第25話 誰もがみんな探しているんだ

親しかった友人が死んだ。


自ら死を選んだらしい。らしい、というのは僕には噂程度の情報しか入ってこなかったからだ。親しい、と思っていたのは僕の方だけなのかもしれない。ポジティブに考えるのであれば、残された人々には僕と友人の関係性がそれだけ見えいなかっただけだろう。


そう考えると、現代というのは人と人との関係が見えづらい。

どこどこの誰それとこんな仲らしい、なんて最早絶えて久しい会話のテーマだろうし、SNSがこうも発展をしていて、インターネット上で完結するようなバーチャルな関係性が当たり前のようにあるのなら、その繋がりを他者が捉えることは不可能なのかもしれない。


他者に限ったことではないか。自分ですら自分の周囲を取り巻く人間関係の、確たる存在を認識できるのはせいぜい家族くらいのもので、その家族ですら時と場合によっては希薄化しているのは言うまでもない。


おっと、話が逸れてしまった。

これは亡き友人に対する追悼文なのだ。

なぜ私に一言声をかけることなく勝手に逝ってしまったのか。


死がそんな近くにあるなんて思ってもいなかったじゃないか。


死とは言うなれば、去年の夏の暑さのようでいて、昨日のテレビを観ながら考えていたことのようで、提出期限はわからないけれど確実に命じられた業務のようなものだ。

つまり喉元過ぎればハッキリと思い出せず、それでもいずれやってくる。


来るのか、行くのか。そんな瑣末なことを考えていた時期がある。

人は日々を忙しなく生きながら、一歩ずつ死に向かっている。これは能動的に向かっている印象だが、時は受動的に進み続けるのだからあっちから来るといって差し支えはないだろう。

だが、そのどちらであっても今の我々には関係のない、遥か遠い話だと思っていた。


君は教えてくれた。

死は来るものでも、行くものでもない。

隣に在るものだった。


しかもその境界線はあってないようなもので、気持ち一つで簡単に飛び越えてしまうことが可能なのだ。その気持ちは僕には、少なくとも今の僕にはわからない。わかってあげたいと想像するが、わかりたくもない気持ちがあることは否めない。そこまで君を背負うことは僕には不可能なのだ。


それがわかったとき、僕はどんな選択をするだろうか?

君は迷うことがなかったのだろうか?

思い止まることはできなかったのか?

残された者の悲しい痛みを思い遣ることはできなかったのか?

死によって解放されたのか?


僕にはわからないことだらけだ。

君を誰よりも理解していると思っていたし、少なくともそんな瞬間は確かに在った。でもそれでは足りなかったんだね。君は死んでしまった。もういない。僕はまだここにいる。


君のいない世界はどんなものかと慄いたが、意外と大したことはなかった。

僕がいなくなったって何ら変化はないだろう。

そう考えると虚しくなる。

君も同じ気持ちだったのか?

自らの存在意義がわからなくなって、前を向いて歩く勇気と希望を失って、君は一人暗く冷たい海へと身を投げたのだろうか?

わからない。

でもわかることが一つ在る。

君の死が僕を変えた。でないとこんな文章なんて書く必要はないはずだから。書くことを考えることすらなかったはずだから。


なんて君は勝手なやつなんだ。


なんて君は可哀想なやつなんだ。


なんて君は


なんて君は


なんて君は



そして僕はなんてちっぽけなやつなんだ。

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