聖者の森(3)

 パンと塩味のスープを平らげる。

 腹にものを詰め込むと、いくらか人心地がついた。

「気分はどうです?」

「最悪じゃなくなったな。とりあえず」

「それは良かったです」

「マザーには会ったか?」

「いいえ。マザーは奥の院にいらっしゃると。そして、マザーの許しがでるまで入ってはならないと、ドルイドに言われました」

「はぁ。傷つくよな。オヤジの行方探しをしてるだけっていうのに、魔術で惑わされ、二週間近くも浪費するなんて。俺は悪人じゃねえってのに」

「散歩しましょう。ずっと寝ていて身体がなまっているでしょう」

「ああ、いいな」

 ユリアスは首をぽきぽきと鳴らしながら、伸びをして、立ち上がった。

 ドルイドの神殿には、女しかいなかった。

 白いローブをまとい、それぞれが与えられた務めを果たしているようだ。

 菜園の管理に薬草作り、神殿の清掃、日々の食事作りや修行などなど。

 ユリアスたちの存在は完全に浮いていた。

「おい、ちょっといいか」

「…………」

「無視するなって。俺は悪人じゃないぜ?」

「――誰もあなたとは話しません。いえ、外部の者とは、と言ったほうがいいですが」

 現れたのは、四十代くらいの女性。

 黒髪を不思議な髪飾りで仕立て、フードのようなものをかぶっている。

「あんたはいいのか?」

「私はマザーより、渉外の役を仰せつかってる身、なれば」

「ちょうどいい。マザーに会いたい」

「マザーもそれを望んでおられます」

「マジか。ありがたい」

「いえ。あなたが望んだからではなく、マザーが望んでおられるが故に、案内いたします」

「何でもいいさ」

 歩き出そうとするが、すぐに制せられた。

「そちらの方はご遠慮ください」

「俺の仲間だ。いいだろ」

「マザーはそれを望んではおられません」

「おい、なんだよ、さっきからマザーマザーって――」

「ユリアス。私のことは大丈夫です。ここで待ちます」

「――こちらです」

 女性が先に立ち、神殿へ足を踏み入れる。

 円柱と篝火がえんえんと奧に向かって続いていた。

 ユリアスたちの足音がやけに大きく響く。

「静かだな」

「マザーがそれを望んでおられるのです」

「お前らの意思はないのか?」

「ここに来る者たちはマザーの啓示を求めて、来るのです。あなたが理解せずとも、構いません。ですが、マザーへの敬意を決して忘れなきよう」

「俺の求めるもんをくれるのならな」

「……ここからは、あなただけでお入り下さい」

 大きな扉の前で、女性は立ち止まった。

「怪物とかいそうだな」

「…………」

(冗談には無反応、ね)

 ユリアスは両開きの石造りの扉を押し開ける。

(やけに重たい扉だな……)

 扉の向こうには地下に伸びる長い階段があった。そして扉一枚挟んだ空間は人の手の入っていない鍾乳洞のようで、肌寒い。

 ここも幻覚なのかと疑いたくなってしまう。

 ピチャン、ピチャンとどこかで雫が垂れている。

 地下水満ちる洞窟の底に、女はいた。

 粗末な木製の椅子に、ゆったりと腰かけている。

 純白のローブに、目を青い布で覆い、唇は青い口紅。

 青ざめた顔色ともあいまって、人間味に欠け、どこか作り物めいていた。

「あんたが、マザーか?」

「いかにも」

「あんたが、俺にあのクソな幻を見せたのか? 危うく行き倒れるところだった」

「あれは、森が見せているのです。見せるべきものを見せたのです」

「嫌なもんを見せるな。トラウマもんだ。でも会ってくれて助かった。実は――」

 と、マザーは唇に右手の人差し指を当てる。

「分かっています。あなたの養い親の行方、でしょう」

「そうだ」

 マザーは目隠しを外す。

「っ」

 思わず息を飲んだ。

 マザーの目は白濁している。

「その目で見るのか?」

 マザーはうっすらと口元を緩める。

「人は多くを見すぎなのです。だから、すぐ目の前にあるはずの事実さえ、見失う……」

 マザーは、

「ヒアアアアアアアアアアアアア……!!」

「!?」

 突然の奇声に思わずたじろいでしまう。

 洞窟の中で、マザーの声が幾重にも渡って響き渡り、空気をピリピリと震わせた。

 なんと言っていいのか分かないでいると、

「見えました」

 そう、ネットリとした声でマザーは言った。

「あなたの動きが世界の秩序を根底から破壊させるでしょう。それでも行くと言うのなら……帝都グルムスパラスへ」

「帝国にオヤジがいるのか?」

 マザーは再び目を布で隠してしまう。

「――それを知るものが帝国に……」

「誰だ。男か? 女か? 名前は?」

 しかしマザーは「答えるべきことは答えました」とそれ以上、口を開くことはなかった。

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