第16話

 朝、教室に着くと篠崎はもう来ていて、僕にいつもと変わらずに「おはよう」と挨拶をしてくれる。僕も変わらずにおはようと返す。僕が昨日眠れぬ夜を過ごした事を篠崎は知らないでいる。

 教室に吉井が入って来た。吉井が篠崎に目線を送ると、それに気付いた篠崎は手を挙げ軽く挨拶をする。吉井は次に僕に手を挙げた。僕も手を挙げ笑顔を返す。

 変わらずいつものように過ごせばいいのだ。僕の親友の吉井が、クラスメイトの篠崎と付き合った。僕は親友としてそれを喜ぶ。そうしなくちゃいけないのだ。

 休み時間になると、篠崎は僕の方へ振り向き「ねえ、清水君」と言った。僕はその目をちゃんと見る事が出来ずに「何?」と不愛想に答えた。

「沖縄旅行だけどね。どこか行きたい場所とかってある?」

「そうだな・・・、美ら海水族館は興味あるかな」

「うん、いいね。他は?」

「街から離れて自然を見たいかな。海もそうだけど、水牛車に乗りながら景色を見たい。みんなは、そういうのは興味ないだろうけど」

「ううん、私はそれ良いと思う。私も都会より、田舎の風景の方が好きだもん。太陽と海と自然、これで充分。もしかしたら私達相性がいいのかもね」無邪気な顔をして篠崎はそう言った。

「篠崎」僕はそう言って篠崎を睨んだ。篠崎は少しだけ首を傾げた。

「あのさ、そういう事を言うなよ」

「どういう事?」

「相性がいいとか・・・」

「どうして?」

「お前は・・・」僕は小声で「吉井と付き合ってるんだろ?」と言った。

「そうだけど、何か関係があるの?」

「さっきみたいな言い方をすると、男は勘違いするんだよ」

「私は清水君だから言ったのよ。そんな事、清水君以外には言わないわ」

 篠崎の一言一言は僕の心をかき混ぜる。

「だから・・・、俺が勘違いするだろ・・・」

「してよ。勘違い」篠崎はそう言って、じっとあの目で僕を見つめた。その目をあと数秒見つめたら、僕は自分の行動に自信が持てなくなりそうだったので「俺は、お前が嫌いだ」と言って立ち上がって教室を出た。吉井のキョトンとしている顔が横目に入ったが、気にせず教室を出て、屋上へと向かった。

 途中次の科目の教師に出くわしたけれど、無視して歩いた。屋上に出ると、熱気が立ち込め、日差しに目が眩んだ。僕は日陰を探し座り込んだ。初めて授業をサボる事になりそうだ。

 一体自分は何をしているのだろう。

 僕はこれからの事を考えた。あと半月もすれば夏休みだ。夏休みが終われば、席順も変わり、篠崎とはただのクラスメイトに戻る。そこからは、みなは受験の追い込み、僕は就職活動、篠崎の事を考える事は日に日に無くなるだろう。でも沖縄旅行、それに吉井の事、僕は頭を掻いた。するとズボンのスマホが震えた。吉井からのラインメールだった。

「腹、大丈夫か?」と来た。吉井には僕が便意をもよおして、教室を出て行ったように映ったのだろうか。

 僕はため息をついた。

 誰か、僕の今のこの気持ちを理解してくれる人はいないのだろうか。でも僕だって吉井の気持ちを理解していない。篠崎の気持ちはもっと理解できない。誰だって他人の気持ちなんて理解できない。それを深く感じた途端に、この晴れ渡る空が物凄く大きく感じ、地球上では誰しも、たった一人の孤独な存在なのだと思ってしまった。

 僕は吉井に『腹が痛いからこのまま帰るから、カバンそのままにしといてくれないか』と送った。すると吉井から『わかった。お大事に』と来た。

 僕はズボンにスマホを直そうとした所で、ハッと気が付いた。そうだ。玉野との約束があった事をすっかり忘れてしまっていた。僕は断ろうかと考えたけれど、何か人恋しい感覚に襲われ、そのまま玉野の連絡を待つ事にした。

 でもここにいつまでもいる訳にもいかないので、僕は立ち上がり、早退表を出して家に帰った。

 昼に玉野から連絡が入った。僕は家の戸棚にあったカップラーメンにお湯を入れながらそれを見た。

 どこか適当な店で話を聞いて欲しいという事だ。僕は駅前の商店街にある喫茶店でいいかと聞いた。時間は4時半に決まり、僕はそれまで再放送のドラマをボーっと眺めて時間を後ろへとやり過ごした。

 するといつの間にか、4時になったので、僕は着替えて駅前へと向かった。


「先輩、私と付き合ってくれませんか?」玉野は真剣な顔でそう言った。僕は砂糖とミルクを入れたブレンドコーヒーを飲みながら、おそらく玉野から見たら相当とぼけた表情でその言葉を聞いた。

「駄目ですか?」

 玉野は僕を急かすように切羽詰まった表情をした。

「いや、その・・・、急な話だから、びっくりして・・・」

 正直、玉野と付き合う事を想像した事はなかった。玉野は可愛らしいし、魅力的だと思う。けれどずっと妹的な存在の範疇を出る事はなかった。

「考えさせてくれないかな?」僕がそう言うと、玉野は俯き「他に好きな人がいるんですか?」と言った。

 僕は否応なく篠崎の事を思ってしまった。そして、そのどうしようもなさも同時に思い出してしまった。

「そんな人いないよ」と僕は言った。

「じゃあ、私とお試しでもいいんです」

 玉野は今にも泣きそうだった。おそらく相当緊張しているのだろう、テーブルの下では手をギュッと握っているのか、肩がこわばっている。

 何故僕なんかの為にそんな必死に自分を投げ打つのだろう。僕は玉野の表情を見ていると居た堪れなくなり「わかった」と返事をしてしまった。

 色々なものが僕を急かしているような気がする。それは玉野だけではなく、進路だって、目まぐるしく移り変わる季節だって、すり減る感受性だって、でもそんな僕の無責任な一言で、玉野の顔には花が咲くように笑顔が広がった。

 それを見て僕はこの選択が正解だと思った。

「先輩、これからよろしくお願いします」

玉野の笑顔はいつもより、さらに魅力的に、女性らしく感じた。これから玉野を好きになっていく、そんな優しい未来を想像させてくれるような笑顔だった。

 店を出て、玉野を家まで送る事になった。 玉野の家は東尾道駅の近くの住宅地にあるらしい。僕らは付き合いたてのカップルのような初々しい会話もなく、主に僕の進路について話した。

「じゃあ、先輩は就職する事に決めちゃったんですね?」

「うん、夏休みに職業体験や面接練習をして、夏休み明けに企業面接があるんだ」

「何かもったいない気がします」玉野は残念そうに言った。

「どうして?」

「可能性を自ら狭めているような気がして・・・、大学に行けば、同年代の色々な人に出会って、色々な事を経験出来ると思うんです。私はそこで先輩の本当にやりたい事が見つかるような気がするんです」

「俺は未来に希望を持てない人間なんだよ。本来、未来は何が起こるかわからないものだろ?今は日本の景気も良くないし、未来の自分の可能性に賭ける生き方は無責任な気がしてさ」

「でも、何か悲しいです。そんな生き方・・・」

「そうだね」

「そんな考え方してたら、先輩、絶対不幸になります」

「そうかも・・・、でもこれが俺だよ。幻滅した?付き合う事考え直してもいいよ?」

「・・・・」

 玉野は、歩くのを止め、俯き黙ってしまった。僕は玉野の言葉を待ったが、どうやら泣いているようだった。

「どうしたの?」僕は焦った。

「私・・・、凄く緊張したんですよ。凄く、凄く緊張して、付き合ってもらえるって返事してくれて、凄く嬉しくて、なのに考え直してもいいだなんて、酷すぎます・・・」

「・・・・」

「私は先輩が好きなんです。先輩と幸せになりたいんです。だからもっと私との未来に希望を持って欲しいんです」

「ごめん・・・」僕は謝った。玉野が無性に愛しくなった。そして改まって「もう言わないよ。こんな俺で良かったら付き合ってよ」と言った。

 玉野は涙を拭いて、笑って「仕方なしですよ」と言った。

 僕は意地を張った生き方をしていたのだろうか、そんな凝り固まった僕の心を玉野は少し解してくれた。

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