第3話

 放課後になると、期末テストが来週に控えていることもあり、瞬く間に教室には誰もいなくなった。

 僕はというと呑気に、同じクラスの友達の松田と吉井と、振り返り名前をつけるとするなら『くだらない話』に夢中になっていた。

 この教室という空間もあと少しで終わりなのかと話の合間、ふと静かになった瞬間、誰もいなくなった教室に、なにやらみなに置いて行かれたような寂しさを感じ、誰が言い出すでもなく、僕らは自然と教室を後にして下駄箱へと向かった。下駄箱からは女子数人の喋り声が聞こえる。同じクラスの酒井と本田と篠崎だった。

「おっ、テスト前なのに余裕だな」と吉井は女子達に声をかけた。

「えー、だってどっちかというと受験の方が大切でしょ?それに吉井達だって、3人で何やってたのよ?」と茶髪のショートカットで、耳にピアスをした顔の作りが派手な酒井が言った。

「俺たちは時間を忘れて、将来の事を熱く語っていたんだよ」吉井は酒井より、むしろ篠崎に向かって言った。

「へえ、吉井君は進路どうするの?」と篠崎は言った。

「俺は、チェ・ゲバラみたいな革命家になるよ。そして今の日本を革命するんだ」

「誰それ?」と酒井はとぼけた顔で言った。

「あれだよ。トルコかどこかの肉料理だよ」と本田が言った。

 本田は黒髪のロングヘアーで一見地味な顔立ちだが、言動に愛嬌があり、クラスのマスコット的な存在だった。篠崎と酒井と本田、この3人でよく行動しているように思う。

「なんだ吉井、将来は肉になってトルコ人に食われるんだな。立派だよ」酒井は、笑いながら言った。

「馬鹿、違うよ。それケバブだろ。松田教えてやれ」吉井は言った。

「俺?うーん、チェ・ゲバラはキューバ革命の立役者で、元医者で、革命軍を率いて、世界のカリスマなんて言われてるね」松田が優しく説明した。

 松田は大柄な体型で温和な性格だ。とにかく気が良い奴なので僕も吉井も仲が良かった。

「そうなんだ。それよりトルコアイスが食べたくなってきちゃった。あの伸びるやつ、よくない?」酒井は、チェ・ゲバラなんて興味ないのか、トルコ料理の方へと関心を示した。

「だね。吉井君奢ってよ」と本田がウキウキしながら言った。

「お、じゃあ、トルコアイスは無いと思うけど、ファミレスでも行く?」

 その時の吉井の顔は下心をそのまま擬人化したようだった。

「どうするマリ?」と酒井と本田は篠崎に聞いた。どうやらこのグループの主導権は篠崎が握っているようだ。

「いいんじゃない。清水君も行くよね?」と篠崎は僕を見た。

「ああ、みんなで行こう。ファミレス」と僕は言った。

 するとそれを聞いた女子3人が爆笑した。

「なんか、清水君が言うとおもしろいね。キャラじゃないよ」と酒井が腹を抱えて笑いながら言った。

「なんだよ。清水、そんな事で笑ってもらえてずるいぞ。それだったら俺も言うよ。みんなで行こう。ファミレス」吉井のその言葉に僕以外爆笑した。

 僕はただただ赤面した。

 みんなが笑っていると通りがかりの教師に「早く帰れよー」と不意に言われ、それをスターターの合図のように僕らは下駄箱を出て、駐輪場へと向かった。結局流れで、6人でファミレスに行く事になり、その道中、僕はみんなに散々いじられた。

 駅前のファミレスで、ドリンクバーと、大盛ポテトと、マヨコーンピザと、シーザーサラダを頼み、僕らは日曜の午前中のようなリラックスした気持ちで話していた。

「こういうのって久し振りだな。だってさ、今は受験でそれどころじゃないでしょ?1年や2年のクラスは楽しかったけど、3年ってどっか殺伐としちゃうじゃん。それに時が経つのが凄く早い感じがする」酒井は指で持ったポテトを宙でぶらつかせながら言った。

「言ってみたら、みんなライバルだしね」と松田は成績優秀者の余裕からか、ニコニコしながら言った。

「争いなんて嫌だよね」本田が言った。

「そうだよ。みんな仲良く同じ大学に行ければいいのにね。受験なんて制度なくして、好きな大学選べるようにすればいいんじゃない?」酒井が世紀の大発明でも閃いたかのように言った。すると篠崎が「それだとサヤカみたいなのが、東大に入学しちゃう事になるからしないんじゃない?」と冷静に言った。

「成程ねー」酒井は納得の表情を浮かべた。

 みんな笑った。

「ところで篠崎は大学に行くのか?」と吉井はソワソワとしながら言った。

「そうだね」

「え、どこの?」

「それはこれからの頑張り次第かな?でも私、昔から大学生活に憧れがあるんだ。あの自由な雰囲気や自分の意志で自活する感じが」

「わかるなー、でも清水はそれがわからないんだよ。こいつ変な所こだわり強いから」と吉井は僕を睨んだ。

「清水君ってリアリストっぽいよね」本田が言った。

「そうじゃないそうじゃない、逆にロマンチストなんだよ。まだまだお子様なんだよ」

「ほっといてくれよ」僕は言った。

 松田は「まあ、人それぞれ考えがあるからね」と優しい声で場を和ませようとしたけれど、吉井は「でた、人それぞれ、それを言うと駄目なんだよ。世の中にはルールがあるだろ?それに則って俺らは生活していかなくちゃいけないんだよ。誰だって幸せな気持ちでいたいだろ?その為には、人それぞれなんて言っていたら駄目なんだよ。それは甘い考えだよ。世の中のセオリーに従って生きていくのが幸せへの近道なんだよ」

「おお、吉井、宗教家みたいだな」酒井は笑った。

「吉井教でも開こうかな」吉井は得意気に言った。

「清水君、吉井君は清水君の事が心配でしょうがないんだよ」篠崎は僕と吉井を優しい表情で見比べた。すると酒井が「お前らホモだもんな?」と付け足した。

「そうなの吉井君?」本田は本気に捉えたのか、真顔で言った。

「違うよ」吉井は笑いながら言った。

「吉井には好きな女いるもんな」と僕は、いままでの仕返しとばかり言った。

「おい、清水」吉井は焦っている。

「発表してよ。発表」酒井は身を乗り出し満面の笑みだ。

 吉井は静かに「まだ時期じゃない・・・」と言った。

「なにそれー」酒井は水を差され不満気だ。

「でも近い内に告白はするつもり・・・」

 篠崎は「吉井君なら大丈夫、自信持って」と言った。

「本当か?」と吉井は一転、笑顔になった。

「どうせ、マリの事だろ?」酒井はふて腐れたように言った。

「え?」

 吉井は喉を締められた鶏のように硬直した。

「わかりやすすぎ」酒井は呆れた。

 篠崎は動揺する事なく口元にうっすら笑みを讃え、下界を見下ろす女神のような表情をしている。どれだけモテてきたらこのような表情ができるのだろう。

 吉井は目を泳がせながら「この話は終わり。それよりチェ・ゲバラの話をしよう。彼がボリビアで死んだ時の話だけど -」と吉井が話している間、こっそり本田が酒井に耳打ちした。酒井はそれから、吉井の恋愛事情には踏み込まなくなった。そのかわり吉井の汗だくの、チェ・ゲバラの話が暫く続いた。


 結局、一時間程喋った所でカラオケでも行きたいという話になったけれど、勉強もあるので今日は解散となった。

 僕は帰る方向が同じの篠崎と途中まで一緒に帰る事になった。


「清水君って、向こうの海沿いの団地に住んでるんだってね」と篠崎は言った。

 僕は自転車を押しながら、夕暮れの海沿いの道を篠崎の歩に合わせてゆっくりと歩いた。

「そうだよ。もうボロいから引っ越したいって、家族で言ってるんだけどね」

「実は私、昔あそこに住んでた事あるんだ」

「えっ、そうなんだ?」僕は篠崎を見た。

 海風で静かに揺れる髪が、夕焼けで光っている。

「7歳の時だったかな、親が離婚してごたごたしている時、ほんの数カ月間だけだったけど、でもあそこの部屋の風景、たまに思い出す事あるんだ」

 僕は勝手に篠崎は円満な家庭で不自由なく育ったものだと思っていた。かくいう僕も片親なので、篠崎がごたごたと表現した部分に共感できるものがあった。

「思い出すって、もしかして寂しい時に?」と僕が聞くと、篠崎は薄く笑って「そうね。私の中で孤独といえば、あそこで1人、留守番していた時の事がイメージに浮かぶかな」と言った。

「篠崎って一人っ子?」

「うん。清水君は・・・・、当てるから言わないでね」と言って篠崎は真剣な表情になり「お姉さんがいる?」と伺いの目で僕を見た。

 僕が間を空けて「違うよ」と言うと、篠崎は「あちゃー、妹さんか」と当然のように言った。

「そうだけど、よくわかったね」僕は驚いた。

「その人を見れば、どういう人生を歩んできたか、半分はわかるものじゃない?」

「もう半分は?」

「もう半分の半分は自分にしかわからない。残りは誰にもわからない・・・。なんてね」と言って篠崎はおどけた。

 僕は篠崎の夕陽に照らされた顔を子細に見ても、半分もわかりそうになかった。

「清水君は妹さんを大切にしなきゃ駄目だよ」

「なんで?」

「何となく、清水君、一人じゃ危なそうな気がするから。じゃあね。私こっちだから」そう言って篠崎は去って行った。

 篠崎と別れ、1人自転車に乗って観光地とは離れた尾道のもう一つの顔である錆びたクレーンが立ち並ぶ工業地帯にある団地へと向かっていると、先ほどの騒ぎからか、夕暮れのせいか、ふと寂しさが込み上げてきた。

 篠崎だったらあの部屋の事を想像するのだろうか。その部屋もきっとこんな風に夕日に照らされていたのだろう。


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