1.へっぽこ召喚士、騎士団長を召喚する


 王都スリアンゼルクの朝は活気で溢れ、貿易が盛んなこのベイリムの街は多くの人で賑わっている。


 行き交う人の顔には笑顔の花が咲いているのにも関わらず、ミアの表情は固い。


 田舎生まれ田舎育ちの本来のミアだったら、憧れを抱いていた都会の輝かしい景色に、胸を弾ませていたかもしれないが、そんな余裕は今の彼女にはない。


 春の暖かい日差しを眩く反射させる肩まで伸ばされたハニーブラウンの髪を靡かせながら、金刺繍が施された真新しい紺色の制服に着せられて歩く背中は今にも泣きそうだ。


 人にぶつからないようにしながら、何度も何度も読み返しても変わらない文面の文字を見つめて、書いてある文章に肩を落とす。



 『ミア・スカーレット殿

 王国軍魔獣騎士団、第四部隊所属とする』



 ……ようやく掴んだ就職先が、まさかここになるなんて。


 落胆しながらくしゃりと音を立てる封筒を懐にしまいながら、徐々に近づいてくる巨大な石門を前に、目眩がしそうになるのをぐっと堪えた。


 ペリドットのような瞳に映り込む世界は、あまりにも大きすぎて後先が不安になるばかり。


 十八歳になったこの春にツベルリーツェ魔法学校召喚科を卒業し、召喚士の称号を得たばかりの彼女は、もう少し考えて行動するべきだったと後悔の涙が滲む。


 卒業ギリギリの単位で探せる就職先は微々たるもので、そのどこを受けても首を縦に降ってもらえることは無かった。


 親にも担任にもこれ以上の迷惑をかけるものかと必死に就職先を探して、ようやく見つけた新卒求人募集はこの街にあった。召喚士大募集!のその文字を見つけた時の興奮は、今でも覚えている。


 藁にもすがる思いで面接を受け、どんな仕事も誠心誠意努めると断言し、あっさり二つ返事で合格出来たかと喜んだのもつかの間。


 ――所属先は王国軍魔獣騎士団。


 所属場所は募集要項の隅に小さな文字で書き記されていて、見落としていたと言うべきか騙されたと言うべきか。


 憧れていた召喚士になったっていうのに、私の命はすぐ尽きそうね……。


 魔物と人間が共存するこの世界には、人間を脅かす魔物も少なからずいるどころか、年々増加傾向にある。そんな危険から人々の穏やかな生活を守るためにいるのが、魔獣騎士と呼ばれる王国軍の騎士達だ。


 彼らは魔獣と心を通わせる能力を持ち、人では歯が立たない魔物を、唯一食い止めることが出来る魔獣と共に戦うことを仕事としている。


 ただ魔獣を召喚出来るのも、限られた者しか出来ない。その召喚の能力に長けた者……それが召喚士だ。

 

 生まれ持った才能や魔力、素質のある人間にしか召喚術は使えず、その力で数々の神の加護を持つ者達を召喚し、時には生活を、時には国を潤わせる行く先々で重宝される存在。


 そんなどの働き先でも長く大切に扱われるはずの召喚士だが、ミアにはその未来は到底見えない。


 ……何故なら、ミアが配属される場所に問題があるからだ。



「第四部隊、か……。たった数ヶ月の間で数少ない召喚士がしょっちゅう入れ替わるとかいう、召喚士殺しの異名を持つこの場所で、果たして私の寿命はどれぐらいなんだろう」



 噂には聞いていたその部隊に、まさか自分が働く事になるとは思ってもいなかった。


 王国軍魔獣騎士団には六つの部隊があり、国の各地で任務を遂行している。


 部隊には平均して五人以上もの召喚士がいるのが当たり前だが、第四部隊だけは何故か一人いるかいないか。


 王都のすぐ東にあるこの街に拠点がある第四部隊には、王都を守る責務があるはずだが、召喚士が不在な期間があるとなると、王都が危険に晒されることになる。


 それでもなんとかやって来ているということは、腕の立つ騎士達がいる証にはなるが……。


 つまり召喚士がいない時は、魔族相手に腕任せでやってるってこと?人の力だけで、ねじ伏せてるの?


 もしかしたら人とは思えない恐ろしい力を持つ人達の中で、血の涙を流しながらも仕事をしなければならない、そう思うと勝手に身体が震えた。


 でもようやく見つけた私の職場だ。逃げたりはしない。


 今にも踵を返して家に帰りたくなる気持ちを押し殺して、ミアは自分を鼓舞しながら見えてきた厳重な石門に向かって大きく歩き出す。


 召喚した召喚獣が中で訓練することもあり、まるで砦のようなどっしりとした建物には威厳さえ感じる。


 石門の周りには人を寄せ付けない空気が流れる中、ミアは己を信じて前へと進む。


 門番に胸元に付けている召喚士のバッチを見せ、いよいよ中へと入ると後ろから囁き声が薄らと聞こえてきた。



「まだ幼い女の子だっていうのに、可愛そうに……」


「この前の召喚士は、三日も持たなかったしなあ」


「奴らに喰われないといいけどな」


「馬鹿、聞こえるぞっ」



 門番達の囁き声を見事に聞いてしまい、身の危険を感じるがもう後戻りは出来ない。


 ここまで来たら聞こえなかったフリをして、勢い任せで足を進め門を通り抜ける。門の先には青々とした芝生が広がり、広い敷地の中央に佇む石造りの堅牢な騎士舎がミアを待ち構えていた。


 騎士舎を囲う地面には様々な獣の足跡の痕跡があり、大きく地面が抉れている所まである。魔獣がいる痕跡に、自分以外の召喚士がいることにとりあえず胸を撫で下ろすが、抉れ方を見て自然と身体が震えた。


 まさか……魔獣を野放しにしてるとかそんな分けないわよね?


 敷地内に入った以上何が起こってもおかしくないと抉れた地面の横を通り過ごして、騎士舎の扉へと急ぐ。ただ妙に静かすぎる空間と感じた違和感に、少し足を止めて周囲を確認する。


 抉られた地面は明らかに真新しく、今朝方出来たものだと言ってもおかしくはない。


 ここまで大きな魔獣の足跡が残っているのにも関わらず、その魔獣の気配はどこにもない。



「……侵入者だと判断して襲ってきても、何ら不思議ではないのに」



 縄張り意識が強く、仲間と判断した対象にしか懐かないのが魔獣の特徴だ。


 ミアが来るということを配慮して、しっかり管理してくれているのか、はたまたまぐれか。


 どちらにしろ今は危険が潜んでいないことに安堵の息を零しつつ、再び騎士舎へと足を向ける。


 重たい扉をいざ目の前にして急に心臓がうるさくなり、緊張で肩に力が入る。


 ……どうか、初日でヘマしませんように。学校を卒業したとは言え、元落第生ってバレたら即クビ確定なんだから。


 何度も私は立派な召喚士と心の中で唱えつつ、その証であるバッチをキツく握りしめてから、ドアノブへと手を伸ばす。


 中へ入ろうとしたその時――ミアの動きよりも先に白い何かが扉を打っ放して一目散に外へと飛び出して行った。



「いっ、今の……何?」



 今までの緊張感がどこかへ吹き飛ぶ程の勢いで、白い何かは姿を何処かへ消してしまった。


 後を追いかける理由も無いミアは気を取り直して中へと入り、意外にも手入れが行き届いた室内に口をぽかんと開けた。


 荒々しい噂しか聞いてこなかったせいで、建物内も酷い有様を想像していたが、案外そうでもないらしい。


 遠慮がちに辺りを見渡しながら、ここからどこへ向かえば良いのか分からず、もう一度手紙に目を通そうとしたその時だった。



「ワフッ」


「っ……!」



 突如聞こえたその鳴き声に身体を震わせながら声のする方へと視線を動かすと、二階へと続く階段の踊り場でお行儀良く座り込む、一匹の大きな灰色の犬がミアを見つめていた。


 愛らしい瞳にフワフワな毛並みを見て、ミアの心は一瞬にして高揚する。


 かっ、可愛い〜〜!!


 幼い頃から動物と戯れて育ったミアにとって、この場の天使と言っても過言ではない。


 今にもその毛並みを確かめるべく飛びつきたくなる気持ちを抑えて、ニヤけてしまう顔を抗うのに必死なミアに犬は小さく首を傾げた。


 その仕草でさえ、ミアには興奮のあまり声が漏れそうになる。


 こんな場所に愛くるしい子がいるなんてっ……!なんかもう仕事頑張れる気がしてきた!!


 動機はともあれ、抱えていた不安がかき消された事により身が軽くなるのを感じていると、犬がゆっくりと腰を上げた。


 尻尾を緩やかに左右へ振ると、ミアをチラリと伺い階段に足を掛けた。


 様子を伺うように犬を見つめるが、一向に階段を登ろうとはせず、再び短く吠えミアに視線を送り続けていた。



「もしかして、案内してくれるの?」


「ワフッ」



 得意気な表情を見せる犬にクスリと笑みを零して、大舟に乗ったつもりで犬に着いて行くことにした。


 一段一段踏みしめて階段を上り、ガーネット色の絨毯が敷かれた廊下を歩いて辿り着いた扉の向こうからは、唯ならぬ空気が漏れ出していた。


 中からは何やら男性の声が小さく聞こえてくるものの、会話まではハッキリと聞こえない。


 大事な話し合いの途中で、遮るように入り込んじゃったらどうしよう……。


 恐る恐るここまで案内してくれた犬に助けを求めるが、自分の役目はここまでだと犬は扉のすぐ横に伏せ、チラリと扉に目配せをしたかと思えばそのまま瞼を閉じた。


 誰からも助けの手を伸ばされないこの場で突っ立っていてもしょうがないと、意を決して扉を叩く。


 挨拶は最初が肝心よ。負けない意志を表せば、生き抜いていけるはず。



「入れ」



 凛とした男性の声が返ってきて、一呼吸置いてからゆっくりと扉を開けた。


 ミアの視界に飛び込んで来たのは、執務机の上に山のように積まれた書類に取り囲まれる、整った顔を歪ませた一人の男の姿だった。


 ミアとは異なる全身を黒に染め上げた制服には、魔獣騎士団所属の証であるバッチと勲章が着いていることから、この男が騎士団長で間違いなさそうだ。


 彼を前に思わず息を飲んだのは、威厳ある風貌の持ち主が騎士団というのが判明したせいか、はたまた男性としての美しさを前に動揺しているのか。


 鼻筋が通った端麗な顔立ち、切れ長な目の奥で瞬く海の底で光を乱反射させるような、艶やかで深いアイオライトのような瞳。滑らかで絹のようなシルバーブロンドの髪が、窓から降り注ぐ光を集めていた。


 すごい綺麗な人……。


 生まれて初めて見る美しさに射抜かれたミアは惚けて挨拶もろくに出来ぬまま、最初の遅れをとってしまい団長から睨みつけられ、その場で硬直するしかない。



「この子が噂の新人ちゃんか〜」



 睨みつけてくる団長とは真逆の穏やかな声の主の男が、壁際から歩み寄ってくると遠慮なしにミアの顔を覗いて来た。


 ち、近いっ……!団長に気を取られすぎて、全然気づかなかった……!


 アッシュゴールドの髪から清涼感溢れる花の香りを漂わせながら、人懐っこそうな猫目で見つめられ、ミアの心臓が不思議と跳ねる。


 慣れない異性との距離の近さに狼狽えそうになるのを堪えて、遅れを取り戻すように挨拶に取り掛かる。



「ほっ、本日より魔獣騎士団第四部隊に所属されることになりました!召喚士のミア・スカーレットです!」



 よろしくお願いしますと頭を下げて、これからの抱負を伝えようと口を開こうとするが、少し乱暴に席を立った団長により反射的に唇を結んだ。



「ようこそ、“召喚士様”。俺は第四部隊を取り纏める、リヒト・アンバネルだ。配属初日ですまないが、まず初めに忠告だ」



 少し苛立った凛とした声に、自然と背筋が伸びるのを感じたミアは震えそうになる身体に鞭を打つ。


 ここで怖気付いちゃダメだ。ようやく掴んだ就職先を手放すわけにはいかないんだからっ!


 ミアを睨みつけながら前に立ち塞がる団長、リヒトに負けじと、全身に力を入れて続く言葉を待つ。



「俺達が扱う魔獣は、そこらの生易しい生き物とは違う。易々と腕を咬みちぎり、背中を引き裂き、最悪まるごと喰らう……それが魔獣だ。生半端な気持ちでこの場に立っているなら――とっとと失せろ」



 リヒトの迫力にひぃ……!と声を上げそうになるけれど、この場の空気を変えるように優しい声が宥めた。



「そうやって威嚇しないの。まったく……せっかく来てくれた召喚士なんだから、もっと丁重に扱わないとまた逃げられるよ?」


「……チッ」



 リヒトの舌打ちにも動じず、二人の間に割って入ってきたのは猫目の男だった。



「ごめんね〜。うちの団長ったら絶賛不調期でさ。色んな事にイライラしちゃう時期なんだよね」


「は、はあ……」


「あ、僕は副団長をやってるユネス・ファウアー。ユネスでいいよ。どうぞよろしくね、ミアちゃん」



 ん!と手の平を突き出してきて、慌ててミアも手を差し出すと優しく握手を交わしてくれた。


 人懐っこい優しい人がこの場にいてくれたことに感謝の気持ちが止まらず、ミアからその手を何度も何度も拝むように握りしめた。



「ユネス、馴れ合うな。どうせ、明日には根を上げて消えていくぞ」


「だーかーらー!そういうこと言わないの!」


「それより、こいつがどれ程の腕前か確かめる必要がある。おい、お前。今ここで魔獣を召喚しろ」

 


 突然の命令にギクリと肩を震わせ、言われたことを理解すればするほど背中に冷や汗が伝っていく。


 言われる覚悟は出来てはいたが、いざそれが目の前にやってくると頭は真っ白になっていくばかり。



「どうした?まさか召喚出来ない、なんて事ないよな?」



 煽るような言い方のリヒトにユネスが再び辞めなさいと口を挟むが、そのやり取りでさえ遠くに聞こえる。


 やるしかない。やるしかないのよ、ミア。私は召喚士……召喚士なんだから。私はここでずっと働いていくって決めているんだから、魔獣を召喚しなきゃ始まらない。


 浅くなる呼吸でなんとか頭に酸素を送り込もうとするものの、こんがらがった頭にはそれだけでは足りない。


 急かされるようにリヒトから声を掛けられ、真っ白になった頭で召喚魔法を唱える。光輝く魔法陣が足元に展開され、締め切った部屋にどこからともなく風が吹く。


 どうか神様……私に力を貸して下さいっ!


 願いを込めつつ、半分力任せで召喚魔法を発動させると、神々しい光が部屋の外まで漏れだした。


 瞼をそっと閉じて、魔獣が放つ魔力を感じて力を掴むようにそっと手を差し伸ばす。


 半ば強引に力がミアに流れ込んで来て、狼狽えると次の瞬間、何かが小さく爆発して白い煙が部屋を埋め尽くす。



「ゲホッ、ゲホッ!」



 咳き込むユネスが慌てて窓を開けて、新鮮な空気を取り込むと、霞んで消えていく白い煙の中から影が揺れる。


 煙に涙目になりつつも、揺れる影に召喚が成功したことを確信したミアだったが、窓を開けて振り返ったユネスと共に目を見開いた。


 立派な尖った狼のような耳に、フサフサとした尻尾。威厳ある風格はどんな獲物も目があったら最期、確実に仕留められること間違いなしだ。


 ……ただ魔獣でなくても、“彼”ならやってのける可能性は無きにしも非ずだが。



「お前、一体何をした……」



 目の前に立つのは紛れもなく、美しさを秘めた団長リヒトの姿――だが、明らかに先程と姿形が異なるのは一目瞭然だ。人のなりをしているものの、人ならざるものが生えている。


 わなわなと震えるリヒトの雷が落ちるまで、あと寸刻。ミアは目の前に立つ姿を変えた上司に向かって、遠慮なく驚きの声を上げた。



「えぇええーっ?!?!」



 ミア・スカーレット 十八歳 職業召喚士。


 魔獣騎士団 第四部隊配属初日にして――上司となる騎士団長リヒト・アンバネルを召喚してしまったのだった。



 

 



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