第10話
放課後、担任に就職の意思を伝えるために職員室を訪ねた。小柄な五十になるウチのクラス担任は「そうか、清水は就職か、わかった。夏休み前に説明会と、三者面談があるから、ここに流れが書いてあるから目を通しとけ」と言ってプリント用紙をくれた。
「何か希望の職種がある訳?」担任は眼鏡の奥の細い目で僕を見た。初めてしっかりと目を見た気がする。
「特にないです」と僕は言った。
担任はゆっくり宙を見つめ「わかった・・・」と言って「学校に何件か応募が来るから、選んで決めたらいいよ」と言った。
想像通りの対応だった。ウチの担任は積極的に生徒に関わっていくタイプではなく、教師を仕事と捉え、合理的に処理していく淡泊なタイプだ。おそらく来年には僕の顔も忘れているだろう。
しかし大学はどうだとか言うものだと思っていたけれど、それすらないとは驚いた。けれど今の時代、生徒に関わる教師は味方より敵が多くなる。僕が二年の時の女の担任は親密とエゴをはき違えた感情的なタイプだったが、一部の生徒にいびられ、それがクラスに蔓延し、最終的にヒステリーを起こし学校を辞めてしまった。
とにかく、進路の事は暫く流れに任せればいいだろう。あとは旅行の事だ。心配なのは日程とお金の事、日程はある程度僕に合わせてくれるようだが、お金は通帳に5万程しか入っていない。吉井の話によると10万あれば大丈夫という事だ。あと5万、なんとか工面しなくちゃいけない。
僕は悩んだ。どうやら母さんに頭を下げるしか無さそうだ。
家に帰るなり、寝起きの母さんに「ねえ、5万貸してくれないかな?」と言った。母さんは、ソファーに、脱ぎ捨てた服のように気だるそうに座っている。そして欠伸交じりに「どうして?」と言った。
「夏休みに沖縄旅行に行く事になってさ」
「ふーん、いいわね。でもそういうのって、卒業してから行くものじゃないの?」
「夏に遊ぶから価値があるみたい・・・」僕は吉井の言葉をそのまま話した。
「気持ちはわからなくはないけど・・・、5万ねえ」母さんは渋った。
「この前は頼ってもいいって言ってなかった?」
「そうだけど・・・、うーん、仕方ないか、自分で言った事だし、いいわ。返してくれるんでしょ?」
「えっ?うん・・・」
確かに貸すとは返す事が前提としてある言葉だけれども、家族内では、そこらへんは曖昧になるものだと思っていたが、母さんの前では通じないようだった。
「いつでもいいわ」
「わかったよ」
母さんは自分の部屋から封筒を持ってきて「大事に使いなさいよ」と渡してくれた。
僕はお礼を言って、ふと妹の事が気になった。風邪をひいた時の差し入れの恩もあったので母さんに聞こうかと思ったけれど、また彼氏やら、彼女を作れやらの話しになるだろう事は簡単に想像出来たので、敢えてもう聞かなかった。
取り合えず5万円を無事に借りる事が出来た。問題をまた一つ解決したので、心の空欄にチェックをつけた。
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