第13話

 その後、僕と篠崎は旅行の件もあり、自然と喋る機会が増えた。でも進路に関する事は、お互い触れないようになっていた。僕は就職するし、篠崎は大学に行く。それでいい。争いの火種はつけないに越した事は無い。

「昨日凄かったね」休憩時間中、篠崎は前の席から僕の方を向きそう言った。

「何の話?」とわからず僕が聞くと「大雨だよ」と篠崎は答えた。

「ああ、凄かったみたいだね」

 昨日、九州地方で大雨があり、土砂災害などで大きな被害が出たとニュースになっていた。

「遠くで人が死んだんだよ。そんな態度じゃ駄目だよ」篠崎は言った。

「じゃあどうすればいいんだ?」

「走ってボランティアに行きなさい」

 僕は笑った。

「何で笑うのよ。不謹慎よ」と篠崎は口を尖らせた。

「ごめん、でも正直、俺は笑顔でボランティアする人があまり好きじゃないんだよ」

「どうして?」

「なんか、承認欲求のために人助けしているように見えるからかな?」

「じゃあ、怒ってすればいいの?」

「そうだね。その方がいいかも」僕はくすりと笑った。

「でも動機なんて、自分自身の問題で、他人にとってはどうでもいい事だよ。偽善にしても善なんだから、やってもらう側としては、どんな理由であれ結局助かる事なんだから」

「それだとボランティアが利害関係になってしまうよ」

「それが世界じゃないの?」

「利害関係でこの世は成り立っているって事?」

「ええ、そうでしょ?愛だって友情だって、結局は利害関係でしょ?」

 僕は、不思議と笑いが込み上げてきた。

「何で笑うの?」篠崎は不思議そうな顔をした。

「やっぱり、篠崎は恐いなと思ってさ」

 僕は自分の見る目が合っていたようで、嬉しく思った。

「恐いって何よ」篠崎は僕の肩を叩いた。そして「でも、ちょっと言い過ぎたかも、なんだか清水君相手だと、普段人に言えないような自分の心の奥の事まで言えちゃうんだよね」と言った。

 僕はドキリとして篠崎の目を見た。すると篠崎は物憂げな目で僕をじっと見て「何でだろうね?」と静かに呟いた。

 その言葉を聞いた瞬間、周りの雑音が遠くへ行き、僕は篠崎の目に吸い込まれるような感覚になった。

 僕は何故かいけないと感じ、必死で耐えて「そんなの、知らないよ」と言って目を反らした。でも、胸は高鳴り、まともに篠崎を見る事ができなくなった。

 篠崎の目、唇、髪、首元、全てが生々しく感じた。まるで人形が急に命を持ったようだった。

「ねえ、清水君、私と席が離れたら嫌?」と暫くして篠崎は言った。

 白い頬に笑みを讃えている。いつもと違う笑顔だ。どこか寂しげに映る。でもその寂しさの源流など僕は知らない。僕は篠崎の事を何も知らない。何故誰とでも付き合うのか、何故こんなに悲しげな物憂げな目をするのか、僕は篠崎の事を何も知らない。

「なんで?」

 僕はまだ少し動揺している。

「ほら、今日は7月1日じゃない。いつも1ヶ月に一度席替えがあるでしょ。でも夏休みも近いし、今回はしないかもしれない、どっちだろうね」

僕はどうも試されているような気がして「篠崎はどうなんだ?」と聞き返した。

「清水君が答えないと、言わない」篠崎はそう言って悪戯っぽく笑った。僕は解り易く焦った。それが顔に出ていたのか、そんな僕の表情を見て「清水君って、可愛い所あるね。もっとクールな人かと思ってた」と言った。

 僕は更に焦って「篠崎、あまり人をからかうなよ」と言った。

「からかって無いわ、ただそう思っただけよ」

「言葉は受け取り側次第じゃなかったっけ?」

「忘れたわ」篠崎は造作も無く、お気に入りのおもちゃをゴミ箱に捨てるように自分の発言を過去のものにした。

 篠崎程何を考えているのかわからない人間は初めてだった。そして思った。今篠崎は彼氏がいないという事を。もし今僕が篠崎に付き合ってくれと頼んだら、付き合ってくれるのだろうか。僕は篠崎と付き合う事を想像し、その甘さと、苦さを感じた。重要なのが甘さの後に苦さがやってくるという事だ。僕は篠崎という人間を心の底で恐れているのかもしれない。

 結局、席替えは担任の面倒だという一言で、行われない事に決まった。僕のその時の気持ちは悔しいけれど、ホッとした気持ちだった。篠崎はどうだろうと思ったけれど、こういう時に限って篠崎はこちらを振り向かなかった。ただただいつものように、華奢な背中を真っ直ぐにして座っていた。


 休み時間吉井と、ひんやりとして暑さがほんの少し紛れるという理由で、廊下にペタリと座って喋っていた。吉井は途中から、スマホで今はまっているゲームをやり出した。

 僕はこういう時やる事が無くなるので、こちらに注意を持ってきてもらうため吉井に「なあ、吉井、篠崎に告白しないのか?」と特に考えもせずに聞いた。

「うーん」と唸って、吉井はスマホをポケットに直した。

「どうかしたか?」

「清水、篠崎についての噂知らないか?」吉井は真剣な表情で僕を見た。

「いい噂?それとも悪い噂?」

 吉井は言いにくそうに小さく「悪い噂」と言った。

「何?」

 僕は自然と鼓動が速くなる。

 吉井は僕に顔を近づけ、声を潜め「お前はあまりネットしないから知らなくて当然なんだけど、良くも悪くも篠崎は目立つから、ネット内の学校の掲示板みたいなものに、ある事無い事よく書き込まれるんだ。なんでも前の彼氏との子供を妊娠したとかで、相手側と揉めているらしいんだ」と言った。

「妊娠・・・、まさか、本当なのか?」

 僕は簡単には信じられなかった。篠崎はなんというか、軽率な事はしないように思えたからだ。

「あくまで噂だよ。ネットの掲示板なんてだいたいがデマなんだし、真実はわからない。でも真実を確かめようにも、篠崎に妊娠してるの?なんて聞ける訳ないだろ?」

「確かに、で、お前は信じてる訳?」

「・・・信じてないよ。だけど今は様子を見るしかないだろ?」

「本当にイス取りゲームだな・・・」

 僕は男の生々しいゲームに巻き込まれている篠崎を勝手に不憫に思った。

「清水、俺はどうすればいいと思う?」吉井は探るように僕の目を見た。

「本当に好きなら考える前に行動してるんじゃないのか?行動せずに考えてるだけなら、お前にとって篠崎はそれまでの存在なんだ。だから変に突っ走るならやめとけ、後悔するだけだから」僕は自分自身にも言ってるような気がした。

「厳しいな・・・」吉井は苦笑いをした。

「優しさと誠意は違うから」

「わかってるよ」吉井はそう言って立ち上がり、一人教室へと戻って行った。僕も立ち上がり、ズボンに付いた湿気を含んだ埃を払った。教室の扉から篠崎を見つめた。いつもと変わらず笑顔で友達と喋っている。そして僕の視線は、自然とその腹部へと降りていった。あの細いウエストに命が宿っている。そんな噂、どう考えても間違っているように思えた。


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