第24話 枯れた筆

この世には、またとない不思議な筆がある。


その筆を待つと、たちまち画用紙の上には想いのまま絵が現れ、原稿用紙の上には精緻な文章が溢れ出す。便箋の上には心の奥底から光り輝く愛の言葉が並び、紙の切れ端には末代まで残る歴史的偉業が浮かび上がる。



私が手にしているものがそれだ。



見た目はなんの変哲もない、ただの筆である。ただ、どことなく枯れた一本の松を思わせる様態をしている。その様から【枯れた筆】と呼ばれてきた。


その凄みは前述の通り、あらゆる人々がこの筆をもち、財を成してきた。なにしろ想いのままに筆が動くのである。ひとりでに動くと言っても差し支えあるまい。


私だって多分に漏れず、この筆のお世話になってきた1人だ。もっとも私の場合は日記を記す程度のもので、人様の目に触れるわけではない。だが、その日の自らの心持ちを過不足なく日記帳の上にしたためることは、言い難い快感をもたらしてきたものである。


たとえその日一日がよくないものだったとしても、宵の闇にまぎれて書き散らす時、私は幸福だった。



私はなんと幸せな人間だろう。



人は何かを生み出すとき、産みの苦しみともいわれる苦痛を伴うのが常である。私だってこの筆を手にするまでは手紙を書くことすら辛かった。だから、その気持ちはようく解る。だが、この筆は一本しかないので他の者に使わせるわけにはいくまい。幸せなのは一人で充分なのだ。


なにぶん、私たちはかかずにはいられない。

かくことは生きることなのだ。

かくことが辛いというのは生きることが辛いということでもある。

生きることが辛いのは傍目にも不幸なことだ。だから私は幸せなのだ。


この筆が私の手元に来るまでの足跡は、歴史上で確認できるときもある。

『宇治拾遺物語』には天下に名を馳せた一人の男が、肌身離さず一本の痩せこけた筆を持っていたという記述があるし。

俳諧の大宗匠松尾芭蕉も旅に出る際、いつだって持っていたとされている。


つまりいつからあるかは分からないが、この筆は歴史そのものなのである。

この筆が歴史を作ってきた。

我々が歴史とするものの多くはこの筆が作り出したものなのである。



この筆の凄さがお分かりいただけただろうか。



何を隠そう、もうお気づきとは思うがこの文章だって、その筆が書いている。

私の中にあった、正体不明のものに言語という形を与えて、整えて、表出してくれている。

この筆が私をかいてくれるのだ。

つまり私はかかれる側であり、かきだす側ではない。




となると、この言葉は誰のものだ?

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