第1話 9・11の疑惑

 二年後、アメリカは同時多発テロの報復としてイラク戦争を開始した。夜通し爆撃が行われていると、マスコミが報道している。


 そんな中、勇造は警視総監室に輝を呼び出した。  


「調査?」


「同時多発テロのな。どうも謎が多すぎるし、予言者の目撃情報も気になる。今、米政府はテロの報復としてイラク戦争の真っ最中だ。動けるうちに解決せねばならん。FBIも協力してくれると言っていた」


「分かった。じゃあ、僕の部下何人かと・・・」


「待て。調査するのはお前と別の人間だ」


「別の人?」


 勇造は、資料とある男の写真をデスクの上に置いた。端正な顔つきの男が写っている。


「城南大学に行きなさい。そこに彼がいる。お前の協力者だ」


「橘龍一・・・か」




 さっそく言われた通り、輝は城南大学へ赴いた。道を行き来する学生や教授に橘龍一の所在を聞いていく。その中の一人から体育館でバスケットボールをしているという情報を聞き、キャンパスの端の方にある体育館へと向かった。そこのコートで、背の高い男が友人何人かとバスケットボールをしていた。日本人離れした体つきをしていて、ボールを次々とネットの中に入れていく。その様子を入口に立ったまま見つめていると、一人の男子学生に声をかけられた。 


「何か用ですか?」


「え?あ、えっと・・・。橘龍一って人いますか?」


「ちょっと待って下さい。おーい!橘!客だぞー!」


 橘と呼ばれた、例の背の高い男がプレイを止め、タオルで汗を拭きながら走ってくる。


「客?」


「こちらの美人さん」


「俺に何か用?」


 ジッと見つめられ、思わず言葉を濁し、持ってきたファイルを強く抱える。


「・・・人に聞かれたくない内容か」


 すぐにテロの内容だと理解したらしい。どうして分かったのだろう。輝の疑問には答えず、龍一は友人達の方に向き直った。


「悪ィ。俺、急用が出来たから帰るわ」


「お、その美人とデートかぁ?」


 違うと反論しようとしたが、龍一に肩を抱き寄せられた為叶わなかった。龍一は話を合わせるよう小声で囁いてくる。それにも反論しようとしたが無理だった。


「そういう事。じゃあな」



 外に出て輝を見えない所まで連れ込み、内側から鍵をかけ、すぐ側にある平均台に腰掛けた。


「ここは?」


「大学裏の倉庫。俺の隠れ家だよ。他の連中はめったに来ないし、ここなら二人きりでデート出来るだろ?」


「僕はそんなつもりで来たんじゃありません!」


「分かってる」


 急に真面目な顔つきになり、平均台から立ち上がった。


「九・一一テロの調査で俺に協力を求めに来たんだろ?早乙女総監から電話があったよ。調査に協力してくれって」


「お祖父ちゃんの事、御存知なんですか?」


「昔の腐れ縁で。ん?〝お祖父ちゃん〟って事は・・・ひょっとしてお孫さん?」


「そうですけど・・・」


「あー、そうだったんだ!総監言ってた。くれぐれもうちの孫をよろしく頼むって」


「何言ったんだよ?お祖父ちゃん・・・」


 1人ごちていると、資料を抜き取られた。龍一はパラパラと資料を捲り、再び輝に渡す。



「成る程ね。確かに疑惑のテロだと疑われても仕方がないな」


「一方ではアメリカの自作自演という噂もありました。全くのデマでしたけど」


「そうみたいだな。で、そのデマを流した男はCIAの雇った殺し屋に殺害されてる」


 この二年、アメリカで起きた事を龍一は全て知っていた。輝は目を丸くする。


「どうして知ってるのかって?調べりゃすぐ分かる。俺は探偵だからな」


「探偵?」


 そのような話は、祖父からは全く聞かされていない。


「あれ?総監言ってなかった?おっかしいな~、その辺は言っていいって伝えたのに。ま、いいか。で、あんたは?」


「え?」


「俺の事知ってんのに、俺があんたの事知らないなんてフェアじゃないっしょ。俺は橘龍一、この大学の法学部四年だ。あんたは?」


 再び尋ねられ、輝は警察手帳を龍一に見せた。


「警視庁刑事部刑事課主任・早乙女輝です」


「やっぱりあんたも刑事だったんだ。てかさ、敬語やめない?少なくともあんたの方が年上だろ?」


「気になさらないで下さい。僕はいつもこうなんで」


「あっそ。じゃ行こうか。ところでどうやってここに?」


「タクシーです。車は家に置いてきたので」


「なら俺の車で行こう。美人を1人で歩かせる訳にはいかないから」


 また美人と言われた。二度も言われてはもう呆れるしかない。


「美人って・・・僕、男なんですけど。それにこう見えても警察官です」


 龍一は深く溜め息をつく。


「あんた、自覚ないんだな」


「何がです?」


「別に」




 龍一の車は青のセダンで大学近くのコインパークに置かれていた。亡くなった父親の形見らしい。


「さ、乗って」


「失礼します」


 助手席に座ると、龍一が車を発進させる。警視庁へ向かう道中、輝は資料の間に挟んでいる龍一のプロフィールに目を通した。


『十二月九日生まれ

 血液型 B型

 城南大学法学部法律学科四年。

 探偵として活躍中。

 両親は二年前に他界』


 そこまで見て目を瞠った。二年前といえば、NYで同時多発テロが起こった年だ。輝はあのような形で父を失った。龍一もあのテロで両親を亡くしたのだろうか。しかし、よく見てみると、テロで亡くなったとは書かれていない。さらに彼の私生活もほぼシークレットだ。生い立ちすら書かれていない。思わず運転する龍一の横顔を見つめる。


―この人・・・一体何者なんだ?―


 龍一がようやく輝の視線に気づいたのは警視庁に着いた時だった。


「何?」


「い、いいえ」


 車から降り、勇造がいる警視総監室へ向かう。龍一は辺りを見渡しながら歩いている。


「親父と来た時とあんま変わってないな」


「お父さん警察官だったんですか?」


「その辺はノーコメントで」


 またもやはぐらかす龍一をにらみつける。


「どうして教えて下さらないんですか?もしかして、僕の事信用してません?」


「そうじゃない。過去の事を思い出したくないだけだ。で、ここ?」


「はい」


 警視総監室に着くと、ドアをノックし、先に輝が入り、後から入った龍一がドアを閉める。 


「おう。来たな、龍一くん」


「お久しぶりです、早乙女総監」


 挨拶をしながら、龍一は長椅子に腰を降ろした。


「資料は一通り読みました」


「なら話は早い。協力してくれるな?」


「もちろんです。・・・ま、お孫さんがOKしてくれればですけど」


「承諾しないならわざわざ貴方の大学に行ったりしません。御協力よろしくお願いします」


 輝が頭を下げる。それで龍一は協力すると約束した。


「輝、コーヒーを入れてきてくれんか?」


「うん」


 輝が出て行くと、勇造は龍一の向かい側に腰を降ろす。


「俺が探偵やってるって事黙ってたでしょ。その辺は話していいって言ったじゃないですか」


「すまん、すっっかり忘れとった」


 嘘だ。すぐ龍一は見抜いた。忘れていたのではなく、あえて言わなかったのだ。ニヤニヤ笑う勇造の顔がそれを物語っている。


「策士」


「やかましい、年のせいよ。ワハハハッ!」


「ったく・・・。ところで総監、あのテロに奴が絡んでいるとお考えですか?」


 その問いに勇造は真顔に戻り、背もたれに寄りかかった。


「分からん。知人は予言者の姿は見たと言っとったが、目撃証言が少ないからの」


「奴が絡んでるとなると、俺を殺そうと躍起になっているでしょうね。お孫さんを巻き込むのはマズイんじゃないですか?」


「分かっとる。だから君にあの子を守るよう頼んだんだ。一流の腕を持つ君にな。君にとって過去を背負う事は辛い事かもしれん。しかしそれを受け入れ、乗り越える事も大事だ。輝がその架け橋になってくれるだろう。だからあえて君の過去や本当の正体を言わなかった」


 龍一の脳裏にある光景が浮かぶ。日本に戻る数年前。自らが殺めた村人の死体が目の前に広がる。大人の骸の中に小さい子供も血まみれで倒れている。かろうじて息のある人々が、人殺し、と恨みの言葉を投げつけてくる。それを思い出しながら両手を見つめる。血で染まっているはずがないのに真っ赤に見えてくる。


 そこへ、輝がカップを持って戻って来た。


「お待たせ。はい、お祖父ちゃん」


「ありがとう」


「龍一くんもコーヒーでいいんですよね?」


「ああ、サンキュ」


 紙コップを渡し、隣りに座った輝を見ると、龍一の異常には気づいていないようだ。ホッと息をついて紙コップに口をつける。


「調査の関係上、NYにも行ってもらう事になると思うがいいかな?」


「構いませんよ」


「でも龍一くん、大学は?」


「卒業単位は全部取ったし、後は論文だけだから大丈夫。ゆっくり調査しようぜ。焦っても何も始まらない」


 そう言ってコーヒーを啜る。それもそうだと輝も納得し、自分の紙コップに口をつけた。


「じゃあ、頼むぞ二人共」




 その後、勇造は会議があるという事で残り、二人は龍一が運転する車で輝の家へ向かった。


「ありがとうございました」


「じゃあ、明日な」


「あ、あの!」


 帰ろうとした龍一を呼び止める。


「あの・・・良かったら上がっていきませんか?」


 このまま帰るのも気が引けるので、龍一は上がらせてもらう事にした。


 早乙女家は立派な和風の日本邸宅で、庭には勇造の趣味らしい盆栽や花が辺り一面に広がっており、奥には小さな池があって、その中で鯉が泳いでいる。


「良い家じゃん」


「ありがとうございます。あ、座ってて下さい。お茶入れますから」


 パタパタとキッチンに輝が入っていく。


「お構いなくー」


 仏壇に目をやる。スーツを身にまとった男性の写真が立てられていた。男性の後ろには貿易センタービルが見える。そこへ輝が戻って来てテーブルに湯飲みを置く。


「どうぞ」


「あ、ありがと。あれ、親父さん?」


「はい。貿易関係の商社に勤めていて、アメリカに単身赴任していました」


「〝してたって〟・・・」


「・・・亡くなったんです。あのテロで、貿易センタービルの下敷きになって・・・」


「何でそんな事に?」


 そこで輝は黙り込んでしまった。膝の上で握りしめた手が震えている。龍一は、その手を自分の手で包み込んだ。輝は驚いて龍一を見上げる。


「言えよ。ちゃんと聞くから」


「・・・貿易センタービルに逃げ遅れた人が大勢いたんです。その人達を逃がしてる間に・・・ビルが崩れて・・・」


 次第に涙があふれ出る。たまにしか帰って来なかったけれど、とても優しかった父があんな死に方をするなんて。もっと色んな事を話したかったのに―。


 黙って聞いていた龍一は輝を抱き寄せた。


「り、龍一く・・・!」


「泣けよ。誰かが死んで泣く事は恥ずかしい事じゃない。俺も両親が死んだ時、思いきり泣いた」


 それでさらに涙腺が緩んでしまい、ボロボロと涙が零れる。輝は龍一にしがみついて大声で泣いた。龍一はただ黙って輝の背中を優しく撫でる。それが何よりも暖かかった。しばらく泣き続け、輝は龍一から離れると目元を拭った。


「・・・すみません、泣くなんて・・・」


「気にするな。泣く事は恥ずかしい事じゃないって言っただろ?こら、そんなにこするな。赤くなる」


 目元を擦り続ける輝の手を止めさせ、代わりに自分の手で涙を拭う。その手も優しくて、輝は自然と身を任せていた。


「・・・これじゃ、どっちが年上か年下か分かりませんね」


「それ、よく言われるよ。俺、昔からこんなだからよく年上に見られるんだよね」


 それは輝も同じだった。すぐ泣く上、部下に対しても敬語を使っているせいか、よく年下に見られている。二十八には見えないと何度言われたか分からない。母と祖母がこの世を去った時もいつまでも大泣きして父と勇造を困らせていた記憶がある。その時は仕事を休んでしまい、部下に多大な迷惑をかけてしまった。


「いいな、家族がいて。俺は一人暮らしだから」


 そこで、龍一が二年前に両親と死に別れている事を思い出す。


「す、すみません。僕・・・」


「気にするなって。あんた、細かい事まで気にするタイプなんだな。ま、そこが可愛らしいんだけど」


「可愛らしいって・・・からかってらっしゃるんですか?」


「まさか、褒めてんだよ。それに俺はあんたが羨ましいんだ。ちゃんと家族がいるんだから」


「家族っていっても、今はお祖父ちゃんだけですけど・・・」


「じゃあさ」


 龍一は、輝の耳に顔を寄せて囁く。


「俺達、家族になっちゃっおっか?」


「へ?」


 目を丸くして龍一を見る。


「総監なら許可してくれると思うし」


「冗談仰らないで下さい。僕と貴方は会ったばっかりで・・・うわッ!」


 いきなりソファに押し倒された。しばらくジタバタと暴れたが、龍一の真剣な顔を見て動きを止めた。


「確かにそうだけど、冗談じゃない。だってあんたに惚れてるんだから」


「え・・・?」


 一瞬何を言われたのか分からなかった。龍一はポカンとしている輝の首筋に顔を寄せ、そこを舌で舐める。


「ひゃッ・・・!ちょ、龍一くん!」


「可愛い声出すじゃん」


「放して下さい!もうすぐお祖父ちゃん帰って来ちゃう・・・!」


「あ、それはマズイわ」


 あっさりと体を起こして輝を解放する。輝も胸元を整えながら体を起こした。 


「その顔見せたら俺が泣かしたって丸分かりだし。今日はもう帰るよ。明日からよろしく」


「こちらこそ」


 車へ向かう龍一を見送りに、輝は玄関まで出た。


「あの、龍一くん」


「何?」


「初めて会った時・・・どうしてテロの話だって分かったんですか?」


「そりゃ探偵だもん。事前に総監に依頼されたってのもあるんだけどさ。じゃ、お休み」


「お休みなさい」


 龍一が帰った後、リビングに戻った輝は舐められた首筋を手で触った。いきなりの事で驚いた。しかも男性にこんな事をされたのは初めてだったけれど、全く嫌悪感はなかった。


〝あんたに惚れてるんだ〟


「もしかして・・・僕、龍一くんの事・・・・って何言ってるんだろ、会ったばっかりなのに・・・」




 マンションへ帰った龍一は、携帯である人物に電話をかけていた。


「橘です。接触しました。・・・ええ、御心配なく。彼は・・・早乙女輝は、俺が必ず守ります。彼は俺達の・・・俺にとっての切り札ですから」


 電話を切ると、窓に寄りかかり外を眺める。切り札―それだけにはしたくなかった。それは過去や正体を明かしていない自分にとっては危険な賭け。しかし、輝に惚れてしまった以上引くわけにはいかない。そうやって今まで困難を乗り越えてきた。今回も上手くいくだろうと信じている。


「ま、流れに任せるしかないな」


 一人ごちると、バスルームへと入っていった。




 翌日、輝は自分のデスクに座ってボーッとしていた。目の前に捜査資料があるにも関わらず。部下がチェックしてほしいと置いていっているのにも気づいていない。昨晩の龍一との出来事が頭から離れないのだ。押し倒されたのも、首筋を舐められたのも、告白をされたのも、生まれて初めての事だった。


「ハァ・・・・・」


 何度目の溜め息だろうか。十回は越えた気がする。やはり自分は龍一の事が好きなのだろうか。そうモヤモヤした気分でいると、部下の一人である加川に声をかけられた。


「主任、何ボーッとしてんスか?書類たまってますよ」


「え?あ、すみません」


「何かあったんスか?」


「いえ、別に」




 龍一は、知人が経営している何でも屋へ足を運んだ。


「滝さん、いる?」


「龍一。ちょうど良かった。パソコンの修理出来てるぞ」


 滝さんと呼ばれたこの男、何でも屋兼情報屋の滝澤蓮だ。龍一とは彼が幼少時代の頃から仲が良い。龍一の正体も知っており、武器も警察が認める範囲で提供している。こんな風に機械類の修理をしてもらう時もある。


「サンキュ」


「大学は?」


「今日は休み。良かった、ちゃんと動く」


 パソコンをいじっている龍一をカウンターの中から覗き込む。


「機嫌良いな、何かあったのか?」


「昨日さ、スッゴイ美人と会ったの。早乙女輝」


 輝の名前が出てきて、蓮はマジマジと龍一を見つめる。


「・・・マジかよ?」


「・・・大マジです。テロの調査で協力する事になったんだ」


「ふーん。いいのか?巻き込んで」


「俺も反対したんだけどさ、警察官なんだから大丈夫だって総監もボスも言ってた。美人を危険な目に遭わせるのは性に合わないんだけどなあ」


 と、カウンターに伏せる。


「そんな事言うって事は・・・惚れたな?」


 ニヤニヤしながら蓮が言う。


「・・・まぁ、そんなとこ」


「成る程。あんだけクライアントを恋愛対象として見てなかったお前がねえ」


「滝さん、からかってんの?」


「まさか、丸くなったって言ってんだよ。お前、美人に目がないとはいえ、告白されても断ってただろ?仕事だからって」


「そんな事言ってたかなぁ」




 一方、輝は昼休みを利用して東京地検本部へ赴いていた。


「すみません、警視庁刑事部刑事課主任の早乙女輝です。神園検事にお会いしたいんですが」 


「ちょっとお待ち下さい。神園さーん!」


 しばらくして、警備員に連れられて一人の検事が出て来る。輝の幼馴染、神園瞬平だ。


「はい、これ。渋谷街絞殺事件の捜査資料。お祖父ちゃんが渡しといてくれって」


「サンキュ、本部長に渡しとくよ」


「・・・あとさ、この後時間ある?」


「あるけど、どうした?」


「うん・・・」


「・・・ちょっと待ってろ、仕度してくるから」




 捜査資料を本部長に渡した瞬平はコートを手に輝と共に外に出た。六本木ヒルズ近くにあるオープンカフェ。二人がよくお茶をする行きつけの店だ。実は瞬平が見つけた店で、以前どうして知っているのだろうと思って聞いたところ、知り合いが好きそうな店だったからとだけ教えてくれた。瞬平はコーヒー、輝はカモミールティーを注文する。いつもならケーキも頼むところだったが、今日はいいと断った。それで悩み事を察した瞬平はニヤリと笑う。


「恋だな?」


「え?」


「恋だろ?で、誰なんだ?相手は。」


「な、何言ってるんだよ!そんなんじゃないし・・・!」


「嘘つけ、顔に書いてある。で?誰なんだ?」


「えっと・・・・・橘龍一くん」


「・・・マジで?」


 龍一の正体を知っているのは勇造達警察関係者と蓮、そして瞬平だけだ。最初はその経歴に驚かされた。しかし、それ以上に彼の人となりも知っているので輝が好きになるのも頷ける。


「成る程、あいつね」


「お祖父ちゃんから聞いた?」


「うん。まあ、会った事あるし」


「え・・・?会ったの?」


 前に一度だけ勇造の仲介で会った事がある。思ったよりも優しい男で輝が好きになるのも分かる気がした。それよりも何故こんなに悩むのかが分からない。


「だ、だって、あんな風に告白されたの初めてだし、会ったばっかりで彼の事何も知らないし・・・」


 龍一の正体を知らないので無理もない。というより祖父から聞かされていないのだが。


それ以前に自身の事をシークレットにしている龍一の方に問題があるのだが。輝がいる手前、それは言わずにおく事にする。


「話戻そうか、好きなんだろ?」


「うん・・・」


「ならはっきり言ってやれよ。お前の気持ちの整理がつけばの話だけどな」


「うん。瞬ちゃんありがと」


 幼馴染の瞬平は一番気兼ねなく相談に乗ってくれる相手でもある。一つ年上の彼は大雑把だが仕事をきちんとこなす、誰にでも好かれている人間だ。


「じゃ、俺は戻るけど、お前は?」


「もう少し休んでく」


「分かった。気をつけて帰れよ」


 瞬平が東京地検に戻った後、カモミールティーを飲み干し、携帯で龍一に電話を入れた。


「龍一くん、今よろしいですか?」


「早乙女、どした?」


 横から蓮が名前で呼んでやれと茶々を入れている。龍一は蓮を黙らせようとしている。蓮の事を知らない輝は、その夫婦漫才のような会話を聞きながら、自分では気づかない程の寂しさと嫉妬が入り混じった声で応答する。


「あの・・・お忙しいんでしたら後でかけ直しますけど・・・」


「いや、大丈夫だよ。何?」


「テロの資料をもう一度調査したいので、警視庁まで来ていただけませんか?」


「分かった、今から行く」


「お願いします」





 輝が警視庁に戻った数分後に龍一が来た。資料室へ向かう中、どうしても蓮の事が気になり、恐る恐る聞いてみた。


「あの・・さっきの電話の声の人・・・」


「ん?ああ、滝さん?今度紹介するよ。別にやましい関係じゃないから」


「そう・・・ですか」


 安心したように息を吐く。龍一は何故かニヤニヤと嫌な笑い方をしている。妬いたとでも思ったのだろう。図星だったが、認めるにはいささか不満があった。顔が真っ赤な為、そう抗議しても無駄だろうが。



 資料室。テロの資料の他、殺人事件や未解決事件などの資料が山のようにある。九・一一テロの資料は一番奥の棚にある。輝は一番上にある資料を背伸びをして取ろうとするが届かない。すると、横から龍一の手が伸びて来て一番上にある資料を取る。


「これだろ?」


「ありがとうございます」


 隣りの会議室で資料に目を通していく。パラパラとページをめくる音だけが室内に響く。輝は立ち上がると、隅にあるポットでコーヒーを入れ始める。龍一は資料をめくり続ける。と、気になる所で手を止めた。飛行機が貿易センタービルに衝突した時の状況写真が載ったページだ。対角線上に衝突している飛行機の写真を同じ方向になぞる。この衝突の仕方には見覚えがあった。五年程前に。あの時、別の用事があって任務に参加しなかったが、施設に同じように、同じような向きで飛行機が衝突したのをはっきりと覚えている。


「龍一くん、どうぞ」


 輝がカップを持って戻って来る。我に返り、湯気のたつカップを受け取る。


「気になる事ありました?」


「ちょっと。なぁ、当日の映像ってある?」


「え?はい、保管してありますけど」


「見たいんだけど、いいかな?」


 鑑識に頼み、同時多発テロ当日の映像を用意してもらい、映写室で龍一と一緒に見た。その間、龍一は資料と映像を交互に見ている。しばらくそれを繰り返し、五年前の出来事と全く同じ手口だという事を確認する。


「ありがとうございます。もういいですよ」


 礼を言い、映写室を出て行った。あわてて輝は後を追う。


「龍一くん!どうしたんですか?」


「このテロ、明らかに仕組まれてる。例の予言者の言う通りにな」


「彼の言う事を信じるんですか?」


「そうじゃない。奴がやりそうなテロだって言ってるんだ」


 訳が分からず、輝は首を傾げる。奴とは一体誰なのだろうか。龍一に問いかけたが、答えは返ってこない。


「とにかく、俺は遺族の支援者に話を聞いて来るから、あんたはここで資料を洗い直してくれ」


 そう言って出て行こうとしたが、輝に袖を引っ張られる。一応パートナーなのでついていく事を告げると、龍一は溜め息をつきつつ了承した。




 二人は日本人犠牲者の支援団体に話を聞きに行った。龍一が示した方向に衝突したのは間違いないらしい。予言者はテロが起きた直後に現場から姿を消したという。目撃者が大勢いるらしい。その後、近くのカフェに入った。


「父の知人も同じ事言ってました。まさか見せつける為にあのテロを?」


 輝はそう分析していたが、龍一は違うと踏んでいた。そのような理由だけであんな大規模なテロは起こさない。もっと別の理由があるはずだ。見せつけるだけならわざわざ貿易センタービルなんて有名な場所を選ぶはずがない。


―まさか・・・俺を引き込む為に?まさかな・・・―


 日本に戻って来てから、かつての仲間から何度も戻って来いとの誘い、というよりも圧力をかける電話をかかってきていた。戻る気などさらさらなかった為、連絡があっても全て無視していた。それなのに何故今頃になって―。


「龍一くん?」


「あ、いや、何でもない。とりあえずもっかい警視庁に戻って調べ直した方がいいな」


「ええ」


 と、龍一の携帯が鳴る。ディスプレイを見ると組織のボスからだった。そういえば報告するのをすっかり忘れていた。


「悪い、ちょっとここで待っててくれ」


「ゆっくりでいいですよ。気になさらないで」


「ああ」


 龍一が外へ出てから数分後、一人コーヒーを味わっている輝の所へ、二人の屈強な男が近づいて来た。


「早乙女輝だな?」


 いきなり英語で話しかけられ、輝も英語で返す。


「そうですけど、貴方がたは?」


 すると、男の一人が拳銃を取り出し、客の一人を撃った。その銃声は外で電話をしていた龍一の耳にも入った。店の中から悲鳴が沸き起こる。輝が拳銃を取り出すよりも先に、もう一人の男が輝の腕を掴み、連れて行こうとする。


「何するんですか?放して下さい!」


「大人しくしろ」



 龍一が戻った時には既に輝の姿はなかった。従業員に警察を呼ぶよう告げると、外に出て輝を捜す。しかしなかなか見当たらない。途中で黒いバン、さらにはその中へ押し込まれようとしている輝を発見した。


「早乙女!」


 機敏な動きで男達を殴り飛ばし、輝を引き寄せ背後に庇う。


「龍一くん・・・!」


「逃げろ!」


「で、でも貴方が・・・!」


「いいから!早く総監達呼んで来い!」


 大声で怒鳴り輝を逃がすと、ポケットからナイフを取り出し、男目掛けて投げた。ナイフは一人の肩に突き刺さり、その男は地面に倒れ悶絶する。もう一本ナイフを出してもう一人に投げようとしたが、その男が発砲し、銃弾が龍一の右肩に命中する。左手で右肩を押さえ、地面に膝をつく。それに輝が気づき、悲鳴を上げる。さらに男が龍一に向けて発砲しようとしたその時、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。


「チッ・・・!サツだ、逃げるぞ!」


 男は負傷した仲間を連れて車に乗り込み去って行った。それを見て輝は龍一の下に駆け寄った。


「龍一くん!」


「大丈夫、大した事ないから」


「輝くん!大丈夫か!」


 勇造より少し若い男性が走ってくる。副総監の手島雅史だ。


「副総監!僕は大丈夫ですけど、この人が・・・!」


「龍一くん!おい、誰か総監に連絡しろ!警察病院にもだ!」



 その後、龍一は運ばれた。出血は多かったものの命に別条はなく、すぐ退院出来るらしい。輝は申し訳なく思い、ずっと龍一に付添っていた。


「すみません、僕のせいで・・・」


「あんたのせいじゃない。俺が一人にしたのが悪いんだから。でも、ナイフ持ってて正解だったな。さすがに丸腰だったらやられっ放しだったろうし。ところでさ、本当にさっきの奴らに心当たりない訳?」


 龍一が治療を受けている間、手島と遅れて駆け付けた勇造に男達の事について聞かれた。しかし、心当たりは全くないし、狙われる理由も思いつかない。


「・・・となると、俺を始末しようとしてる輩かな?」


 それだけは確信があった。これまで何度もかつての仲間が刺客を送り込んできた。警視庁や蓮にも協力してもらい、逮捕し、追い返したりして難は逃れている。とにかく、彼らは龍一と輝がテロの調査をしている事に気づいているのは間違いない。また来るだろう。


それを告げると、輝は思わず身震いする。


「怖いか?」


「そんな事・・・」


「大丈夫、俺が必ず守るから」


「そんな、守ってもらう理由ありませんよ。僕は警察官ですし・・・」


 すると、龍一が自らの手を輝の手に重ねた。


「理由ならある」


「え?」


「あんたに惚れてる。それじゃ理由にならないか?」


 龍一の真剣な顔に思わずドキッとする。気持ちを否定したくても出来ない自分がもどかしい。ジッと見つめ合った後、啓介の顔が近づいてくる。それが嬉しいのか恥ずかしいのか分からないまま、輝は静かに目を閉じる。


 が、口唇が重なる直前、勇造が入って来た。慌てて龍一の体を押し返す。


「お、お祖父ちゃん!帰ったんじゃなかったの?」


「何じゃ、帰った方が良かったか?」


「そ、そうじゃないけど・・・」


 良い所だったのに、と言おうとした龍一を顔を赤く染めながら睨みつける。


「大丈夫か?龍一くん」


「ええ。運良く弾は貫通してましたし、すぐ退院出来ます」


「そりゃ良かったの。輝、飲み物買ってきてくれ。二人きりで話がしたい」


「はーい」


 輝が出て行くと、勇造はベッドの脇の椅子に腰を降ろした。


「輝を攫おうとした連中の事だが、奴の部下に間違いなさそうだ」


「そうですか」


 勘が当たった。もしかしたら尾けられていたのかもしれない。車の音も人の気配もしなかったので全く気付かなかった。経験は積んでいるとはいえ、まだまだという事だろう。


 何だか輝を危険な目に遭わせてしまい、申し訳なく感じてきた。警察官という職業柄厄介事に巻き込まれるのは日常茶飯事なのだが。




 輝は一階の自販機の前に立っていた。


「もう・・・お祖父ちゃん、いきなり来なくてもいいのに・・・」


 祖父には龍一への恋心を打ち明けていない。いつかは言わなければならないが、まだ勇気が湧いて来ない。本日十五回目の溜め息が漏れる。そんなモヤモヤした気分のまま、三人分の缶コーヒーを買い、病室へ戻ろうとした時、一人の男性に声をかけられた。蓮だ。


「君、ちょっといい?龍一の病室分かる?」


「え?あ、はい。僕、今から戻ろうと・・・」


「じゃあ一緒に行こう」


 病室へ向かう間、龍一と蓮の関係が気になり、思い切って話を切り出した。


「あの、さっきの電話の・・・」


「そ、滝澤蓮。あいつから聞いただろ?」


「はい。あの・・・龍一くんとは・・・」


「そんな警戒しなくていいよ。あいつとは何もないから」


 二人が病室に着いた時には、勇造と龍一の話は既に終わっていた。勇造は立ち上がって缶コーヒーを受け取る。


「あれ?滝さん」


「手島さんから話は聞いたぜ。大丈夫か?」


「何とか。あ、早乙女は知らないよな?紹介するよ。俺の知り合いで何でも屋兼情報屋の滝澤蓮。警察とも顔見知りで、認める範囲で武器の販売もやってるんだ」


 先程、男達に投げつけたナイフも蓮からの提供品らしい。輝は恨めしそうに祖父を睨みつけた。そんな事は全く教えてくれなかった。


「すまん、すっかり忘れとった。ハハハハッ!」


「・・・嘘だな」


「策士め・・・」


 龍一と蓮が小さな声で毒気づく。何も聞かされていない輝が可哀想でならない。


「ん?何か言ったか?」


「いや、別に」


「それより総監、奴らが仕掛けてきたとなるとヤバイかもしれません。早々に手を打たないと・・・」


「うむ。そろそろFBIにも動いてもらわんとな」






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