第15話 そこに桃が咲く

「総員、かかれ!まずは厄介な緑を優先だ!近づく戌隊は薬の効力に気をつけろ!!」


御堂の声が響き、各員行動を開始する。


「酉隊、金棒を持つ赤鬼の数は残り十四。お前たちも今ならいける!飛べ!!」


名取も続いた。


「申隊諸君、戌隊のナイフが封じられた今、鬼の動きを止めるのは易くない!諸君の力で敵を撃ち抜け!!」


木野も肩で息をし、疲労の色を滲ませながら、なんとか鼓舞する。


「おいレイ、戦わないなら引け。邪魔だ」


累はこの屋上からライフルを構え、敵を睨んでいた。そこから目線を切ることなく、言葉だけをだけをレイに向ける。レイは涙を流すアヤメを抱え、戦うことなくそこに立ち尽くしていた。累の言葉は届かない。


「レイ、アヤメの大切なもの、なくなっちゃった…」


アヤメがぽつりと言葉を落とす。つられるように、頬を涙がつたう。


「俺は、アヤメの大切なものになれない?」


その涙を親ゆびで拭いながら、レイが訊いた。アヤメはふるふると首を振る。それから「わかんない」と小さな声で答える。振り落とされた涙が、レイの長い金の髪に移った。


「俺はアヤメを泣かせたあの鬼が許せない。あいつを倒したら、アヤメは哀しむ?」


アヤメはまた小さく首を振る。また「わからない」と言うかと思った。


「でも、アヤメはジジに、怒ってる」


しかしアヤメは強く、まっすぐに、涙を浮かべた瞳でレイを捉えるとそう言った。


「そっか。じゃあアイツのところまで行って、二人で伝えよう。怒ってる、許せないって」


アヤメが小さな手で、涙を拭う。それから大きく頷いた。


「おい、レイ!逃げろ!!」


その時、累の声が響いた。このビルの外壁を赤鬼が一体、登ってくる。


「アヤメ、アイツのところに行くまで喋っちゃダメだ。舌を噛む。それから俺に、しっかり掴まってろ」


レイは薬を飲み込むと、左手一つでアヤメを抱えた。空いた右手では銃を掴む。そのまま登ってきた鬼に放った。パンパンと乾いた音がして、鬼がふらりとよろける。


「累、頼む」

「了解」


今後は轟音と眩い光が広がり、先ほどの鬼を貫いた。


「レイ、片手じゃナイフ、使えないよ。下ろして」

「喋るな。集中しろ。敵がそこらじゅうにいる」


レイの鋭い言葉に怯むことなく、アヤメもギッと戦場を睨んだ。


「累、俺は確実に鬼に弾を与えてやる。お前も逃さず撃ってくれ」


レイは屋上の淵に足をかけると、累にそう言った。


「おいお前、その子を抱えたまま行く気か?死ぬぞ!」

「俺とアヤメはあのクソ野郎に用がある。援護を頼んだ」


それだけ言って、レイは地面に向かって飛んだ。累の静止の声が、遠く離れていく。


 人と鬼が乱れる地上の戦場に、二人は足を踏み入れた。立っている鬼は残り十五体ほど。しかし緑鬼の影響で多くの者が眠り、戦闘不能になっている。桃は御堂と木野、名取の他にはおらず、戌と酉も合わせて七人ほどだった。遠距離射撃を行う申はまだ大分残っているようだが、当てるのに苦労しているらしい。怪我人も多く、早く戦闘を終わらせないと大勢が死ぬ。


「おいレイ、貴様そのまま戦う気か?」


指示を出したあと、地上で三体の鬼と交戦する名取がレイに言った。少しだけ肩で息をしているが、目線の鋭さは少しも衰えてがいない。手には大きな日本刀と銃が握られている。


「俺たちは、アイツに用がある」

「戌は戌でも、犬死はよせ」

「迷惑をかけてるのは、重々承知です。でも、どうしても、こうしないといけない気がして…」


名取が日本刀を一振りする。赤黒い人間と同じような色の鬼の血が飛び、名取のため息を彩った。


「止めたいところだが、何故か私もその気持ちがわからんでもない。だから止めやしない。その代わり、お前たちが死ぬのは全力で止めてやる!」


「ありがとうございます!」


言い終わると同時に、名取は目の前の鬼に向かって突っ込んだ。レイも白鬼の方へ駆け出す。身体中の血が沸いていた。


 白鬼の周囲は二体の赤と青、それから緑の鬼が守っていた。白の力は弱い筈だ。周囲の鬼をなんとかできればなんとでもできる。ただ、厄介なのは緑鬼だ。薬が効いている今のレイが眠ることはないが、アヤメは違う。近づきすぎると眠らされる。眠ってしまえば、抱えていることが一層むずかしくなる。


 レイは緑鬼に向かって引き金を引いた。近づけるギリギリの距離から倒すことを考える。しかし弾丸は左肩を掠っただけで、ほとんど影響を与えられない。


 鬼たちは倒壊したビルの瓦礫が立ち並ぶ場所にいた。その瓦礫の影をうまく利用し、撃ち込まれる弾丸を避けている。当たり前だが弾薬には限りがある。無駄撃ちは出来ない。


「ほう、面白い。アヤメを連れてここまでくるとは。無駄死をご希望かね?」


巨大な鬼の背でこちらを視認できていなかった白鬼が、緑鬼を掠めた弾丸でようやくレイに気がついたらしい。嫌な笑みを向けている。アヤメは何も言わず、ただ鋭い目で睨んでいた。


「育てた爺をそこまで睨むとは、おお、怖い怖い」


二人のはらわたが、沸々と煮える。


「アヤメの記憶によれば、レイとやらは戌だったか? さあ、ご希望通りの犬死をくれてやろう。伊鬼イキ雨鬼ウキ、行きなさい」


白鬼の呼びかけで、金棒を振り上げた二体の赤鬼が向かって来た。レイは銃を構え、慎重に照準を合わせる。引き金に指をかけて、ブレないように引く。突っ込んでくる鬼の頭に穴が空いた。しかし鬼は頭に小さな穴が空いた程度では死なない。立て続けに六度引き金を引き、穴を増やす。鬼の体は、漸く振り上げられていた金棒と共に、重力に従って落ちてきた。横に跳んで避けると、ガアンと轟音がして砂埃が舞う。


 休むことなくもう一体が来る。避けたばかりで体勢が照準定まらず、放った弾丸は足を撃ち抜くだけに留まった。振り落とされる金棒を避けながら、もう一度、引き金を引く。今度は僅かに鬼の体を逸れた。続け様にもう一度引く。なんとか左の腿を撃ち抜いて、鬼の体がバランスを崩す。もう二度三度、撃ち込まなければと銃を構えた瞬間、鬼の体が吹き飛んた。累が放った弾丸が鬼を貫いていた。


「ほう、ナイフなしでここまで当てるとは、なかなかだな。他の者どもは相当苦戦していたと言うのに。それにあそこの狙撃手も厄介だのぉ。自慢じゃあないが、私には他の鬼にはない知能がある。この程度、周囲に瓦礫を配置してやれば狙撃はできんと踏んだが、例外もいるらしい。私の頭脳もまだまだのようだね」


「お褒めにあずかり光栄だ」


ナイフはあくまでも補助的な役割に過ぎない。無くても撃てることはできる。だがレイには累ほどの命中精度はない。ここまでの四発は、距離が近いとはいえ、正直、出来過ぎだった。


「さてと、残りの厄介なのはあそこの桃と呼ばれていた男女と、それからあそこの狙撃手、ここの命知らずか。よし、それぞれ叩いていくとしよう」


白鬼は声を上げるとまた、鬼たちに指示を出した。

 名取や累の元に鬼が向かっていく。木野は地面に膝をつき、肩を大きく揺らしていて既に戦えそうになかった。彼らが死ぬことは無いだろうが、こちらの援護が出来ないだろうとレイは悟る。緑は名取と御堂の元に向かった。ここに残るのは赤と青の二体。


 大きな咆哮と共に、青鬼が火を吹いた。周囲が熱に包まれる。どう戦おうかと思案しながら、レイは不味いことに気がついた。おそらく銃の残弾数が少ない。弾倉はホルダーの中にあるが、アヤメを抱えていては変えられない。ここで弾を外すのは洒落にならなかった。


「アヤメ、喋らずにじっとしておけよ」


そう言うと、レイは周囲の瓦礫の山を一気に駆け上がって跳ぶ。青鬼の背後に回り込むと、鬼の後頭部に向かって突っ込んだ。

 振り向かれたら終わりだ。レイはこんなにも賭けのような戦闘は正直嫌いだったが、今はなりふりなど構っていられなかった。鬼の肩に足をかけ、火の吹けない後頭部に銃口を当てて引き金を引く。早くと終われと祈りながら、続け様に引いた。


 しかし、終わったのは、弾丸だった。三度目以降は発砲音が消え、代わりにカチカチという機械音だけが響く。普段の戦闘では絶対にやらないような、怒りと興奮からくるミスだった。

 レイの頭が真っ白になる。


「レイ、後ろ!!」


約束を守り、静かに口を閉じていたアヤメの悲痛な声が、ぼんやりと膜を張ったようなレイの鼓膜に響いた。振り上げられた赤鬼の金棒が、振り返ったレイの目に止まる。ついで青鬼が振り向くのを、青鬼の体にかけた足が感じた。全てがスローモーションに見える。


 レイにはもう、どうすることもできなかった。

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