第12話 とにかく戌は走った

 朝日が差し込む草原に、大きなヘリと複数の男女が背丈よりも少し長い影を描いていた。


「これより我々は本部に向けて帰還する。ヘリで上空を飛行する我々が攻撃されることは殆どないが、常に地上の監視は怠るな。怪しい動きをしている奴らを発見した場合は直ちに叩くぞ」


名取が立つここは、昔、山口県と呼ばれていた場所にある古い学校のグランドだ。だがその面影は、今やほとんどない。


「はあ、やっと終わるんですね。僕、これが初めての遠征だったんですけど、たった三日がすごく長く感じました」


小柄な男がヘリに乗る順番を待つ累に溢し、安堵の笑みを見せる。背中には木に止まる鳥のように、小さく畳まれた雉翼ジヨクをつけていた。


「阿呆。帰りつくまで気を抜くな」


累はその背中に拳を入れる。しかし翼を背負った男には何のダメージもない。


「だって、ヘリに乗っておけば、襲われることないじゃないですか」


「逆だよ、逆。お前だって見ただろ?桃域から南に行けば行くほど、取り残された人間も多い。そいつらが襲われてるのを見かければ助けに降りるし、北上してる鬼を見かければ桃域に近づく前に叩く。こっちが襲われる心配じゃなくて、こっちが襲う話をしてんだよ」


「それはわかってますけど…」


累がぎっと睨めばモゴモゴと言い淀み、後半は何を話しているかはわからなかった。だが、そんなことそうそうに起きる物じゃないですよね、とでも言いたかったのだろうと、累は容易に予想する。

 

 桃域から南、主に昔の中国、四国、九州と呼ばれた地域は鬼の街、通称 鬼街オニマチだ。だがここには、何も鬼だけが住んでいるわけではない。取り残された人間がまだまだ生きている。取り残され、隠れて暮らす集落や、野菜や穀物を雑食である鬼のために育てる労働力として使役されている者、或いは食糧として飼われている者がいる。だが鬼の数も人の数も多く、ヘリで向かって人だけを回収してくるのは困難で、もう随分と長いことこの状態が続いていた。


「累先輩は、遠征の帰りに鬼退治、したことあるんですか?」


「ああ、何度かな」


ようやく順番が回ってきて、乗り込もうとする累の背中に先程の男がまた聞いた。本来そんなことはほとんど経験したことなかったが、少し誇張して答える。男は「そうですか…」ため息をつきながらヘリに乗り込んだ。累もあとにつづく。それから大きな音をたて、ヘリが空に向かって浮かんだ。


 飛行は順調だった。あと二十分も飛べば本部に着くだろう。ようやく見えた終わりに、隊全体の緊張の糸は緩み始める。先ほどの雉翼を背負った男はコックリコックリと頭で船を漕ぎ始め、木野も隠していた疲労の色をその表情に滲ませていた。名取と累だけは未だ集中を途切れさせてはいないように見えたが、付き合いのそれなりに長い互いが互いを見れば、痩せ我慢をしていることぐらい容易に勘づくことができた。


 その時だった。


「な、名取さん、木野さん!!」


畳んだ雉翼を背負い、地表を監視視していたボブヘアの女が突然大きな声を上げた。


「どうした?」


その異様な声に、一気に集中のスイッチを入れ直した名取が駆け寄る。


「あ、あそこ…」


女は震える手で、双眼鏡を名取に渡した。


「あれは…!」


多数の鬼が群れを成して、このヘリが目指す目的地、本部に向かって歩いている。


「総員、地表に鬼の群れを確認!!やつらは我々の家、第三本部に向かっている。此処で叩くぞ!!」


「なに!?まずは第三本部へ通達。すぐに戦闘員を集めさせろ!それから周辺の第二・第四本部へも警戒するように通達を!」


もう一人のトウである木野も、すぐに声を上げた。しかし、その表情には焦りが見える。無理もない、こんなこと、ここ何年も起きていなかったのだ。


「大丈夫だ。我々が今やるべきことに集中しよう」


そんな木野に名取は声をかける。しかし名取も内心は焦っていた。鬼は力は強いが足は遅い。さらに桃域の周辺に鬼は少ない筈だ。それがいつの間にあんな数がこんな場所まで、とぐるぐると思考が巡っている。名取は目を瞑り、息を吐いた。それから集中するように、両手で自らの頬を叩く。


申隊シンタイ砲撃用意!」


隊員の一人がハッチを開ける。強い風がヘリの中に吹き付けた。


破温羅ハオラの雨を降らせる!奴らを撃ち抜け!!」


ヘリが鬼の群れの上空に到達する。累を含む、六人の申たちが一斉に鬼に向かって引き金を引いた。轟音と閃光がヘリの中を満たし、地表では砂埃が舞う。しかし数も多ければ距離も遠く、ほとんど数を減らせない。


酉隊ユウタイ、雉翼で下降し中距離から敵を撃て!!」


「「了解」」


六人の、翼を背負った酉がヘリから飛んだ。あの居眠りをしていた小柄な男も、不安と苛立ちの表情を滲ませながら滑空する。累は、飛行する六つの影に当てないよう、先程よりも慎重に照準を合わせた。その時


「なに!?」


双眼鏡を覗いていた名取が驚きの声を上げた。照準を合わせていた視線を一度切り、累は名取を見る。名取は双眼鏡を覗き込んだまま、額に汗を滲ませていた。累はもう一度地上に目を向ける。あの小柄な男と思われる翼と、普段は赤鬼の手に収まる金棒が、地面に向かって降下していた。


 名取の話によれば、赤鬼が金棒を投げて酉を打ち落としたらしい。そんなことこれまでなかった筈だ。さらに信じられないことに、それを指示し、統率を取る鬼がいたという。


「酉隊、一時撤退だ!ヘリに戻れ!!」


名取が酉隊のイヤホンへと繋がる端末を通じて指示を出す。すると徐々に酉たちが集まり下ろした梯子から登ってくる。だがその影は五つに減っていた。

 雉翼では、自力で飛び上がることはできない。これは本来、高いところから降下して、風を掴んで飛ぶための道具だ。それを知りつつ、累は静かに落ちたあの男の無事を祈った。



─────



 時を同じくする第三本部では、慌ただしさが増していた。


「間も無く鬼の群れが第三本部管轄区域内に入るらしい」

「非戦闘員にも順次、避難指示が出てる」

「ここまでデカいの、俺はじめて経験するぞ。本当に大丈夫なんだよな」


廊下がバタバタとざわついている。


「アヤメ、鬼がこっちに向かってる。アヤメはカケヒさんと一緒にもう少し東の方に避難するんだ」


「やだ、アヤメも行く」


しがみつく腕を払い除け、レイはアヤメを筧に引き渡そうとする。


「大丈夫、向こうには筧さんも神田さんもいる。ここよりずっと安全だ」


レイは何とか宥めるが、アヤメは「やだ」の一点張りで、もうずっとこの状態がつづいていた。


「アヤメ、ここも、鬼街も危ない」


しゃがみ、目線を合わせ、ゆっくりと落ち着いて言い聞かせるが、アヤメは首を横に振るだけだった。


「レイと、一緒がいい。アヤメも一緒に行く」


「それはできない。俺は戌だから、アヤメたちを守るために戦いに行く。戦場にアヤメはつれていけない。だから頼む、俺のお願いを聞いてくれ」


過剰摂取の影響と名取の不在を考慮され、最前線へは送られないものの、この事態にレイへも後方での戦闘命令が降った。こうして宥めている間にも時間は進み、鬼はこちらに向かってくる。アヤメに対して冷静に話ながらも、レイは内心焦っていた。


「なあアヤメ、お願いだ。鬼たちを何とかして、すぐに戻る。だから、今は我慢してくれ」


「でも、アヤメも、行きたい。行かなきゃ」


アヤメの目を真っ直ぐに見つめる。大きな黒い瞳に張った厚い涙の膜が、真剣なレイの表情を反射した。


「お願い」


頬を撫で、もう一度言う。アヤメが目を伏せて、長いまつ毛が影を作った。その時、


 ガァン!


と大きな音が部屋中の空気を揺らした。三人の視線が、鬼街の方を映す窓に向いた。遠くで砂埃が上がっている。


「もう、あんなとこまで…」


遠くとはいえ、人間への脅威が肉眼で確認できる位置まで来ているのだ。筧の顔は強張り、額にじっとりと汗を滲ませている。アヤメもその砂埃を真っ直ぐに見つめたまま、固まっていた。それから


「レイ…鬼が、来る…行か、なきゃ」


と小さな声でつぶやいた。


 ガタンと大きな音を立てて、レイは立ち上がる。アヤメの声を聞いた瞬間、あの小さな子を自分が守らなくてはならないのだと感じた。


「筧さん、急いで避難に!」


何とかその言葉だけを残し、アヤメを振り解いてレイは走った。急いで武器庫に向かうと銃とナイフ、弾薬をホルダーに詰めた。支給が止められた薬を手にするため、すぐそばの頑丈に施錠された棚を銃で破壊する。幸いにも管理者は既に避難しているらしかった。こじ開けたそこから見慣れた錠剤の小瓶を取り出すと、そのまま握りしめて走る。


 問題ない、身体は軽い、戦える。今のレイには『あの子を守らなければ』これしかなかった。それだけが、レイを動かした。


 レイが建物の外に出ると、戦場に向かう数台の車両が出るところだった。トラック型の車両の荷台には、既に隊員が乗り込んでいる。レイは一番近くの車両の荷台に飛び乗った。


「な、お前、後方じゃないのか!?」


レイを知っている戌隊ジュツタイの一人が驚いて声を上げる。


「問題ない」

「い、いや、問題あるだろ。命令違反だぞ」

「命令よりも、俺は人の命を守る」


そうこうしている内に、荷台の状況に気がつかない運転手は車両を発進させた。


「はあ?!俺は知らん。勝手に行って、勝手に戦って、死ぬなら勝手に死んでくれ」


「はなからそのつもりだ」


レイと数名の隊員を乗せた車両は、ガタガタと揺れながら進んでいく。車両の中には十人ほどが乗っていた。顔ぶれを見る限り全員が戌隊のようで助かったとレイは安心する。これなら確実に、戌が戦いやすい場所まで運んでくれるはずだ。


 数分と経たない内に、何かの壊れるような音、銃声、獣の咆哮が入り混じる雑音は大きくなった。戦場がどれだけ近いのかがわかる。車両は程なく停止した。


 鳴り響く大きな銃声を聞きながら、レイは車両を降り立った。周囲をさっと見渡せば、遠征帰りの累たち申隊シンタイと一足先に到着していた同じく申隊たちが、周辺のまだ倒壊していないビルから破温羅を放って鬼たちとの距離を保っているのがわかる。少し先には、名取や木野を含む第三本部にいる八人のトウたちが集まっていた。その桃たちの元へ、車両から降り立った全ての隊員が集まっていく。


 隊員たちは素早く、桃の前に整列した。第三本部のほぼ全ての隊員が集まっている。その数およそ百。その隊員たちの中から、名取の視線は一度レイを捉えたが、何も言わず、すぐに逸らされてしまった。


「これより、状況を説明する!」


隊員が集まると、桃の一人が声を上げた。その壮年の男は、この第三本部で最も長く桃を勤めている御堂みどうだった。白い軍服に黒い日本刀を携えたその姿は威厳に満ちている。


「鬼の数はおよそ八十。既に三十体は遠征部隊及び先発の申隊にて撃破した。しかし厄介なことにこの鬼たちは、頭を作り、群ではなく軍として動いている」


御堂の言葉に隊がざわつく。


「静粛に!!」


それを名取が黙らせる。静まったところでまた御堂が口を開いた。


「何も鬼が軍を成して襲ってきたのはこれが初めてではない。我々の目的は人々を守ること、この地を取り戻すことだ。ならば成すことは一つ!目の前の鬼を撃て!!」


隊員がそれぞれ「おぉ」と歓声を上げる。


「今回、鬼の群れを率いているのは白鬼一体。幸いなことに緑、黒鬼はおらず、残りは全て赤と青のようだ」


今度は隊員から僅かばかりの安堵の声がする。


「ただし、油断は禁物だ。空を見よ」


隊員の視線が空を向く。そして違和感を覚える。鳥が酉隊ユウタイが一人も飛んでいないのだ。鬼と距離を保ちながら戦える、空中戦ほど有効なものなどないのになぜ、疑問が隊員の頭に浮かぶ。


「敵の頭の白鬼は、どうや知能が高いらしい。酉の弱点を見抜き、遠征部隊の酉隊六名を全て落とした」


嫌な空気が隊を覆う。しかし御堂の声がこの空気を変える。


「しかし!先ほども言った通り、我々のやるべきことは一つだ!一丸となってあのデカい獣どもを掃討する!!」


「「おおおおお!!」」


隊員たちの声が空気を揺らす。レイはその様子を静かに見ていた。

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