第7話

 日曜は吉井の家へ行き、暑い中外に出るのも億劫なので、エアコンの効いた部屋で、10歳になる吉井の弟と共にゲームをしたり、漫画を読んだりして、青春と脳みその無駄使いをしていた。

 テストが次の水曜に迫っていたけれど、僕も吉井も馬鹿なのか呑気なのか、勉強の話題すらでない。僕ら2人共、暗号解読みたいな学校のテストにプライドも恥もなかった。僕はこの辺りが吉井と気が合う所以なのだろうと感じていた。


 日が暮れ、吉井の弟が花火をしたいと言うので、近くのホームセンターまで花火を買いに行った。そして吉井の家の縁側で花火をする事になった。

「なあ、夏休みに旅行に行かないか?」と吉井は言った。

 吉井は黒のタンクトップに白の短パン姿で、家から持ち出してきた着火の悪いライターに苦戦している。

 僕は吉井の弟が冷蔵庫から持って来てくれた、ソーダ味の棒アイスを頬張り、脳髄に響く冷たさに顔をしかめながら、さすがに「お前、受験勉強はしなくて大丈夫なのかよ」と聞いた。

「一か月ずっと遊ぼうって訳じゃないんだから、一泊、二泊の旅行で受験に影響なんて出ないよ。逆にいいリフレッシュになるよ。南国の海に水着、最高だと思わないか?」 吉井は早くも盛り上がった調子でそう言った。

「で、どこの南国に行く訳?」と僕が聞くと、吉井は「沖縄」と即答した。

「もしかして、すでに誰かと話が纏まってるのか?」

「いや、そうじゃない、そうじゃない。予定はこれから立てるんだ。ただ、クラスの女子も何人か誘いたいんだ・・・」吉井はそう言って、愛玩動物のように僕を見た。

「篠崎か・・・」僕はため息をついた。

 吉井は、丸く平らな特徴のある自分の指先を、ゆらゆらと僕に向け、何故か高圧的に「いいか?明日必ず篠崎と仲直りするんだ」と言った。

「はあ?」

「お前の為なんて、偽善的な事は言わない。わかるな?俺の為だ」

「ちょっと待て、そもそも俺は旅行に行くとすら言ってないけど?」

 吉井は予想外だったのか「えっ?」と目を見開いた。

「俺、就職活動するんだぜ?予定が空いているかわからないよ。それに一番の問題で・・・、金が無い」

「嘘だろ?なんで就職するのかな?大学に行けばいいものを・・・、お前はつれない奴だよ・・・」吉井は頭を抱えた。それを見て吉井の弟はニヤニヤと笑いながら、僕と吉井に一本ずつ花火を差し出した。自分はというと、勇ましげに花火を5本程重ねて持っている。

 僕は消沈している吉井に「それに、まだ篠崎にも声かけてないんだろ?」と言った。

吉井は「そうだけど・・・」と先ほどの盛り上がった調子はどこへやら、情けない声を出した。

「篠崎だって彼氏がいるんだから、無理って言うに決まってるよ」

「はあー」と吉井は深いため息をつき「高校最後の夏休みが勉強で終わるなんて俺は嫌だよ」と言った。

「そんなものでしょ。受験が終わって行けばいい話じゃないか。大学で遊ぶ為に受験を頑張るって言ってなかったっけ?」

 吉井はいじけたように「夏に遊ぶから価値があるんだよ」と小さな声で言った。

「篠崎の水着が見たいだけだろ?」

[ばれた?]

「ばればれ」僕は呆れた。そして「そんなに篠崎の事が好きなのか?」と聞いた。 

「ああ、一目ぼれだしな。一年の時、廊下で初めて篠崎の顔を見た時、あの姿、柔らかな笑顔、まるで心に風が吹いたような気がしたんだ」

「心に風・・・、詩人だな」

「茶化すなよ。でもその時、俺は詩人の気持ちがわかったよ。言葉では伝えられないから、比喩を使うんだなって、篠崎はまるで風のようだった。心にある何かを奪い去られるような、駄目だ、詩人じゃないからこれ以上は上手く言えないわ。でも篠崎とは多分高校で別れる事になるだろうしさ、言わば最後のチャンスなんだよ。俺は何だかんだで2年以上篠崎に片思いしてるんだぜ?それでコツコツと距離を縮めてさ、やっとこの位置まで来た訳、それなのに卒業したら、赤の他人に戻るんだ。今の状況をチャンスと言わず何と言うんだ。なあ清水?」

 僕は吉井の話よりも、吉井の弟が持っている盛大に火花をあげている花火を見ていた。ここ数日の雨でぬかるんだ縁側にできた、大小様々な水溜りに映る火花は、まるで時間の縛りなど忘れたかのように、激しく燃えていた。けれど一分と待たずにすぐに消えた。

「つまらないな」吉井は呟いた。

「そうやって大人になって行くんだよ。きっと」

 吉井はさもつまらなさそうに、消えた花火を水の入ったバケツに捨てた。

「おい清水」吉井はそう言うと同時に、いきなり立ち上がった。僕は驚き「いきなり何だよ」と吉井を見た。

 吉井は僕に「行くぞ」とだけ言って、歩き出し、すぐに振り返り「竜二は、花火片付けとけよ」と言った。吉井の弟はえーと不服そうな声を出したが、吉井が、お菓子買って来てやるからと言うと、渋々と言った感じで了解をした。

 吉井は家の裏にあるガレージまで僕を連れてきた。吉井家の10メートル四方くらいのスチール製のガレージの中は一家が多趣味な為、バーベキューセット、スポーツ道具、車用品、不用品、取りあえず物で溢れかえっている。その中から吉井は自分の原付バイクを出して来て、シートの前の方に窮屈に座り、空いたスペースに乗れと僕に目で合図した。僕がシートに座ると吉井はエンジンを掛けバイクを発進させた。

 ゆっくりと眠りに向かって行く夜の街の中を、壊れかけの中古のバイクは全速30キロで駆け抜けて行く。

 暖かい重たい風が僕らを通り抜けて行く。

 僕は五月蠅いエンジン音の中、前の吉井に聞こえるように大きな声で「で、どこに行く訳?」と言った。

「東京!」吉井はそう言った。

「なんて?」

「東京!東京までラーメン食いに行く」

「何でだよ!」僕は吉井の突飛な発言に笑いながら言った。

「篠崎が好きだからだよ!」

「意味がわからない!」

「俺は篠崎とセックスがしたい!」

「バカか!」

 僕らは何かに抗うように必要以上に大きな声で叫んだ。それは学校であったり、社会であったり、それ以上の物についての反抗だったのかもしれない。そして頭が麻痺していっているのか、テストなんかほったらかして、このまま、このバイクで吉井と東京に行くのも悪くないような気がしてきた。

でも暫くして、バイクから中年の咳のような音がした。すると瞬く間にバイクは止まってしまった。吉井は何度もキーを回し、キックでもエンジンを掛けたが二度とエンジンは掛からなかった。

「はあ・・・」吉井はため息をついた。

「修理に出さないとな。いや寿命か・・・」

 夢から急に目が覚めたような感覚だった。

「東京行きたかった」

「東京まで何キロあると思っているんだよ。その間に警察に捕まるよ」僕は少し冷静になりそう言った。

「じゃあ、いつものラーメン屋に行くか」

「そうしよう」

 そして僕らは近所にあるいつも行く尾道ラーメンの店までバイクを押して行った。そしてラーメンを一杯ずつ食べた。支払いの時、吉井は財布を忘れたと、苦笑いをした。僕も、財布には二千円しか入っておらず、それで東京に行くだなんて、無謀な事言ったものだと笑いあった。

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