第23話 流れる車窓の外にはいつもの風景が広がる


がたがたがた、と電車は揺れる。

ぎしぎしぎし、と座る椅子が揺れた。

ざわざわざわ、と乗客たちの囁きが広がった。


窓の外に見える景色は、すごいスピードで後ろに流れていく。山が見えたかと思うと、次の瞬間には川を上から見下ろしている。かと思うと、民家がすぐそこまで立ち並ぶ面すれすれに駆け抜けていく。そうそう、トンネルだってあった。入った瞬間、昼間であることを忘れてしまいそうな暗闇と、気圧の変化で耳の奥が詰まるような違和感がやってくる。


遠くの空に浮かぶ雲はゆっくりと動き、近くの景色は一瞬で過ぎていく。そんなことからも空は広く、距離は遠いことがわかった。まあ、子どもの頃は不思議だったものだ。


ふかふかとした席の上に据えられた尻の居心地が悪く、もぞもぞと動かしてみた。やはり長時間乗っていると辛いものだ。


意味もなく中吊りの広告に目を遣る。みたこともない占い師が怪しげな本を出すらしい。あの広告を見て買おうと思う人間がいるのだろうか。


穏やかな時間だ。

何もしていなくても、電車は絶えず進む。

どんな人間だってこれに乗っている限りは、ある種の目的を持って行動していることになれる。

穏やかで退屈な時間だ。目の前には一人の老人が座っている。あ、そうそう。この電車は進行方向に向かって設置された2人掛けの座席が一列当たりに二つあるタイプの車両だ。だから、正確には老人の薄く禿げ上がった頭頂部が、背もたれ部分から飛び出している。それを僕は見ていた。


「死ぬんは怖いか?」


僕は少し前屈みになりながら、車窓と座席の隙間から老人に囁きかけた。

近くで聴かないと到底聞き分けることができないくらいの声量だ。

返事や反応はない。

聞こえていないのかと思い、もう一度尋ねた。


「なあ、死ぬんは怖いか?」


どうやら老人は眠りこけているらしい。

僕はその肩をつんつんと人差し指でついてみた。

もぞもぞした老人に再び問いかける。


「なあなあ、死ぬんは怖いか?」


老人は少し逡巡してから、


「もう怖いことなんかあらへん」


そう返して、再び眠りについた。

僕は感心した。窓の外ではさっきより少し暗くなった街並みが流れている。

渋滞に巻き込まれた車の線が、どこまでも伸びていた。

滑らかに滑り込んだ停車駅で、老人はゆっくりと降りていった。


停車中の車内から車外を眺めていると、先ほどの老人と入れ替わるようにサッカーボールを抱えたユニフォーム姿の中学生くらいの男の子が乗り込んできた。


かすかに後ろに引かれるような慣性と共に、電車は再び走り出した。


「なあ、ぼく?死ぬんは怖いか?」


スマートフォンでゲームをしていた少年は、少し首を傾げながら、


「死ぬん?」


と問い返した。


「そや、君は死ぬんは怖いか?」


「ようわからんけど、怖いことないで」


「ほんまかいな」


「うん、まあ友達と遊べんくなったり。サッカーできんのはいややけどな」


「そうか、ありがとうな」


窓の向こうでは街灯がオレンジの光を残して次々と流れていく。

マンションの部屋部屋では薄いレースのカーテンの向こうに柔らかな光を抱いていた。太陽のほとんどは山の稜線の向こうに消えようとしている。青黒い闇が空へと広がってきた。

そろそろ腹が減ってくる時間帯だ。

電車が駅に滑り込み、ドアが開くたびに乗客と共に美味しそうなご飯の匂いが流れ込んでくる。

あの駅は焼肉。あの駅は焼き鳥。あの駅はなんだかとっても甘い匂い。

匂いはあたかも乗客のように、しばし車内に漂い、やがて何処かへと降りていく。おいおい、運賃は払ろうたんか?


少年が慌てて降りたその駅で、今度は冴えないサラリーマンが乗り込んできた。家に着くまで待てなかったのか、右手には缶ビールのロング缶が中身軽そうに握られている。

どかっと座り込んだその男に、電車が走り出すやいなや問いかけた。


「なあ、あんたは死ぬん怖いか?」


男はびくっと背中を震わせた。震えに合わせて缶の中でビールが踊る。


「ああ、めっちゃ怖いな」


「そうか、怖いんか」


「最近よう考えるんや。自分が死んだら家族はどうるんやろって」


「あんた家族おるんかいな」


「あほう、おるわいな。んでな、自分が死んだらあいつらはどうなるんやろって考えると怖いんや」


「どこが怖いんや?あんたなしでもなんとかするやろうに」


「それや、それが怖いんや。俺がおらんでもな、あいつらは多分なんも変わらへん。俺なんておってもおらんでも大して変わらんのちゃうかと。そう思うと、怖あてたまらんなるんや」


サラリーマンの男はそこまで話すと、ビールを喉に流し込んだ。最後の一滴が口の中に滑り込むとき、どこからか小さな蛾が側まで飛んできた。


「あんたは家族おるんか?」


僕は正直にいないと告げた。


「家族はな、難しいぞ。結局は他人なんや、みんなな。どっかで諦めて自分を捨てて、一緒に暮らしてる。でもいつかな無理してると限界がくるんよ。それに気づいて気づかんふりする人と、気づいたらいてもたってもいられんくなって、って人がおる。俺は前者やろうけどな」


「でも、ほんなら死んだら何もわからんなってええんちゃうんか」


「あほう、死んでもおんなじ墓やないか」


男は笑いながら降りていった。窓際には先ほど手に持っていたビールの缶が放置されていた。


電車は着実に終点に近づいていた。

もう窓の外は暗闇に沈んで何も見えない。

最後に何かを見たくて、じっと目を凝らしていると不意に焦点がずっと手前で合った。それは電車に揺られる自分の姿だった。

窓越しにじっと見ていると、先ほどの蛾がビール缶の淵に羽を休めているのが見えた。

僕は電車が止まるまで、じっとそれを見続けた。

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