13.へっぽこ召喚士、美人副団長と出会う


 いつにも増して召喚術に気合いを入れるミアは、訓練に向かう魔獣達の隣を歩いていた。


 昨夜の出来事を思い出すだけで幸せに包まれ浮かれるミアを、フェンリルは喝を入れるべく訓練場へと向かわせたのだ。監視役として斜め後ろから着いて歩いてくるフェンリルだが、まだ浮ついた様子の彼女を呆れた顔で見つめている。


 今日はどんな魔獣を召喚しようかな〜!


 手に魔力を注ぎ込みながら、頭に思い浮かべる魔獣の姿。それはどれも伝説上の魔獣達ばかり。


 今にも鼻歌が零れそうになるのを何とか堪えて、思い描くものを膨らませていく。


 一気に自信を身につけたのはいいが、空回りするのではないかと一緒に歩く魔獣達は若干ソワソワしている。そんな魔獣達の心を読み取ったシュエルが、ミアに声を掛けた。



「ミア、何をそんなに張り切ってるの?」


「もちろんっ、召喚士としての勤めよ!!」


「訓練に参加してくれるのはいいけど、今日は本部から副団長が来るから実戦ばかりだよ?」


「副団長って、ユネスさんのこと?」



 知らない情報に浮かれていた気持ちが、地面へと着地するようにミアに冷静さを引き戻させた。キョトンとする彼女に、シュエルは閃いたように口を開く。



「そっか。ミアはまだ会ったことないもんな。うちの騎士団には副団長が二人いるんだ。ユネスさんと、もう一人。本部を団長から任せられる程の凄腕騎士なんだ」


「そのもう一人が今日ここへ?」


「うん。本番を兼ね備えた実戦になりそうだから、今日は中々にハードだと思う」



 シュエルの言葉に、周りにいた騎士達は顔を曇らせながら小さく溜め息を零す。



「あの人女だからって舐めると、痛い目に遭うもんなあ……」


「前来た時に医務室行った奴、何人だったっけ?」


「覚えてる限りだと七人とか?そのくらいか?」


「もっと多かった気がするけどなあ……」


「えっ?!副団長って女性なの?!」



 驚きのあまり大きな声で食い気味で話を遮るが、騎士達は怯えた様子で頷いた。



「騎士団で唯一の女性騎士にして、副団長を勤める強者さ。腕前は団長ともほぼ互角で、何と言うか兎に角隙がないって感じの人……かな」


「戦いの途中で目が合ったら最期だと言ってもおかしくない。それくらい出来る人だな」


「す、すごい人なんですね……」



 騎士達が怯える程の強さを持つ女性を、簡単に想像出来ずにいると、耳を疑う話が入ってくる。



「副団長って確か昔、団長と付き合ってたっていう噂あったよな?」


「え?今も付き合ってるって噂を前に聞いたぜ?獣人をカモフラージュするのもそうだけど、本部に二人していると周りの目があるからって理由で、団長はここに来たんだろ?」


「どちらにしろ、強さを持つ二人だ。お似合いだよな〜」


「近寄り難いけど美人だし、頭いいし」

 


 浮かれていた自分を埋めてやりたい程の衝撃に、ミアの心の中で何かに亀裂が走る。耳を塞ぎたくもなるが、それがどうしてなのか分からない。


 ぐっと唇を噛み締めて乱れた心を押さえつけていると、話はいつの間にか別の話に変わっていた。


 ただそこに、ミアを取り残して。


 団長の……恋人?


 頭が追いつかない事実に、胸がどんどんと苦しくなるが、訓練場を前にその気持ちを無理やり拭い去った。入る前に深呼吸していると、隣にやって来たフェンリルが尻尾で背中を叩いてくる。



『いいか。くれぐれも調子には乗るなよ。まだ一度の召喚しか成功してないってことを肝に銘じておけ』


「……」


『ミア』


「っえ!あ、うん!」


『何をぼけーっとしている。今日ここに来た目的は、魔獣本来の力を感じ取ることだ。召喚術を成功させる為にも、魔獣達の動きをよく観察して、魔獣の力の流れを読め。掴んだら術を発動させてみろ』


「分かったわ」



 気持ちを切り替えながら大きく頷くと、騎士達に続くように訓練場の中へと入る。


 拭い去ったと思っていた感情だったが、リヒトともう一人のその姿を見つけた途端に痛い気持ちが滲み出てくる。


 長いストロベリーブロンドの髪を高い所で一つに結い上げ、つり目がちの凛々しさを感じさせる女性が親密そうに何かを語らっている。身に纏う騎士団の制服は彼女の身の丈に合っていて、制服に着せられているミアとは大違いだった。


 透き通るような白い肌に潤んだ唇、スラリとした背丈……どこを取っても美しさを兼ね備えた女性に、騎士達が絶賛するのも無理もない。


 あれが、副団長……すごく綺麗な人。


 回れ右して獣舎に帰りたくなる気持ちを抑えて、頑張ろうと意気込む魔獣達にエールを送る。集まった騎士達に、リヒトと美人副団長は訓練を開始するのを、ミアは遠くから眺めることしか出来なかった。


 気分を変える為に、魔獣達の魔力の流れをどうにかして掴み取ろうと、手を握りしめては昨日の感覚を思い出させる。



「集中よ……集中……」



 独りごちりながら、掴みかけた感覚を研ぎ澄ます。するとどことなく、今までに感じたことのない気配が魔力の渦だと悟り、フェンリルに言われた通りに召喚術を思い描いてみる。


 先程までのあの熱量はどこへ行ったのだろうと考えながら、召喚術の魔法陣を足元に描くが、それすらも歪んでしまう。まるで蠢く自分の心を映し出すように揺れ動く。



『ミア、もっと集中しろ』


「ごっ、ごめん」


『さっきからどうした。ずっと上の空だぞ』



 フェンリルの言う通り、今までの自分とは何かが違うのを分かっているはずだというのに、渦巻く何かを取り除けず気持ちが晴れない。


 ただ目の前で頑張る魔獣達の姿を見て、無理やり気持ちをねじ伏せ、これ以上何も見ないと目を閉じた。そして完全とは言い難い魔法陣で召喚術を発動しようと息を整えていると、フェンリルが吠える。



『この馬鹿っ……!』



 ねっとりとした絡み合ってくる魔力が一気に這い上がって来たかと想えば、喉が締め付けられていく痛みに目を勢い良く開けた。


 大きな頭をフェンリルが取り押さえているものの、してたまるかと抵抗する何かがいた。締め付ける魔力を振り払い、その何かを睨みつける。



「っ……!」



 牙には猛毒を持ち、自分よりも遥かに大きな敵を丸呑みにする獰猛な巨大な蛇――暴食の大蛇グラトニーサーペント。それがミアが召喚術を発動させる前に、無理やり扉をこじ開けるようにして現れたのだ。



「フェンリル!そのまま押さえつけておいて!」


『言われなくともやってる!どうするんだよっ、これ!!』



 珍しく取り乱すフェンリルに謝りながら、魔法陣の文字を書き換える。契約も交わさずに、力任せに地上に顔を出そうとするグラトニーサーペントを、どうにかして術を解いて引き戻そうとするが、抵抗する魔力が異様に強い。


 どうしようっ……!このままじゃ、皆が危険な目に遭っちゃう!何か、何か方法は……。


 異例の事態に頭が徐々に真っ白になっていく中、魔法陣を打ち消す解除の魔法が組み込まれた弓矢が地面に刺さる。



「貴方……ここで何やっているの」



 芯のある真っ直ぐな声と共に近づいてくる足音。振り返れば訓練に参加していた副団長がこちらにやって来た。


 助けられたと思いたいのに、彼女からは伝わってくる威圧感からそうは思えなかった。


 団長よりも怖いっ……!


 指を軽やかに鳴らすと魔法陣は瞬く間に消え、顔を出していたグラトニーサーペントは崩れ落ちるように姿を消した。魔法陣に突き刺さっていた弓矢だけが、地面に静かに影を落とす。


 緊張が走り、謝罪と事情を説明しようと口を開くが、副団長は一気に距離を詰めてくる。それどころか上から下までじっくりと見つめられたかと思えば、彼女の眉間にしわが寄る。


 それすらも気高く品があるように見えるのは、やはり彼女が持つ魅力のせいなのだろう。



「はあ……」



 重たい溜め息と鋭い視線。向けられた感情が諸に分かり、思わずゴクリと唾を飲み込む。本能が危険を察知して、身構えてしまう。



「あっ、あの……!」



 何か言わなければと声を振り絞るが、か細い声はすぐさま掻き消される。副団長に声を掛けにやって来たリヒトが、彼女の名前を呼ぶ。



「エルザ!どうかしたのか?」


「いいえ。ただ……この子に挨拶しようと思って」


「え……?」



 説教をされる空気そのものだったというのに、挨拶という偽りを吐き出したエルザと呼ばれた副団長に困惑する。笑顔も作らずにエルザは、ミアを真っ直ぐに見据えて、余計な事を言うなと圧力を掛けてくるのが分かる。


 狼狽えるミアを支えるようにフェンリルがそっと傍に来てくれた事により、ミアは何とか平常心を保つことが出来た。



「ああ。この春に第四部隊に入団してきた召喚士、ミア・スカーレットだ。そう言えば初対面だったな」


「はっ、初めまして。召喚士のミア・スカーレットです」


「初めまして、ミアさん。私は王国軍魔獣騎士団の副団長を勤めている、エルザ・イースヴェンよ。どうぞ宜しく」



 エルザは短く目を伏せて軽く挨拶を済ませると、リヒトに視線を移す。



「ここの魔獣を懐かせたっていう噂は本当のようね。あれだけの信頼関係が、短期間で構築されているのには驚いたわ」


「お陰でこっちの戦闘も楽になっている。あのフェンリルでさえ、ミアに懐いているからな。見込みのある自慢の新人だ」


「団長が人を褒めるなんて珍しい。余っ程出来る子……なのね?」



 先程の一連の流れを知っているエルザは、リヒトの言葉に呆れた表情を僅かに浮かべたのを見逃さなかった。挨拶と偽って、ミアの情報を引き出そうとしていたのだ。


 リヒトに褒められたというのに、その言葉は何もミアの耳には入ってこない。寧ろ聞きたくなかった。



「挨拶はこれくらいにしておいて……エルザ、弓部隊の方の訓練に付き合ってほしい」


「いいわ。団長は持ってきた書類にも目を通しておいてくれる?」


「無論。では、後程合流しよう。ミア、お前も頑張れよ」



 そう言って去っていく背中を見ているのが辛くて俯いていると、自分の前に影が落ちた。その気配に支配されるまま顔を上げると、エルザの冷たい目がミアを捕らえる。


 逃げられないと覚悟してすぐ、噛み付くような勢いでエルザが睨みつけてきた。



「召喚士が魔獣に向き合わないなんて……一体どういう事?」


「す、すみませんっ!」


「しかもあれ程従わない魔獣を召喚するなんて、以ての外。馬鹿でもやらないわよ。それでも貴方、本当に召喚士なの?」



 本音を撒き散らかすエルザに何も言えないでいると、彼女は人差し指を鼻スレスレに突き立ててくる。ミアは彼女の圧に負けて、動けなくなる。



「――貴方、彼の何のつもり?」


「えっ?」



 突然の質問に何を聞かれているのか分からずにいるミアを、エルザは更に鋭い目で見つめてくる。



「貴方が彼の何だろうと、私は貴方を認める気はないわ。彼は私の傍にいる事こそが、本当の幸せなのよ。懐かれたからって調子に乗らないで」



 エルザの言葉に、ナイフのように切り裂かれていく心を隠せず熱くなった目頭に、我慢だと言い聞かせるように唇を強く噛み締める。納得のいくミアの反応に、満足気に笑うエルザは踵を返して訓練へと戻っていく。


 彼女の後ろ姿を唖然としたまま、眺めていることしか出来ないミアに、フェンリルが声を低くして唸る。



『本当にいけ好かない奴だ』


「……」


『確かに先程の召喚には問題があった。昨日の今日で疲労が残っているのかもしれない。オレの配慮不足だった。一度獣舎に戻って――』


「あーもう!悔しい!!」



 突然声を荒らげたミアに驚いたフェンリルは、身を守るように思わず姿勢を低くする。


 拳をキツく握りしめたミアは、胸の内に溜まりに溜まっていた溜め息を全て吐き出すように重たい溜め息を零した。



「本当に情けない!召喚出来るようになったことくらいで浮かれて、対処出来ないことに動揺して……!何が団長の役に立ちたいよ!こんなんじゃ、また足引っ張るだけじゃない!!」



 いつもと様子が明らかに違う、己に叱責するミアをフェンリルは、ただ黙って見つめた。



『……慰めはどうやら要らないな』



 フェンリルの呟きすら耳に入らないミアは、両手で強く頬を叩いた。パチンという音が響き渡ると、気持ちを入れ替えた彼女の瞳には、眩い光が宿る。


 胸を張って私は召喚士だって言えるようにならなきゃ。時間もないんだし、今は皆の役に立つ方法を掴まなきゃ……!


 一度深く呼吸を整えた後、ミアはフェンリルに向き直る。



「フェンリル、もう一度……もう一度やってみる。沢山扱いて!!」



 やる気に満ち溢れたミアにフェンリルは小さく笑い、唸るようにしながら徹底的に彼女の指導に当たる。


 そんな姿を遠くから見つめる目があることには、気合いに満ちたミアは気づくこともなかった。

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