ボーカルへの階段

 おじさんにもらってしばらく経ち、僕はやっとディストーションを使って、ノッキン・ノン・ヘブンスドアを弾けるようになった。僕はおじさんの家につれていくように母親にせがんだ。自慢したいのだ。


 僕がおじさんの部屋に入ってからのやり取りはいつもと同じだ。ただ最後におじさんは、僕に実際にヘブンスドアを弾かせ、満足そうに頷いた。


「悪くない。DS-1も、色々試したのが分かるよ。エフェクターはこれから増やしていけばいい。そして、俺がまともに教えるのは次で最後だ」


 僕は「何もまともに教えてくれなかったじゃないか」という言葉を飲み込む。


「バッキングにも余裕がありそうだ。ボーカルもやってみろよ」

「僕が、歌うの?」

おじさんが笑顔を浮かべた。

「お前がアクセル・ローズの曲を歌えるのはあと少しなんだ」

「どういうこと?」

「声変わりだ。普通の人は大人の声、低い声しか出なくなるんだよ」


自分では実感がなかったが、僕は大人の少し手前にいるらしい。そして、あの人の声が出るのはあとわずかで、ロック・スターの真似だけでもできる時間すら限られていることが分かった。僕は肩を落とした。


「ボーカルも教えてやる」

おじさんは唐突に言った。

「おじさん歌えるの?」

「ああ、俺はギター・ボーカルなんだよ。だから偉そうにギターがどうだと言っているが、腕は大したことない。もちろん純粋なボーカリストでもないから、歌も大したことはないが」

僕はおじさんが歌うところを想像した。この白けた人はどんな歌を歌うんだろうか。

「スタジオに行こう」

「スタジオ?」

「練習場だよ」

「歌ならカラオケでいいじゃない」

今度はおじさんが肩を落とした。

「カラオケで自信があるからボーカルをやるっていうのが最低なボーカリストなんだ。細かいことは後で言うからとにかく来い」

おじさんは自分のギターを丸い赤の車に乗せている。見たこともない車だと思っていたらおじさんが言った。

「ミニっていうんだ。おしゃれぶった馬鹿が乗る車だ」

おじさんは僕を助手席に促した。


おじさんは車を走らせ、僕を小さな楽器屋に連れていった。おじさんは楽器屋の中を慣れた様子で歩いている。時折商品も見ながら。カウンターの中にいる太った髭の店員さんがおじさんに声をかける。

「何買いに来たんだ?」

「ターン・テーブルだ。一番高いやつくれよ」

髭の店員さんがニヤつきながらおじさんを肘でつつく。

「DJになるのか?」

「どうでもいい。空いてるんだろ?スタジオ、一時間貸してくれ」

店員さんが僕を眺める。

「子連れでか?」

おじさんに子供がいないことは知っているらしいし、何か理由があることを知っているようだった。店員さんは何も答えないおじさんに静かに鍵を渡した。

「Aスタだ。広い方がいいだろ?」

おじさんは右手にギター・ケースをぶら下げ、鍵を持った左手を上げて地下への階段を降りて行った。

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