桃戦記
石橋めい
EP.0 蕾が開く
第1話 ビルの森で鬼退治
黒のシンプルな軍服に身を包んだ男は、三階建の廃ビルの屋上に一人佇んでいた。厚い雲に覆われたせいで周囲は薄暗いはずだが、男の肩よりも少し長い金色の髪だけは、僅かな光すらも反射してキラキラと輝いていた。
金の髪から覗く男の顔には異国の気配が漂っていた。そこに添えられた瞳も、空やオリーブの色が混ざりあったみたいで息を呑むほど美しい。しかしそこにはどこかに隠しきれない影があった。そのアンバランスさが男に不思議な空気を纏わせている。
男はビルの屋上から、眼下に広がる割れたアスファルトの地面を見つめていた。いや、よく見れば周辺の廃ビルの屋上や建物の中にも、男と同様に軍服を身に纏った男女がいるのがわかる。彼らは一様に、地表を見つめていた。
不意に微弱な風が吹き抜けて、男の金の髪がふわりと揺れる。その時
「これより、目標の討伐を開始する!
周囲よりも僅かに高い廃ビルに佇んでいた女が大きな声を上げた。白く輝く丈の長い軍服の裾と、頭の高い位置で結われた黒の髪が翻る。叫ぶ女の声に、廃ビル群を取り巻く空気がビリビリと揺れる。
「開始!!」
その瞬間、震える空気を切り裂くように、二人の男女が地面に向かって飛び出した。一人は五階建てのビルから飛び出したというのに、平然と着地を決めるとそのまま走り出す。その勢いは人とは到底思えなかった。
それから一瞬遅れて、金の髪を靡かせる男も飛んだ。空中で軍服のベルトから、ナイフと大型の銃のような形をした何かを手に取って、易々と着地を決める。
「目標は二体!第一班は赤、第二、第三班は青へ!!」
女が声を上げるたびに空気が震えて、男の金に輝く眉根が僅かに寄った。しかしすぐに表情を元に戻すと目の前に迫る赤いナニカに向かって突っ込んだ。
それらはどことなく人の形をしていた。しかしその寸法は人の三倍ほどもあり、皮膚は絵の具を塗りつけたように鮮やかな赤と青だった。そのせいか人間には見えそうもない。それでいて奴らは、肥えてでっぷりと膨らんだ胴に小さなぼろ布だけを申し訳程度に巻いて、頭部にはモサモサとした枯れ草のような毛を乗せていた。そしてその毛を割るようにして、黒曜石のごとく輝く二本の角を生やしている。
「鬼をこれ以上先に進めるな!!」
女が叫んだ。
これらを人は『鬼』と呼んだ。これらは人間の敵だ。抗わなければ食われて終わる。だから人は戦う。
その巨大な赤い鬼に男は飛びかかる。男の鮮やかな金が近づいたことで、廃ビル群の中に眩しいほどの色が差した。しかしそこに芸術的な美しさが生まれるはずもなく、男はただ淡々と赤い巨体の首のあたりにナイフを突き立てた。ごあああああっと鬼の叫びが響いて、空気が揺れる。
男はナイフから手を離すと、鬼の首にナイフを残したまま距離を取った。壁を蹴って跳ねると、今度は銃のような巨大なそれを構える。
『ユーザー認証を完了。銃をアンロックします』
冷えたトリガーに指をかける。銃身が淡い白の光に包まれて、男の耳にだけ淡々とした音声が響いた。
『道標を確認。カラー グリーン。命中します』
引き金を引く。パンと乾いた音がして、鬼の身体がぐらりと揺れた。しかしすぐに体勢を立て直した鬼が反撃を開始する。どすどすとなる地面の振動を感じながら、男はすかさず距離を取った。鬼の手に握られていた鉄の塊のような金棒が地面を引き摺られるせいでガラガラと嫌な音が鳴り響く。
「
衝撃と嫌な音の合間を縫って、女の声が再度響いた。その瞬間、少し高いビルから三人の男女が飛びたった。男は青鬼へ、女は赤鬼に向かう。だが、男女の足が地面に触れることはなかった。
男女は背中に生えた茶と白の混ざった大きな翼を揺らし、宙を舞っていた。上空から銃のようなものを構え、地表の鬼に狙いを定めている。
鬼は上空を気にすることなく、金の髪を揺らす男に向かって突っ込んで来た。金棒を振り上げ、男に落とさんとしている。鬼がごうっと唸り声を上げたその瞬間、上空から降ってきた弾丸が鬼を貫いた。振り上げられた金棒が地面にガシャンと意味もなく打ち付けられた。それでも鬼は、再び立ち上がる。男は金の髪の間から鋭い視線を向けると、狙いを定めて引き金を引いた。
『目標の生体反応をロストしました』
乾いた発砲音から数秒後、音声が耳に届く。ドシャリと大きな音をたて、鬼の体が地面に落ちた。
「第一班、よくやった!そのまま青に回れ!!」
女の声が頭上から響く。「了解」と空を舞う女は叫ぶと素早く旋回した。男も赤い鬼からナイフを抜き取ると、青い鬼へと向かって駆ける。小さく鳴らされた舌打ちの音は、足音に紛れて空気に溶けた。
二人の視界に青鬼が入る頃には、すでに奴はボロボロだった。地上から、頭上から撃ち込まれた弾丸によって身体にはいくつも損傷の跡がある。しかし倒れはしなかった。ぐわりと口を大きく開け、ごうと大きな声を発したかと思うと同時に炎が辺りを覆う。
「
女の声に、残っていた男女三人が駆け出す。手にはさらに大きなライフルのようなものが抱えられていた。両手でしっかりと支え、やや離れた場所から鬼に狙いを定める。
動く男の軌跡をなぞる金の髪は、箒星の尾にも見えた。そんな輝きを残しながら、男は引き金を引く。パンと乾いた音の後で、鬼の唸り声がした。ぐらりとよろけた身体に別の誰かが放った弾丸が当たる。体勢を立て直そうと一瞬だけ静止するその巨大を確認すると、男は素早く鬼から距離を取った。
一瞬だけ、地上で構えられた三人の巨大なライフルが青白い光に包まれる。それからすぐに、ガァンと一際大きな銃声が響く。放たれた弾丸が鬼の胴を突き抜けると、ガッという呻き声に似た叫びと残り火のような僅かな炎を吐き出して、青い巨体が地面に崩れた。
「生体反応をロストした。後処理の後、帰還する!」
「了解」とそれぞれが構えていた銃を下ろすと、地面に転がった赤と青の塊に向かう。金の髪を靡かせる男は、最初に倒した赤い塊へと向かって歩いた。
その時だった。男の耳に、小さな物音と微かな悲鳴にも似た声が聞こえたのは。急いで周囲に視線を走らせる。立ち並ぶビルの隙間に影が見えた。青にも緑にも見えるその瞳で捉えた影に向かって、男は一直線に突っ込でいく。
「レイ、止まれ!」
突然の単独行動に女は声を荒げた。しかしレイと呼ばれたその男は止まらない。走る速度は先ほどよりも随分と落ちたようにも見えたが、止まることはしなかった。走りながら軍服のベルトに付けられたポーチに手を伸ばし、中から小さな錠剤を二つ取り出した。
「やめろ!!」
ビルの屋上を跳ねながら、レイを追う女が静止の声を再度上げた。それでもレイは無視をする。小さなその錠剤を口に含むと、ゴクリと嚥下した。すると数秒も経たぬうちに、レイの駆ける速度が跳ね上がる。勢いよく跳ねると、グンと影に向かって距離を詰めた。
ビルとビルの間にある暗い影の中に、先ほど倒したものよりも幾らか小さな赤鬼がいた。右の脇には何かを抱えている。ボロボロの布に包まれたそれは、人にも見えた。
「おい、鬼。それはなんだ」
レイが口を開く。少し低い、澄んだ声がビルの狭間にこだました。
「レイ、止まれ!」
頭上からはまだ女の声が響いてくる。レイはまた小さく舌打ちをすると、ナイフと銃を握りしめて鬼に向かって突っ込んだ。その勢いは、先ほどよりも遥かに素早く、重たい。
「そいつを離せ」
レイは先ほどと同じように、鬼の身体にナイフを突き立てる。そのまま流れるように壁を蹴って鬼に向き直ると銃を構えた。
『道標を確認。カラー グリーン。命中します』
聞き慣れたその音声を聞き終わらないうちに引き金を引く。鬼の身体がぐらりと揺れた。脇に抱えられた人のようなものを気にしながら、もう一発放つ。それでも鬼は倒れなかった。レイは身体に嫌な熱が溜まっているのを感じたが、これならいけるという確信もあった。
レイは地面を強く蹴る。駆けるその勢いは増していた。大きな銃の銃身で鬼の腕をはね上げると、素早く抱えられていたそれを抜き取る。その瞬間、鬼の左腕がレイの右肩を掠めた。しかし致命傷ではない。抜き取ったそれをなんとか抱えて銃を構える。照準が合わせづらく、当たったはいいものの致命傷には及ばなかった。仕方なく抱えたそれを離れた場所に置こうとするが、そうはさせまいと鬼の巨大な拳が飛んでくる。これは避けられないと身構えるが、しばらく経っても痛みがレイの身体を襲うことはなかった。代わりに
『目標の生体反応をロストしました』
聞き慣れた音声がレイの耳に流れた。それから視界を白の軍服と黒の艶やかな髪が覆う。赤い鬼の身体は地面に崩れ落ち、その胴には深々と刀が刺さっていた。
「レイ、単独行動と過剰摂取の禁止は前々から止めろと言っていた筈だが?」
鬼の胴から刀を抜き取りながら発せられる女の肉声がレイの鼓膜を揺らした途端、先ほどまでの熱は嘘のように引いて力が抜けた。ドサリと砂埃を巻き上げながら、鬼と同じようにレイも地面に体を預ける。胸の中に深く抱え込み、鬼から奪ったそれへの衝撃はなんとか守った。
ようやくまじまじと観察できたそれは、小さな黒髪の少女だった。レイはそれが小さもく息をしているのを確認してから、自身の重い瞼を閉じた。
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