第4話 戦場の女たち(1)

 危うく魔族ババアに喰われそうになりながらも、サバスの森を抜けることに成功したユリアンたち。

 それから数日の間は何の波乱もなく過ごすことができた。

 天気も良く、吹き付ける風はとても心地いい。

 歩いてるだけで、何度欠伸をしたか分からない。

 やがて広々とした平原に行き着く。

「ここはどの辺りだ?」

「オーリー平原ですね」

「それなら、もうすぐ王都だな」

「はい。この平原を突っ切ればあっという間です」

 大きな雲が見渡す限りの大麦やらホップやらの畑に、大きな陰をつくりながら、ゆっくり西へと流れていく。

「ちなみにオーリー平原にある村はとても豊かなんです。牧草地があってそこでたくさんの牛や馬を放牧してて……」

「はいはい、ンなことは聞いてねえ……放牧?」

「はい。そうですよ。ここで育てられた牛や豚は一級品で……」

「畜産をしてるんだったら、なんで何もいないんだ?」

 地平線の彼方まで広がる緑の大地。

 しかしそこには牛や馬はおろか、犬一匹いなかったのだ。

「確かにそうですね……」

(まあ……そのうち、なにか見えてくるだろ)

 そう思って歩き続けるものの、いつまで経っても動物はおろか、人の姿すら見えない。

「ユリアン、あれを見て下さい」

 リシャールが指さした先には黒煙が立ち上り、そして人の騒がしい声が街道の向こうから風にのって聞こえてくる。

 駆け足で声のするほうへ向かうと、これまでの静けさ、和やかさがウソのような喧噪d溢れ、街道には人々が列をなしていた。

 列の先にあるのは、

「……クソ、帝国の連中だ」

 月と太陽の意匠の帝国旗が大きくはためいた場所にあるのは、おそらく検問。

「オーリー平原は王国領のはずですが」

「今は帝国の草刈り場みたいだけどな。連中に見つかると厄介だ。迂回するぞ」

「はい」

 姿勢を低くし、背の高い草に身を隠しつつ、移動する。

 と、駆け足の音が近づいて来た。

 ユリアンたちは草むらに腹這いになりつつ、外の様子を窺う。

 向こう側からやってきたのは、漆黒の甲冑をまとった帝国兵。

「どうだ、いたか?」

「いいえ、捜索範囲を広げてはいるのですが」

「馬鹿者! たかが手負いの獣一匹に何を手を手こずっているっ。さらに人数を増やし、藪の中までくまなく探れ!」

「た、ただちに!」

 足音が遠ざかっていく。

「手負いの獣というのは、魔物のことでしょうか……」

「さあな。まったく。王都に行くだけなのに、面倒くせえっ」

 吐き捨てつつ、腹這いになって道を進んでいくと死臭を感じた。

 見れば、即席の絞首台に何人もの人間が吊されている。

 全員、兵士だ。

 真っ白な鎧に刻まれたのは、五つの山を持った王冠をかぶった女性の横顔。

 帝国と日々しのぎを削っている王国――アルゴノス王国の国章だ。

 横顔の女性は、かつて存在していた統一国家の守護神、ユピエル。

 アルゴノス王国は自分たちこそ、かつての統一国家の後継であることを自負していた。

(こんな場所で見るとは、哀れだな)

 さらに迂回して進めば、他にもうずたかく積まれた王国兵の屍と槍や弓に銃、ハルバートや棍棒などの武器の数々、焼かれた王国旗、死体漁りをする帝国兵――そして、すすり泣く声。

(なんだ?)

 年齢は十歳前後から三十前後くらいまでの女性が十人ほど鉄の檻にぎゅうぎゅう詰めになっていて、それを帝国兵が酒を飲みつつ外からひやかし、下卑た笑いを上げていた。

「女性たちを助けましょうっ」

「ダメだ。ここにどれだけ帝国兵がいると思ってる? 王国の軍を壊滅させた連中だ。やめとけ」

「ユリアン……っ」

「俺の目的は王都に行くことだ。厄介事は勘弁しろ。やりたきゃ勝手にやれ」

「分かりました!」

「は?」

 草むらから何の迷いもなくリシャールは飛び出した。

「なんだ、てめえっ」

「俺たちのことを誰だと――」

 帝国兵の怒号があがった次の瞬間、呻き声と金属音が交錯する。

(あの馬鹿野郎……っ!)

 ユリアンも飛び出し、すぐ手前にいた帝国兵の頭を右腕を変化させたフェンリルで噛み砕き、さらにもう一人も打ち倒す。

 檻車の周りには十人前後の帝国兵がいたが、全員が血の海に沈むまでに十拍もなかった。

「ユリアン、ありがとうございます。手伝ってくださると信じてました」

「王都に行くまでにお前に死なれちゃ困るっ」

 檻に近づくと、ユリアンは牢屋の鉄棒を二本握ると両腕に力を込め、人ひとりが通れる空間を作ってやる。

「早く逃げろ」

 女性たちは怖々と牢から出て行く。

「あ、あの……ありがとう……ございました」

 一番年長と思しき女性が頭を下げた。

「何があった?」

「いきなり帝国兵がやってきて、それで……。男の人たちも、王国の兵隊さんたちもみんな……」

「そうか。あとは好きに逃げろ」

「いけません、ユリアン! 帝国兵がうろついている中を女性だけで逃げるなんて……」

「じゃあ、どうする」

「私たちが警護をしましょう」

「馬鹿言うな――」

 と、駆け足が聞こえる。

 ユリアンは女たちと一緒に草むらに身を隠す。

「大変だ! 青狼せいろうが出たぞ! 女どももいないっ! 青狼が女どもを逃がしたぞー!」

 兵士はわめきながら、遠ざかっていく。

「まったく、お前って奴は余計なことをしすぎだ」

「……すみません」

 ユリアンは女たちを見る。

 彼女たちは顔を青ざめさせながら、小刻みに震えている。

 十歳の子どもは泣くことも出来ず、その円らな瞳には感情がない。

「おい、いいか? 平原を抜ける間、俺の言うことは絶対だ。言うことに従え。いいな?」

「はいっ」

「よし……。リシャール、お前は殿しんがりだ」

「はいっ」

「さっさと行くぞ。早く平原を抜けねえと、警備はさらに厳重になるぞ」

 しかし帝国兵は広範囲に及んでいる上に、さらに女たちが逃げたことで、さらに備えは厚くなってしまった。

 それこそ本当に、強行突破でもしなければならないような状況だ。

(だが、こぶつきの俺たちには強行突破は無理だ)

 身を隠せる場所は――そう考えつつ辺りを見渡せば、日没の空を黒く切り取った建物のシルエットを見つける。

 火をかけられたと思しき建物。

 造りから見て、巫女ドルイドの教会だ。ドルイドは自然と共に生きる女性たちであり、俗世と離れた生活を送っている。

「あの建物が安全か見て来る。リシャールは、女どもを守れ」

「分かりました」

 身を低くしながら教会に近づく。

 元々は白かったであろう石壁は黒く煤け、扉も蝶番が壊れて倒れていた。

 中に入ると、布や木材の焼けた匂いが充満している。

 それでも女たちの一時避難場所としては使えるだろう。

 ギッ……。

 はりの軋みに顔を上げた瞬間、背中に硬いものを押し当てられた。

「動けば、撃つ。……両腕を上げろ。下手なことはするな? 少しでも余計なことをすれば、お前の心臓を射貫く」

 そろりそろりとユリアンは両腕を上げた。

「あんた、帝国兵か?」

「いいや」

 押し当てられたものごしに、殺気をひしひしと感じる。

「お前、もしかして青狼か」

「どうだかな」

 ユリアンは瞬間、身を翻す。

 ダンッと銃が火を噴き、石壁を抉る。

 ユリアンは消し炭になっている長椅子の影に隠れた。相手も同じだ。

「俺は帝国兵じゃない。あんたも違うなら無駄な血を流す必要はないんじゃないかっ。実はな、俺は女連れなんだ。お楽しみってワケじゃない。ついさっき、檻に閉じ込められてたのを助けたんだ」

「……どこにいる?」

「この教会の近くの草むらだ。俺の仲間と一緒に隠れてる」

「なら、呼べ」

「分かった。撃つなよ」

「ああ」

 念には念を入れて残骸を盾にしつつ、匍匐前進で外に出ると指笛で知らせる。

「――ユリアンっ」

 リシャールが声をあげた。

 背後を見ると、銃剣を手に男が突っ込んでくる。

 瞬時に銃剣の軌道を見抜いたユリアンは九十度、身体を右へ逸らせ、銃剣を脇に挟み込むや、目の前にあったガキの顔をぶん殴ろうとするが、拳はすかってしまう。

「や、やめてください……!」

 女性の悲鳴に、ユリアンと男ははっとして動きを止めた。

「ほ、本当に女たちを助けてたのか……」

「だから言ったろ。外は帝国兵がうようよいる。女どもをここにかくまいたい」

「……分かった」

 どうにかこうにか、教会に入ることができた。

 女性たちは心身ともに疲れ果てたのか、建物に入るなり、すぐにうずくまってしまう。

「で、お前は誰だ? 帝国兵じゃないんだろ」

「王国軍第24猟兵小隊隊長、オタカル。あんたは?」

「俺はユリアン。で、こいつはリシャール。スレイヤーだ」

「スレイヤー……。王国に雇われたのか?」

「いいや。王都に野暮用があってな。この女たちを助けたのは、まあ……事故みたいなもんだ」

 オタカルは暗闇の中でも分かる、青い髪に子どもと言っていい幼い顔、そして左目に包帯を巻いている。

「お前が青狼っていうので、いいんだな」

「まあな」

「随分とお若いようですが?」

「ああ、今年、十五だ」

「マジでガキだな」

 カチャッという金属音と共に、オタカルが銃を構える。

「お、落ち着けよ……」

「ナリはガキだが、銃はガキにだって扱えるんだぜ、おっさん」

「おっさんじゃねえ。こっちは十九なんだ。年上はうやまえ」

「オタカル君、銃を下ろして」

「お、オタカル君……?」

 リシャールのマイペースぶりに調子が狂ったらしいオタカルは、銃を下ろす。

「オタカル君、状況を知りたいんですが」

「その奇妙な呼び方はやめてくれ。オタカルでいい。――俺たちはこの平原で演習中だったんだ。そこへいきなり帝国の豚共がやってきやがった。駐屯部隊と協力して迎え撃ったが、結果はこのザマ。敵の部隊長を何人か仕留めたが、それで止まるような連中じゃないしな」

「この平原を抜ける方法は?」

「ある」

「教えろ」

「ダメだ」

「おい、この女たちが見えないのか?」

「教えてやるが、その前にやって欲しいことがある。それを果たしたら案内してやる」

「嫌な予感がするけど、試しに言ってみろ」

「ここから数キロ行ったところに収容所がいる。この一帯で帝国兵が狩り出した女性や子どもたちがそこに閉じ込められ、帝国内に輸送されるのを待っているんだ。その人たちを助けたい」

「余計なことをしてるヒマは……」

「ないか?」

 オタカルはポケットから、金色のペンダントをとりだす。ペンダントのフタには、赤い宝石がはめこまれてる。

「スレイヤー。これで、あんたたちを雇いたい」

「寄越せ」

「……………」

「早くしろ。盗まねえから」

 少しためらいつつ、オタカルはペンダントを寄越してくる。

 匂いを嗅ぐ。

「おい、何してるんだ」

「本物か調べてるんだ」

 甘い、酔い痴れそうな香り。本物だ。

 偽物だったり、質の悪い金属からは無臭だったり、刺激臭だったりすがする。

 これもキメラの特性の一つ。

「これ、お前の持ち物か?」

「いや。帝国兵がここを略奪をしてるのを見つけたから、ぶっ殺して、取り返したんだ。他にもある」

「悪いが、無理だ」

 ユリアンはペンダントを投げ返す。

「どうしてだ。スレイヤーだろ?」

「スレイヤーだからだ。スレイヤーは特定の国家に肩入れはしないし、人殺しが仕事じぇねえ。魔物殺しが仕事だ。収容所を襲撃すれば、王国と帝国の戦に首を突っ込むことになる。そういうのはスレイヤーにとって御法度なんだ」

 オタカルは笑った。

「? 何がおかしい」

「襲撃する必要はない。実際に救出するのは俺の役目だ」

「なら、俺に何をさせるつもりだ?」

「収容所の目立つ場所で何でもいいから、騒ぎを起こして、警備の兵士たちを釣ってくれればいい」

「なるほど。で、手薄になったところから救出、か」

「それならいいだろ。お前らは連中を引きつけてくれればいい。うまくいったら、街道まで連れて行く」

「ユリアン、依頼をうけましょう。人助けも出来るし、この平原も脱出出来る、おまけに先程のペンダントで旅費も稼げますっ!」

 ユリアンは建物の片隅で震える女性たちを見る。

 ぐずぐず考えてる時間はない。

「……いいだろ。ペンダントを寄越せ。よし、これで依頼を受けた。あくまで依頼は陽動だ。オタカル。自分の身は自分で守れ」

「分かってる。――みなさんは、地下にいてください。作戦がうまくいけば、迎えにきます。もし明日の朝まで戻らなかったら、申し訳ありませんが、自力で逃げてください」

 女性たちが頷く。

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