第5話 案外、犬と猿は仲がいい

 白く照らされた廊下を歩きながら、レイは次に累のところに向かわなければならないことを思い出していた。自分が悪いとはいえ、面倒臭さで綺麗な顔が歪む。その少し歪んでもの美しいままの顔を、すれ違う人はチラチラと覗いていた。この視線に、レイはもうすっかり慣れてしまっている。


「来た」


累が待つ部屋のドアを、レイはノックもなく開いた。病院の診察室のようなそこには、幸いにも累以外の人はいない。


「ノック」


勢いよく開けられたスライドと、それをやった相手を睨みながら累は短く言った。するとレイは、もうすっかり開いてしまったスライドドアを嫌味のように三度叩く。累は「開ける前にな」と呆れた声で付け足したが、レイは「今度はね」と適当に返すだけだった。これだっていつもの、慣れたこと、である。


「とりあえず、座れ」


累は自身が座るデスクチェアの前に置かれた、丸い椅子を指差して言う。


「座れって…、犬じゃないんだからもう少し優しく言ってくれよ」

「犬だろ、お前は」

「まあ、確かに犬ではあるね」


ヘラヘラと笑いながら文句を言うレイだったが、身体は素直に従っていた。


「とりあえず今から、内臓とか身体の中身を確認するぞ」


座ったレイを確認して累は説明を始める。しかし当の本人はカルテやらが置かれた机の上のボールペンを摘み上げてはくるくるといじっていた。


「話を聴け阿呆」


カルテでペシンと頭がはたかれる。大した威力はないはずだが、レイは「いてっ」と声を上げた。


「今すぐどうにかなるわけじゃないが、腎臓あたりの数値がよくない。薬の影響が引けば落ち着くと思うが、しばらく薬は飲むなよ」

「へぇ、他のところは無事だった?」


累の言葉とレイの言葉は、石か空気かという程に重さが違っている。


「今のところな。だが、そう良くもない」

「ちなみに、どのくらいの期間飲めない?」

「さあな。経過を見なけりゃわからない」

「そっか」


ふうと累はため息をつく。レイは気にせずペンをコロコロと転がしていた。


「お前を見てると、ふと思う。医者の仕事ってなんだろうってな」


レイの視線がペンから累へと静かに移った。


「医者やってると、死にたくないって奴をたくさん見る。でも俺はそんな人たちの望み全てを叶えてはやれない。なのにお前みたいな奴だっている。だからたまに思うんだ、俺はどうするのが正解なんだろうなって」


悩みを口にする累を、レイは不思議なものを見るような目で見ていた。それからまたボールペンに目線を移してぽつりと呟く。


「累はさ、俺が死んだらどう思う?」


突然の質問に、累はすこし戸惑った顔をした。しかしすぐに答えを返す。


「まあ、寂しくは、あるだろうな」

「はは、案外、素直に答えるんだな」


少しだけ満足した顔で、レイは言った。累はバツが悪そうに「悪かったな」とだけ言った。


「俺さ、一応だけど無駄死にする気はないよ。誰かのためとか、何かのためとか、なんかを残して死ぬつもり。ただ、一生かけて何かを成し遂げるつもりもなくて、死ぬ瞬間『あ、俺、今役に立ったな』って思いながら死にたいと思ってる」


「人を守って死んだってなりゃお前は満足かもしれないが、守られた相手は不憫だな。たぶん一生引きずるぞ」


そう話す累は、呆れと安心を足して二で割って、少しだけ安心を薄めたような表情をしていた。


「それはそうかもね。でも、俺は死ぬからその後のことは考えないことにしてる」


「自己中心的な奴だな。俺は今、昔の可愛かったお前に戻ってほしい気持ちでいっぱいだよ」


「俺が?可愛かった?」


レイが驚いたように目を開いて訊き返せば、累は机に頬杖をついて少し小馬鹿にした声で昔のレイを真似た。


「俺が累だって名乗ったら『名前、似てるね、よろしくね』って今日のあの子みたいに辿々しく話してただろ。それが今じゃ憎まれ口しか叩かん」


ついでに、やれやれとわざとらしいため息まで落とす。


「おい、そこまでじゃないだろ」


それにレイは少し冷めた目を向けた。


「いいや、こんなもんだったね。到底同い年には見えなかったよ」

「お前こそ、今日のアヤメに対する話し方は大概だっただろ」

「俺は医者だからな。患者に合わせて話すのも仕事の内だ」

「はっ、その割に無視されてたくせに」

「あれは状況が状況だったからだろうが」


ここまで互いに捲し立てた後、なぜか二人は電源が切れたかのうように静かになった。


「とりあえず、検査だ検査。さっさと上を脱げ」

「へいへい」


累の一言で、ようやく横道にそれていたものが本題に戻る。


「今度の遠征、流石にお前は外されただろ?監視がなくても自制しよろ。よっぽどのことがない限り、薬は飲むな」


検査の準備をしながら累は念を押す。するとネクタイを緩めていたレイの手が止まった。


「お前、遠征行くの?」

「ん?ああ、行くよ」

「他は?」

トウは名取さんともう一人。それから犬やら猿からが総勢二十人くらい。悪いが名前は覚えてない」

「ふうん」

「そっちから訊いてきたくせに興味なさそうだな」


それだけ聞くと、レイはネクタイをまた解きはじめた。


「あ、そうだ。俺、遠征期間中はアヤメの面倒見るように名取さんに言われた」


また突然変わった話題に、累は一瞬呆れた顔をしたがすぐに真顔に戻すと「へえ」と呟いて手元のカルテに何かを書き込んだ。


「基本的なことは医者に任せるって言ってたけど、担当誰?」

「たしか世話はカケヒさんがやるはずだ。今日俺らを呼びにきた女の人」


レイはじっとりと累を見つめる女の顔を思い出して「ふうん」と興味の薄そうな返事をした。


 この建物にいるのは、レイや累、名取のような戦う者だけではない。戦場に立つことなく、医療や食事の面から戦いを支える者もいる。累もこうした診察室を持ってはいるが主となる活躍の場は戦場で、ここでの医療行為は基本、専門の人が行う。


 レイがぼうっと気を抜いている間にも、検査は静かに淡々と進んでいった。屋内の人工的な光に照らされたレイの素肌は白く、その身体は戦うには少し細いようにも思える。


「とりあえず検査は終わりだ。結果はまた追って連絡するが、くれぐれも薬に手を出すなよ。あと俺が言わなくてもそうなるだろうが、なるべく任務に出るべきではないと報告しておく」


「んー」と返事をしながらレイは雑にシャツを着た。


「あとお前、ちゃんと飯食えよ。細すぎだ」

「はいはい」


もはや呼吸の一環であるかのように累はため息をつく。カルテの上で忙しなく手を動かしながら、空いた方の手をしっしっと振ってレイに出ていくように無言で促した。


「じゃあ俺、アヤメのとこ行ってくるわ」

「あー、一回寝たけど案外すぐ目を覚まして、さっきシャワーに連れて行ったらしい。もう少しあとの方がいいだろう」

「んー」


それだけ返すと、レイは袖を通すことなく肩の上にジャケットを掛けてドアに向かった。


「本当にお前、あの子に懐いてんな」


歩く背中に累は話しかける。


「名取さんにも言われたけど、俺が懐かれているのであって俺が懐いているわけではない。名取さんの指示で行くだけだ」


振り返ることなくレイは言う。累は「どうかな」と鼻で笑っていた。そんな累の顔を見ることなく、レイはヒラヒラと手を振って廊下に消えた。

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