闘技場(2)

 赤錆色の髪に、右の頬に赤いタトゥーを刻んだ男が、草原に立つ。

 男の目に前にいるのは、男の何倍も巨大な身体を震わせる、ガーゴイル。

 コウモリのような翼を四枚はやし、ゴリラのような顔に、腕は四本。足は大木のように太いのが二本、そして蛇のような尾を持つ。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 ガーゴイルは威嚇するように身体を低くしながら、吠える。

 このガーゴイルはたびたび近隣の街を襲うので、スレイヤーとして男――ユリアンが雇われたのだ。

 本来、スレイヤーであれば弓矢や剣や楯、何枚も鋼を重ねた鎧で武装しているものだが、ユリアンはといいえば、まるで散歩をしに来たというような薄手の服に、外套を羽織っただけで、さらに無手だ。


 グラアアアアアアアアアアアアアアアア!!


 ガーゴイルが翼をはばたかせると、これまで通り、その四本の腕でユリアンの身体をさらおうとする。

 しかしユリアンは四本の腕からさらりと逃れ、側面に回避する。

 ガーゴイルは慌てて方向転回をして襲うが、次もユリアンを補足することは叶わない。

 ユリアンはガーゴイルの背後を押さえると、背中に飛びつく。

「終わりだ!」

 ユリアンがガーゴイルの腕に、左腕を深く埋めた。


 ギイイアアアアアアアアアアアアアアアア!?


 ガーゴイルが呻き、翼を大きく羽ばたかせて空高く舞い上がり、ユリアンを振り落とそうと錐揉きりもみするが、通じない。

 ユリアンは腕をますます深く埋めれば、次の瞬間――ガーゴイルの身体から巨大な蛇が飛び出す。

 ユリアンに巣くう、悪蛇――スマイ。

 スマイはガーゴイルの硬い皮膚もお構いなしに食い破り、たちまちその肉体を血みどろに変えてしまう。


 グァ、アア、アアアア……。


 ガーゴイルの翼から力が失われ、落ちていく。

 ユリアンはガーゴイルが地面とぶつかる寸前に離脱し、地面に降り立った。

 さっきまで蛇の形をしていた左腕は、人間の腕に戻る。

 そこでようやくユリアンは背中の革ケースから太い刃のナイフを取り出すとガーゴイルの首をどうにかこうにか斬り取り、荷車にのせた。

 ユリアンが依頼を受けた街を訪れると、人々は荷台に雑然とのせられたガーゴイルの頭に怖れをなし、遠巻きにする。

 ひそひそとした話し声を尻目に、ユリアンは構わず進む。

 スレイヤーは魔物同様、煙たがられるのは今に始まったことではない。

 場合によっては仕事を済ませたあとは迷惑者のように追い出されることもしばしばで、今の反応も大したことではなかった。

 向かう先は依頼人――この街の市長。

 市庁舎前で荷車を止めると、首を両腕で抱え入って行く。

 役人たちの唖然とした顔を尻目に、二階の市長室へ。

 市庁舎は人でごった返しているが、ユリアンの姿にざわめき、左右にどいて道を作ってくれた。

「入るぞ!」

 扉を無遠慮に開け放つと、市長がびっくりした顔のまま、イスに踏ん反りかえっている。

「よ、市長さん。仕事をすませたぜ?」

 ユリアンは抱えていたガーゴイルの頭部を床に置いた。じんわりと床がガーゴイルの鮮血で濡れる。

「ひいいいいい!?」

 顔を青ざめさせた市長は、イスの背もたれにとびついた。

「仕事はすませた」

「へ、あ……?」

「仕事はすませた。金だ、金」

「あ、ああ……」

 市長は呆然としつつも机から銀貨の詰まった袋を差し出してくる。

「毎度っ!また何かあったら頼むぜ!」

 袋の中身を確認すると、悠々と市庁舎を去る。

 頭の中で、今日の夕飯は何にしようかと考えつつ、市場をひやかす。

 市場では香辛料や豚や羊肉、新鮮な川魚やら、装飾品などが並べられている。

(特に欲しいものはないか。じゃあ、酒場か?)

 そう考えているところに、会話が聞こえて来た。

「――聞いたか、キサカ砦で闘技場が行われるらしいぜ」

 闘技場。ユリアンはその言葉に反応し、背中で二人組の男の会話を盗み聞く。

「マジか。いいなぁ、見に行きてぇなぁ」

「おいおい、服も買えねえ奴が何言ってんだ」

「お、俺は古着が好きなんだよっ」

(キサカ砦、か)

 闘技場は本来、兵士の訓練のために作られた場所だが、今では戦争捕虜や奴隷と猛獣、魔物を戦わせる娯楽施設になっていた。

 そして闘技場がとんでもない場所だということを、ユリアンは知っている。

 ユリアンもまた、そこにいた。

 孤児だったユリアンは人買いに売られ、闘技場に流れ着き、なぶり者にされた。

(オヤジがいなかったら、俺はとっくの昔に死んでたな)

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