2.へっぽこ召喚士、秘密を知る
*
「はあ……」
苛立ちを含めた溜息を聞くのは、果たしてこれで何度目か。
椅子の背もたれに身体を預け、長い足を組むリヒトは、床で正座をしながら震えるミアを逃がすものかと鋭く睨みつけていた。
今にも喰われそうなその迫力に、ミアの目線はずっと床の木目に注がれ、そこから動かせない。
「……よりにもよって、こんなマヌケな奴に正体がバレるとはな」
「起こってしまった事は仕方ないよ」
「クソ……」
二人のやり取りを聞きながら、自分が何を仕出かしたのか、何がどうなっているのかを頭の中で整理しようにもミアの頭は考えることを止めていた。
何も無かったことにして、家に帰りたい……。
ヘマをしてはいけないと肝に銘じていたというのに、結果はこれだ。
失敗したことに対する落ち込んだ気持ちに、目の前で苛立ちを抑えきれないリヒトの態度に涙が滲む。
「本当に……すみませんでした」
「謝って事が丸く収まるなら、その空っぽの頭が無くなるまで、地面に額を擦り付けて謝れと言いたいくらいだ」
「うぅ……」
容赦ない言葉に身を小さくして再び頭を下げると、肩を叩かれるや否やユネスが耳元で囁いてきた。
「忠誠を示せって言ってみてくれる?」
「え……?」
「せーの」
「ちゅ、忠誠を示せ?」
訳が分からないまま指示された通りにそう呟くと、突然椅子に座っていたリヒトがミアの元へとやってくると、そのまま片膝をついて頭を垂れた。
「――我が主の元に」
「ん?!」
正座するミアの手を取り、軽く甲に唇を押し付けるリヒトはまるで別人だ。
余計に頭が混乱するミアに対して、ユネスは顎に手を添えて納得したかのように頷いた。
「ふーん。召喚と共に契約まで交わしてある状態ってわけか……」
「ユネスさんっ!これって一体どういう事ですか?!」
「簡単だよ。リヒトはミアちゃんの召喚獣になったってわけ」
「しょ、召喚獣……?」
確かに獣耳に尻尾は人ならざるものだとは言えるが、彼は獣の姿をしてはいない。
第一、ミアは学生時代にまともな召喚獣を召喚できた試しがなく、ましてや人を召喚するなど見たことも聞いた事もないミアには出来るわけがない。
精々野鳥や野うさぎ程度でしか、獣を召喚出来ない彼女には、到底不可能だ。
ユネスの言っていることに首を傾げて、掴まれていた手をそっと剥がそうと試みたが、力強く腕を持っていかれる。
「お前なあ……!」
「ひゃうっ!」
先程までの大人しくなったリヒトは何処かに消え、再び今まで通りに戻ったかと思えば、容赦なくミアのこめかみを押さえつけてきた。
「召喚では飽き足らず、契約までだと?俺に喧嘩売ってるのかお前は!!」
「えっ、ちょ!痛いです!!」
「魔獣の餌になりたいか?それとも、これまで生きてきた記憶全て抹消されたいか?……さあ選べ」
逆鱗に触れてしまったと後悔していると、全身が急に熱くなったかと思えば、内側から何かが這い上がってくる感覚に陥る。
熱は胸から徐々に上へと上がってきて、遂に喉まで到達する。身体がそうしろと命令するように、ミアは這い上がってきたその言葉を口にする。
「まっ、待て!!」
力強く吐き出した言葉は、執務室に大きく響き渡る。自分の声がようやく耳に届いた時に、反射的にミアは手で口元を押さえた。
今、私なんて……?
自分で発した言葉だというのに、どうしてその言葉を発したのか分からなかった。
自分の言動にまたしても取り返しのつかない事をやってしまったのではないかと、冷や汗を滲ませているとこめかみに感じていた痛みが消えた。
「……?」
目線を上げれば、悔しそうに口を曲げるリヒトが見えない何かに縛られたかのように動きを止めていた。
「こ、これは……?」
「またしても余計な事をッ……!」
「はいはい。もういい加減状況を受け入れて。”主”を前にして勝てるわけないんだから」
ユネスがリヒトの首根っこを掴むようにして、執務室の長椅子に座らせると、急に大人しくなったリヒトは前髪をくしゃりと掻き上げた。
「ミアちゃんもどうぞ座って。色々と説明しなきゃ状況に着いていけないでしょ?」
「えっ、あ、はい!」
言われるがまま座るように促された長椅子に腰掛けると、ここからの話の主導権は自分にあるとユネスが一つ咳払いをした。
背筋を伸ばして聞く体勢を整えたミアだったが、これから何を説明されるのか検討もつかない。
「まず初めに質問するね。召喚士が召喚する魔獣の存在……あれは何?」
まるで授業中に指名されたかのような緊張感が走るものの、基礎中の基礎の内容は落第生のミアでも分かった。
「召喚士が召喚する魔獣は、千年前に賢者ロベルツが邪神と呼ばれるバハムートとの戦闘の際に召喚した神獣達の末裔で、唯一魔族に打ち勝つ力を持つもの達です。私達召喚士は、魔獣の持つ魔力と共鳴する事によって、始めて召喚が出来るようになります」
スラスラと今まで学んできた知識を披露すると、ユネスは小さく拍手をしてミアを賞賛した。
彼の隣に座るリヒトは、何を当たり前の事を……と小さくボヤくが、ユネスは気にせず話を続ける。
「正解。じゃあ何故、リヒトを召喚してしまったのか、彼を見て気づくことはない?」
「えっと……それは」
ユネスの次の質問に対して言葉を濁した。人とは違う姿をしている彼を見て、動揺する気持ちばかりが膨れ上がる。
ただこの話の流れ的には、多分そういう事なのだろうとダメ元で一つの考察を口にする。
「もしかしてリヒト騎士団長は、その……獣なん……ですか?」
「目の前にいる俺が、普通の人間の姿をしているというなら、お前の目は相当の節穴だな」
鋭く睨みつけられて、身を縮こませて反射的に頭を下げる。フサフサとした可愛らしい耳と尻尾があっても、相手は鬼畜な騎士団長ということを忘れてはいけない。
ミアは今にも震えそうな身体を誤魔化しながら、頭を上げてユネスに話を続けるように促した。
「ミアちゃんの言う事の通りで、リヒトは人じゃない。いや……“僕ら”というべきか」
「え……?」
「単刀直入に言おう。僕ら第四部隊の騎士は神獣達の血が流れる末裔。言わば『獣人』なんだ」
「獣、人……」
おとぎ話で何回か聞いた事のある程度の存在に、上手く言葉の意味を咀嚼することができなかった。
目の前にいるリヒトは、確かに紛れもなく獣耳と尻尾があるのは間違いない。だからと言って、彼を神獣の末裔だと受け入れることは容易いことでは無い。
それにユネスは獣人という姿形がハッキリと分かるリヒトだけでなく、至って普通の人の姿をしている自分自身も獣人だというのだから、尚のこと理解出来ない。
混乱しっぱなしのミアの頭に追加の衝撃を与えても尚、ユネスはそれを無視して話を続けた。
「僕らには、
「魔力を放つ月、ですか」
「普通の人には何も変わりないのない、ただの月なんだけどね。それで絶賛リヒトは月の力によって、獣人真っ盛り〜ってわけ。ミアちゃんがリヒトを召喚しちゃったのも、それが引き金だったって事」
「俺が元凶とでも言いたいのか?」
「実際そうでしょ。力の制御が出来ないせいで、ずっとイライラしてるじゃんか」
「黙れ」
事実を述べられ不貞腐れるように唸るリヒトに、ユネスはどこか楽しそうにおちょくっているのをヒヤヒヤしながら眺めていることしか出来なかった。
頭は混乱するばかりだし、この場にいて気が休まらないし……もうどうしたらいいの?
誰かに助けを求めたいけれど、目の前にいる上司にそんな弱音を吐いたら即刻クビになる未来しか見えず、涙目になって堪えるしかない。
「契約を解消するのには最低でも三ヶ月は契約を結んでおかないと、互いの命の危険性があるからね」
「ったく、こんな奴に選択肢を与えず、さっさと魔獣達の餌にでもしておけば良かったか……」
ため息混じりに怖いことを吐き出すリヒトは、冗談抜きで言ってるとしか思えなかった。そんなリヒトが、何かを思いついたかのように質問を投げかける。
「魔獣の餌……そういやお前、ここに来るまで何も無かったのか?」
「は、はいっ。特にこれと言って何も……」
騎士舎に入る前に何か飛び出して言ったぐらいで、魔獣に遭遇する事も命の危険を感じることもなかった。そこに関しては、ミア自身も同じように疑問を抱いていたくらいだ。
「確か訓練所で、数匹魔獣を強制的に外に出していなかったか?」
「ああ……そういえば、匂い覚えの訓練をしている部下達がいたね」
「その魔獣が吠えたりは?」
「いや?特に聞いてないけど?」
「おかしい……なんで魔獣達が反応しない?これまでの召喚士達は取って食われる魔獣達の勢いに負けて、敷地に入ってすぐに怖気付いて退職届を出す輩が多数だったというのに」
「お陰で、現在進行形で召喚士不在なんだから貴重なミアちゃんを脅かさないでくれる?」
顎に手を添えて考えに耽るリヒトの姿がまるで絵画の中から飛び出してきたかのように美しく、吐き出す恐ろしい言葉がなければ間違いなく魅入っていただろう。
ただ、ミアは恐ろしい言葉の中に新たな疑問を抱いた。
「あの……ここって今、私以外に召喚士いないんですか?」
「ああ。常に求人募集をしてるくらい人手不足だからね。そう滅多にやって来ないけど」
「えっ、でもどうして魔獣達がいるんですか?召喚士いないんですよね?」
召喚士は召喚した対象と契約を結び、この地に喚び起こす。契約を結んだ対象は、召喚士と共に生涯を歩む習性がある。
水の
召喚士には召喚した対象と共に生涯を歩むのが絶対条件になるため、良き相棒を見定める目も持っていなければならないと、ミアはしつこく授業中に言い聞かされていたのを、つい昨日の事のように思い出せる。
ただ魔獣と心を通わせることは騎士達しか出来ないため、余程な腕を持つ召喚士か、相当な覚悟を決め召喚した者しか喚び起こす事はしない。
一つの意志を貫き通した召喚士が、ここの門を潜り抜けて召喚したであろうはずの魔獣が、この場に残っているのはおかしな話だった。
「あー……あの子達は」
表情を曇らせるユネスに、まさかとミアはバッチを強く握りしめた。思い浮かんだ一つの考えを口にしようとしたその時、部屋の外から何やら騒がしい音が聞こえてきた。
足音が大きく響き渡って聞こえてきたかと思えば、扉が叩かれる。
「団長〜?さっき逃げ出したスノウベア、ようやく捕まえましたって……あれ?」
燃えるような真っ赤な夕日のような、深みのあるレディッシュブラウンの短い髪を小さく揺らす青年が扉を開けて入ってきた。バチリと目が合ったミアは、彼がごく自然に動かすリヒトと同じような獣耳に視線を注ぐ。
その視線から逃れるように背を曲げ目を泳がせながら、動揺のあまり口をパクパク動かしている。
「……あーえっと、取り込み中っすか?」
苦笑いを浮かべる彼も同じ制服を着ていることから、騎士団に所属しているのだろう。まだあどけなさが残る顔に、どうやってこの場を凌ごうかと焦る表情が滲む。
「シュエル」
「はっ、はい」
「自分の正体を、自ら晒し上げるような行為は慎めと前にも言ったよな?」
「はい……」
自分の事を棚に上げて怒りをぶつけるリヒトに、シュエルと呼ばれた青年は分かりやすく、しょんぼりと獣耳を垂らした。彼の気がリヒトに注ぎ込まれ気が緩んだのを逃さなかった、腕の中に囚われていた白いもふもふはモゾモゾと動いて見事に脱出する。
一目散にミアの元へと駆け寄ってくるや否や、身を隠すように長椅子とミアの背中の隙間に顔を埋めた。
「ん?!」
慌てて背中からもふもふを取り出すように抱き上げると、つぶらな瞳を潤わせた白い熊――スノウベアの子供が必死に助けを求めるように鳴いた。
「ふぎゅうぅ……」
「かっ!可愛いぃい……!」
生まれて初めて見るスノウベアに、興奮したミアは瞳を輝かせて周りを気にせず感情を顕にした。
雪の魔力を持つスノウベアは、微弱ではあるが毛にも魔力がが流れているせいで、どこかひんやりとしていて気持ちがいい。
顔を擦り寄せると尚のこと、その心地のいいひんやりとした毛並みが直接肌に感じられ、ミアは状況を忘れて、スノウベアを撫でては我慢できずに笑みを零した。
「魔獣が懐いて、る……?」
「召喚主でもないのに、警戒されていないだと?」
一体どういうことだと二人からの疑いの目を向けられても、目の前にいるもふもふのお陰で癒されているミアには届きはしない。
「どうやら、こいつは少なくとも俺の役に立ちそうな召喚士のようだな」
「リヒト、どうするつもり?」
「なあに、簡単なことだ」
席を立ったリヒトにスノウベアが再び怯えた様子で、ミアの膝で震えながら蹲り、ようやく目の前に彼がいることに気づいたが逃げ場を無くすように、攻め寄ってくる。
「おい、お前。先程の選択肢にもう一つ選択肢を与えてやる。魔獣の餌になるか、これまで生きてきた記憶全て抹消されるか――それとも魔獣達の世話係になるか……さあ選べ」
「えっと、え?」
「俺の監視下で働いてもらわないと、何を仕出かすか分かったもんじゃないからな。ああ、安心しろ。三食寝床に魔獣付きだ。悪くない条件だろ?」
有無を言わせない圧力に逃げ出したくなるが、長椅子に座ってる以上逃げ場はもうない。
これは……死ぬか、働くかを選べと……。
ごくりと唾を飲み込み、この場で拒否したらすぐにでも命がなくなる未来が簡単に想像できた。
「俺らの秘密を知ったんだ。簡単に逃げれると思うなよ?」
勝ち誇った笑みを浮かべながら耳元でそう囁かれると、その言葉を反射的に吐き出していた。
「こっここで、働かせていただきます!」
「よし、成立だな。これからよろしく頼むぞ、俺の”主様”。くれぐれも俺とお前が主従関係があることは他言無用だ……いいな?」
圧力を掛けてくるリヒトに、黙って縦に首を何度も何度も振る。
長い睫毛の奥に揺れる綺麗な瞳を輝かせ、不敵な笑み作り上げた上司となるリヒトを、眉目秀麗な人の皮を被った獣だと今更ながら悟ったのだった。
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