第四話 意外なエンカウント

身体から血の気が引くとはこのことだろうか。


明らかにこれはクマのような肉食獣の足跡だ。足の先から突き出た鋭利な爪の跡がしっかりと地面に残っている。


森に入る時危険な生物がいるかもしれないということは覚悟していたが、実際に何かがいるという生きた証拠を目の前にすると少なからず動揺する。


普通の異世界転移ものなら動揺しながらも襲ってきた獣を強力なスキルや魔法で一蹴しそうなものだが、あいにく俺が持っているのは強力なスキルでもなんでもなく、ポケットに刺さっている某国Cもびっくりの低クオリティーナイフだけだ。


しばらくの間、呆然としていたが現実を受け止めなければならない。この足跡の主がどんな生物なのかはっきりとはわからないがクマのような生物だと仮定して、襲われた時の対応策を考える。


だがせいぜい考えつくのは唯一の武器であるナイフを獣の急所、眼か心臓などに刺すという成功確率0.1%ほどの作戦だけだった。


見つかった瞬間逃げるというのも一つの作戦だろうが逃げ切れるとは思えない。


あれ、これ詰んでね.....?


徐々に恐怖が襲ってくる。しかしこれは試験に落ちるかもしれないと考える時のそれやホラー映画で味わうそれとは全く違う。


本当に死ぬかもしれないのだ。それも喰われて。


生きたまま喰われて死ぬというのは嫌な死に方ランキングの中でもかなりの上位に入るのではないだろうか。


ゾンビやモンスターが出てくる映画で人が生きたまま食べられているシーンを見て自分がたべられるとしたらと想像しゾッとしたことがある人がいるかもしれないが、その想像には自分が現実に食べられるかもしれないという恐怖が含まれていない。


しかし、今の俺はいつ襲われてもおかしくない。


心臓が早鐘を打つ。それと同時に息遣いも荒くなっていく。今にも何かがどこからか襲ってくるかもしれない。何も考えられない中、そんな考えだけが頭の中を埋め尽くしていく。


荒い息遣いで狂った様に周囲の茂みを見る。


どこにいる?いつ襲ってくる?何体?


すると、後ろの茂みからガサガサっと何か音がした。


あああああ!!!!


恐怖に頭を支配されていた俺はその音がした瞬間、わけもわからず手に握っていたナイフを音のした茂みに向かって投げていた。ナイフはそのまま飛んでいき、茂みの中で何かに当たったかのような鈍い音を立てた。


当たった...!


だがその茂みの中の何かは歩みを止めることなくこちらに向かってくる。


ナイフが効いてないのか...?くそ、くそ、くそ!もう一発くれてやる!


再び投げたナイフは茂みの中で何かに当たる音がしたがそれでも茂みの中の何かは近づいてくる。


当たっているはずなのになぜ倒れないんだ...?もう一発投げるべきか?ここでナイフを再び手放すと残りは一本になってしまう。一本で戦えるのか?だが接近戦になったら勝ち目はない。それなら近づかれる前にできるだけ体力を奪うべきだ...!


意を決し再びナイフを投げようと構えたその時、俺は恐怖で凍り付いた。


茂みの木の揺れからわかるのだが、クマにしてはあまりにも縦に大きすぎるのだ。少なくとも四足歩行のクマならあんな高いところの木は揺れない。じゃあ、あれは一体なんだ...?クマでも勝てないってのにそれ以上の大きさのものに勝てるわけがない。


俺は戦うことを諦め、逃げることにした。あれだけの巨体だ。素早さなら勝ち目があるかもしれない。水や食料はあきらめよう。そう決めるとすぐさまナイフをポケットにしまい、俺は背を向けた。逃げるが勝ちだ!


だがその時、驚くべきことが起こった。


茂みの中から声がしたのだ。「待て!!」


俺は思わずぎょっとして立ち止まる。人間の声のようなものがしたが...それも日本語...?混乱している俺の前にその声の主が茂みからゆっくりと姿を現す。


それは巨大な肉食獣ではなく、身長190センチもあろう大男だった。










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