第3話 桃太郎という物語

 「アヤメ、桃太郎っていう昔話は知ってる?」


レイはベッドの脇にしゃがみ込み、ふかふかと沈むベッドに頬杖をつくと優しくアヤメに聞いた。白いシーツの上に、金の髪が広がってキラキラと輝いている。アヤメはじっとしばらくそれを眺めてから、ふるふると小さく首を横に降った。それを確認したレイは「むかしむかし…」と誰もがよく知る「桃太郎」の物語を語り始める。部屋の隅に置かれた椅子に腰掛け、名取はただ静かにレイの話を聞いていた。


「ヘンな、話だね」


語り終えたレイに、アヤメは小さな声で答えた。


「うん。ヘンな話だ」


レイもアヤメに同意する。ちょうどその時、出ていた累がトレイを持って戻ってきた。ベッドに机を用意すると、トレイを乗せる。それから「続きは食べながら教えてもらうか」と優しく言った。

 入れ替わるように名取が立ち上がって部屋を後にする。「終わったら私のところにくるように」とレイにはしっかり釘を刺していた。三人は立ち去る名取の背中を見送る。パタンと扉が閉じたのを確認して、アヤメは身体を起こすと白いお粥を食べ始めた。レイは話の続きを口にする。


「さっき話したのは、もうずっとずっとずっと昔の桃太郎の話。でも今の桃太郎は少し違う。今度はそっちの話をしよう」


アヤメはお粥を飲み込んで、こくりと頷いた。


 むかしむかし、日本の南の方の地域に、怖い怖い鬼が来ました。その鬼がどこから来たのか、なぜ来たのかは誰にもわかりません。ただとつぜん現れ、人を襲ったのです。鬼の数はたくさんで、人間はたくさん殺されました。


 残された人たちはこのままではいけないと、力を集めました。日本中の武力という武力を集め、鬼に対抗します。その結果、たくさんの鬼を倒すことができました。しかし、巻き込まれたたくさんの人も命を落としました。燃えて、荒れて、土地もダメになりました。


 そうしてたくさんの犠牲を払いながらも人は戦い続け、ついに「岡山」と呼ばれていた場所で鬼を押さえ込むことに成功しました。


 戦うことに精一杯だったため、鬼がどこから、どうやって来るのかを突き止めることはできませんでした。しかし南の方から来ることだけはわかっています。そこで、日本の偉い人は、岡山と呼ばれた場所を中心に大きな壁を築くことにしました。


 生きている人たちの多くはその壁よりも北東に移住し、壁を隔てて鬼と戦うことにしたのです。こうして人々は、日本の三分の一の土地と多くの人の命を失いながらも、安心で安全な生活を再び手に入れることに成功しました。


「これが今の桃太郎の話」


一気に話したレイは、ここまで言うとふうと息を吐いて背伸びをした。よほどお腹が空いていたのか、アヤメのお粥は綺麗に空になっていた。しかし、話を聞いていなかったわけではないらしい。


「それはもっと、ヘンな話。桃、出てきてないし、大きな壁も、見たことない」


「うん。それもそうだね」


レイはアヤメの言葉にははっと笑みを溢した。静かに話を聞いていた累が、どこからか持ってきたらしい椅子をレイに差し出し、アヤメの前からは空の器をさげた。


「アヤメちゃんは桃を見たことある?」


さげながら、質問をする。


「うん。でも、食べたことは、ないよ」

「そっか。どこで見たの?」


また質問をつなげる。レイは椅子に腰掛けその会話をただ眺めていた。


「…どこで、えっと、どこだろう…?」


先ほどはスラスラと質問に答えたアヤメが、今度は返答に詰まる。困った表情を浮かべていた。


「そっか。いつか、食べられるといいね」


それを見た累は素早く会話を終わらせる。するとアヤメの表情が徐々に元に戻り「うん」と小さく呟いた。


「アヤメはさ、さっきの怖い女の人覚えてる?」


今度はレイが質問した。邪魔になってきたのか、声をかけながら素早くネクタイを緩める。大きな鎖骨が首元に綺麗な影を作った。


「白い、服の人?」


今度は純粋なハテナを浮かべてアヤメが首を傾げた。


「そう、あの人。あの人がね、今の桃太郎なんだよ」

「じゃあ、桃から、生まれたの?」


ボサボサの前髪の奥で、アヤメの眉間にクイッと皺が寄った。


「ううん。でも桃太郎だ」


そう言いながらジャケットも脱いで、レイは先程ベッドに寝転んでいた時と同じ姿になった。


「今の桃太郎の物語に出てくる桃太郎は桃から生まれないし、犬も猿も雉も人間だし、なんなら壁だって、人間だ」

「レイの話、よくわかんない」


アヤメはそういうと、少しだけその小さな唇を尖らせた。随分と表情が豊かになってきた気がする。


「わかった、じゃあもう少しだけ詳しく物語を話してみよう」


 

 岡山という場所で鬼の侵攻を食い止めることに成功した日本でしたが、ここから何もしなければもちろん鬼はさらに攻めてきます。そうすれば永遠に平和を取り戻すことができません。そこで日本の偉い人たちはここに大きな壁を作ることにしました。しかし本当に大きな壁を作には、あまりにも多くの時間とお金が必要です。


 だからこうしたのです。日本の持っているすべての武力をここ岡山に集める、と。武器を集め、人を集め、そうして築き上げました。見えない武力という名の壁を。


 しかし、これにも大きな問題がありました。それはエネルギーの不足です。戦いには大きな力を材料を必要としますが、鬼に荒らされたままではそれを用意することができません。そこで、人はより効率的に戦う方法を模索しました。


 しかし様々な人が集まり知恵を出したものの、有効な手段はなかなか見つかりませんでした。その間にも、資源は減っていきます。そこで人は、人は藁にもすがる思いで鬼が登場する昔の伝記に倣って戦おうとしました。もうみんな疲れ果て、少し可笑しくなっていたのかもしれません。当時の常識では、全くもって無意味だと思われる行為に人は、全力を注いだのです。


 すると驚くことに、それは効力を発揮しました。しかし残念ながら微弱な力でしかなく、鬼を殲滅するには至りませんでした。


 だが、一縷の望みは見えました。人はその小さな希望を大きな力に変えるべく、伝記の教えに科学の力を掛け合わせ、戦う術を確立しました。水や太陽から戦うためのエネルギーを得て、伝記に準え鬼を打つ。

 

 こうして限られた資源の中、ついに人は、三つの武器を作り上げたのです。


 一、人間の何倍もの力を持つ鬼と戦うため、人間の力も何倍に増幅させる薬『KB-dng錠』。


 二、空を飛べない鬼と有利な条件で戦うため、空を飛べるようにする道具『雉羽ジヨク』。


 三、太陽光で動作し、大豆成分と鉄によって鬼に致命傷を与える道具『破温羅ハオラの銃』。


 これらの武器は、当時の人々の希望の光となったのです。


 しかし、この三つの武器はすべての人が簡単に扱えるものではありませんでした。扱えたとしても精々一種類が限度。さらには適正のないものが扱うと、上手く扱えないばかりか、最悪の場合、命を落としてしまいます。そこで日本の偉い人は、日本にいるすべての人の適正を検査し、適正のあった人に対して手厚い補償と引き換えに戦うよう命じました。


 こうしてなんとか鬼と戦う力を整えた日本ですが、鬼の殲滅までは行えませんでした。急拵えの兵では統率が取れなかったのです。それでも滅亡を免れるために戦いを続けます。そうして戦っていく中で、あることが判りました。


 稀に、三つの武器すべてを扱うことができる者がいること、そしてその者の命令を兵はよく聴くということ。


 それに気がついた日本の偉い人は、より強い力を得るためにバラババラだった兵を四種類に分け、それぞれに名前を与えました。


 一、全部の力が扱える者をかしらとし、名をトウとする。


 二、薬を飲むことができ、その圧倒的な力で鬼に挑んでいく者の名をジュツとする。


 三、翼を扱うことができ、鬼の力が届かない上空から攻撃する者をユウとする。


 四、破温羅銃の扱いに長け、かつ医術などの戦況を有利にする知識を有する者をシンとする。


 武器の持つ力と、桃太郎になぞらえてこう名付けられました。そしてこれらを適切に組み分け、班を編成し戦うようにしました。これにより、以前よりも優位に戦闘を進められるようになりました。


「これでなんとなく、わかった?」


レイはアヤメの瞳を覗き込みながら、首を傾げた。金の髪がサラリと落ちる。


「…半分、くらい?」


アヤメは真っ直ぐにレイの不思議な色の瞳を見つめ返して言った。


「そっか。まあ、これから徐々に知っていけばいい」

「うん。さっきの女の人が、桃なんだよね? じゃあ、レイは?」

「俺は戌。薬飲んで鬼に突っ込んでいく役。ちなみに累は申、デカい銃抱えてる役」

「なんつう雑な説明だよ。頭が良くて医療もできる、ぐらい付け足してくれ」


不服そうな顔でレイを睨んだ累がアヤメに近づく。


「アヤメちゃん、少し休もうか。少し眠って、起きたらシャワーを浴びて体を綺麗にしよう」


レイに見せていたものとは全く異なる表情で言った。アヤメはこくりと頷いて、布団の中に潜り込む。それを確認してから、表情を一つ前に戻すとレイに向き直る。


「レイ、名取さんが待ってる」


そう言って、部屋を後にしようとした。扉に向かう前に、もう一度アヤメに顔を向ける。


「あとから別のお姉さんがここにくるから。困ったことがあったらまた伝えてね。それじゃ、おやすみ、アヤメちゃん」


また柔らかく笑って、累は扉を開けた。レイもヒラヒラと手を振ると、累に続いて廊下に出る。そのレイの顔には面倒くさいという文字がありありと浮かんでいた。


「名取さんとこ行くの、アレだな」

「お前のせいだろ。服きっちり着てから行けよ。俺は別の用事があるからな」


累は開け放たれたレイの首元を指差しながら睨む。


「別に付いて来てくれなんて言ってないだろ。」

「付いて行く気は俺にもないが、お前一人でもちゃんと行けよってこと」


今度はレイの背中をバンと弾く。大して強くはなかったが、レイは痛いと声を上げた。


「あ、そうだ、あの子、アヤメちゃんのことなんだけど、」 


痛がるレイを無視して、累は真剣な表情を作って話題を変えた。雰囲気を察したのか、レイも黙る。


「あの子は、鬼街オニマチ出身の可能性が高いそうだ」


鬼街とは、武力の壁の西側、鬼が住み着くエリアのことを指す。あのエリアには未だ取り残されている人間や鬼に飼われている人間が多数いる。アヤメはそこから来た子どもである可能性が高いらしい。


「まあ、壁近くの、ほとんど鬼街みたいな場所での戦闘で拾って来た子だから、そんな気はしてたよ。でもあいつ、人間だろ?」

「まあ、検査の結果は完全に人間だな」

「じゃあ、助けても何にも問題ないね」


表情は真剣だが、レイの言葉は軽かった。それから適当にネクタイを締め直すと、名取がいるであろう方向に向かって歩き出す。累は「ったく…」と小さなため息を落としたが、これ以上なにか言っても無駄だと察して何も言わなかった。代わりにじっと睨みを効かせる。するとレイは「言われなくてもちゃんと行くよ」と軽い口調で答えて、金の髪を靡かせながら廊下の奥はと消えていった。「後で検査するから俺のとこ来い!」と伝え忘れた言葉を累が叫べば、振り返ることなくヒラヒラと手を振った。

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