第16話 花が咲けば実がみのる

 大きな銃声と、血が飛ぶような水音がした。




「無茶をするなら押し通せ、馬鹿者が!」


鬼の返り血と自らの出血で白の軍服を染め上げた名取と、御堂の剣が青鬼の胴を十字に裂いた。累の放った弾丸が赤鬼を貫く。


「名、取さん…。すみません」

「残弾数の確認を怠るなど、三流がやることだ」


自らの無茶を押し通してここまで来たくせに、何も貢献出来ていないことにレイは腹が立った。空になった銃を強く握る。


 他も戦闘が終わったらしい。周囲は静かで、後悔の怒りに震えるレイの心臓の音は、皆にも届いてしまいそうだった。


「レイ、後悔は後だ。まだ敵はいる」


名取は握りしめられた銃を抜き取り、弾倉を変えてやる。そうだ、未だ敵は目の前にいる。


「白鬼、残りはお前だけだな」


御堂が、倒したばかりの青鬼の背に立ち口を開く。レイがちらりと視線を走らせれば、向こうに緑の塊が倒れていた。桃もKB-dng錠を服用できる。その効力で睡眠を回避し、倒したのだろう。レイはそう思った。しかし続く白鬼の言葉で、それが否だとわかる。


「自らの体に刃を突き立て睡眠を回避するとは、恐れ入ったね。とてつもない精神力だ。賞賛しよう。だがその腕やら足やらはもう、ほとんど動かんだろ?」


白鬼の言葉に、レイは二人の体に目線を戻す。御堂の左腕、名取の右足には深い傷があった。これを眠りから逃れるために、自らつけて意識を保ったようだ。先の戦いで既に服用し、もう服用することができなかったからだ。


「貴様など、左足一本あれば十分だ」


血の気の引いた顔で睨みながら名取は言う。それから弾倉をかえた銃をレイに渡す。その手は小さく震えていた。その手に、何も出来ていない自分に対するレイのもどかしさが再熱する。


「大人しく、死んでもらおうか」


同じく血を流す御堂が言う。しかし白鬼は、追い込まれても尚、飄々としていた。


「おう、怖い怖い。老いぼれのか弱い鬼に寄って…ああ、おっかない」


その態度に、御堂の、名取の、刀を握る手に力がこもる。レイもギリギリと、銃を強くにぎった。


「アヤメ、ジジのこと嫌い。怒ってる。許さない。それを言いに、ここまで来た」


アヤメは涙の膜を張った目で、白鬼を睨みつける。


「大事に育ててやった恩を忘れたか。失礼な孫だ」

「アヤメ、ジジの孫じゃない。アヤメは怒ってる。だから、レイの弾丸をジジにあげる」


アヤメの頬を、また涙が伝った。たださっきの涙とは違う。強い怒りが、瞳に宿っている。その涙を見て、怒りの声を聞いて、レイの身体が熱くなる。


───そうだ。俺は、アヤメのために、この手でこいつを撃つと決めた。


後悔に揺れていた意志が、また強く燃え始めた。


「ははははは!孫に死ねと言われるとは、実に気分が悪い。私は死ぬなら気持ちよく死にたいんだ。だから簡単に死んでたまるか」


白鬼が高らかに笑った。力の弱いこの鬼一体でどうしようと言うのかと、三人が思った時だった。


才鬼サイキ、殺れ」


高らかに笑っていた声から一変した、鋭い声を放つ。するとあの緑の鬼が、血を流しながらも立ち上がる。急激な眠気が襲った。


「何故、生き、て…?」


名取は地に臥せた。御堂はなんとか耐えながら声を出す。しかし睡魔と出血のせいか、ほとんど力が入らないようだった。


「そこな男がアヤメを通して教えてくれた。ナイフで鬼の生き死にを判断していると。だから才鬼には伝えてあった。死にかけたら、死んだふりをしなさい、とね」


ニヤリと持ち上げられた口角から、白い牙が覗く。


 ついに御堂も倒れた。レイも眠気に襲われ、アヤメを抱いていること以前に、立っていることすら厳しくなる。アヤメの大きな目も、半分以上が閉じかけていた。


「貴様ら戌とやらが飲む薬は、大体十五分で効力を失うようだ。その効果が切れれば才鬼の力も通じる。先ほど、この桃どもを眠らせる時は時間を測り損ねたようだが、今回は問題なさそうだな。眠っていてさえくれれば、私の力とて貴様らの首は易い」


レイはアヤメをできる限りゆっくりと地面に下ろす。唇を噛み締め、そこから滲む鉄の味でなんとか意識を保った。そのままホルダーの小瓶に手を伸ばす。蓋が硬くて開かないそれを、地面に叩きつけた。できるだけアヤメに害のないようにとは意識したが、体は思うように動かず錠剤といくつかの瓶の破片がアヤメの近くにも飛んだ。


「よく喋る、爺さんだな」


レイは散らばった錠剤を拾う。うまく手に力が入らず、ちょうど山になった場所から二錠拾うのがやっとだった。さらにそこから一つだけを取り除くこともできず、面倒になってそのまま二錠を口に含んで嚥下した。


 数秒も経たないうちに、レイの眠気が吹き飛ぶ。体が熱を持ったように熱いのに、どこか寒くも感じる。身体の内側がじくじくと痛む気もしたが、それ以上に身体が軽い。


「よく喋る爺さんは、孫に嫌われて当然だ」


 レイは一気に地面を蹴ると、白鬼の元まで突っ込んだ。しかし目の前に、緑の巨体が立ちはだかる。その緑鬼は睡魔が効かないとわかってか、おもむろに自分の手を口に突っ込むと体内から巨大な薙刀を出現させた。それを見たレイは左手で名取の剣を拾い上げて握りしめる。それから眠る者たちを傷つけないように、自らに引きつけ距離を取る。


 レイは名取の剣でなんとか薙刀を捌いていた。しかし大きな薙刀はリーチの差が歴然で、徐々に傷も増えていく。しかしレイは痛みなど感じないような様子で鬼の巨体に何度も挑んだ。


 だがその身体は痛みを感じないのではない。全身が常に痛み、傷を負っていることに気づかないのだ。身体の表層は暑いのに、内部は気持ち悪いほどに冷えて痛む。それなのに、やけに軽い身体がレイに戦えと命じていた。


 リーチの長い獲物を相手どるには、間合いの内側に入るのが効果的だった。そのためレイは壁を蹴り、瓦礫を蹴り、地面を蹴り、剣で薙刀を捌いて攻撃の機を伺う。その移動速度は人間とは思えなかった。しかし、鬼も間合いに入られるとまずいことを自覚しているのか、鈍足ながらもすんでの所でそれを避けた。


 ならばとレイは、薙刀の攻撃範囲外から銃での攻撃を試みる。しかし筋力が異常なほどに変化したこの状態では照準を合わせることが難しい。一度引き金を引いたが、弾丸はかすりもしなかった。


 レイはちらりと周囲に目を向ける。あるのはボロボロの廃ビルと瓦礫の山だけで、攻撃に使えそうなものなどなにもない。こちらをジロリと眺める白鬼も目に入る。眠った相手なら勝てるにも関わらず、名取たちは放置したまま、じっとレイを観察している。余すことなく情報を抜き取ってやろうという、そのじっとりとした目がレイは気に食わなかった。


 もう一度鬼に視線を戻す。血を流しながらもぶんぶんと薙刀を振っている。型があると言うよりはただ力任せに近いその薙刀が、レイに向かって振り下ろされた。レイが後退してよければ、背後にあった鬼の背丈ほどの瓦礫にあたって止まる。


 今だと思った。瓦礫にぶつかって薙刀が止まったその瞬間に、レイは鬼の胴体に突っ込んだ。左手の刀を鬼の左胸あたりに刺し、それにぶら下がるように柄を握りしめた。今度は顎に銃口を当てると、頭の先へ撃ち抜くように銃を放つ。今度は当たった。


 レイが三発放ったところで、鬼はレイの脚を掴むと投げた。レイの体が宙を舞う。レイは飛ばされながらも体勢を整え、ビルの壁に足から辿り着く。全身をバネのように柔らかくしならせると衝撃を受け流し、そのまま地面に降り立った。肩で息をしながら銃を構える。その呼吸音は、明らかにおかしい。それでも鬼は薙刀を手に、レイに突っ込んでくる。


 突っ込んできた鬼に対して、引き金を引く。これなら当たるかと思ったが、引き金を引く際に銃口がぶれる。頭を狙ったつもりが左腕へと逸れた。右肩に先程の剣を刺したまま、薙刀を振り回す鬼が徐々に近づいてくる。薙刀が振り上げられ、レイに向かって降ってきた。


 レイはそれをなんとか回避する。必死に地面を蹴り、鬼の背後に回る。武器はもうこれしかない。レイは銃を構えた。


『道標を確認。カラー グリーン。命中します。』


引き金を引く。銃弾が鬼の頭を貫いた。もう一度、二度、三度、四度、引く。全てが鬼の頭に潜り込み。緑の巨体が地面に崩れた。鬼の背にある壁、先ほどレイが投げつけられた壁には、小さなナイフが刺さっていた。


「つ、ぎは、お前、だ…」


自らの血と砂埃で、金の髪を汚したボロボロのレイは、緑の鬼に背を向けると歩きだした。歩きながら、にやりと笑ってこちらを見やる白鬼に口を開く。しかしその口からは声を出すたびに血が溢れた。


「勇ましいねえ。そのボロボロの体で何ができると言うのかね?」


白鬼はそのボロボロの姿を楽しそうに見ている。レイはふらつく足をなんとか前に進めた。


 たった数メートルの距離を長い時間かけて歩き、レイは漸く白鬼の元に辿り着いた。呼吸はヒューヒューと異様な音を立てている。


「ア…ヤメ、の…怒、り…を知、れ…」


レイは白鬼の眼前に銃を突きつけた。しかしその腕はガタガタと揺れ、引き金を引すなど、できそうもない。


「ははは、実に面白い。その死にかけで私にまだ銃を向けるか。命乞いをしたほうが良いと思うが?」


鬼が笑う。レイはゴフッと濁った音を立て、大量の血を吐いた。鮮血が白鬼の、真っ白な和服を汚す。それでも最後まで戦う意志を見せるレイは、弱々しい力で銃を白鬼の頭に向かって投げた。それから地面に向かって崩れ落ちる。レイが最後に投げたそれは、虚しいほど簡単に避けられて鬼の背後でガランガランと音を立てた。


「実に面白い戦いだったよ。私の着物を汚したのはいただけないがね」


白鬼は、倒れたレイの頭を踏む。木製の硬い下駄が、血で汚れた美しい髪をさらに汚した。


「お前の髪は私に似て美しいのに、中身は私と違って残念だな。命乞いでもすれば助けてやったのに。私はこれから鬼の国を築く。君たちはその足掛かりとなってもらおう」


踏まれながら、レイは何か言葉を口にしていた。小さな声のそれは、吹いた風に流されて消える。


「お?なんだね、今更命乞いか?」


その小さな呟きを聴き取ろうと、白鬼はニタニタと下品な笑みを溢しながら屈んだ。しかしその笑みは、すぐに消える。


「バイバイ、ジジ」


『ユーザーの変更を承認しました。銃をアンロックします。』


タァン


乾いた音が響いて、白鬼の頭に穴が空いた。

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