16.へっぽこ召喚士はもう迷わない



 風を切る感覚に緊張感を感じつつも、その凄まじい速さで走る壮観な魔獣達の姿に、緊張感は闘志へと変わっていく。


 常に三角形を維持した隊列を崩さぬように走る魔獣達は、本能をむき出しにして先頭を走るフェンリルに続いて走る。


 お願い……どうか無事でいて。


 フェンリル達の力を借り騎士達を追いかけるように、王都から南に向かって暫く走っていくと、燻る黒煙が空高く舞い上がっていた。時折大地が揺れる度に、益々黒煙は太く濃い煙を立ち上げていく。


 町や村の住民達の避難は事前から滞りなく行われていた様子で、被害は最小限に抑えられていることにまずは胸を撫で下ろす。


 行く先々の町の静寂さを見るに、魔獣騎士団は魔物達の行く手をしっかりと拒んでいるようだ。大きく荒らされていることはない為、復興までにそう時間は掛からないだろう。


 もぬけの殻になった町を突っ切りながら、ひたすらに黒煙を目掛けて走る。


 突き進めば突き進む程、人が寄り付かない枯れ果てた森が口を開けるようにして待ち受けていた。ただその森すらも救いを求めるように、吹き荒れる風と共に悲鳴を上げた。


 岩肌ばかりが顔を出し、枯れた木の幹が身を寄せあっては、立ち込める黒煙の煤を身にまとっている。


 ここが……精霊の森。


 焦げた匂いでむせ返りながらも、森の奥から微かに聞こえてくる金属がぶつかり合う音に、間違いなく騎士達がいることを感じ取った。微かに風と共に流れてくる血臭に、迷う暇はないとフェンリルの背から降りた。



「みんな、ここからは別行動よ。相棒の騎士の元へと向かって」



 生身で戦う第四部隊の彼らには、魔獣達以上に必要な存在はない。


 獣人の力があるとは言え、出せる力は限られてくる。死と隣り合わせな状態を、少しでも早く脱するには魔獣達と共に戦う必要があるのだ。


 誰かの血を流すようなことは真似は絶対にしたくない。



「彼らを死なせては駄目。さあ、行って!」



 ミアの指示に一瞬躊躇ったようにも見えたが、瞳に宿る闘士は揺るぎない。隊列を崩して森の奥へと姿を消していく我が子を見送り、残ったフェンリルに視線を戻す。



「フェンリル。神獣の導きを私に」



 強く頷くフェンリルは目を閉じると、靡く真っ白な毛並みを黄金に輝かせた。


 なんて美しいの……。


 神々しい姿に、この状況に相応しくないとは分かりつつも、内心感嘆の声を漏らす。


 フェンリルが踏みしめる大地は既に死んでいるというのに、彼の力によって周囲に草花が芽吹く。彼の額から現れた光の礫に息を吹き込むと、意志を持つように光の礫はミアの額の中へと入っていく。


 光が溶け込むようにミアの中に広がっていくと、知らない過去の記憶がどこからか流れ込んでくる。


 一人の青年と共に荒れた大地を浄化し、再び安寧の地を取り戻した誇りと喜び。


 そして――大切にしていたこの世界が再び脅かされる怒り。


 その記憶の糸を手繰り寄せて見えた、一筋の光と僅かに共鳴する。はっきりと声が聞こえるわけではないが、その声は確かにミアの中で脈を打つ。



「呼んでる……」



 流れてきた記憶と、その声を頼りに周囲を見渡す。感じる力の方角はぼやけてはいるが、迷うほどでもない。


 フェンリルに礼を言って、一人で突っ切ろうとするミアだったが、彼に行く手を遮られる。



『流石にミア一人では危険だ。オレも着いて行く』


「駄目よ!フェンリルも団長の元へと行って。あの人は意地でも一人で戦おうとするから」


『……怪我でもしたら承知しない』


「それはこっちも同じセリフよ。大丈夫。あなた達のお母さんは強いんだから!」



 安心させるというよりも、勇気を貰うようにフェンリルに抱きつくと、彼を優しく撫でる。


 優しい温もりに心地の良い毛並み。ここまで頑張って来れたのも、彼のお陰だ。



「大好きよ」


『死に際の最期の言葉みたいな事言うな』


「本当の事を言いたかっただけ」


『それはあんたの想い人にでも言え。それともなんだ?オレから言っておいてやろうか?お前みたいなクソ獣人の事が好きだって』



 サラリと吐き出したフェンリルの言葉に、動揺を隠すことはできない。


 どうして気づかれたのか、ミアに分かることは到底不可能だろう。



「ちょ、ちょっと!なんで私が団長の事好きなこと知ってるの?!」


『ミア以上に分かりやすい奴がいるか。まったく……自分の口でちゃんと伝えたいだろ?だったら、無事でいろ』

 


 彼なりの励ましだと悟ると、僅かに胸の奥底にある不安と恐怖は消えた。


 きつく抱き締めると、フェンリルも応えるように顔を擦り寄せてくる。



「行ってらっしゃい」


『ミアも、気をつけて行け』



 別れの挨拶を済ませ、互いの瞳に宿る想いが光となって輝いた。


 頷いた後は、もう振り返らずに走り出す。


 こだまして聞こえてくる微かな声を頼りに、道無き道を進んで行く。道中茂みに転がる魔物の死骸に、顔を顰めながらも、慎重に辺りを確認する。


 魔物と鉢合わせたら戦う術を持ち合わせていないミアにとっては、死を宣告されたようなものに近い。


 逃げて敵を欺ければいいが、必ずどこかでヘマをするのが自分だというのはよく知っていることだった。端からどうにかなる精神を持っていたら、きっと命はないと慎重さを選ぶ。


 転がる魔物の懐から短剣のようなものが見え、意を決して魔物に手を伸ばす。亡骸とは言え、こんなに近くに魔物がいるというのは生まれて初めての事で緊張感が走る。



「とっ……取れた……!」



 急に生き返って襲いかかってきたらどうしようと思っていたが、完全に息の根は止められていた。


 護身用で手に入れた短剣で怪我をしないように、制服のベルトに差し込むと、声を頼りに一歩ずつ前へと進む。


 完全に朝日が昇りきっていない森に立ち込める微かな霧が、視界を遮ってくる。身を眩ませるのに丁度いいと言えばいいが、逆に敵の襲撃にも対応出来なくなる。


 頑張って目を凝らしながら奥へと進むと、キンッと痛む甲高い音が耳を蝕む。歯を食いしばって、両手で覆うように耳を塞いだ。



「いっ……」



 音のせいで頭までも響くように痛みが伝わってきて、呼吸を整えるようにその場に軽くしゃがみ込んだ。


 今のは、一体何?


 泣き喚く悲鳴のような声に、不思議と胸が痛む。痛みに耐えて立ち上がって周囲を見渡すと、空は黒く染まっていた。


 全てを覆い尽くすように魔物が、空を支配しているのだ。


 遠くの空で飛行部隊が魔獣を操り、弓を放つ音が風に乗って聞こえてくる。この場にいるのが意図も簡単に魔物にバレるのも、時間の問題だ。


 どうにかして神獣の居場所を突き止めなければと焦るミアに、吹き荒れる風と共に真っ白な霧が彼女の周りを取り囲む。



「誰?誰かいるの?」



 森の奥から揺れる影は霧に揺れて、ハッキリとは見えない。ただそこに誰かがいる気配だけが、ミアに伝わってくる。



「時間がない。迷わず、真っ直ぐおいで」



 それは、知らない優しい声。


 知らないはずだというのに、安心感を与える声に妙に心が落ち着いた。



「奴がそなたを探している。見つかる前に私の元へおいで。そなたの気配は消しておくから」



 その声が今までハッキリと聞こえてこなかった、神獣の声だと分かるのには、そう時間はか掛からなかった。


 揺れる影は、今にも薄れて消えそうだ。


 一刻も早く神獣の元へと向かわなければと、影を目印に走り出す。


 悲鳴のような魔獣達の咆哮に振り返りそうになるが、両手で頬を叩く。



「しっかりするのよ、ミア。私にはやるべき事がある」



 足を取られそうになる地面を強く蹴って、前だけを見つめた。


 揺れる魔物の群れの影も視界に映り込むが、気配を消してあるお陰で、魔物はこちらに近づいてこようとはしてこない。


 こんなに近くに魔物がいるというのに、不思議と恐怖心は湧いて来なかった。


 絶対に見つからないんだから!


 息を潜めつつ、時には魔物の股の間を通り抜け、何とか魔物の群れから遠ざかるように進む。


 そうして足場の悪い森の中をとにかく進んでいくと、崖に取り囲まれた拓けた場所に出た。



「はあっ……はあ……」



 中心に大きな苔むした岩を守るように、枯れ果てた湖が静かに眠っていた。


 周囲では剣戟の響きが聞こえてくるというのに、ここだけは空間を切り取られたかのように静寂に包まれていた。


 湖の水は枯渇し、見る影もない。


 だが、そこには神秘的な空気が流れている。


 身を守っていた霧が消え、大きな岩に埋め込まれた、赤く光る魔石の中へと光の粒になって吸い込まれていく。


 か細い光は、いつ消えてもおかしくない程弱い。



「そこに居るのね」



 声はもう聞こえてこないが、ミアには感じる。


 優しさの中に力強さを秘めた力の持ち主が、そこにいるのだと。かの昔に、賢者ロベルツが召喚したという神獣が。


 実体はないというのに、力を未だに使いこなせるのはやはり神獣だからだろうか。


 これから神獣を召喚するという事に、今更ながら興奮と緊張が織り交ざる。



「へっぽこな召喚士の私だけど、お願い。どうか皆を助けて」



 願いを込めながら、これまでに練習してきた全てを捧げるように魔法陣を描く。


 魔法陣に浮かぶ文字達は、規則正しく正確に形を並べる。一文字足りとも歪んではいない。


 渾身の力を込めた魔法陣は、ほぼ完成に近い。


 焦ることなく丁寧に描き、溢れる光が宙に泳いだ。


 後は、神獣と共鳴するだけだと召喚術を発動させるつもりだった。



「……なんで?」



 どれだけ召喚術を発動させようと、魔力を注ぎ込んでも術が発動しない。


 積み重ねてきたものが、全て崩れるような音がした。



「召喚が……でき、ない……」



 大切な仲間に支えられて、ここまで少しずつ成長してきたというのに、何も思い出せない。


 掴んだ召喚する際の感覚も、魔獣達の声も。


 ミアの感覚は、冷たい冬の海の中につけられたように感覚を失っていく。


 それだけでは無かった。


 遠のく意識に、身体の力すらも抜けていく。



「はっ……っ!」



 鳩尾を殴られたような感覚に片膝をついて、倒れるのを堪える。呼吸したいのに呼吸ができない。


 何かが自分の中で暴れだしている。そう分かっていても、どうしようもできない。


 何かを吐き出そうと咳き込むが、息を整えたとしても今度は声が出なくなる。


 どうして……?どうしてなの?


 震える手を見つめて力を入れるが、指先に集まる魔力でさえも消えていく。もう自分には何も出来ない、落ちこぼれは皆の足を引っ張って終わりを迎えるのだと、囁かれるようだった。



『そのまま堕ちろ……深くまで。堕ちて堕ちて、沈め』



 纒わり付くねっとりとした耳障りな声に耳を塞ぐが、感情が深く深く落ちていってしまう。


 ――どこまでも深い闇の奥底へ。



「見失ってはダメ!皆を救うって決めたんだから!」



 朦朧とする意識の中、全身を震わせるようなハッキリとした声が頭に響いた。闇を切り裂くような、強く熱い思いが、胸に滾る。


 それは、ミア自身の強い思いだった。


 精神を蝕む何かを突き飛ばし、自分本来の想いを強く強く抱きしめる。


 大事な全てを取り戻したミアは、半ば強引に闇を振り払った。



「ミアから離れろ!」



 鋭い一撃を繰り出し、切り裂かれた場所から昇り始めた朝日が降り注いでくる。


 眩しい朝日の光を浴びて輝くシルバーブロンドの髪は、いつ見ても美しかった。


 守りたいと強く願う人が、すぐそこに居た。

 


「団長……!!」



 我に返ったミアは伸ばされたリヒトの手を掴み、その場から抜け出すと、重たくのしかかっていた黒い影のようなものが呻き声を上げる。



「あれが、邪神バハムート……!」



 巨体に影を纏い、赤く染まる二つの鋭い瞳でミアを睨みつける。


 まだ完全に封印が解けきっていないその身体は、朽ち果てたまま。


 バハムートから距離を取るようにリヒトが獣人化し、人とはかけ離れた力で高く飛ぶ。



『おのれっ!我に力を捧げていればいいものをっ!』



 広げた翼の片翼は、根元から引きちぎられ飛ぶことはもう二度と出来なくなっていた。それでも片翼を羽ばたかせるだけで、突風が巻き起こる。


 体勢を崩しかけるリヒトが、顔を少し歪めたが突風に抗うように白い風がミア達の背中を支えた。



『まったく。困った奴らだ』


「フェンリル!」



 二人を背に乗せて、綺麗に着地したフェンリルが鼻を一つ鳴らす。呆れた表情を浮かべてはいるが、二人の無事を確かめられて安心したのか、軽く尻尾を振った。


 フェンリルの背から降り、怪我を負っていない二人にひとまず安心して、胸を撫で下ろそうとするが、リヒトの鋭い声に背筋が伸びる。



「ミア」


「はっ、はい!」


「帰ったら、始末書を提出するように」


「えっ?!」



 危機的状況を脱していないというのに、始末書を書かされるという未来に困惑を隠せない。



「当たり前だろ。俺は魔獣達のことを任せてきたというのに任務を放棄して、何故こんな場所にいるんだ?」



 ミアを見ることなく、剣を抜いたリヒトは明らかにお怒りだ。言葉を濁す彼女に、わざとらしい溜め息を零す。



「俺達が先に倒すのが先か、ミアが神獣を召喚するのが先か……。後者の場合、始末書はなしにしてやってもいい」


「……はいっ!」


「くれぐれも怪我をするような事があれば、クビだからな」



 剣を構えたリヒトはミアに振り返ることなく、凄まじい速さでバハムートの距離を詰めていく。援護するフェンリルも、バハムートに隙を与えるものかと、挟み撃ちを仕掛け始める。


 普段から訓練を繰り返してこなかった二人だというのに、何も言わずともピッタリと呼吸を揃えていた。



「はあぁっ!!」



 二人の動きに見惚れてしまいそうになるのをぐっと堪えて、ミアも動き出した。


 魔物とは違って邪神と呼ばれる強さを持つバハムート相手に、確実に倒せる確証はない。


 それにこれまでの戦いで、疲労が蓄積されているのは確かだ。重たい一撃を繰り出すリヒトも、僅かに息が上がってきている。


 彼の強さは十分に知ってはいるが、ミアも召喚士の誇りを捨てたわけではない。


 団長の背中を追いかけるだけはもう嫌だ。私だって、支えて見せるんだから……!!


 取り戻した感覚を握りしめながら、二人の戦いの邪魔にならないようにしながら、神獣が宿る岩へと急ぐ。


 ――この戦いに勝利をもたらす光を掴み取る為に。


 





 

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