第9話 ライフルで色を塗る

 「ちょっと準備するから、あっちの訓練場で待ってろ」


そう言って累は二人の元を後にした。その累の背中に向かってレイは「お前もアヤメの言葉に負けたな」と揶揄したが、累は「うるさい」と一蹴するだけだった。


「あっちって、どっち?」


からからと笑うレイに、アヤメは訊く。


「一緒に行こうか」


レイは立ち上がったが、こうも汗にまみれた身体ではアヤメを抱えることもはばかられる。白く長い腕を伸ばしてアヤメの手を取ると、二人は手を繋いだまま歩き出した。反対の手で歩きづらいスリッパを抱えたアヤメの素足が、床を踏むたびにペタペタと音を立てる。


「あっちって、ここ?」

「そう」


先ほどの部屋から一つ扉をくぐった先でレイは足を止めた。この部屋の幅はさほど広くはなかったが、縦は異様なほどに長かった。奥の方には先ほどと同じ布の塊がぶら下がっている。


「待たせた」


二人の背中に、軍服を着たまま巨大なライフルを携えた累が声をかけた。


「おっきい…。」


大きなライフルを瞳に収めるように、アヤメは目を見開く。黒い瞳がライフルを反射して映す。


「戌や酉が使う破温羅ハオラは小型だが、俺たち申のはここまでデカい」


アヤメはほうと、興味深そうに眺め「重い?」と累に訊いた。累はそうは感じさせないまま「ちょっとね」と笑った。


 ライフルを抱えた累は、アヤメやレイから距離を取る。そのまま両手でライフルを構えると素早く引き金を引いた。するとライフルは一瞬、青白い光に包まれて、ガァンと大きな音をたてる。たちまち、五十メートルは離れているであろう遠くの布の塊が橙に染った。布の塊は衝撃で大きく揺れ動き始める。アヤメはそれを、銃が放つ強い光にも大きな音にも臆すことなく見つめていた。


「どう?」


振り向いた累がアヤメに訊く。アヤメはコクコクと頷いた。


「すごい。じょうず」

「ありがとう」


累はまた的となる布の塊に向き直る。それからもう一度引き金を引いた。累が放った弾は、揺れるそれに引き寄せられるようにまた当てる。当たった衝撃でその揺れが不規則に変わった。それでもまた素早く引き金を引く。ライフルが青白く光ったかと思えば大きな音を立てて布の橙が濃く塗り重ねられる。


手早く弾倉を取り替えて引き金を引けば今度は青く染まる。ほんの数秒の間に累は『狙う』『引き金を引く』という動作を三度繰り返していく。するとライフルは繰り返し光り、弾を放った。何度も撃たれた布の塊はさらに大きく揺れている。


 累はまた弾倉を入れ替えて、空になったそれを床に向かって手放した。床の上を跳ねる空の弾倉が乾いた音を立てたが、累のライフルに掻き消されて誰の耳にも届かない。橙と青に染まった布の塊、そのど真ん中に赤の塗料が付着する。累は静かにライフルを下ろした。


「見せつけるね」

「悪くないだろ」


部屋の隅で見ていたレイが言えば、累はニヤリと笑って答えた。


「累、ぜんぶ、あたった?」


レイの隣で累を見ていたアヤメも口を開く。


「たぶんね」

「あれ、いつ刺したの?」

「あれ?」

「レイがつかってる、小さいやつ」


そう言ってアヤメはレイの腰に付けられたままのナイフを指差した。


「ああ、ナイフのことか」


累が言うとアヤメはコクコクと忙しなく首を動かす。


「俺は使わないよ。レイと違って、俺にはこの目と腕があるから」


深いブラウンの瞳が収まる切れ長の目を、少し骨張った長い指で指し示しながら言った。


「一言余計だ」

「事実だろ」


レイは不服そうにしていたが、アヤメはにこにこと楽しそうに眺めていた。


「でも累は、レイのよりも、すこし遅いね」

「え?」


アヤメの思わぬ言葉に累の顔が曇り、レイはふっと嫌味な笑みを作る。


「レイのはすぐ出るけど、累のは光ってから出てくる」


しかし続いたアヤメの言葉に、レイはつまらなさそうに、類は満足したように「なるほどね」と返した。


「たしかに俺の方はレイのと違って、引き金を引いてから発射までに僅かだがラグがある。まあ、俺の腕が有れば物が動いていようと当てるのは易いがな」


アヤメは「なんで?」とさらに疑問を投げようとしたが、頭に乗せられた大きな手がそれを阻んだ。


「これから先は大人の秘密だ。深く関わらない方がいい。さあ、片付けて戻ろう。お昼ご飯が待ってる」


アヤメは累をじっと見つめた。それから「うん」と頷く。時計はいつの間にか十一時をゆうに超えていた。


「とはいえ、俺はまだ仕事が残ってる。明日から不在になる身だからな。というわけで、後は頼んだ」


「あ、おい!」


レイが呼び止めたが、累はライフル肩に担いで歩き出す。嫌味なように、顔も見ることなく手をヒラヒラと振った。しかしふと、立ち止まる。それから振り返り、レイの元に戻ると


「お前やっぱり、あの子に懐いてんな。あの子と話してる時はだいぶ人間の顔してる」


と耳元で伝えた。レイはいつものごとく反論しようとしたが、累はそうはさせずに言葉を続けた。


「ただ、あんまり懐きすぎるなよ。離れるのが大変になる」


そしてそれだけ言うと、レイの返事も待たずに歩き去ってしまう。レイが累の背中に投げつけた「お前もだろ」という言葉は累に伝わることなく部屋の中に溶けた。それからどうせ伝わったところで「医者は関わる人間との線の引き方をわかってる」とかなんとか言ってそうだな、とレイは思った。


「レイ、はやくかたづけて、ご飯、いこ」


立ち尽くすレイにアヤメが催促したことで、漸く二人は片付け始める。塗料で汚した表面の布だけを取り外して専用のカゴに入れる、そんな単純作業を二人で行っていく。累がやった分ももちろんレイが片付けたが、綺麗に全弾命中しているそれを見てなんとも言えない腹立たしさを感じた。

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