9.へっぽこ召喚士、訓練に翻弄される



 昨日の出来事のせいもあってか、中々寝付けないまま迎えた野外訓練当日。いつもより早く起きたミアは、いつも通りの仕事に加えて、リヒトの指示通りの準備の最終確認を済ませると、王都近くの草原まで一斉に魔獣達を連れてやって来ていた。


 ピクニック日和とも言える温かい陽だまりに救われるようにしながら、いざ始まった訓練に身を引き締める。落ち着きのなさは、魔獣達にも伝わりかねないと、まずは深呼吸をして心を落ち着かせた。



「ミア・スカーレット。準備は任せた」



 リヒトに呼ばれて、謎に顔が赤くなりそうになるのを堪えながら彼の元へと向かう。昨日の宣戦布告とも言える言葉が、ミアの頭から離れない。


 それを振り切って、用意してきた騎士と魔獣の組み合わせリストを抱きしめながら、魔獣の手綱を手渡した。



「槍使いの騎士の皆さんには、アルミラージをお願いします。俊敏性に優れていて、この子の一本角はあなたの武器をより活かしてくれるはずだから」


「分かりました」


「シュエルくんは、グリフォンをお願い。風魔法を使えるあなたと、相性はバッチリよ」


「分かった!」



 仕事が終わってから、リヒトに指示を出された相性の組み合わせリスト夜な夜な作成し、そのリスト通りにペアを作っていく。全部を知った訳では無いが、ミアが築き上げてきた関係の中でヒントはたくさん転がっていたのだ。


 好きな物同士の組み合わせや、できない何かを補う組み合わせ。関係を築いて知れたことは、その組み合わせを強く結びつける。


 魔獣の事もフェンリルに全て聞くのではなく、これまで空いた時間で王都の国立図書館に通ったりして、魔獣についても密かに調べ上げていた。完成したリストに書かれた組み合わせは、互いにとっていい相棒と呼べるとミアには自信があった。


 手綱を手渡した騎士達は、明らかに魔獣の瞳の奥に怯える気持ちがないことを悟り、そのまま心を通わせるために魔力を解放していく。


 大丈夫。彼らはあなた達にとって大切な相棒で、家族になる人達だから。だから……安心して心を開いて。


 祈るようにしながら、その幻想的な光景を見つめていると、遂に魔獣達は心を決めて騎士が解放する魔力に混ぜるように、自分の魔力を放った。確かめ合うように、二つの魔力がゆっくりと各々に近づいていく。


 そして二つの魔力が色鮮やかに混じり合い、一筋の光が出来上がると、次の瞬間には魔獣は嬉しそうに騎士に体を擦り付けた。挨拶を交わし合う姿に、成功したのだと分かると、胸が熱くなった。



「やった……!!」



 自分以外に懐く魔獣達の姿に思わず声を出して喜ぶと、魔獣達はミアに見守っていてねというかのように目を細めた。感動のあまり自分の仕事を放棄しかけたことに慌てて気づき、次々と騎士達に相性が合う魔獣の手綱を託した。


 続々と心を開いて騎士達に打ち解けて訓練に取り掛かる魔獣達を見つめながら、まるで子供の成長を見ているような気持ちに、ミアの目頭は熱くなる。


 あれだけ……あれだけ人に心を閉ざしていたっていうのに、よく頑張ったねっ!偉い、偉いよ〜!!


 小さく拍手をしながら、騎士と魔獣達の様子を遠巻きに眺めていた。こうしてようやく始まった野外での実践的訓練はミアには専門外なため、ただ見守ることしか出来ないが、達成感に満ち溢れていた。――残る問題を一つ除いては。



「フェンリル。あなたは団長とよ」


『断る』


「何やかんや、あなた達って似た者同士なのよ?」



 威圧的な所も、少々強引な所もミアはどことなく似ていると密かに思っていたのだ。決して、口に出しては言えたことではないが。



『オレはあいつに心を許すつもりもない。諦めろ』


「そんなあ……」


『それより、雑用係として仕事しないとまたあのクソ獣人に吠えられるぞ』


「うっ……」



 休憩所のテントの設営に、厨房から手渡された大量の昼食の準備、万が一の怪我の処置など、雑用係を任されているのだ。力仕事を女に任せる上司を恨みたくなる気持ちもないわけではない。


 しかも、この訓練が終わったら、魔獣達の世話もしなければいけないと思うと、今日の疲労具合はとてつもない。重たい気持ちを消し去るようにしながら準備に取り掛かると、風が吹き抜け大きな影が落ちた。



「グリフォン!そのまま旋回だ!」


「クルルー!」



 大空を自由に羽ばたくグリフォンの背には、シュエルが慣れた様子で跨って操縦する姿は、見習いとは言えども魔獣騎士そのものだった。他の弓部隊の騎士達も同じように、鳥種族の魔獣達の背に乗って、大空を駆けていく。


 その様子を、地上から見上げるミアは、感動のあまり言葉を失った。


 風を切るように飛ぶグリフォンはとても美しく、白い翼で大空を駆け抜ける、魔獣本来の姿を手に入れたグリフォンを見て気合いが漲った。頑張る彼らのためにも、ここでやれることをこなしていこうとせっせと体を動かす。


 休憩所の設営を何とか終わらせた頃には、大粒の汗がじわりと額に滲んでいた。少し休憩しようと、ミアは林の木陰へと移動して、遠くから訓練する彼らを見つめた。



「ふう……」



 心地よい風が額の汗を拭うように流れていき、動いて熱くなった体の体温を下げていく。


 そっと目を閉じ聴覚を研ぎ澄ませるようにすると、訓練を重ねる彼らの足音や声が、地面を伝って響いて聞こえてくる。騎士と魔獣の足音が一つに合わさって、大地を揺らしている。


 そんな彼らの足音に心安らいでいたのもつかの間、予想外な声が上から掛けられた。



「こんな所でサボるとはいい度胸だな」


「ひっ!」



 目を開ければすぐ横にリヒトが立っていて、動き出そうとするミアを逃がさまいと隣に座り込んできた。制服のスカートの裾を下敷きにされ、動くに動けなくなったミアは、身を縮こませることしかできない。


 二人並んで訓練に励む騎士と魔獣達を見つめながら、ドキドキと鳴り響く心臓がやけにうるさく感じるのはどうしてだろうと首を小さく傾げる。おまけに触れた肩から伝わってくる彼の熱に、せっかく冷ました体温がまたしても上昇する。



「団長は、その、どっどうしてここへ?」



 気を紛らわそうと口を開くが、動揺する気持ちまでは抑えられなかった。



「部下達全員の訓練相手をしているんだ。俺にだって、休憩は必要だろうが」


「そ、そそ、そそうですよね!」



 まるで休憩をするなと上司に文句を言ってしまっていることに繋がりかねない質問に、慌てて口を閉ざした。


 ふんと鼻を鳴らすリヒトに震えていると、流れてくる風に、彼のシルバーブロンドの髪が綺麗に波打った。盗み見るように見上げるが、見つめれば見つめるほど、美しさを放つ彼にミアは無意識に見惚れてしまう。



「お前のお陰でこの部隊が一つになった。礼を言う」


「え……」



 いきなり言われた感謝の言葉に返す言葉を探していると、リヒトの目と合った。その目には、慈しむ心が映し出されているように思えた。



「俺を含め、ここの部隊の奴らは周りから忌み嫌われるような存在だ。自分達がそういう存在にも関わらず、捨てられた魔獣達にも周りと同じように目を向けてしまいがちになっていた。まるで……それで自分の心を保つかのように」



 語り出したリヒトの声音はいつもとはどこか違う。その声に、何故かミアの胸は締め付けられていく。



「魔獣達と向き合うことで、平等さを知った。そして守りたいものは本当は何なのかを、あいつらなりに考えただろうさ。お前が来て、この部隊は大きく変わった。まあ……俺には面倒事が増えたんだがな」


「す、すみません……」


「ミア」



 名前だけで呼ばれたのは初めてで、ミアは肩を震わせながらリヒトの目を見つめると、不意に手を取られた。


 ゴツゴツとしているのに細く長い指を絡めながら、握りしめられた手は彼の頬へと引き寄せられていく。


 頬の感触が手に伝わるだけでなく、じっと自分の手を見つめられ、気恥しさにどこかに隠れたくなる。慣れない仕事で出来たマメは治ってきているものの、手荒れしている状態の手を見られるのは、年頃の少女に取ってはかなり恥ずかしい。



「だん、ちょっ……」


「あいつらが撫でられて、気持ちよさそうにしているのもなんだかわかる気がするな」


「そ、のっ」


「努力した証が現れている、優しい手だ」


「っ……!」


「さて――俺たちも訓練を始めるか」


「へっ?!」



 そのまま押し倒され、地面の上に寝転んだミアは状況が掴めずされるがまま身を委ねてしまう。


 何がどうなってるの……?!


 声にならない思いを目でリヒトに訴えかけるが、挑発的な彼の目にねじ伏せられてしまう。



「お前の召喚獣は俺だぞ?あいつらを手懐けたように、俺も手懐けてみろ」


「ちょっと……!意味分からないんですけど?!」


「主であるお前がこうして下にされている時点で、俺の力の方が上なんだろうな。どうした、主。抵抗したいなら抵抗しろ」



 挑発的なリヒトに抗いたい気持ちもあるが、相手は上司。これで即座にクビになってしまったら、行く宛てがない。


 それにここでようやく作り上げてきた、自分の居場所を奪われるのが嫌だった。


 堪えるしかないと唇を噛み締めると、体を重ねるようにリヒトが近づいてくる。すぐ目の前に綺麗な顔が迫ってきたかと思えば、ふっと耳元に息がかかる。



「〜〜っ!」


「真っ赤だぞ。どうやら、ここが弱いらしいな」



 言われなくとも、今の自分の体が過剰に反応して熱を帯びていることぐらい分かっていた。指摘されることで、尚のこと意識してしまうのは彼の計算のうちなのだろう。


 私が召喚してしまったことで、こんなに怒らせちゃってるのよね……でも、どうしたらいいの?


 手懐けろという彼の命令の意図を汲み取ることも出来ず、耳に軽く口付けされると、反射的に声が出そうになるのを何とか堪える。


 だが、耳から首に彼の唇が移動して噛み殺しきれなかった小さな声が漏れると、リヒトは軽く歯を立ててきた。獲物を狩る獣のように力強いのに、口付けは大事な何かを壊さぬように丁寧で優しい。


 全身が痺れるような感覚に呼吸すらままならなくなってきて、力を振り絞るようにしてリヒトの肩に手を添えた。



「もう……止めてくださいっ……」


「それはただのお願いか?命令でないと俺は従わない」



 頑としてミアの言葉に耳を傾けようとしないリヒトに、為す術はない。ましてや、命令など下せるわけもない。


 だからと言ってこれ以上体が言うことを聞かなくなって、残っている仕事を放棄するつもりもなかった。



「お願いじゃダメ、なんですか……?」


「ああ。駄目だ」


「団長の役に立てるよう……私、頑張るから……お願い……もうっ、止めてください……!」


「……っ」



 顔を上げて、リヒトはミアが虫の息になっていることにようやく気づく。最後に一度だけ軽く首にキスを落としたかと思えば、何事も無かったかのように前髪を掻き乱しながら起き上がった。



「頑張るも何も……お前はこれだけ十分に頑張っているだろうが……」



 風に流されてよく聞こえなかった、リヒトの呟きを聞き返す余裕もなく、呼吸をようやく整えて起き上がる。


 風に晒される度に、彼の唇が触れた箇所が疼く感覚を振り切って、ようやくやって来た怒りに任せて言葉を吐き出した。



「〜〜っ!団長の意地悪っ!」


「んだと……?」


「魔獣達の水分補給用の水汲みを命じます!」



 勢い任せにそう言って立ち上がると、ミアはズカズカと訓練を続ける皆の元へと向かう。振り返らなくとも、リヒトが出された命令によって動き出したのが、彼の舌打ちで分かった。


 暫く不在にしていたミアの姿を見つけたフェンリルがやって来て、顔色を伺う。



『どうした。随分と顔が赤いな』


「何でもないの!」



 見られたくないと顔を逸らして作業に取り掛かるしかないミアに、フェンリルはやれやれと首を振る。



『まあいい。訓練の事だが――』


「もう!訓練なんて懲り懲りよ〜〜!!」



 何も知らないフェンリルに八つ当たりするように叫ぶミアの声は、訓練をする騎士や魔獣達の動きを一瞬だけ止めた。


 怒りと恥ずかしさで少々荒々しくなったミアを前に、フェンリルはどこか楽しそうな表情を浮かべ、それがリヒトの挑発的な笑みにそっくりで、またしても顔を赤く染まる。


 こうして初めての実践訓練は、ミアの様子がおかしいまま日が暮れるまで続いていったのだった。

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