第23話

 隣の篠崎はイヤホンを耳にさし、音漏れから察するにいつものようにロックミュージックを聞いているのだろう。会話も無く、ただひたすらバスはしまなみ海道を今治方面へと走って行く。

 篠崎から電話があったのは今日の朝の事だった。篠崎は詳しい理由は話さずに、僕に一緒に着いてきて欲しい場所があると言った。篠崎にこれ以上振り回されるのはまっぴらだったけれど、ひとつ、着いて行く代わりに篠崎に条件を付けた。吉井との復縁を考える事。それが正しい事だなんて、当然思わなかった。けれどその時の僕にはそれくらいしか出来なかった。

 篠崎はわかったと返事をした。

 バスが今治まで着くと、今度は香川方面の電車に乗り換え、どんどんと田舎へと入って行った。そして愛媛のある場所へと着いた。どうやらここが篠崎の来たかった場所のようだ。駅から出て周りを見渡すと、ここを目指して来るには特別な観光地も無かった。駅前には飲食チェーン店などが閑散とある。どこにでもありそうな小さな街だ。篠崎はこの場所で誰かに会うつもりなのだろうか。

「これからどうするんだ?」僕は篠崎に聞いた。

「とりあえず、そうね、泊まれる所を探さないと」

「誰か、知り合いが住んでるとかじゃないのか?」

「そんな人いないわ」篠崎は当然のように言った。

「じゃあ、ここに何があるっていうんだよ。見た所、特別なものがあるように見えないけど」

「何も無いわ。ここには何も無い。けれど、何か答えがあるかもしれない」

 僕は篠崎の言う事が一つとして理解できなかった。

「ねえ、あそこに泊まりましょう」

 篠崎は3階建ての築浅のホテルを指さした。

「泊まるのか?」僕は焦った。

「そうよ。ここに泊まらないと、見ての通り他に泊まる場所なんてこの街には無いから。勿論、同じ部屋よ」

「それは不味いだろ?」

「何?吉井君との復縁を迫った清水君が、私とセックスしない自信が持てないなんて言うの?」篠崎は僕の反応を楽しむように、僕を覗き込む。

「そうじゃないけど・・・」

 僕は例に漏れず困惑した。

「じゃあ、行きましょう」

 篠崎はホテルに入って行き、ロビーで受付を行った。305号室の鍵を貰い、エレベーターに乗り、部屋へと入った。

 部屋の中は、モダンな造りで、部屋の真ん中にダブルサイズのベッドが主張していた。そしてひとつ真っ赤なソファーが窓際にあった。篠崎は部屋に入ると、ベッドへと腰かけた。僕は赤のソファーへと座った。このソファーが僕のテリトリーになるだろうと予感し、親密に触った。

 そして思い立ち、部屋の外へ出て、玉野へと電話をかけた。けれど玉野は留守だった。僕はどうしたものかと考えていると、部屋のドアが開き、篠崎が顔を出した。

「清水君、行きましょう」

「・・・俺は君の荷物持ちじゃないからな」

「なによ。荷物くらい自分で持つわよ」

「例えだよ。君の都合よく動くと思ったら、大間違いだって事だよ」

「酷いわ、清水君。私に知らない街を、一人で出歩けって言うの?私が人さらいにあってもいいって言うのね?」

 僕は努力して、篠崎を出来るだけ冷たい目で睨んだ。

「わかったわ。一人で行くわ」そう言って篠崎はくるりと回って歩き出した。

「篠崎・・・」僕は篠崎の背中に言った。すると篠崎は「なあに?」とにやついて、こちらを振り返った。

 いつまで経っても篠崎の手のひらの上だった。

 結局、僕は荷物持ちのように篠崎の後ろへ着いていった。この街は駅を離れ、10分程歩くと民家もまばらになり、田畑が広がっている。その中を篠崎は、地図を広げながら歩いた。

 篠崎の行動はとても不思議だった。小川に着き、川に手を付けたかと思うと、すぐにまた歩き出す。次に錆びついたポストを見つけると、一通り撫でる。そしてまたすぐに歩き出す。柵の無い沈下橋、品ぞろえの悪い商店、それぞれツアー観光のように少しだけ見て、すぐに次へと向かった。

「ノスタルジックな気分に浸りたいだけなのか?」僕は篠崎に聞いた。

「えっ?」

 どうやら違ったらしい。篠崎は思いの外集中していて、目に見える風景を、自分の心に反響させ、じっくりと反応を伺っているようだった。

 一日、篠崎は楽しむでも、懐かしむでも無く、どこか空虚な表情で日が暮れるまで歩き回った。僕は後ろを歩き、篠崎の背中を見ていた。

 ホテルに戻ると、篠崎は僕の存在など忘れたかのように、服を脱ぎだし、シャワールームへと入っていった。僕は慌てて部屋を出た。ポケットからスマホを取り出した。玉野からの着信が一件、それからラインメールが届いていた。僕も僕で、玉野の存在や時間などを忘れて、ひたすら一日篠崎を見ていた事を自覚した。  

 僕は玉野に電話をかけた。

「もしもし」という玉野の声が懐かしく感じた。

 僕はすぐに「ごめんな」と謝った。

「どうしたんですか?何か謝るような事したんですか?」玉野は、笑う事無く冷静に言った。

「そうじゃないけど」

「篠崎さんと一緒なんですか?」

「なんでそれを?」

「はあ、やっぱり」

 玉野は深く息づいた。

「えっ?」

「勘ですよ。何となくそうじゃないかなって思ったんです」

「ごめん」

「だから何で謝るんですか?」玉野の声に怒りが混じる。そしてまた冷静に「何も無いんでしょ?何か理由があって一緒にいるだけで、また私の所に戻ってくるんでしょ?」と言った。

「ああ」

「ならいいですよ。また今度、理由を教えてください。私は先輩を信じています」

「わかった。また話すよ」

「はい、それじゃあまた」

「ああ、また」

 電話を切ると、自分が何故こんな事をしているのか、わからなくなった。玉野には、また悪い事をした。付き合ってからずっとこの調子だ。自分が嫌になる。

 部屋に戻ると、篠崎がバスタオルを体に巻いて、膝を立てベッドに座りドライヤーで髪を乾かしていた。僕は篠崎に「服を着てくれ」と言った。

 篠崎はドライヤーを切って「玉野さんに悪いと思うの?私は見られてもいいのよ?だったら何も悪い事なんて無いじゃない」と言った。

「そういう問題じゃないんだ。いいから着てくれ」

「わかったわ。じゃああっち見ててよ」

 僕はそのままソファーへ行き、ゴロンと横になった。そのまま目を閉じた。ベッドからは篠崎の服の擦れる音が聞こえる。

 本当に僕は何をしているんだろう。

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