第8話 『追放されし暗黒僧侶』
――時は英雄たちの模擬戦の一週間ほど前に遡る。
各国の英雄たちに、皇帝であるマーガレットから『英雄召集』の勅命状が出されることになった。
そして、その勅命状を各英雄たちに渡しに行かなければならないのだが、その人員にしても誰でもいいというわけではなかった。
何せ彼らは人類を救った英雄であるし、中には同時に七大国の国家元首である者もいる。
形式上は皇帝であるマーガレットのほうが格上とはいえ、そんな人間に招集を命じるのだから、それを伝えに行く相手もそれなりの格を求められた。
よって七英雄が一人『僧侶』デレク・ヘンダーソンが王を務める第三王国『霧の商業国(ブルーインターセクト)』にもそれなりの人物が派遣された。
それが、第一王国の正教大臣レイモンである。
正教大臣ということはつまり、『白き皇国』における宗教関連のトップだ。これならば間違いなく失礼に当たらない格の持ち主と言えるだろう。
(……陛下から賜った任務です。しっかりとこなさなくては)
レイモンはまだ三十代と若いながらも、落ちついた理知的な雰囲気のある男である。
その性格も見た目の通り、穏やかで思慮深い信仰に厚い、大臣として人の上に立つのに全く不足のない人格者であった。
さて、そのレイモンは第二王国に着くと、さっそく王城にてお目当ての人物にと対面した。
「……お会いできて光栄です、デレク・ヘンダーソン様。私レイモン・アルマードと申します。マーガレット陛下より、勅命を預かっております」
レイモンは優雅な所作で恭しく頭を下げる。使者の振舞いとしては完璧だった。
しかし、表面上はそう振舞いつつもレイモンの内心の状況は全く異なっていた。
(……なんだ。なんなんだ、このお方は!?)
「マーガレットの使いか……長旅ご苦労だったねぇ」
王座の方から、絡みつくような声が聞こえてくる。
それだけで全身から嫌な汗が吹き出てくるのを感じていた。
レイモンはこのまま何も見なかった、誰にも出会わなかったことにして帰ってしまいたいという思いを何とか振り切って顔を上げた。
「おいおい、何をそんな緊張した顔をしているんだい?」
そこにいたのは40代くらいの男だった。
しかし、レイモンから見れば人の皮を被った「恐ろしいナニカ」であった。
レイモンは元々教会の仕事を通して多くの人を見てきたため、その人間の顔立ちを見てその人間の性質を見極める目があった。
そしてその目でデレクを一目見た感想は「典型的なサイコパスの面構え」であると言わざるを得なかった。
サイコパスに多い左右非対称な目と眉を初め、顔面の全てのパーツが何もかもが悪いほうに振り切っている。
しかも、それでいて顔の造形自体は整っているのだから最悪である。
レイモンはこれまでの人生でそれこそ数えきれない程の人間を見てきたが、ここまで酷いのは初めてだった。
この男が一国の国王であるという現実に怖気が止まらない。
しかし、そうであっても仕事はこなさなければならない。
レイモンは懐に閉まってあったマーガレットからの勅令状を取り出す。
「ふーん。勅令状ねえ。おいエリーゼ」
デレクはそう呟くと、王座の隣に立っていた女に目くばせをする。
非常に肉付きのよい体をした、露出の多いドレスを着た金髪の女である。
年齢はマーガレットと同じくらいだろうか? マーガレットもそうだが肌艶がよく、実年齢よりは大分若く見える。
「かしこまりました、デレク様」
エリーゼと呼ばれた女は優雅な所作でレイモンから勅令状を預かると、封を解いてデレクの前に広げた。
「あー、なるほど。魔王軍がねえ」
勅令状の内容は、まさしく人類の危機について記されたものだというのに、デレクはやけに楽しそうだった。
デレクはレイモンの方を見る。
「まあ、召集に応じてあげてもいいけど、これでも僕は商業の国の王様なんだよね。タダではいそうですとはいかないなあ」
どうやら条件の交渉が始まったようだった。
レイモンにとってもこれは想定通りであった。
デレクが王として治める『霧の商業国』は、その名の通り商業の盛んな国である。その気質もあってか、今まで国の仕事でこの国の人間と交渉ごとになった時は、キッチリと取れるものは取ろうとする人間が多かったのだ。
皇帝の勅令であっても、交換条件を提示してくる可能性は十分に考えられた。
(……さて、商業国の王はどんな交渉をしてくるのか)
レイモンは事前にマーガレットから、召集の交換条件にどこまでのものを提示できるか聞いていた。
なんとかその範囲に収めつつ、出来ればいかにそれよりも少なく抑えるか。ここが使者としての腕の見せ所だろう。
「まあ、取り合えすこんなところかな。OKならサインしてくれ」
デレクは紙にスラスラと条件を書くと、エリーゼを使ってレイモンに渡す。
「こ、これは……」
金銭、貿易上での優遇、皇帝の名を使った争議中の領土の承認など、レイモンが事前に聞いていた限界を狙いすましたかのようにギリギリ絶妙なところで上回ってくる条件だった。
「ん、どうしたんだい? 僕はたぶんそれくらいならマーガレットはギリギリOKを出すと思って書いたんだけどなあ」
こちらが困っている様子を見て楽しそうにニヤニヤするデレク。
明らかに狙ってやっている。
なんという性分の悪さだ。
とはいえ事前に言われていた上限を超えているのは間違いない。これをすぐにはいそうですかというわけにはいかなかった。
交渉事である以上は、こちらも国の代表として上手く値切らねばならない。
「……失礼ながら、もう少し条件を考え直していただけないでしょうか? これではさすがに」
「ああ、いいよいいよ」
レイモンの言葉を遮って、デレクはひらひらと手を振る。
意外と話の通じる人間なのか?
一瞬そう思ったが。
「だってもう、サインしてもらっちゃったし」
「……え?」
レイモンはいつの間にか、デレクの前に跪いて紙を差し出していた。
「!!」
しかも、その紙には絶対に書いていなはずの自分の承認のサインがしてあったのだ。
ゾワリ!!
と全身を悪寒が走る。
もちろん事前に話には聞いていた。
『僧侶』デレク・ヘンダーソンは、呪いや妨害を得意とする黒魔術の使い手である。
しかし、その中でも極めて特異な黒魔術をデレクは使用する。
それが洗脳魔法だ。
デレクは他人を洗脳し、自らの思いのままに動かすことができる。
しかも恐ろしいのは体を自由に操るだけでなく、今のように心まで操作できるというところだ。
その気になれば、今のように本人も全く無意識のうちに操ることができる。
「ありがとねえ。僕のために」
デレクはそう言ってレイモンから紙を受け取る。
「で、デレク様!! これはさすがに外交問題ですよ!!」
「ははは、自分でサイン書いたんじゃないか」
ニヤニヤと楽しそうに笑うデレク。
「……というのはまあ、冗談だよ冗談。いや実を言うと、君が凄く人間できてそうだから怒らせてみたくなったんだよね」
「な、なにを……」
「いや、ホントにそれだけだよ。この条件も、マーガレットなら無理言えばたぶんギリギリ通してくれる内容だからね。あの泣き虫娘とは知らない仲じゃない、交渉すればだいたいあの内容に落ち着いたはずさ。気になるなら確認取ってみなよ」
「な、ならばワザワザ私を洗脳しなくても」
「だから言ったじゃないか。善人っぽかったから怒らせたら面白いと思ったんだって」
「……本当に、それだけの理由で?」
「そうだけど?」
さっきからそう言ってるじゃないか?
君はなにを言ってるんだ? とキョトンとした顔をするデレク。
どうやら、本当にレイモンを弄んで楽しんで見たかっただけらしい。
悪意100%でそれだけだったのだ。
「……」
レイモンはどうしても思ってしまう。
(……果たして、この人間に方に未来を託してもよいのだろうか?)
この邪悪な人間に。
レイモンはチラリと、デレクが座る王座の隣立つ女、エリーゼを見る。
エリーゼ・ヘンダーソン。
まるで召使のようにデレクに使われているが、彼女は気品と華のある見た目に違わず『霧の商業国』の王女であり、前国王の次女である。
デレクはこのエリーゼと婚約し、エリーゼが王位を夫であるデレクに譲ったことで国王になった男である。
エリーゼ王女のデレクに対する愛情は深く。いつも一緒にいて、デレクを献身的に支えている。理想の妻であると評判である。
しかし、知る人ぞ知る恐ろしい噂がある。
王女はデレクに洗脳されているのではないか?
と。
そして、レイモンはこうして実物を見て確信した。
人の顔から人物像を判断できるレイモンの目は、エリーゼがよく見るとどこか虚ろな目をしていることに気付いた。
間違いなく洗脳されている。
恐ろしいと言わざる得ない。
なにせ、デレクとエリーゼは婚約してから25年は経っている。
その25年間、ずっとデレクに対する偽りの愛を植え付けられて夫婦生活を送ってきたということなのだ。
なにより、その状態で普通に暮らせるデレクの精神性がおぞましい。
常人なら自分の最も近しい人間を、ずっとそんな状態にしておいたら良心の呵責で精神を病むものである。
しかし。
この男は平然としている。自分以外の他人は人ではなく「モノ」だとでも心底思っていなければできない所業である。
噂では、かつてその邪悪さから所属していたパーティを追放され、その復讐としてメンバーを皆殺しにし、唯一生き残らせたエリーゼを洗脳し自分の所有物にしたと言われているが、もはやレイモンにはそれが噂話とは思えなかった。
「ふふふ。この国の全ては僕の所有物だ。『魔王軍』の連中、それに手を出そうって言うんだから愉快な思いをしてもらわないとねえ」
『追放されし暗黒僧侶』。
最悪の魔法『洗脳』の使い手、デレク・ヘンダーソン42歳。
善悪はひとまず置いておくとして、強力な戦力であることは間違いない存在だった。
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