好物用意しといてやるよ。じゃあ』




「お、愛しの恋人か?」




 電話を切ると、ジョンがからかってくる。恋人―まだそこまで進展していないが、ディルには同棲中の友人がいる。レイ・クロードという男性だ。五歳年上のフリージャーナリスト。ジョンも親しく、よく家に遊びに来ている。現在、車椅子生活に慣れたものの、歩けるようになるにはまだ時間がかかる。焦っても仕方がないのでしばらく様子を見る事にしている。




「じゃあ俺、そろそろ帰ります」




「おう、レイによろしくな」








 愛車のキャディラックRXを走らせ、LAにある自宅へと帰った。車の音を聞きつけたのか、レイが出てくる。




「お帰り」




「ただいま」




 二人は抱き合ってキスを交わすと中へ入った。ディルはスーツを脱ぎ、ポロシャツとジーンズに着替え、リビングへ行った。レイはテーブルに夕食を並べている。電話で言っていた通り、今日のメニューはディルの大好物のビーフシチューとサラダ、焼き立てのパンだった。




「何か変わった事なかった?」




「ああ。お前の方は?」




「今んとこ収穫ゼロ」




 話を聞いてレイの顔が暗くなる。




「大丈夫、俺はレイの側にいるから」




「ありがとう・・・」




 クスッと笑うと、ディルはレイの髪を撫でそっとキスをする。




「こら、くすぐったいぞ」




「いいじゃないか。レイの髪綺麗なんだし。あー、癒されるー」




「年上の髪で遊ぶな。さ、食べよう」




「そうだな。いただきます」








 二人の出会いは五年前に遡る。レイはジャーナリストとしてテレビや雑誌で活躍しており、ディルはFBI捜査官としてはまだ駆け出しの時期だった。とはいうものの、父親譲りの才能がすぐ開花し、数ヶ月のうちに上層部が一目置く程の捜査官に成長していった。




そんなある日、パレスチナで起きたテロの資料に目を通していたディルの所へジョンがやって来た。




『ディル、この後時間あるか?』




『構いませんけど、何です?』




『会わせたい奴がいる』




 夕方仕事を終え、二人はレストランへ向かった。よく上層部と食事をする高級メキシカン・レストランだ。奥の席へ行くと、一人の男性が本を読んでいた。




『すまん、レイ。遅くなった』




『お久しぶりです、ジョン』




 ディルはその男性を見て目を瞠った。少し長めの、明るい色の茶髪に整った顔立ち。女性かとも思う細い体つきをしている。ディルもそれなりの美形だが、それ以上に美しい男性だった。しばらく見惚れていたが、ジョンに小突かれて我に返り、席に着く。




『紹介するよ。彼は私の知人のレイ・クロード、ジャーナリストだ』




『初めまして』




『レイ・クロード・・・え?もしかして、パレスチナで起きたテロの写真を撮ったあの?』




 瞬時に先程まで見ていたテロの写真が頭に浮かぶ。そういえば端の方にR・Cのイニシャルが刻まれていた。




『ええ、撮ったのは私です』




『ディル、それだけじゃない。アフガニスタンの写真も、前にお前が担当したNYの殺人事件の現場写真も彼が撮ったんだ』




『そっか、どっかで見た事あるなと思ったら撮ったのあんただったんだ。まだ若いのに凄いな』




 ディルの見当違いな発言にジョンは頭を掻きながら苦笑する。




『あー、ディルあのな、レイはお前より五つ年上だぞ』




『え?ご、ごめん!二つか三つ下だと思ってた・・・』




『気にしないでくれ。こんな顔だからよく間違われるんだ』




 やがてボーイが料理を運んでくる。プライベートでもよく訪れるジョンがセレクトしていたらしい。祖父がメキシコ系アメリカンだったディルもよく口にしていた料理だった。レイの口に合わないのではと心配したが、祖父母がメキシコ出身でよくこの店にも来るらしい。




『ところでジョン。俺を連れて来た理由は何です?』




『そうだ、忘れていたよ。お前、三ヶ月前の事件覚えてるか?』




 忘れられる訳がない。あれはLA、いや全米を震撼させた事件だった。自らを爆弾魔と名乗るテロリストが白昼堂々、街を行きかうバスに向けて爆弾を投げつけ、爆破させたのだ。それだけではなく、歩く人々にまで爆弾を投げつけたり、ナイフで刺したりと残虐な行為を行った。死者四十二人、重軽傷者は何万人と上った大事件だった。ディルも捜査していたのでよく覚えている。あの事件がどうしたというのだろう。




『その時にレイと会ってないか?』




『え?』




 もう一度三ヶ月前の事件を思い出す。LAの高層ビルの前。逃げ惑う人々。血だらけで倒れている女性。人々を追い回すテロリスト。その様子にカメラを向ける男性。




『カメラ?・・・あ!』




 事件現場でカメラを向ける男性、それがレイだった。偶然にもカメラを見つけたテロリストはレイも殺そうとしたが、間一髪のところでディルが助けたのだ。あの時は名前も職業も分からなかったが。




『あんただったんだ、あの時のカメラマン・・・』




『ああ。どうしても礼が言いたくて、ジョンに頼んだんだ。あの時はありがとう』




『いや、そんな・・・』




 何だか照れてきて頬を赤く染める。








 やがてお開きの時間となり、三人は店を出た。




『ディル、レイを送ってやれ。私は急用で本部に戻らにゃならん』




『え?いや、俺も報告書が・・・』




『それは明日でいい。レイがお前と話したがってるしな』




 心細そうにレイがディルを見つめている。確かにこんな美人を一人で帰らせるわけにはいかない。昼間ならまだしもこんな暗闇の中はいくら車が走っているとはいえ以ての外だ。車の通りが多い歩道の隅を歩きながら、ディルとレイは帰路に着いた。




『レイはどうしてジャーナリストに?』




『ジャーナリストだった父の影響かな?私が本や写真を好きなのを知っていて勧めてくれたんだ』




 さらに大変だが、充実しているとも話してくれた。あれだけ素晴らしい写真が撮れるのだ。努力の積み重ねの結果だろう。




『ディルは?どうしてFBIに?』




『親父が副本部長でさ、親父に憧れて入ったんだ。一部には親の七光りだって笑われたけど、親父に負けない捜査官になろうと必死に努力した。親父はもういないんだけど』




『どうして?』




『・・・五ヶ月前のテロ、覚えてる?』




『ああ。確かラスベガスの繁華街で起きたテロだよな。一般市民も巻き込んだ自爆テロで死者は数百人を超えたって。私はテレビのニュースで知ったんだけど、それが?』




 レイの言う通り、五ヶ月前、ラスベガスで大規模な自爆テロが起きた。死者は数百人を超え、行方不明者も多数出た。ディルは固く拳を握りしめ、立ち止まった。怒りを抑えるかのように。それに合わせてレイも足を止める。




『ディル?』




『・・・そのテロで親父は死んだ』




『え・・・』




 あの日、マフィアが麻薬を売買しているという情報が入り、ディルの父・カールは部下を連れてラスベガスへ摘発に行っていた。その現場がテロの起きた繁華街だった。ちょうどディルもジョンと共に、別の事件の捜査でラスベガスに赴いていた。テロが起きる直前、カール達と後で合流して夕食を食べようと連絡を取り合った。しかし、それが父との最後の会話となってしまった。犯人を逮捕した直後、繁華街で自爆テロが起きたのだ。実はディルは、やけに武装していてフラフラしているイスラム系の男に気づいていてジョンに進言していた。ジョンも怪しいと思っていたらしく、後で職務質問をしようという事にしていた矢先の出来事だった。二人が駆け付けた時、繁華街は悲惨な状況になっていた。あちこちで火の手が上がり、レスキュー隊が消火活動を行っていて、カール達は血まみれで倒れていた。部下の一人はかろうじて一命を取り留めたが、もう一人の部下とカールの息は既になかった。




 レイは息を飲んだ。尊敬していた実の父をテロで亡くしたディルの悔しさと怒りは測り知れない。




『ごめん・・・。こんな話聞きたくないよな・・・』




『そんな事・・・。でも、自慢のお父さんだったんだろ?だったらきっと・・・たとえテロで亡くなったとしても後悔してないんじゃないのかな?』




 思わずディルはレイを見る。




『これは私の憶測だけど・・・。きっとお父さんは、最期のその時まで巻き込まれた人達を助けようとしていたんじゃないのかな?一人でも多くの人を助けようと。そういう人だったんだろ?ディルのお父さんは』




 ディルの脳裏に父との思い出が甦ってきた。人一倍厳しく、人一倍優しかった父、そして誰よりも命の大切さを知っていた。だからきっとラスベガスのテロでも、自ら重傷を負いながらも事切れるその瞬間まで、彼は誰かの命を、多くの命を守ろうとしたのかもしれない。それを考えると、少し気分が晴れたような気がした。五ヶ月間ずっと自責の念に駆られていたディルにとって救いの言葉だった。思えばレイに恋心を抱き始めたのはこの時からだったのかもしれない。








「ディル?」




 思い出に浸っていたディルは、レイに声をかけられ我に返った。




「どうしたんだ?」




「あ、いや・・・。レイと初めて逢った時の事思い出してたんだ」




「私と?ああ、五年前の事か。懐かしいな」




「ああ。まさかこんな美人が俺よりも五つも年上なんて信じられなかったよ」




「ディルだってかなりの美形じゃないか」




「レイ程じゃないって。ところでリハビリどう?」




「順調だ。歩けるようになるにはまだ時間がかかるけど」




 九月十一日、NYで別の仕事をしていたレイは、同時多発テロの発生を聞きつけ、貿易センタービルの近くへ取材をしに行った。崩れ落ちるビルと煙から逃げていた時、足に重傷を負い、車椅子生活を余儀なくされた。そのショックで勤めていた会社を辞め休業していたが、ディルにまた一緒に歩きたい、と励まされリハビリを開始したのだ。




「良かった。そろそろ車椅子デートに飽きてきた頃だし」




「馬鹿」




「で?他には?」




「え?」




「さっきから全然手進んでないじゃないか」




 確かにレイの食べるペースが遅い。車椅子生活を余儀なくされた時以来だ。あの時も食事をとらない事が多々あった。今回も同じ状態なのかと危惧したが違った。




「実は、ディルに頼みがあって・・・」




「何?」




「・・・ファーガを捜してほしいんだ」




 ファーガとは同時多発テロを予言した男の事だ。レイとは学生時代からの先輩後輩の仲でディルとも親交があったが、突然公の場から姿を消していた。




「ファーガを?でも連絡先知ってるじゃないか。電話すれば済む事だろ?」




「そうじゃなくて、テロに加担してるかもしれないんだ。同時多発テロを取材してる時、彼を見かけた」




「何だって?」




 ディルは眉を顰める。そういえば、今日現場で聞き込みをしている際、貿易センタービル近くでフアーガを見たという人が何人もいた。しかし、テロリストの資料の中に彼の名前はなかった。レイがここまで確信を持って言うのは何故なのか―。




「レイ、考え過ぎなんじゃないのか?俺も一応調べてみたけど、テロリストの資料の中にあいつの名前はなかったぞ」




「うん・・・。だけど知り合いから聞いたんだ。バグダッドで起きたテロで、彼がテロリストと一緒にいる彼を見かけたって」




 それだとテロに加担しているという話はあながち嘘ではないらしい。もう一度調べ直す必要がありそうだ。それに恋人までには至っていないとしても愛するレイの頼みとなれば断れない。




「分かった。もう一度調べてみるよ。俺もちょっと気になってたし」




「ありがとう」




 夕食を終え、レイがシャワーを浴びにバスルームへ入った後、ディルはジョンに電話をかけた。ファーガの件を相談する為だ。




『本当か?』




「レイの話だと間違いはなさそうです」




『九・十一当日に見かけた人は大勢いるが・・・非常にマズイな。何よりあいつと親交のあるレイまでが見かけたとなると、何をしでかすか・・・』




 ジョンはそこで言葉を切った。ディルは彼の言いたい事を察した。レイが狙われるかもしれないという事だ。確信はなかったが否定も出来ない。今回のイラク戦争でも多くのジャーナリストが怪我を負ったり、殺害されたりしている。レイも例外とは言えない。ファーガと顔見知りとなればなおさらだ。口封じの為に殺す事を考えているかもしれない。息を飲むディルを諭すように、ジョンは静かな口調で言葉を繋ぐ。




『ディル、これだけは覚えておけ。レイはお前のアキレスの踵だ。何があっても守り抜け。ただし、無茶はするなよ』




「・・・分かっています」




 電話を切った後も、ディルは拳を握りながら空中を睨みつけていた。ファーガの件を調べ直す、それはかなりのリスクを背負う事。FBI捜査官としてそれなりの覚悟をしていた。だが、レイが狙われるとなれば話は別だ。父の命を奪ったテロリストとの闘いに巻き込むつもりはなかったのに―。




「くそッ・・・!」




「ディル?」




 レイがこちらを心配そうに見つめている。たった今バスルームから出てきたのだろう、髪が少し濡れている。




「どうした?何かあったのか?」




 車椅子の車輪を手で回しながら側に寄ってくる。




「何でもない」




「何でもないって顔じゃないだろ、どうしたんだ?」




 ディルは思わずレイを抱きしめる。




「お、おい、ディル・・・」




「ごめん、しばらくこのままで・・・」




 強くギュッと抱きしめられ、思わず身を捩る。が、辛そうなディルを見て暴れるのを止めた。かすかに体が震えている。その震えを止めるように、背中に手を回しそっと撫でる。




「大丈夫、私はここにいる。お前の側にいるよ」




「レイ」




「ん?」




「守るから・・・。何があっても俺が必ず守るから・・・!」




「・・・うん・・・」








 翌日、ディルはジョンに呼び出された。




「日本の警察に協力を要請された。近々こちらにも調査に来るらしい。来るのはこの二人だ」




 資料を渡される。輝と啓介についての資料だ。




「『警視庁刑事部刑事課主任・早乙女輝』へえ、結構可愛い顔してますね」




「それ、レイの前で言ってみろ。殺されるぞ、お前」




「御心配なく、俺はレイ一筋なんで。もう一人は・・・!」




 龍一の写真、さらには名前を見て目を瞠る。ディルの様子に首を傾げ、ジョンも資料を覗き込む。




「橘龍一か。知り合いか?」




「いえ・・・」




「じゃあ、何でそんなに驚いてる?」




「橘龍一は・・・・二年前にNYで死んだんです」




「何・・・だと・・・!?」








 龍一と輝は話し合いの末、二週間後にNYへ飛ぶ事に決めた。警視庁にある資料ではあまりにも情報が少ない為、早目に現地へ赴き情報収集をする事にしたのだ。




 大学が休みの龍一は蓮の店へ行っていた。 




「二週間後にNYへ行くよ」




「そうか」




「で、頼んでたの用意出来てる?」




 蓮は頷くと奥へ行き、袋を持って戻ってきた。受け取った龍一は中身を取り出す。RW‐四六七通称ベレッタだ。NYへ飛ぶ事が決まった時、勇造経由でこのベレッタの購入を頼んだのだ。手島には他の銃も用意出来ると言われていたのだが、前の組織にいた頃はこれに似た物を使っていて慣れているので申し訳ないがと断った。




「不備はないっと」




「協力者の資料は?」




「もらった。ちょーっと厄介な人間だけど」




 昨日勇造からもらったディルの資料を蓮に見せる。




「ディル・ローウェン。FBI捜査官・・・か。確かに厄介だな。お前の正体に気づいたかな?」




「さあ。気づいたら気づいたで対処するけど。早乙女だけは巻き込みたくない な・・・」




 カウンターに伏せると、蓮に頭を小突かれた。




「何言ってんだ、もう巻き込んでるだろ」




「僕がどうかしましたか?」




 入口を見ると輝が立っていた。二人は目を丸くする。この場所は教えていないはずなのだが。




「輝くん、いらっしゃい」




「・・・何でここに?」




「お祖父ちゃんに住所教えてもらったんです。何か僕の話で盛り上がってらっしゃったみたいですけど・・・」




 不審な目を向ける輝に龍一は慌てる事もなく弁明した。




「あー、大した話じゃないよ、な?滝さん」




「ああ。それより二人共、これから予定ある?」




 バッグを持ってカウンターから出てくる。二人は首を横に振った。龍一は大学が休みの為一日オフ、輝は今日は非番だ。どうやら人と会うという事で店番を頼みたいらしい。事情を知っている龍一は快く承諾した。




「で、今日は?」




「一時間くらいで戻るよ」




「あいよ」




 蓮はそそくさと店を出て行った。輝は首を傾げる。店番といってもあまり客は来ていないようだが。疑問に感じて龍一に聞いてみる。




「いいの、いいの。客っつっても俺か警察くらいしか来ないし。そうでも言わないとこの時間にデート出来ないからさ」




「デートって、滝澤さん恋人いらっしゃるんですか?」




 龍一はまた目を丸くして輝を見つめる。




「え?早乙女、もしかして知らないの?」




「何をです?」




「嘘、マジで?てっきり話聞いてると思ってたのに・・・。そこまで鈍いのか?」




 ついには、頭を抱えてブツブツと独り言まで言い始めた。輝には何が何だか分からない。




「実は・・・さ、滝さんと・・・ほら、あんたの幼馴染で検事やってる奴」




「瞬ちゃんがどうかしたんですか?」




 何か蓮に対してやらかしたのかと思ったが、龍一からとんでもない爆弾発言を聞かされた。




「いや、だからさ、あの二人付き合ってるんだよ」




 今度は輝が目を丸くして龍一を見つめる。やはり知らなかったらしい。




「そうなんですか?」




「どんだけ鈍いんだよ、あんた・・・」




 瞬平はそのような事は一言も言っていなかった。という事はあのカフェは蓮が好きな店なのだろう。知り合いとだけ言ったのは照れ隠しだったのかもしれない。幼馴染としては話してほしかった。




「ところで、用があって来たんだろ?」




 輝は思い出したように、一つの資料を手渡した。




「ファーガ・バレイク?」




「同時多発テロを予言した男です。今は公の場から姿を消しているんですが、貿易センタービルの近くで見たという人が大勢いるんです。NYに行ったら調査してほしいってお祖父ちゃんが言ってました」




「テロに加担してるって事か?」




「分かりませんけど、FBIはそう疑っているみたいです」




―奴の差し金か?それともこの男の意思なのか?―




「龍一くん?」




「いや・・・」








 龍一の言う通り、瞬平と蓮は付き合っている。勇造に龍一を紹介された後、龍一に連れられて店に行き、蓮と知り合ったのだ。それから暇を見つけては店に顔を出すようになった。そんな日が続いて次第に互いに惹かれ合い、龍一の仲介もあって付き合うようになったのだ。今日も瞬平行きつけの、六本木ヒルズ近くのカフェでデートしている。




「店大丈夫なのか?」




「龍一と輝くんに店番頼んだから平気だよ。瞬平くんこそ仕事大丈夫なの?」




「今のところでかいヤマはないから大丈夫さ。久しぶりにお前と逢いたかったし」




 照れを隠すように微笑みながらコーヒーを啜る。




「そっか。ところでさ、龍一の正体・・・まだ輝くんに言ってないのか?」




 二人の一番の気懸りはそれだった。勇造には今は言うべきではない、と言われている。ただ、輝は勘が良いのでいつまでごまかせるか分からない。龍一もまだ言わないつもりでいる。成り行きに任せるしかないのだが、蓮は大丈夫かと不安そうな顔をしている。一方の瞬平は意外にもすっきりした顔をしている。知り合ったばかりとはいえ、あの二人はどんな事があっても動じないと信じているようだ。蓮もそう思い直したようでようやく笑顔を見せた。クスッと笑いながら瞬平は蓮の前髪に触れる。




「よっしゃ。遅いけど昼飯食いに行こうぜ、奢るから」




「え?でも一時間くらいで戻るって二人に言ってるんだけど・・・」




「も少し二人きりにしといてやれ」




 蓮の店にいる二人もとい輝は蓮が戻って来ない事を心配していた。




「滝澤さん、遅いですね。一時間くらいで戻るって仰ってたのに」




「どうせ神園とイチャイチャしてんだろ。俺らは調査続けようぜ。奥にパソコンがあるから」




 奥にあるリビングへ行き、パソコンを起動させ、インターネットを開いて、「ファーガ・バレイク」を検索する。




「お、出た出た」




 件数二千九百四十七件。そのうちの一つ、ファーガのプロフィールをクリックする。




『ファーガ・バレイク。一九七一年七月十四日生まれ。ハーバード大学法学部助教授だったが四年で辞任。その後ジャーナリストに転身。米政府のイスラムに対する政策を徹底的に批判し、九・一一テロを予言。その後公の場から姿を消す』




 これだけでは何も分からないが、かなり過激な発言をする男だったらしい。テロリストに同情するような発言も残している。テロに加担しているのかどうかは何とも言えない。洗脳されたのか、それとも自分の意思で加わっているのか―。本人に聞きたいところだが行方不明ではどうしようもない。NYへ言ってから知り合いに聞き込みをするという事で落ち着いた。








 FBI本部。ディルは自分のデスクのパソコンで龍一の事を調べている。二年前に死んだはずの男が何故日本にいるのか。どれだけ検索しても死亡の情報しか出て来ない。どうやって調べるか考えていると、同僚のジニー・パッセルが来た。




「おーい、ディル。面会だ、ロビー」




「俺に?」




 ロビーに行くと、一人の男が立っていた。金髪で浅黒い肌、ディルと同じくらいの背丈でサングラスをかけている。どこかで見た事のある男だ。そう思いつつ、声をかける。




「ディル・ローウェンですが、私に何か御用ですか?」




 すると、男はこちらを向き、サングラスを外した。顔を見てディルは息を飲んだ。姿を消したはずのファーガだったのだ。




「ファーガ・・・!」




「久しぶりだな、ディル」




「お前・・・今までどこ行ってたんだ!心配してたんだぞ!」




「すまん、忙しくて連絡出来なかった」




 ディルはファーガの様子がおかしい事に気付いた。いつもならファーガは、ディルの携帯に連絡を入れてからこの本部に来る。こんな風にいきなり来る事は緊急の時を除いてめったになかった。それにこの男から湧き出ている殺気。ディルやレイの知っているファーガは男らしく、強くて、穏やかな男だった。こんなにも殺気を表に出すような人間ではない。途端にレイの言葉が頭を過ぎる。これ程の殺気を出すという事は、本当にこの男はテロに加担しているのか。




「ディル、レイは元気か?」




「え?あ、ああ。元気だよ」




 いきなりレイの話題を出され、少し動揺する。




「そうか。ずっと車椅子で心配してたんだが、リハビリ上手くいってるんだな」




 また不審な点がある事に気づく。ファーガは何故レイが車椅子生活でしかもリハビリをしている事を知っているのか。彼が同時多発テロで負傷した事は一部の人間しか知らない。現場もしくは病院に行かない限り状況を把握する事は出来ない。実際レイが負傷した時はあまりにも有名なジャーナリストという事で報道規制が敷かれた。その為彼が負傷したという事実はディル達FBIの人間と病院の関係者、レイの友人達しか知らない。第一、ファーガは公の場から姿を消している。いくら何でもレイの状態を知る事は不可能のはず。という事はやはりこの男は―。疑問が確信に変わった。テロに加担してあらゆる情報網を駆使出来なければ知る事など出来ない。ディルはホルダーから銃を取り出し、銃口をファーガに向けた。ファーガも銃を取り出し、ディルへ銃口を向ける。




「よく分かったな」




「レイが言ってたんだよ、お前がテロに加担してるかもしれないって。まさか本当だったとはな。レイがお前を現場で見かけた事に気づいて、尾行したりして彼が今何をしてるのか調べたんだろ?」




「フフッ・・・。さすがはFBI捜査官だ、調べたのか?」




「お前が貿易センタービル付近をうろついていたって事まではな。後は勘だ。何のつもりでテロに加担してる?」




「さあな、お前はどう思ってるんだ?」




「俺が聞いてるんだ!質問に答えろ!」




 すると、ファーガはトリガーを引いた。銃弾が右腕を掠め、ディルは銃を落としてしまう。




「ぐッ・・・!」




「これが俺の答えだ」




「ファーガ・・・お前・・・!」




 銃を拾い、再びファーガに向けて構える。しかし、それより早くファーガの放った銃弾が左足を貫いた。激痛に耐えきれず、床に倒れてしまった。それをジョンが見つけた。ジニーからディルが戻って来ないと聞き、心配になってロビーに来たのだ。駆け寄ろうとするが、ファーガの姿を認めると足を止めた。ディルは痛みを堪えながら体を起こす。ファーガはそんなディルを見てクスッと笑い、その場から去ろうとする。




「待て!どこに行く気だ・・・!」




「決まってるだろ、レイの所だ」




「レイに・・・・何を・・・!」




 レイは今病院でリハビリ中だ。ファーガがテロに加担している事が確実となった今、近づける訳にはいかない。




「別に殺す訳じゃない。俺が可愛がってやるから安心しろ」




 去って行くファーガを追いかけようとするが、右腕と左足の痛みが襲いかかってきて、床に膝をつく。




「ディル!」




 ジョンが駆け寄って来る。




「ジョン・・・!レイが・・・!」 




「分かってる。車回してくるから表で待ってろ」








 病院でリハビリ中のレイは思ったより早く自分の力で歩けるようになっていた。主治医もこれだけ早ければ完治は間違いないと言っている。ディルと並んで歩きたいと願っていたレイにとって朗報だ。さっそくディルに伝えようと病院内の公衆電話からディルの携帯に電話を入れた。しかし何度かけても出て来ない。忙しいのだろう。自分の携帯からかければ出るだろうと考え、病院の外に出た。手で車輪を動かしながらスロープを降りていく。その後携帯でもう一度ディルに電話をかけたが出て来なかった。




 その時、近くで車の音がした。ディルかと思いその方を見ると、車から出て来たのはディルではなくファーガだった。




「久しぶりだな、レイ」




「ファーガ・・・。どうして貴方がここに?」




「お前を攫いに来た。彼がお前を欲しがってるんでな」




「え・・・?」




 思わず後ずさる。自分の知っているファーガはとても強く優しかった。学生時代、何に対しても積極的で、誰にでも優しくしていたこの男の姿を思い出す。しかし、今目の前にいるのはあの時のファーガではない。やはりこの人はテロに加担しているのでは―そんな思いが頭を過ぎる。ファーガは銃を取り出し、レイに向ける。




「一緒に来れば危害は加えない。さあ・・・・」




 レイに近づこうとしたその時、二人の間に車が割り込んできた。ジョンの車だ。ファーガはとっさに後ろに避ける。車が止まると、助手席からディルが出て来てレイに駆け寄る。




「良かった、間に合った・・・!」




「ディル!」




「その怪我で動けるとはしぶとい奴だな」




 ファーガが薄ら笑いを浮かべる。ディルはファーガを睨みつける。




「お前にレイは渡さない・・・!」




「フッ・・・。まぁいい。今日のところは帰るとしよう」




 銃を収めると、車に乗って去って行った。ジョンはファーガの車を追うよう、無線で指示を送った後、車から出てきた。




「すみません、お手を煩わせてしまって・・・・」




「何、テロの調査を命令された時から覚悟はしてたさ。レイ、怪我ないか?」




「え、ええ。ディル・・・その怪我・・・」




 レイはディルの赤く染まった右腕と左足に目を向ける。




「ああ、大した事ないよ。掠っただけだから」




 それを聞いたジョンはディルの頭を殴った。




「痛ッ!」




「何が大した事ない、だ。ちゃんと看てもらえ」




 レイにディルが逃げないように見張るよう忠告すると、自らは報告の為、本部に戻っていった。




 その後、レイの主治医がディルの右腕と左足の治療を施した。右腕は掠っただけで、左足は弾が貫通し、奇跡的に出血が少なかった為、大事に至らずに済んだ。




「それ、ファーガに撃たれたのか?」




「ああ。もの凄い殺気を感じて撃とうとしたんだけど逆に。レイが言ってた通り、あいつはテロに加担してる。目的を聞いても答えなかった。レイの所に行くって言うからジョンの車で追いかけて来たんだよ」




「・・・傷の手当てもせずに・・・?」




 睨みつけてくるレイの姿を見て、思わず口篭もり、遠くを見つめる。そんな暇は全くなかった。レイの事が心配だったから。正直その事しか頭になかった。レイはジョンがやった以上にディルの頭を強く殴った。




「いってー!ちょ、俺一応怪我人なんだけど!」




「知るか!電話しても繋がらないし、怪我はそのままにしてたって言うし・・・!心配した私の身にもなってみろ!」




 レイは膝の上で拳を握り、震えながらも泣くのを必死に堪える。震えながら泣くな、泣くなと必死に自らに言い聞かせる。それなのに両方の瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。




「レイ・・・」




「・・・お前までいなくなったら・・・・私はどうやって生きていけばいいんだ!」




 ディルは再び五年前の思い出に浸り始めた。








 初めて逢った日から、二人は忙しい合間を縫って会うようになっていた。ショッピングをしたりと楽しい時を過ごしていたある日の事。




『ディル、明日仕事は?』




『午前中で終わる予定だけど、何?』




『私の家に来ないか?知り合いの誕生日でパーティーを開く事にしてるんだ。ジョンに聞いてみたら行けるって言ってたんだけど、ディルもどうだ?』




『うん、行くよ』




 その翌日、午前中で仕事を終えたディルとジョンは、時間をかけてプレゼントを選び、ジニーに車でレイの家まで送ってもらった。ベルを鳴らすとレイが出て来る。




『二人共いらっしゃい。さあ、入ってくれ。みんなもう来てるから』




 家の中に入ると既にパーティーは始まっており、盛り上がっていた。テーブルには山のように料理が並べられている。




『スッゲ・・・!これ全部レイが?』




『大変だったろ』




『大丈夫ですよ、料理は好きですし。あ、今日の主役紹介しますね』 




 と、誕生日だという知り合いを呼びに行く。その後ろ姿を見ながらディルはフッと息を吐いた。




『たまにはこういうのもいいですね』




『お前、ベガスの事件で気を揉んでたからな』




『まだ首謀者捕まってませんからね。親父の事も吹っ切れた訳じゃないし・・・。LAでのテロとの関連も調べないと』




 LAテロの犯人は爆弾の入手ルートは吐いている。アフガニスタンに潜伏しているテロリストの一味が送ってきたらしい。造ったのもその一味で、人目がけて投げつけると爆発する仕組みになっていた。ナイフは自分で購入したらしい。誰に命令されたかは黙秘している。ラスベガスのテロの時は現場にいたらしいが、目撃者がいるかどうか捜査中だ。そうなると関連がない訳ではない。明日はジョンが犯人を取り調べ、ディルが二つのテロの関連を調べる事に決まった時、レイが主役を連れて戻ってきた。二人は我に返り、レイを見る。今日の主役は、背が高く、金髪で体格の良い、しかし上品な男性だった。




『二人共、せっかくのパーティーなのに仕事の話をするなよ』




『ああ、ごめん。その人が今日の主役?』




『そう、ファーガ・バレイク。私の学生時代の先輩だ』




『初めまして。ハーバード大学法学部助教授のファーガ・バレイクです』




『FBIテロ対策部部長のジョン・ロナウドだ。こっちは私の直属の部下のディル・ローウェン』




『初めまして。あ、これ、つまらない物ですけどプレゼントです』




 袋をファーガに渡す。




『ありがとう。君の噂はレイから聞いているよ。三ヶ月前のLAでのテロでレイを助けたんだってな』




『え?あ、まぁ・・・・』




『この野郎、すっかりレイの英雄じゃないか』




『違いますよ、ジョン!俺はまだ駆け出しだし、それにあれはたまたまヤバイって思っただけで・・・』




『やかましい。自分の手柄は素直に喜べ』








 ファーガとすっかり意気投合したジョンは、ワインを飲みながら今のアメリカの治安について語り合っている。ディルは棚の上に置いてある写真立てに気づき、近くへ寄った。レイらしき青年と男性、女性が二人一緒に写っている。その写真を見つめているディルにレイが近づいた。




『ディル、ビール飲むか?』




『ああ』




 空になったディルのグラスにビールを注ぐ。ちらっとジョンを見ると、顔を真っ赤にして大声で笑っている。元々酒はあまり飲まないのだが、酒に強いファーガの勧めでかなりの量を飲んだようだ。明日取り調べをすると言っていたのにすっかり出来あがっている。




『車で来たのか?』




『俺の同僚の車で。帰りは歩き。本部までそう遠くはないし、俺の家も目と鼻の先だから。それよりこの写真・・・』




 再び棚の写真に目を向ける。




『ああ、両親と姉と一緒に撮った写真だよ。父は前にも話したけどジャーナリストをやっていて、母と姉はニュースキャスターだった。みんな優しかったよ』




 過去形なのが非常に気になった。今家族はどうしているのだろう。するとレイは、急に黙り込んでしまった。




『レイ?』




『・・・死んだ・・・。二年前に・・・私の目の前で・・・!』




 レイ達クロード家は、旅行で南アフリカへ行った。忙しかった父が久しぶりに休みを取ったのだ。しかし、楽しい時間はいつしか地獄に変わってしまった。観光していた時、街で銃を乱射し続けていた男を警察が取り押さえていたのだが、隙を見て男は仲間を呼び出し、次々に人々を射殺していった。住民だけでなく観光客までも。父はカメラを向けていたが気づかれて殺害され、母と姉はレイを庇って射殺されてしまったのだ。犯人集団はその場で拘束された。父と姉はほぼ即死状態で、母はかろうじて息があったが、レイに逃げろと呟いてそのまま息を引き取った。その後、レイは仕事で来ていた父の友人に保護され、三人の遺体と共に帰国した。父はジャーナリストとしても人間的にも尊敬していた人で母はいつも優しかった。そして姉のリナは弟であるレイを誰よりも可愛がってくれた。それにリナは婚約していて、帰国したら式を挙げる予定だった。しかし、リナは両親と共にレイの目の前で帰らぬ人となってしまった。帰国した後、ニュースで事情を知ったリナの婚約者が心配して駆け付けてくれた。三人の遺体を前に泣きじゃくるレイを抱きしめながらその人も一緒に泣いてくれて、決してレイ一人が生き残った事を責めはしなかった。怖かっただろう、辛かっただろう、とレイが泣き止むまで側にいてくれた。葬儀の時も一人では大変だろうからと手伝ってくれた。




 思い出した途端、レイの両目から涙が溢れ出す。聞いてはいけなかったかと思いつつ、ディルの頭にある思いが浮かんだ。そっとレイを抱きしめる。背が低く、細いレイはディルの腕の中にすっぽり収まった。




『ディル・・・?』




―そうか、この人は俺と同じなんだ―




 五ヶ月前のラスベガスのテロで父を失い、母はその直後病死した。お互い大切な家族を失ってしまったのだ。だからこそレイの悲しみがよく分かる。父の死を目の当たりにしていたディルは、その光景を思い出し、ギュッとレイを抱きしめる。




『レイ、これは俺の勘なんだけどさ、御両親とお姉さんはレイを庇った事後悔してないと思うよ。俺もそうだから。レイを守れるならこの命なんて捨ててもいいかなって・・・』




『馬鹿な事言うな!お前までいなくなるなんて・・・!』




『でも、俺は死なない。約束するよ、レイが悲しむような事はしない』




 涙に濡れた青い瞳が見上げて来る。




『・・・私の側にいてくれるのか?』




『うん、側にいるよ』








 今はまさに五年前と同じような状況だ。ディルは震えているレイの体を抱きしめた。




「ごめん、心配かけて・・・。大丈夫、俺は何があってもレイの側を離れない。約束する」




「・・・破ったら絶交だからな」




 口を尖らせながら呟くレイの頭を撫でながら苦笑する。もちろん絶交する気などさらさらないが。そういえば、電話をしたと言っていたが、何かあったのだろうか。




「今日のリハビリで大分自分の力で歩けるようになったんだ。先生もこれなら完治は間違いないって」




「マジで?良かったー」




 再びギュッと抱きしめる。レイは苦しいからと身を捩る。つい嬉しくて手加減出来なかった。素直に謝ると、レイはクスッと笑い、ディルの肩に額を押し付けた。




「何?」




「・・・勝手に私の側からいなくなるなよ。もう一人になるのは・・・嫌なんだ・・・」




「うん」




 しかし、この時二人は、最悪な事件が起きる事など知る由もなかった。




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