第27話 スペース・トリップ・ガール
手を離せば、今まで掴んでいたものは自由落下するはず。
そう思って、右手に持ったコップを恐る恐る離してみるが、コップは落ちるどころかふわふわと飛んで行こうとする。おいおい、まてまて。お前は私のコップだろう?何を好き勝手に。
窓の外には暗黒の世界が広がっていて、前後の感覚というのは全く麻痺してしまう。ただ一つ大きく浮かぶのは母なる地球の青さばかりだ。
地球はコップと同じように何もない暗黒空間をぷかぷかと浮かんでいる。
ほら、コップよ見たか。地球は勝手にどこかへ行こうとはしないじゃないか。
その通り、地球は変わらず浮かんでいた。
ともすると、その足場のなさは存在の不安定さを醸し出し、ひいては、今自分のいる宇宙ステーションの不安定さを想起させた。
時々、無性に不安に駆られたときは、いつも想像するのである。何もない暗黒の先からきらきらと銀に輝く一本の糸が垂れ下がり、今自分がいるこの場所も、そして地球も吊り下げられているのだ、ということを。
それは昔何かで見た人形劇のようで、背景が描かれた紙の外、つまりその世界の人形にとっては存在し得ない空間から、超自然的な力によって操作される安心感。脳が蕩けるような快感だ。
他に話し相手がいれば気でも紛れようが、あいにくこの場所には私ひとりだ。
ひとりぼっちというのもまた、地球のそれと似ていて少し嬉しく、かなり寂しかった。地球は寂しいときどうして気を紛らわせているのだろうか。
無駄に広いステーションの中を歩いてみる。
円環状に続く廊下を、何度も、何度も回る。
何かの資料でみたが、地球も同じらしい。
さっき地球は勝手にどこへも行かないと言ったがあれは嘘だ。
地球は太陽の周りをすごいスピードで飛んでいるようなものらしい。
だから、私は、地球を見失うことのないよう常に横を飛び続けている。
太陽の周りを回る地球と、その周りを回る私。
二人の存在は限りなく同じ色をしていて、たまらなく嬉しく、また自分の肌の色が青色ではないことにかなり落ち込んだ。
どこかで聞いたが、あの地球上にはもう誰も住んでいないらしい。
私の生まれる遥か前に、地球を捨てながらも、離れることのできなかった私の祖先たちと。それでいて残された他の種族の生き物たち。その全てはとっくに死に絶え、残ったのは青い地球と青くない私。たったそれだけ。
地球は変わらず飛んでいて、私は変わらず廊下を回るけれど。これはいつまで続くのだろう。
どこかで誰かが糸を操作して、私の足を左右交互に絡まらないようにせっせと動かしているとして。その行為はいつ終わりを迎えるのだろう。
地球はまだまだ青く光り輝いて、終わりなんて元々存在しないかのように振る舞って。
私だって毎日、毎日終わる瞬間のことなんてかけらも考えず、私には縁のないことのように振る舞っている。
終わりの先には何が待っているのだろう。
目の前に広がる、無限の暗黒空間のようなものだろうか。
それともどこまでも続く廊下のようなものだろうか。
はたまた青く光る地球の、生成され消滅する雲のようなものだろうか。
私は、私の終わりが無性に楽しみで、底なしに怖かった。
入り混じる私の終わりは何色だろうか。
暗闇に光刺す青色だと、私は嬉しい。心の底からそう思えた。
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