15.へっぽこ召喚士はめげない。
*
普段は灯すことの無い松明に火を着け、寝息が聞こえるはずの時間は緊急事態に焦るミア達の足音によって静寂をかき消されていた。
檻の中で力なく横たわる魔獣達は、まだ気を失ったまま。苦しみと戦うように、時折ピクリと体を痙攣させる。
自分の相棒の変わり果てた姿に、動揺を隠しきれない騎士は、獣舎のあれこれを知るミアの邪魔にならないよう、獣舎の外で様子を見守っていた。
騎士達と協力して、何とか最後の魔獣を獣舎に戻し終わった頃に、ズレ落ちそうな眼鏡を掛け直しながら白衣と皮の鞄を片手にやって来たのは、物腰が柔らかそうな一人の男性だった。騎士とは全く違う格好の見知らぬ人物に、ミア首を傾げた。
「失礼致します……!」
歳は三十代半ばと言った所だろうか。年下であるリヒトを前にしても腰の低い挨拶を交わして、真剣な面立ちで魔獣達を見つめる。
その視線が一般人が魔獣を見つめる目とは違い、専門的な目で視診していると分かったミアは、男性の元へと駆け寄った。
「すみません!魔獣のお医者様でいらっしゃいますか?」
「はい。王国軍で魔獣医として働かせていただいております、ハイロン・サリステルと申します」
「あのっ、何かお手伝いすることはありませんか?!」
「え、ええっと……?!」
突然のミアの申し出にやや困惑しているハイロンだったが、落ち着けと言わんばかりにリヒトが声を掛けた。
「ハイロン。こいつはうちの部隊の召喚士のミアだ。ここで魔獣達の世話役もやってもらっている。何か必要な物があれば彼女に聞いてくれ」
「ああ……!噂の召喚士様ですか!まさかこんな形でお会い出来るとは」
どのような噂が出回っているのか、知りたい気持ちも無くはないが、今はそんなことはどうでもいい。一刻も早く、魔獣達から苦痛を取り除いてやりたい気持ちでいっぱいだった。
邪魔にならない範囲で手伝える事があれば何でもやると、意気込むミアは想いの熱を瞳に宿す。その瞳を見たハイロンは一瞬、驚いた顔をしたかと思えば、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「有難い申し出です。では早速、藁を布か何かに包んで枕として持ってきて貰えませんか?あと、水もバケツ一杯分欲しいです」
「はい!今、持ってきますね!」
言われた通りに藁を小屋からかき集め、洗いたての大きめのタオルに包んでは、ハイロンに指示出された場所へと持っていく。それが終われば次は井戸へと走り、水を組む。
世話役として今まで行ってきた仕事が染み付いているお陰で、ミアは今この場にいる誰よりもやるべき事を的確にこなす。滲む額の汗も拭わず、走り回っていると、ハイロンがあちこち回るように檻の中へと入り始めた。
ぐったりと横たわる魔獣達に近づいて、触診を始めるハイロンの表情はやや険しい。そして、フェンリルの檻の中に入り、身体のあちこちを触診して見つけた何かに声を低めた。
「……これは――」
原因が凡そ分かったのか、顎に手を添えて考えるハイロンの横に邪魔にならないようにして立つ。
「ハイロン、何か分かったのか?」
「はい。彼らは植魔の毒に感染しています」
「植魔……?」
聞き慣れない言葉を聞き返すと、ハイロンはフェンリルの足首の毛を上げ、皮膚を見せる。
何かに締め付けらたような跡が赤く熱を帯びている。黒色の内出血のような痛々しい跡も、足の根元にまで伸びていた。
「っ……!」
「植魔の毒にやられて、壊死の一歩手前まで来ています」
その事実に、大きな石で頭を殴られたような衝撃が走る。立っているのが出来なくなったミアは、よろけながらその場にしゃがみ込む。
……嘘……だって、今までそんな素振り見せなかったのに、一体どうして……?
荒い呼吸のフェンリルの頬を震える手で撫でると、その毛並みはいつものように絹のように滑らかだった。
傍に一番長く居たのは私なのに……私がちゃんと皆のこと見てないからこんなことに!
世話役として彼らの体調管理を常に行ってきたというのに、遅すぎる発見に自分を叱責する。もっと早い段階で見つけられたはずだというのに、それが出来なかった自分が憎くてしょうがなかった。
「ごめん、ごめんね……みんなっ、ごめんねっ――私のせいで、こんな……こんなっ!!」
止められない涙を流しながら、フェンリルを撫でる資格はないとその手をそっと離した。こぶしを握り、力強く床に叩きつけようと勢い良く振るう。
「やめろ」
振りほどく事が出来ない強さで、リヒトが自分を傷つけようとするミアの手首を掴んだ。震えるミアの目を見て同じ目線になるようにしゃがむと、落ち着かせるように涙を拭った。
ひんやりとした彼の手に取り乱していた心が、まるで酷く波打っていた水面が一瞬にして波をかき消すように、心に普段のミアを引き戻させる。
「自分を責めるな」
「でも……」
「そうですよ、ミアさん。この毒の症状は、ゆっくりと出現するものではありません。爆発するかのように突発的に症状が現れるのが特徴的です。きっとこのフェンリルも何かかしらの違和感はあったでしょうが、痛みを抱えていた等の問題はなかったと思います」
リヒトの言う通り、自分だけを責めてはいけないとハイロンはミアを諭す。二人に宥められ、我に返ったミアは大きく深呼吸をして、気持ちを整える。
「フェンリルもミアにはよくしてもらっているからその恩を自分も返したいと、向こうから俺に心を開いてきた」
「フェンリルが……?」
「ミアの役に立ちたいその気持ちだけで、こいつは一歩踏み出した。そんなお前が泣いていると知ったら、もっと無理をするだろうが」
リヒトの言う通り、ここにいる魔獣達は甘えるばかりではなく褒めてもらいたいからと突き進む。ミアが嘆き悲しむ姿を見たくないと、無理をするのも容易に想像できた。
だからこそ自分が泣いてはいけないのだと奮い立たせ、ハイロンの言葉を待つ。落ち着きを取り戻したミアに、彼は一つ頷いた。
「絡みついた跡からして、魔物討伐の時に何らかの形で植魔に襲われたのでしょう。この手の毒は解毒剤と回復薬を混ぜた薬を服用させれば、良くなります」
「絡みついた跡……。もしかして、この前のゴブリン討伐の時にフェンリルの動きを止めた蔦、あれが何か関係が?」
「その可能性は高いな」
「この植魔の毒は、微粒な胞子を撒き散らします。我々人間には何ら害はないのですが、魔獣から魔獣へと伝染するんです」
「だから皆一気に……」
「召喚したばかりの魔獣は、別の場所に避難させておいた方がいいな」
フェンリル達を襲う毒の正体が分かり、次の準備へと取り掛かろうと、リヒトの腕を支えにしながら立ち上がる。こうして支える側に立ちたいと思っていたはずなのに、また彼に助けられている。
お礼か、謝罪か、どちらを口にしようと迷っていると、乱暴気味に頭を撫でられる。
「やれる事、やるんだろ?迷ってるなら、動け」
「はいっ!ありがとうございます!」
追いかける背中はいつも大きくて届く距離にあるというのに、やはりまだまだ届かない。届きはしない。そう思っても、彼を追いかける気持ちは消えはしなかった。
別の檻で心配そうに見つめているヒポグリフ達に外に出るように檻から出すと、エルザが獣舎目掛けて息を切らして走ってきた。
現時点でフェンリルの状態はまだ良くなっていないと声を掛けようとしたが、彼女の目にはフェンリルは映っていない。
「調査部隊より伝令よ!魔物の群れが精霊の森より出現!!団長っ、すぐに出動命令をっ!!」
声を荒らげるエルザは手に持っていた文書をリヒトに見せつけて、ほんの僅かで乱れた呼吸を整える。文書を受け取ったリヒトは、周りにいた騎士達を見渡し一つ頷く。
「これより魔物討伐に向かう。現状、魔獣を連れての行動は取れない。かなり長い戦いにはなると思うが、これまで通り俺の剣となれ――俺を信じて着いてこい」
低く鋭い声を聞き、その言葉に震えない者は居なかった。
獣舎外で待機していた騎士達は一斉に動き出し、上に立つに相応しい人物に向かって、拳を胸に当てた。
「「はっ!!」」
夕方の疲れもまだ残っているというのにも関わらず、彼らは身支度を整えるべく騎士舎に向かって走り出した。その姿を見届けながらも、リヒトも動き出す。
無謀すぎる彼らの行動に、危険だと引き止めるように彼を呼び、思わず駆け寄った。
「団長……!」
「ミア、魔獣達のことは任せた」
「……」
自分も着いて行きたい、それは皆の命を更に危険に追い込む行為。我儘を言って、誰かの犠牲を出す事だけはしたくはない。だが、自分だけ安全なこの場所に残ることがどうしても許せなかった。
強く想う相手にもう二度と会えなくなるのでないかと、不安は拭えない。
「生憎、俺は死ぬつもりはない。だから、そんな顔をするな」
頬を触れる手は力強く温かい。リヒトを感じられるこの時間を、失いたくはなかった。
溢れそうになる涙を堪えていると、くいと顎を持ち上げられる。リヒトの真っ直ぐな瞳が、悲しみに支配されるミアに道標を与えるように輝いた。
「俺には守る責務がある。騎士団の団長としてこの国を、そして――一人の男として大切な人を、俺は守り抜く」
「え……」
微かに笑うリヒトは、ミアに触れるか触れないか分からないキスを額に落とし、惜しむようにミアの頬から手を離した。
「後は任せた」
踵を返して歩き出すと振り返ることもなく、獣舎から遠ざかって見えなくなっていくリヒトの後ろ姿を、ただ黙って見つめた。彼に託された自分の任務に、ミアは力強く頷いた。
私は足でまといなんかにならない。絶対に、皆の力になる。もう、昔の私じゃないんだから。
滲んだ涙を強く拭い、緊張感を察知して落ち着きのないヒポグリフ達を一匹ずつ、ぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫。皆笑顔で帰って来れるように、私が何とかするから」
まずは身の安全を守ることだと教え、獣舎の外に出して落ち着かせるように軽くブラッシングをする。外での待機を任せ、胞子が拡散しないよう獣舎の全ての窓と扉を閉めた。
「ハイロン先生、皆の容態は?」
せっせと魔獣達の治療に当たるハイロンに声を掛けると、少し難しそうな声音で唸る。
「応急処置までは何とか出来たのですが……薬を調合するのに肝心な薬草がないので、この子達の回復力を願うしかない、と言った所です」
「薬草、ですか?」
「はい。魔獣に効果のある薬草となると、市場では中々手に入らないものばかりでして。魔獣用の風邪薬や傷薬は持ってきてはいたんですけど、まさか植魔の毒とは予想外で……」
持ってきた僅かな物で懸命に手当てに当たるハイロンは、不甲斐ないと肩を落とす。
こうも緊急事態となれば、街で薬草を取り扱う店も閉店せざるを得ない状況だ。増してや、魔獣に効く薬草を取り扱っている店もほとんどない。ハイロンに戻って薬を取ってきて貰ったとしても、馬を走らせ数刻は掛かる。
「ちなみになんですけど、その薬草ってどんな薬草ですか?」
一か八かの賭けで、騎士舎の医務室にもしかしたらあるかもしれないという希望を胸に尋ねる。
「”マンドラゴラ”、という少々厄介な薬草です。それがあれば持ってきた薬と上手く調合すれば何とかなるんですけど……」
溜め息を零すハイロンだったが、ミアは今までの努力は無駄ではなかったと自分を褒めながら、魔法陣を描く。そこに何の迷いもない彼女は、召喚術を発動させた。
一度召喚したものであれば、その感覚は確かにミアの中にあるのだから。例えそれが失敗で掴んだものだとしても、今は違う。
突然何かを召喚した彼女の姿に、首を傾げていたハイロンだったが、魔法陣の上に現れたそれに瞳を輝かせた。
「マッ!マンドラゴラ……!!召喚で喚び出せる類のものではないというのに……!!」
「ハイロン先生!これでお薬作れますか?!」
「もちろんです!ああ!やはり貴方は噂通りすごい方ですね!」
手渡したマンドラゴラにやや興奮気味のハイロンは、瞬く間にマンドラゴラを他の薬と共に調合していく。その姿を見つめるミアの視線に、ふっと小さく笑う。
「魔獣医として長いこと勤めて来ましたが、こんなにも魔獣と向き合う召喚士と出会ったのは、初めてです」
「ただ、私は自分のやれる事をやっているだけですよ」
「それが凄いことなんですよ。他の召喚士が使役するはずの魔獣を手懐けるなんてこと、普通じゃ有り得ませんから」
手際良く調合しながら、視線を絡ませるようにちらりとミアを見たハイロンは優しく微笑みを向けた。
「どんな魔獣とも心を通わせ、道無き道を切り開いていく姿は、賢者ロベルツのようです。きっと貴方なら、この先の未来も大きく変えていってくれる。僕はそう信じていますよ」
「……はい!」
ハイロンの瞳に宿る灯火がミアの瞳にも灯され、彼が言う通りに作業を進めていけば、どんどんと夜は耽っていく。
さあ出来た、と調合し終わって完成した薬を、水に溶かして、魔獣達の口に含ませる。規則正しい呼吸で眠る魔獣達には、もう痛々しい痕は何処にも見当たらない。
後は安静にしていれば大丈夫だと、気が緩んだハイロンは獣舎の壁に身体を預けて睡魔に支配されていた。その間もせっせとミアは、魔獣達の楽な体勢に整え、濡れたタオルで身体を拭きあげて彼らに安楽を与え続けた。
私はここに居るよ……だから、安心してね。
想いを込めながら、時折優しく撫でて頬を擦り寄せると、魔獣達はどこか安らかな表情を浮かべた。
僅かに夜空に輝く星の光が薄れてきた頃、バケツの水を組み換える為に井戸に向かう。この空の下で今騎士達は、リヒトは戦っている。
どうか無事でいて欲しいと強く願いながら、獣舎へと戻る途中、その声はミアの耳にしっかりと届いた。
『ミア』
手に持っていたバケツを思わず手から零れ落ちるのも関係なしに、ミアは獣舎へと走った。
息を切らしながら檻の中を見れば、綺麗な瞳で彼女を見つめるフェンリルがいた。
「フェンリル……!」
フェンリルが嫌がると分かっていても、彼に抱きつくと小さく鼻を鳴らした。
『すまない。心配かけたな』
「ううんっ!そんな事ないよ!私も色々とごめんね」
『今回はお互い様だ。さて、だらけた皆を起こすとしよう』
大きく息を吸ったかと思えば、鼓膜を大きく揺らす声でフェンリルが吠えた。ビクリと肩を震わせるミアを、フェンリルはそっと尻尾で包み込む。
眠気覚ましには少々悪すぎるフェンリルの鳴き声に、身体を震わせながら眠気眼で次々と魔獣達が起き上がる。
「みんなっ……!」
普段通りの大きな伸びを一つしてから、フェンリルだけずるいと甘えた声でミアを求める魔獣達は、すっかり元気だと訴えかけてくる。
一匹ずつ時間を掛けて甘やかしてあげたかったが、フェンリルの低い声に今優先してやるべき事を瞬時に考える。
『どうやら、オレ達がこうしている間に大きく動き出したようだな』
「魔物の群れが現れたの。騎士の皆は身一つで魔物と戦ってる。お願い、どうか皆に力を貸してあげて欲しいの」
『……遂に、奴も眠りから覚めた』
「何か知ってるの?」
『邪神バハムート、奴の封印が解けかけている。眠っている間に、神獣の力で過去を見た。あいつは同じことを繰り返すつもりだ』
バハムートという言葉に、こうしては居られないとフェンリルと目を合わせる。
『ミア。あんたにしか頼めない事がある』
「うん」
『神獣を喚べ。神獣の導きを、全てミアに託す。これ以上世界を脅かさないよう、奴を止めろ』
「分かったわ」
迷いのないミアの返事に、フェンリルは小さく笑う。やる気に満ち溢れた母親の姿に、魔獣達も負けじと力を体に宿す。
「行こう!私達は負けない!」
リヒトが守りたいものがあると言うように、ミアにも守りたいものがある。召喚士という誇りを持って、彼女は前へと突き進む。
待っていて。皆……団長……!
乗れと言うフェンリルの背に跨り、先頭を進む彼に続くように、魔獣達も獣舎から一斉に飛び出す。朝日がゆっくりと夜空に溶け込んでいく空を見つめながら、ミア達は風のように大地を駆け抜けて行った。
「……ご武運を。ミアさん」
壁に預けた体をどうにか動かそうとするものの、体力の限界だと動かない体にやれやれと薄ら開いた目を閉じた。一人残されたハイロンのその声は、獣舎に小さく響き渡ったのだった。
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