5.へっぽこ召喚士、迷子と出逢う
*
もぬけの殻になったミアの部屋で一人、まだ微かにシーツに残る彼女の温もりを撫でながら、静かに我に返るリヒトは重たい溜息を零す。
……やってしまった。
後悔が滲む中で、何故か彼女の温もりを独占できたことに優越感に浸る。
眩しい朝日に目を細めながら、ミアのコロコロと表情を変える顔を思い出しては、眉間にしわを寄せて口元を手で押さえた。
月の魔力のせいとは言え……欲望を剥き出しにしてしまうとはな。
ここ数日のミアの仕事っぷりを部下が噂するのを小耳に挟んだり、執務室から見えた彼女の楽しそうに仕事をしている姿を見て、野性的な本能が疼いた結果がこれだった。
ミアを心配して、獣舎まで顔を見せに行ったのだ。一人の上司という立場なら部下の心配もしてやらねばと、そう思って。
ただ頑張りすぎる彼女を見て、少し休めと言うつもりが説教紛いのことをしてしまったことを謝るために、部屋に訪るまではまだ理性が働いていたはずだった。
ところが、いざスヤスヤと気持ちよさそうに眠るミアを前にしたら、謝罪よりも彼女を求める本能が勝り、温もりを求めてベッドの中に無断で入り込んでしまったのだ。
まだ覚醒しきってない頭で、俺はあいつに何をした?
彼女の温もりを確かめるだけでなく、あの髪を撫で柔らかい頬を堪能し、そのまま――。
曖昧な記憶だが、確かに言えることは一つだけある。
「あんな面白い反応を見せるあいつは、悪くない……な」
ポツリと呟いた言葉は誰の耳にも届くことはなかったが、リヒト自身に言葉が根付くように深く絡まっていく。
寧ろもっと色んな表情を見てみたいとまで思ってしまう。そう思ってしまうのは、素直な気持ちが全て表情に出て、無理やり押し付けた仕事だというのに、懸命にこなす彼女の頑張る姿を見ていて楽しいからだろうか。
あの手で魔獣達を撫で、あのペリドットの瞳で見つめられ、あの柔らかい頬を擦られると思うと、魔獣達が少しだけ羨ましくなる気持ちに蓋をしながら、ゆっくりと立ち上がった。
不思議と普段よりも仕事の疲労が消えていることに驚きつつ、しんと静まり返った部屋を後にしようと扉へと向かう。
「さて、もう一寝入りしてから仕事に取り掛かるか。一区切りついたらあいつの様子でも――って何考えてるんだ俺は……」
全ては月の魔力のせいだと自分に言い聞かせながら、また彼女のペリドットの瞳が見たいと、声が聞きたいと思うのを誤魔化して部屋を出たのだった。
・
・
*
晴れ渡った空の下、魔獣達の世話で使ったタオルを洗い終わったミアは、洗濯に取り掛かっていた。
雲一つない青空に舞い上がるように風に靡かれる、真っ白なタオルを干しているだけで清々しい気持ちに包まれる。無意識に鼻歌を歌えば、檻の中で寛ぐ魔獣達もどこか嬉しそうに目を細めていた。
こんなに穏やかに仕事が出来るなんて、配属初日の不安が嘘みたい。
配属されてから一週間以上も経てば、それなりにやることの時間管理はある程度できるようになってきて、魔獣達の世話にも余裕が出来てきた。
相変わらずフェンリルがミアに懐く様子はないが、心を開いてもらえる努力は惜しまない。きっと心を開いて、召喚された意味を己で掴み取ってくれる、そう信じて。
ただその努力の中にミアの若干の下心も含まれているのを、賢いフェンリルは知っていた。
モフモフを手に入れようとするミアの熱い眼差しは、痛い程フェンリルに突き刺さっているのだから。
「さてと。新しい藁を手配しなくっちゃ」
獣舎の隣の小屋に敷き詰めてある藁をピッチフォークでかき集めていると、何やら騎士達の慌てた足音が聞こえてくる。
訓練にしてはどこか様子が違う音に思わず、手の動きを止めて耳を澄ます。何か分からないが、緊張感を感じたミアはピッチフォークを元の位置に戻す。
何事かと小屋から出て見ると、ユネスが指揮を取りながら、部下の騎士達と共に馬に跨ぐ姿が見えた。
唯ならぬ様子に獣舎の魔獣達も、どことなく落ち着きなく喉を鳴らしたり、歩き回ったりしている。せめて檻の中から見えてしまう騎士達の姿を遮断しようと、獣舎の扉を閉めていると、ユネスがこちらに向かって馬を走らせてきた。
「ミアちゃん!」
普段なら柔和な表情を浮かべる彼が真剣な顔をしていることから、良からぬ事が起きているという事が一目で理解できた。
「何があったんですか?」
「マネクリットの街を魔物が襲ってきているらしく、別部隊から応援を要請されたんだ。これからここを留守にするから、ミアちゃんはくれぐれも魔獣達の事を宜しく頼むね」
ここに来て初めての出来事に、ミアは今更ながら騎士団に自分が居るということを認識する。
初めは魔獣達の世話というものに不安しかなかったが、ミアにとっては幸せな時間を過ごせるこの穏やかな仕事場だ錯覚していた。
目の前にいるユネスの腰には剣が下げられ、今から彼らは民を守る為に己の命を掛けて魔物達と戦うのだ。今こうして会話していても、帰ってくる時には怪我をして、血を流して帰ってくる可能性だってある。
なぜなら――ここには彼らと契約を交わした魔獣がいない。戦う術は騎士達が体を張って、剣を振るうしかないのだから。
「……っ、気をつけて……!」
「はは。そんな心配しなくても大丈夫だよ」
「ユネス」
場の空気を少しでも和らげようとするユネスに声が掛かり、声の主へと目を動かせば平然とした様子のリヒトがいた。
ミアの存在に気づいたのか、綺麗な顔から威圧的な表情を生み出すと、ユネスはおじゃま虫は退散するね〜とよく分からない言葉だけを残して行ってしまった。
「おい」
二人残された獣舎前で、低い声がミアの背筋を伝っていく。それだと言うのに、彼の熱を甘い声を思い出して、むず痒くなるのをどうにか誤魔化した。
「何をそんな怯えている」
「えっと……」
見つめられる瞳に全てを見抜かれそうで、目を逸らそうとするものの、そうはさせまいとリヒトの目力が増す。諦めてじっとペリドットの瞳で、その目を見つめた。
逃がさない、そう言っているようで心の中で波打つ感情を吐き出した。
「どうか……無事に帰ってきてください」
「はっ。何かと思えばそんなことか。俺をなんだと思っている」
彼の呆れた声に何か変な事を言ってしまったのだと、唇を噛み締めると、そっとリヒトが近づいてきた。
「お前一人を残していくなんてことはしない。安心しろ」
「え……」
ミアの短い髪に手を伸ばし、微かに触れたリヒトの手の温もりはすぐに消えて、彼は踵を返して歩き出していた。
「後は頼んだ」
背中で語るように振り返らずに吐き捨てたリヒトは、部下が用意して待つ馬に跨るとそのまま騎士達をまとめながら門へと馬を走らせていった。
遠くへと消えていく彼らの姿を見送るように見つめていたミアは、頭に酸素を送るように大きく深呼吸をした。
「大丈夫、皆は強い騎士達よ。私が動揺してたら、魔獣達も不安がっちゃう」
ミアは言い聞かせるように呟いて、やりかけの仕事に取り掛かる。自分がやるべき事はこうして魔獣達の世話をすることだと、奮い立たせるように小屋へと移動して、藁の香りを肺いっぱいに取り込んだ。
皆が帰ってくる前に一通りの仕事を終わらせて、出迎えてあげよう!皆、ビックリするかな。
藁を取り替えながら、落ち着かない様子の魔獣達を宥めるように撫でると大人しくなった魔獣達は、ミアに擦り寄った。
ただどうしても胸のどこかで落ち着かない気持ちのあるミアは、魔獣達に伝わらないように下唇を噛み締めた。
不安からくるものでもなく、何かの感情と一致しているかのようにその感情は流れてくるようにミアの元へとやって来る。
『ああ、どこに行ってしまったの?お願い、無事でいてちょうだい……』
周りには誰一人としていないはずだというのに、ミアにはしっかりとその声が脳内に直接聞こえてきた。誰とも知らぬ声は焦りと不安が入れ混じった感情が、痛いほどに胸に溢れてくる。
「今のは……?」
「ピヨヨッ!」
突如、獣舎外から可愛らしい鳴き声が今度は耳から聞こえたミアは、驚きつつも振り返ってその鳴き声の持ち主を探した。
陽の光を浴びながら、風と共に舞う白い蝶をぽてぽてと二本の足で追いかける黄色いモフモフとしたヒヨコが、芝生の上を楽しそうに駆け巡っている。
ただ、ヒヨコと言っても手乗りサイズのごく普通の大きさではなく、子供のスノウベアといい勝負の大きさは異様に目立つ。
その上モフモフで素晴らしく可愛らしい走りを見せつけてくるのだ。ミアの目は瞬く間に輝いた。
「可愛いっ……!でも、どこか迷い込んだんだろう?」
見慣れないヒヨコの姿に、他の魔獣もどうやら興味津々のようでそちらをじっと見つめている。
魔獣達の熱い視線すらも感じ取らない自由気ままなヒヨコは、届かない高さまで飛んで行った蝶にがっかりしていると、ようやく近づいてくるミアに気づいた。
「ピヨヨ」
まだ警戒心があまりない時期なのか、ミアに対しても逃げるわけでもなく、寧ろ興味津々といった様子で近づいてきた。
触れた手触りに蕩けそうになる顔を我慢できずに、おもむろにヒヨコを抱き上げた。
「ふわふわだあ〜!」
「ピヨヨ〜」
「ふふ、擽ったいよ」
嘴で軽くミアの頬を啄いては、彼女の反応に合わせて嬉しそうに鳴いた。
「これ食べる?」
感情が癒されて自分の世界に入ってしまったミアだったが、何の前兆もなく街の方からけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
「っ……!!皆、大丈夫だからね!ここで大人しく待ってて!」
魔獣達に声を掛けてヒヨコを抱きかかえたまま、慌てて騎士舎の方へと走り、非常事態に動き始めた門番達の元へと向かう。どうしたのかと尋ねた直後、見えた光景に絶句した。
「あっ……あれは……」
見えた光景に目を疑って、目を擦ってもう一度確認しても、街に並ぶ家々の屋根の上に大きな翼を広げる姿は消えはしなかった。
鶏冠の生えたニワトリの頭に、尾からはフワフワとは似合わない蛇のような鱗の生えた尻尾を生やした姿は、普通のニワトリとは少し違う。
轟音と共に遠くから聞こえてくる悲鳴をかき消すように、それは鳴いた。
「コケコッコォオオーー!!!!」
実家にいた頃に、よく近所の牧場から聞こえてきた鳴き声とは比べ物にならない鳴き声に、思わず耳を塞ごうと思ったが腕の中にいるヒヨコの存在にどうしようも出来なかった。
「ピヨッピー!」
恐ろしい鳴き声に嬉しそうに反応するヒヨコに、ミアはもしかしてと一つの考えが浮かんだ。
「もしかして、あれはキミのお母さん?」
「ピヨッ」
「ってことは……キミ、コカトリスの雛?」
「ピヨー!」
正解とでも言うようにまだ小さな羽をパタつかせる姿は可愛いものの、現状可愛さに殺られていては事は悪化する一方だと我慢する。
コカトリスが本気になってしまえば、口から毒を吐き出してしまう危険な魔物を、放っておくわけにはいかない。
「騎士達が留守だっていうのに……!」
「とりあえずあの魔獣をどうにかしないと、街が危険だ!」
「いや、俺達には絶対歯が立たない。この事を騎士達に報告するまでの間、街の人達の避難を優先するべきだ」
門番達はどうしたものかと意見をぶつけ合う中、ミアはこの緊急事態を解決する無謀とも言える方法を見出していた。
「きっとお母さんは、迷子のあなたを探して混乱しているんだと思うの。今からお母さんの所へ帰してあげる!」
魔獣を相手に戦闘した経験は一度もない。ただ、この雛鳥を帰せば、落ち着いてくれるそんな気がしたのだ。
現時点で親コカトリスは人を襲うような行動を取っていない事から、自分にもどうにかできるとミアは宛のない直感を信じた。
意見をぶつけ合う門番達を残すように、ミアは危険を顧みず雛鳥を探すコカトリスの親に向かって一直線に走り出した。
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