14.へっぽこ召喚士の胸のざわめき


 時折見かけるリヒトとエルザの二人の姿を見ても、何も揺らぐことがなくなったミアは、額に汗を滲ませながら集中力を途切らせることなく、己の召喚術に向き合っていた。


 残された時間を無駄にはしたくないと、ただひたすらに術を発動させ、召喚した魔獣はペガサスを含め三匹目に達していた。召喚成功の第二匹目は雷を身に纏う雷犬ライラプスを、三匹目は大人になれば戦力となるであろう大熊グリズリーの子供を召喚した。


 訓練中の魔獣から感じる魔力の流れを、完璧に感覚として掴めたのだ。


 だから言って召喚する際の共鳴が上手くいくとは限らない。突っぱねられる事の方が多いミアだったが、それでもめげずに練習を続けた。


 エルザに言われた、魔獣に向き合っていないという言葉を拭い去る勢いで、召喚した魔獣達に誠心誠意向き合って魔力の共鳴を求める。



「よしっ!これで四匹目……!」



 光輝く魔法陣の上に立つヒポグリフに笑顔を向けると、応えるように頭を垂らす。


 鷲の全半身に、馬の後半身を持つヒポグリフは、グリフォンと同様空を飛ぶことができる魔獣。これで弓部隊の援護をする魔獣が増えたと、一つ頷いてみせる。



「応えてくれてありがとう。これからどうぞよろしくね」



 相変わらず魔獣に好かれやすい性格のミアは、召喚したばかりの魔獣ですらいとも簡単に懐く。歩み寄ってくる魔獣達を撫でながら微笑むと、彼らも嬉しそうに鳴いた。


 掴んだ感覚を忘れないようにしようともう一度術を使おうとするが、太陽が真上に昇っていることに気づく。慌てて、召喚した魔獣達を連れながら訓練場から出て獣舎へと戻った。


 空いている檻に新鮮な藁を敷き、新しい家を紹介すれば、ご満悦な様子で檻の中に入ってくれたことに一先ず胸を撫で下ろす。



「世話の準備をしてくるから、ここでゆっくり休んでいて」



 水を入れた皿を檻の中に入れ、手早く世話役としての仕事に取り掛かる。


 召喚の特訓をするのと同時に、他の魔獣達の世話の準備を整えないことは世話係として失格だと、手際良く仕事を進める。自分のやるべきことは何なのか、それがハッキリとした今はミアの動きに無駄は何一つとしてない。



『無理しすぎるな』


「心配してくれるの?」


『あんたが倒れたら、その世話がオレに回ってきて怖いからな』



 吐き捨てるように自分の檻の中に戻っていくフェンリルにくすりと笑いつつ、今朝洗った洗濯物を取り込み綺麗に畳む。それが終わってようやく、足がふらついている事に気づく。


 フェンリルが声を掛けるのも納得がいく。気合いを入れすぎたと、彼の檻の前に座り込むと心地よい風がミアの髪を撫でる。



「ふぅ……」



 集中力を使いすぎたミアには、気持ちのいい風は眠気を誘う。仕事はまだ残っている、寝てはいけないと頭では分かっているというのに、身体は言うことを聞こうとはしない。


 重たい瞼はあっという間に閉じていき、規則正しい寝息を立ててミアはそのまま眠りの海に沈んでいく。


 カクンと傾き始めたミアに、フェンリルは鼻を鳴らしながら自分の檻の外で眠る彼女の隣でゆっくりと伏せた。自分では支えきれなくなった体を、フェンリルの首元に預けると、幸せに包まれたのか眠ったまま微笑んだ。



『手のかかる奴だ』



 そう言うフェンリルは満更でもない顔をミアに向けて、微かに尻尾を左右に振る。


 母親に抱き締められるような安心感と、心地よい体温がミアを包み込み、眠りの海に深く沈んだ彼女はもう少しその優しさに触れていたくて、更に深く潜り込む。


 深い海の中に浮かぶ泡沫を覗けば、大切な家族が、ここでの思い出が映し出されていた。全てがミアにとっての宝物で、失いたくない大切なもの。


 その泡沫を優しく抱き締めれば、弾けて細かくなった泡が彼の姿へと変わっていく。



「団長……」



 普段なら彼が持つ冷酷さで人を寄せ付けないが、ミアはそんな彼が優しく笑う所も、仲間想いなことも知っている。


 伸ばされた手を掴めば、そのまま離さないとでも言うかのように抱き締められる。


 感じられるこの幸せな気持ちと、彼を取られたくないという嫉妬が入り交じり、強く抱き締めた。弾けた泡の一つがミアの中に入り込み、正解を見出してない気持ちに答えを導いた。



「私、団長のことが好き……」



 憧れがいつしか恋心へと変わり、リヒトの言葉が優しさが温もりが、ミアを後戻り出来ない場所まで足を運ばせていた。知ってしまえば、その気持ちに嘘はつけない。


 エルザとの間に流れる噂にひどく衝撃を受けたのも、嫉妬してしまうのも全部、彼に恋焦がれてしまったから。

 

 見つかった答えに全てが納得いって、薄れていくリヒトにしがみつこうとするものの、流れるままに彼を見送った。



「私、団長の事が好き。だけど……迷惑は掛けたくない。やれること全部やって、団長に褒めてもらえればそれで十分だから」



 リヒトと仲間のためにやれることは何か。


 その答えは簡単で、沈んでいく体に力を入れて光輝く水面に向かって泳ぎ出す。


 例え叶わない恋だとしても、好きだと言えないとしても。私は団長の隣に居たい。こんな欲張り……団長怒るかな。でも、支えて欲しいって言われたから、私はその想いに応えたい。


 強く願い水面に揺れる太陽の光へと手を伸ばすミアの隣を、魔獣達が気持ちよさそうに泳ぎながら着いてくる。この想いに寄り添うように、魔獣達はミアを水面へと引っ張るように背中を押した。


 高く高く飛ぶように海から出ると、今度は風に乗って広大な草原で皆と駆け巡る。暖かい日差しはどこまでもミアを照らす――そんな、穏やかな夢を見た。



「んん……」



 いつの間にか深い眠りについてしまったのだと分かるまで、暫く時間が掛かる。


 微睡む目を擦りながら、入り込んでくる茜色の光に慌てて起き上がる。まだ終わっていない仕事があるというのにと、魔獣達が帰ってきたかを確認しようとするものの、見慣れた空間に目を丸くした。



「あれ……ここ、私の部屋?」



 寝る前の最後の記憶と言えば、獣舎のフェンリルの檻の前だ。ここまで歩いて来たとなれば、しっかりと記憶が残っているはず。


 だが、そんな記憶は一切持ち合わせていない。


 ベッドから起き上がると、パサリと何かが滑り落ちて床に落ちる。



「……?」



 落ちた何かを拾い上げて、目の前で広げて見れば見覚えのある複数の勲章とバッチが着けられた制服の上着だった。誰の物だと考えなくとも、すぐにそれがリヒトのものであることが分かる。


 ……団長が、ここまで運んでくれたのかな。


 どんな顔をしてここまで運んだのか、想像しただけで顔が赤くなるが、一度だけ短く大事に上着を抱き締めて立ち上がる。鏡の前でおかしな所はないかを確認し、世話役としてのやるべき仕事が残っていると、急いで部屋から出た。


 寝たお陰で溜まっていた疲労感は無くなり、身体が軽い。訓練場にまだ残っている魔獣達の様子も少し見に行こうと、獣舎に向かう途中で進路方向をズラす。


 茜色に染まっていく訓練場に近づくにつれ、聞き慣れない歓声が聞こえてくる。首を傾げながら、駆け足で訓練場へと辿り着くと、そこで見た光景に驚きの声を思わず零す。



「フェンッ、リル?!?!」



 自慢の真っ白な毛を風に流しながら、目にも止まらぬ速さで走るフェンリルがいた。訓練場の壁を力強く蹴り高く飛ぶと、訓練場の中心で木剣を握るリヒト目掛けて飛びかかる。


 状況に着いて行けず、狼狽えながらも止めに入ろうと動くがミアの足の速さでは到底追いつかない。考えたくもない未来を想像したのもつかの間、軽やかにリヒトは着地したフェンリルの彼の背に跨った。


 そして、息を合わせるようにして周囲から攻撃を仕掛けてくる騎士達を次々と薙ぎ払い、最後の一人が地面に片膝ついた所でリヒトは息を吐いた。



「お前らもう少し真面目にやれ」


「そっそんな事言ったって……団長、もう俺ら体力の限界が……」


「はあ……はあっ……はあ……!無理無理、無理っす!!」


「本番はこうも甘くないぞ。どんな魔物が現れるか分からないんだからな。素振り百回終わった奴から休憩だ」


「「おっ……鬼だぁあ……!」」



 団長命令となれば逆らうことが出来ない騎士達は泣く泣く、限界を迎えた身体を起き上がらせ、木剣を嫌々握りしめて素振りを行い始めた。


 一連の流れを口をポカンと開けて見つめることしか出来なかったミアの視線に気がついたのか、フェンリルが一つ吠えた。その声に体の内側から、力が湧き出てきて彼の元へと走る。



「団長……!フェンリル……!一体何がどうなってるんですか?!」


「何って、稽古だ」



 何を当然な事をと長い前髪を掻き分けながら、フェンリルから降りて、素振りを始めた騎士達を見渡した。



「寝て少しは体力が回復した、そんな所か?」


「あっ!」



 腕の中に抱え込んでいたリヒトの上着を手渡して、頭を下げる。返す際に僅かに触れた彼の温もりに、溢れそうになる想いをぐっと堪える。



「あの、これありがとうございます。それと……すみませんでした」


「姿が無かったから獣舎に向かってみたら、へたり込んでいるミアの姿を見て焦ったぞ。檻の中には見知らぬ魔獣も増えているし」


「召喚に成功して、新しく仲間に加わった魔獣達です。訓練も必要なしに戦闘可能な魔獣もいます」


「……ったく、俺の心配を返せ」


「え?」


「獣舎に向かったらお前は寝てるし、フェンリルには契約をせがまれるし……何が何だか」



 少々イラついているリヒトに、苦笑するしか出来ないミアは、フェンリルの背から降りたリヒト達にそっと近づいた。改めて訓練お疲れ様でしたと声を掛けると、短い返答だけを返して顔を隠す。


 フェンリルを見つめれば、何処か罰の悪そうな顔をしてそっぽを向く。そんなフェンリルの喉を撫でてやれば、満更でもなさそうな表情を隠しきれずにいた。


 やっぱり二人ってどこか似てるのよね……。


 予想外とは言え、いい形に二人が手を取り合った事に喜びを隠せずにいると、いきなり上空からグリフォンが急降下して来た。上から押さえつけるような風に反射的に目を閉じて、風が止んだ頃に目を開ければエルザがミア達の前で仁王立ちしていた。



「エルザ。そっちの訓練は終わったか?」


「ええ。中々にいい腕の持ち主達が揃っていたお陰で、指導し甲斐があったわ」



 結っていた艶やかな髪を解いて、色っぽく掻き分けてこちらへとやってくると鋭い視線を向ける。


 そうだ、団長に近づくなって言われていたのに……私ったら!


 睨みつけてくるエルザの感情を悟り、慌てふためくとリヒトは首を小さく傾げた。



「二人の関係はよく分かっています!こっ、こい、こい……びと……の、二人の仲睦まじい時間を奪う訳にはいかないので、わたっ私はここでお暇しますねっ!」



 声の大きさが急に小さくなったり、大きくなったり、声の裏返りを隠しきれなかったりと、動揺を誤魔化せない。とにかく愛想笑いを浮かべて、フェンリルと共に獣舎へと戻ろうと踵を返す。


 ただそうはさせまいと、力強く肩を掴まれた。



「貴方……私の言った言葉、覚えてないのかしら?」


「えっ、あのだから、お暇しようと……」



 何に怒っているのかサッパリ分からない。リヒトに近づき過ぎたのが、そこまで彼女の逆鱗に触れるとは思ってもみなかった。


 でも……私だって団長の隣に立つエルザさんを見て苦しかったんだもん。そりゃあ、怒るのも当然よね……恋人なら尚更。


 これからはリヒトの一人の部下として関わることを伝えようと口を開いたが、エルザの言葉によって言葉は喉に詰まった。



「それ以上、私の紳士に近づかないでよ!」



 そう怒って声を荒らげるや否や、ミアの隣を歩むフェンリルに向かって抱きつこうと、勢い良く両腕を伸ばした。ただ身の危険を察知したフェンリルは、すぐさまその場から逃げた。


 中々着いて来れない展開に、目を点にしてエルザを見つめる。


 

「なんでよぅ〜!貴方は私の相棒になるはずだったのぃ〜〜!!なのに、なのにっ!なんでこんな面倒な男と契約交わして、よく分からない召喚士に心許すの?!こんなに私は愛してるのにっ!」



 今にも泣き出しそうなエルザは、逃げるフェンリルの後を追いかけて走り出す。突然始まった鬼ごっこに騎士達は気づくことなく、息を上げて木剣を振るっている。



「えっと……?」



 状況把握が出来ない中、ミアの隣にやってきたリヒトが面倒くさそうに溜め息を零す。凛としたエルザの裏顔は、あまりにも想像とかけ離れていて、忠告してきたあの威厳は今の彼女には持ち合わせていない。



「昔からエルザはフェンリルの虜なんだ。縁談の話もいくつか上がっているというのに、フェンリルの事で頭がいっぱいだからと、全て断っているらしい」


「縁談?!」


「一応公爵令嬢だからな。家の仕来りで苦労するはずなのに、自分の感情に一切嘘は付かずに突き進んでるすごい女だ、あいつは」



 エルザを見つめるリヒトの瞳は、頼れる仲間を見つめる時と同じものだった。


 ハッキリと分かった答えに、自分一人が誤解して落ち込んだり、勝手に這い上がったり……思えば思う程恥ずかしい。



「俺とエルザの関係がどうとか言ってたが、何のことだ?」



 痛い所を突かれ、顔は瞬く間に赤く染まる。隠しきれない反応に、リヒトはどこか挑発的に笑う。



「何か誤解してたのか?」


「べっ別に……」


「ふーん、そうか」



 今すぐこの場から逃げ出して、獣舎で恥ずかしい感情を叫びたい。そう思って唇を噛み締めたまま、リヒトを無視して訓練場から出ようと歩き出した。


 ほんの僅かに地面が揺れた、そう感じた次の瞬間――。



「グゥァァアッ!!」



 鼓膜を裂くようなけたたましい鳴き声に、咄嗟に振り返るとフェンリルが苦しむように暴れ出す。


 フェンリルだけではない。エルザと共にやって来たグリフォンも、騎士達の相棒の魔獣達までも苦しむように鳴き声を上げて牙を、爪を向ける。


 手を出せない騎士達は、自身の安全を守るので精一杯だ。



「みんなっ!」



 恐怖よりも先に体が動いたミアは、魔獣達の元へと駆け寄り様子を伺う。苦しむ彼らに涙目になりながらも、瞳を一匹ずつ合わせてやれば、一瞬正気を取り戻し気を失って倒れていく。


 残されたフェンリルの元へと歩み寄れば、朦朧とした目の中に恐怖を抱くフェンリルに恐れることなく抱きつくと、そのまま体を預けるように倒れた。



「どうしたの?!お願いっ、しっかりして!」


「ハイロンを呼べ!大至急だ!!」



 リヒトの指示により動き出す騎士達すら視界に入らない。ぐったりと倒れる魔獣達に、溢れる涙を止められない。


 ただ狼狽えるミアを支えるように、リヒトが肩を抱き締めた。



「落ち着け、ミア。獣舎に魔獣達を戻す。手伝ってくれ」



 荒波のように乱れた心を静める、リヒトの声に深呼吸して気持ちを落ち着かせると、真っ直ぐな瞳で見つめられる。


 今自分が取り乱しては、魔獣達の苦しみを取り除くのに時間が掛かってしまうと、涙を拭いて力強く頷いた。


 ……大丈夫。きっと良くなるからね。


 願いを込めて立ち上がり、全速力でミアは言われた通り獣舎へと向かい魔獣達を迎え入れる準備を進める。


 緊急事態にざわめく心を誤魔化しながらも、救ってみせるという気持ちを強く持って、魔獣医が来るのを待つ。そんなミアを嘲笑うかのような三日月が、夜空にぽつりと浮かんでいた。

 

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