6.へっぽこ召喚士と二人の悪魔
*
まだ馴染みのない街を見渡しながら、避難していく人の流れに逆らうようにミアは全力で走る。ようやく母親コカトリスの姿が見える場所まで辿り着くと、あまりの大きさにぽかんと口を開けた。
一般的な成人男性を遥かに上回る大きな体は、狭い道を簡単に塞いでしまうだろう。舗装された綺麗な広い道で母親コカトリスが動く度に、ミシリと音を立てて道に亀裂が入っていく。
下敷きにでもされたらぺしゃんこにされそう……でもどうにかして近づかないとこちらに気づいてくれなさそうね。
腕の中にいるヒヨコが何れはこんなに成長してしまうのかと少し複雑な気持ちを抱きつつ、まずは自分に注目してもらえるように、見つけた小さな広間へと走る。
少し高台になっているこの場所からであれば、目線の高い母親コカトリスの視界に、辛うじて入れることが出来ると判断し、誰だか存じ上げない銅像の台によじ登り大きく息を吸った。
「あなたのお子さんはこちらでーす!!」
「ピヨー!」
慌てふためいて動く母親コカトリスが暴れて生じる音にかき消されないように叫び、ヒヨコを抱き上げる。声が届いたのか、ミアに背を向けていた母親コカトリスがミアを見つける。
ただその目には安堵ではなく、どこか怒りが滲んでいて、ミアは咄嗟に銅像から飛び降りて近くの茂みにしゃがみ込んだ。
振り返った拍子に、鋭い蛇の尻尾が銅像目掛けて飛んできたかと思えば、そのまま粉々になって吹き飛ばされた銅像の破片が足元に転がってきた。
きっ、危機一髪……!!
あのままその場にいたら自分の体も真っ二つになっていたと冷や汗をかきつつ、負の感情で我を失っている母親コカトリスを茂みの隙間から様子を伺った。
「もしかして……私が誘拐したとか勘違いされてたりする?」
このまま母親コカトリスの正気を取り戻さない限り、襲われる可能性がある。かといって、ヒヨコだけを親元に帰したところで、我を失っていては我が子にまで怪我をさせてしまい兼ねない。
落ち着かせる方法を考えるよりも先に、ミアはヒヨコを地面に下ろして、額を撫でながら待っててねと声を掛けてゆっくりと立ち上がる。
「ちょっとお母さんのこと愛でてくるね」
首を傾げるヒヨコに笑いかけたミアは、足音を立てないようにそっと母親コカトリスの正面を避ける立ち位置へと移動する。
その間にミアを見つけた母親コカトリスだが、先程のように襲ってこようとはしない。
一か八かの実家の近くの牧場で飼ってたニワトリさんへの懐かれ方法が、まさかこんな所で役に立つなんて……!
牧場主のおじさんが愛して止まないニワトリ達の秘伝の懐かれ方を、幼い頃に伝授してもらっていたのだ。コカトリスに通用するかどうかは、賭けだったがどうやら野性的な鳥としての習性は一緒らしい。
警戒心が強い野生の魔物に対して、大きな動きや素早い動きは敵だと判断されやすいため、自分を敵だと認識されないようにゆっくり、ただゆっくりと歩く。
歩いてたどり着いたのは、店主は避難したであろう新鮮な野菜が並べてある露天商。非常用に携帯していたお金を店の机において、葉野菜をいくつか購入する。
母親コカトリスと視線を合わせないよう目を閉じながら、野菜の葉を一枚ずつちぎり、ただ向こうの動きを待った。
自分に敵意はないことをしっかり伝えなきゃ、あの子を帰せない。お願い、食べて……。
野菜を見つけ、害がないかどうかを疑う目を向けると、徐々にミアに近づいてくる。一歩、また一歩と近づいてくる気配に、静かに息を飲んだ。
手に持っていた野菜を啄かれる手応えに、ようやく母親コカトリスが正気を取り戻したと安堵の溜め息を零しつつ、薄らと目を開ける。美味しそうに食べる母親コカトリスは、もう警戒心はこちらに向けてはいない。
「良かったあ……」
しっかりと目を開けて、母親コカトリスの瞳を覗いても身構えたりはしない。寧ろ安心しきっている様子だ。ゴクリと野菜を飲み込んだ母親コカトリスは、自分からミアに近づいて、体を丸めた。
「リラックスしてるのね。ありがとう。私のこと敵じゃないって分かってくれて」
緊張感が解けた空気に思わず肩の力を抜いていると、茂みに隠れていたヒヨコが母親コカトリス目掛けて走ってくる。
「ピヨ!」
「コケッ!!」
感動の再開を果たした親子は嬉しそうに羽を広げては、身を寄せ合う。柔らかそうな羽に撫でたい気持ちを抑えていると、道の向こうから騎士達がやって来た。
ミアがコカトリスに襲われそうになっていると誤解したのか、合図と共に腰から剣を抜いた。
「違うんです!この親子達は襲ってきません!どうか剣をしまって……!」
折角落ち着かせたというのに、またしても親コカトリスが怒りに染まってしまう。正面から突っ切ろうとしてくる騎士達を止めようと動き出した次の瞬間、地面が揺れた。
「コケェエエッ!!!」
立派な赤い鶏冠を揺らし、低く芯のある太い鳴き声は風を巻き起こし、舗装された道を簡単に貫き通す鋭い爪が、道に亀裂を入れた。親コカトリスよりも二回りほど大きな体からは、殺意すら感じる。
――振り返った先には、もう一匹のコカトリスが、敵意を剥き出しにして羽を大きく広げていた。
「お父さん……ですか?」
攻撃性の高い雄のコカトリスを前に、どうすることも出来ないまま、ミアの心を恐怖が支配した。騎士達も突然のことに怯んだのか、動きを止める。
ダラダラと涎を垂らす父親コカトリスに、自身を餌だと思われていると悟る。基本的にコカトリスは草食だが、相手は魔物。人を食らうことも少なからずあるのだろう。
為す術もなくミアは睨みつけてくる父親コカトリスに従うように、その場で身動きを取ることなく固まっていた。
こうなるなら、もう少しちゃんと考えて行動するべきだった……!
魔物相手に自分一人で立ち向かえるわけがないと分かっていたはずなのに、と今更後悔が滲む。
ミアを丸飲みにしようと父親コカトリスが大きく嘴を開け、喉の奥には真っ黒な暗闇が見えた。
その暗闇をかき消すような白がミアの前に現れて、大きく吠えた。
『やめておけ。そいつは美味くはないぞ』
ハッキリと聞こえた声に耳を疑いつつも、白いモフモフがミアを庇うようにしながら父親コカトリスから距離を取らせた。
「コケッ!」
『お前の妻もそう言ってる。森に帰れ』
「コケコケコケコココッ!」
母親コカトリスが前に出たかと思えば、尻尾で力強く父親コカトリスの体を強打する。よくある夫婦喧嘩の一部を見ているようで、先程まで流れていた緊張感はどこかへ消えていた。
怒りに染まっていた父親コカトリスは、痛みによって我に帰ったかと思えば、身体を小さくさせて大人しくなった。
「コケッ」
「え……?」
夫婦揃って頭を下げ、母親コカトリスが羽づくろいをしたかと思えば、綺麗な淡い赤い羽をミアに差し出して来た。受け取って欲しいと瞳で訴えられたような気がして、その羽を手に取ると母親コカトリスは嬉しそうに鳴いた。
「ピヨ!」
ヒヨコも嬉しそうにミアの足の周りを数周駆け回ると、母親コカトリスの背に乗った。三羽揃うと、大きな羽を広げて、街を流れる風に乗るように大空へと羽ばたいて行ってしまった。
一難が去ったとでも言うように、時計台の鐘が綺麗な音色を響かせる。
「お怪我はございませんか?!」
「えっ、あ……はい」
「まさか召喚士様自らが魔獣と共に魔物を撃退させるとは、お見事です」
「一歩遅ければ被害は大きかったでしょう。感謝致します」
駆け寄ってきた騎士達に安否確認と感謝を伝えられ、後のことは任せてくださいと帰るよう促される。
この場でやる事もないミアは言われた通り元来た道を辿って帰ろうとするが、隣を歩く“白いモフモフ”の存在をどう処理していいのか分からずにいた。
「フェン、リル……よね?」
獣舎の檻の中にいたはずのフェンリルがどうして、ミアの横にいるのか検討もつかない。それに、懐いていないはずのフェンリルが、手綱なしでピッタリとミアの横を歩いている。
なんで?私、檻の鍵を閉め忘れた?いや、そんな記憶ないけど……というか、え?
こんがらがるばかりで頭を抱えたまま、所属する第四部隊の騎士舎へと到着する。門番達も緊急事態に応援要請がかかったのか、不在にするにあたって門が封鎖されていた。
彼らの帰りを待とうとするミアに、またしても先程聞いた声が掛かる。
『乗れ』
「……」
『中に入るんだろ』
どこを見渡しても人影は見当たらない。こんな恐れられた第四部隊の騎士舎に、用もなければ誰も近づこうとはしない。
そんな中、はっきりと横で声が聞こえるのだ。
「……フェンリル、もしかしてあなたが喋ってる?」
『オレ以外誰もいないだろ。さっさと乗れ』
今にも噛み付いてきそうな苛立ちを見せるフェンリルに、慌てて背に跨ぐ。体勢を整える前に、フェンリルは足にグッと力を入れ、軽々と門を飛び越えて騎士舎の芝生の上へと着地する。
青々とした芝生は今日も綺麗に風に靡いた。フェンリルの背から滑り落ちるようにして降りると、柔らかい地面の感覚に心が落ち着いていく。
軽く身震いして優雅に獣舎へと戻るフェンリルに着いていきながら、確認するようにもう一度同じような質問を投げかけた。
「フェンリル、あなた喋れたの……?」
『……』
「……あれ?待って、今までの私の幻聴?」
うんともすんとも言わないフェンリルに、とうとう疲労が蓄積された結果が現れたのかと頭を抱えた。
獣舎に辿り着き、自分の檻の中へと戻っていくフェンリルの後ろ姿を見つめつつ、ミアの帰りを心待ちにしていた他の魔獣達を撫でる。
モフモフに癒されながらも、ちゃんと檻の鍵が閉まっているか確認する。フェンリルの檻の鍵は掛かっておらず、やはり自分の鍵の閉め忘れかと肩を落とした。
「今度からちゃんと気をつけなきゃ……また脱走なんかしちゃったら、団長に怒られちゃう」
『あいつに怒られて、癒しをくれとオレにせがまれても困るしな。しっかり管理しとけよ、召喚士』
「……!やっぱりあなた喋って!!」
『いいか。オレのことを他言するというのなら――命はないと思え』
「ひっ……!」
背を向けたまま、器用に尻尾で檻の扉を閉めたフェンリルは、そのまま奥の寝床へと着いた。
後を追いかけようとしたが、その前に獣舎に背筋が凍るような冷たい空気が流れ込む。それを感じ取ったのはミアだけでなく、獣舎にいる魔獣達も身の危険を感知したのか、震えるように踞る。
嫌な予感がしながらも、そっとフェンリルの檻の鍵を閉め、恐る恐る振り返る。
獣舎の扉に寄りかかって眉間にしわを寄せて立つのは、いつの間にか帰ってきていたリヒトだった。あれだけ、無事に帰ってきてほしいと願っていたというのに、早すぎるお帰りに素直に喜べない。
「ミア・スカーレット。俺たちが留守にしていた間の、詳しい話を聞かせてもらおうか?」
まだ頭の整理が追いついていない中、追い討ちを掛けてくるリヒトに涙目になりながらも頷くしかなかった。
あっ、悪魔が二人もいるッ!!!!
誰にも言えないフェンリルの秘密を抱えたまま、リヒトにどう説明すれば穏便にいくのか、今の余裕のないミアには何一つとして思い浮かばなかったのだった。
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