第2話 桃の町に菖蒲が咲く

 瞼は閉じている筈なのに、眩しいと思った。空調の音と時計の秒針の音、時折鳴る紙を捲る音がやけに響く空間に、静かだなと思うと同時に「またか」と思う。


「それはこっちの台詞だよ、阿呆め」


静かだった空間に男の声が響いた。どうやらレイの思いは音になって溢れていたらしい。レイが瞼を開けると、視界に見慣れた白い天井と黒髪の男が入りこむ。よく見ればそれは巨大なライフルで鬼を葬った男で、レイと同じシンプルな軍服をきっちりと身につけていた。歳の頃は二十歳前後のようにも見えるが、落ち着いた雰囲気からはもう少し上ようにも見える。


「意外と死なないモンだね」

「今回はな。でもいつか死ぬ」

「うん。俺もルイも、ちゃんといつかは死ぬよ」


レイは身体を起こす。第二ボタンまで開けられたワイシャツの胸元からは、白い素肌が覗いていた。


「それはそうだけど、自らその期を早めるのは辞めてくれ。倒れられると連れて帰るのが面倒だ」


累はブツブツと文句を垂れた。黒い癖っ毛が空調の風に揺れている。


「面倒だったら置いてきてくれて良かったのに」

「タダでアイツらに餌やってどうする」


累はレイをじっと睨んだ。切れ長の一見すると黒い瞳は、よく見れば少しブラウンがかっている。


「餌って言い方は酷くない?」


ボタンを一つだけ閉めながらレイは言う。


「酷くは無いだろ。だいたい、知り合いを見殺しにしろって言い放つお前の方が酷い奴だと思うけど?」

「それもそうか」

「せめて謝れ、ど阿呆が」


累はまた、大きなため息をついた。


「寝てる間に検査はしてある。問題ない範囲だが気になある数値もぼちぼち出てる。お前が感じるような異常はあるか?」

「んー、特には」


レイは手を握ったり開いたりしながら言った。累はため息をついてから手元の紙に何かを書き込む。


「何度も言ったと思うが、本当に過剰摂取はやめろ。何があるかわからん。それと後から精密検査にかけるからな」

「んー」


レイは適当に返事をしながら伸びをした。パキンと関節が軽快な音を立てる。重なるようにコンコンと控えめなノックの音がした。


瀬尾セオさん、アズマさんは起きましたか?」


短い髪を無理やり束ねた白衣の女が、生真面目そうな顔を覗かせ尋ねてきた。


「ああ、うん。起きた起きた。起きやがったけど、どうかした?」


レイに向けるのとは違う、少し優しい空気を纏って口を開く。すると白衣の女は照れたように目線を逸らした。それもそのはず、レイのような派手で作り物にも似た美しさは無いものの、余計な派手さを一切欠いた累の顔はレイとは反対の綺麗さがあった。


「保護した子どもが目を覚ましました。それから、名取ナトリ様がその子のところでお待ちで、お二人に来てほしいと」


「わかった、すぐに行くよ。レイ、動けるか?」


累がレイに向き直ると、真面目そうな女の視線はまた真っ直ぐに累を捉えた。レイはそれをチラと確認すると、面倒くさそうにベッドから降て黒いブーツに足を通す。


「うん。累、俺の服どこ?」


累は空の椅子の背に丁寧に掛けられていた黒い軍服のジャケットとネクタイを手に取り、乱雑にレイに向かって投げた。それは少し嫌がらせのたつもりだったが、レイは気にすることなく「ありがと」と受け取った。それからボタンは開けたままで緩やかにネクタイをその首に巻くと、ジャケットをふわりとその肩に掛ける。


「名取さんのとこに行くのに、その格好は止めろよな」

「もちろん歩きながら整えるよ」


そう言って二人は部屋を後にする。出て行くその瞬間まで、女は累を見つめていた。


「そう言えばお前、過剰摂取で薬の量減らされたんじゃないのか?」

「うん。減らされてるよ」


白い明りに照らされた長い廊下を歩きながら口を開く。ネクタイを正しく結び始めたレイの肩から、滑り落ちそうになったジャケットを累が拾った。「ありがと」と顔も見ずに返したレイはそのまま言葉を続ける。


「任務に必要な量の最低限まで減らされてるけど、過剰摂取ってやろうと思えばできちゃうんだよね」

「できちゃうんだよね、じゃない。やるな」


ネクタイを結び終えたレイの肩に、累は叩きつけるようにジャケットを掛けた。


「うーん、やっぱり名取さんが一番マシなんだけど、名取さんでもダメみたいなんだよね。力があればまだ戦える、できるって思ったら、一群でいることよりも個でそれをやることを選びたい」


渡されたジャケットに袖を通しながら話し続けていたレイの口が止まる。静かに聞いていた累は本日何度目かのため息を落とした。


「まあ、お前を扱える人が現れるのを祈って待つよ。だからそれまで死ぬようなことするな」


諦めも含んだ累の言葉に、レイはへにゃりと歪んだ笑みを見せ「わかったよ」とだけ短く答えた。


 それから二人は無言で足を進めた。目的地は案外すぐだった。


「瀬尾累および東レイです」


第十一医務室と書かれたクリーム色のスライドドアをノックしながら累は声を上げた。するとすぐに中から声がする。「失礼します」と口にしてから二人は扉を潜った。入れ違いになるように、白衣を着た痩身の男が部屋を出ていって、部屋の中にはレイと累、それから小さく盛り上がった白い布団と、ベッドから少し離れた場所で椅子に腰掛ける黒髪の女だけになる。静かな部屋の中では空調の音がやけに大きく聞こえた。


「そろそろ目が覚める頃かと人を送ったが、やはり丁度いい頃合いだったようだな」


最初に口を開いたのは、黒髪の彼女だった。


「それで? 体調はどうだ」


立ち上がり、レイに質問を投げかける。動いた拍子にきっちりと着られた白い軍服の裾が揺れ、脹脛ふくらはぎまでをしっかりと覆う、同じく白いブーツの踵がコツっと鳴った。


「あ、はい。だいじょぶです」


レイは彼女から目線を逸らすとモゴモゴと答える。


「そうか。何度言っても無駄だとは思うが、今日の件は後ほどゆっくりと話そうか」


「わかりました」と目を逸らしたままレイは言う。


「あ、名取さん、保護した子どもの様子はどうですか?」


重くなる空気を嫌がるように、累はさっさと別の話題を口にする。


「ああ、こちらを目を覚ましているよ」


名取が促すように半歩下がると、二人は名取の脇を抜けてベッド近くまで足を進めた。


「こんにちは」


累はしゃがみ込み、努めて優しい声で言った。だけれど真っ白なシーツの上にボサボサの黒髪を広げたその子どもは、黒く大きな瞳でじっと累を見つめるだけで何も答えなかった。


「痛いとこはない?」


それでも累は言葉を続ける。レイは隣で静かにその様子を見ていた。


「お腹は空いてる?」


三つ目の言葉にも、何も答えない。


「君を助けたのは、この人だよ」


すると代わりに頭上から声がした。口を開いたのは名取だった。声に釣られて、レイと累は自然と視線を名取に向ける。子どもの黒い瞳も、自然とレイへと繋がった。


「目を覚ました時、この子は一言だけ口を開いた。『あの髪の人はどこ?』と」


名取の意図を理解したレイは、子どもに向き直ると口を開く。


「こんにちは。俺を、覚えてる?」


レイは慣れないながらも、できる限り穏やかな口調を意識していた。するとその子は小さく頷く。布団から衣擦れの音がして、それから徐々に口を開いた。


「うん、覚えてる。その、ヘンだけど、きれいな髪、覚えてる」


発せられた声はとても小さくて、こうしてしゃがんでいないと聞こえないようなものだった。しかししっかりとその声を受け取った二人はふっと笑う。


「そっか、ヘンな髪か、でも覚えててくれて良かった」


レイは毛先をその子の目の前で揺らして見せながら、優しく笑って言った。


「うん。こいつの髪は確かに変だね。それに目が覚めたみたいで良かったよ」


累も笑った。それから落ち着いたのを確認して、また累が質問する。


「ねぇ、君の名前を聞いてもいいかな」


しかし答えは返って来なかった。累はチラリとレイに視線を送る。


「名前、聞いてもいい?」


同じ質問を今度はレイが投げかけた。すると


「アヤメ」


小さな声が返ってきた。どうやら、助けてくれたレイにだけは返事をしてくれるらしい。レイは「アヤメか」と努めて優しい声で答えを復唱した。


「俺はレイ。アヤメは何歳?」

「わかんない」


痩せているうえに小柄なせいで、年齢は推測しづらいが十歳前後のようには見えた。そんなアヤメの様子を確認し、レイは言葉を選びながら会話を続ける。


「ねぇアヤメ、確かに最初に君を助けたのは俺だけど、本当に君を助けたのはそこの怖いお姉さんだよ。名取さん」


と名取を指し示しながら言った。名取は一言余計だと言わんばかりにじっとレイを見つめる。それから視線をアヤメに移して「よろしく」と声をかけた。


「俺、君を助けたのはいいんだけど、途中でどうしようもなくなった。そしたらあの人が、俺たちをまとめて助けてくれたんだ」


アヤメはじっと名取を見つめた。それから小さな声で「ありがとう」と呟いた。


「あと、このお兄さんは医者だよ。つまりこれから君を助けてくれる人。だから痛いこととか困ったことがあればこの人に言うといい」


こくりと小さくアヤメは頷いた。それを確認してから、また累が口を開く。


「初めまして、アヤメちゃん。俺は累、よろしくね。ちなみに今、痛いとろこはない?」

「うん」

「お腹は?」

「空いた」


今度はすんなりと会話がつながった。


「よし、少し食べられるものを持ってこよう」


ここまで会話をすると累は立ち上がる。戻るまで様子を見ておいてほしい旨を、レイと名取に伝えると部屋を出ていった。また沈黙が部屋を包む、かと思われたが案外すぐに次の言葉がアヤメによって落とされる。


「ねぇ、ここは、どこ?」


名取は目線でレイに答えるよう促した。


「ここは、鬼と戦う人たちが住んでる家だ。みんなは本部って呼んでる。そしてその本部があるのが、鬼と戦う人たちが住む街」

「鬼と、戦う人の、街?」

「そう、鬼を倒す桃太郎一味が住う街。それが桃域トウイキ。みんなはモモとか家とか好きに呼んでる。だからようこそ、俺たちの家へ。これからしばらく、ここを君の家だと思うといい」

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